第52話 その願いが叶った証拠はない
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刃が、エドガーの座っていた場所へ落ちた。
彼は身を引いたが、背中が壁へ当たった。腰の銃へ手を伸ばす。その前へ、フレイアが入った。
左手で刃を掴む。
魔力を纏わせた掌に、鉄が食い込んだ。皮膚までは届かない。男が押しても引いても、剣は動かなかった。
「放せ!」
男が叫んだ。
フレイアの右手に、黒い光が集まった。
彼の胸へ届いた時、剣を握る指から力が抜けた。
身体が、彼女の足元へ崩れた。
火が音を立てていた。
エドガーは銃を抜きかけた姿勢のまま、動かなかった。
フレイアは手を下ろした。男の胸は、もう動いていない。
止まった刃を見た。
さっき、自分の手の中で、既に止まっていた刃だった。
「……俺は、斬られずに済んだ」
エドガーが言った。
「ああ」
「ありがとう。だが」
彼は男を見た。
続く言葉が分かった。それでもフレイアは、先に答えなかった。
「剣を取るだけでは、駄目だったのか」
「できた」
答えは、あまりに短く出た。
エドガーが彼女を見る。
「なら、どうして」
フレイアは右手を開いた。
魔力は消えている。もう何も握っていない。
「貴様へ刃を向けた。取り除くべき敵だと、思った」
「この先も、俺と揉めた奴をそうするのか」
その問いに、ようやく顔を上げた。
「……同じにしてはならぬのだろうな」
「俺は、そう思う」
男が剣を抜いたことは、消えない。
二人に、ここへ残る義務があったわけでもない。
そのどちらも、彼女が最後の一撃を選んだ理由を軽くはしなかった。
「殺す必要があったとは、言わぬ」
フレイアは言った。
エドガーは頷かなかった。返事を受け取っても、それだけで片づく顔ではなかった。
彼女はそれ以上、言い訳を足さなかった。
夜のうちに、二人は男を火から離した。
エドガーが残っていた布を探す。フレイアは、散らばったパンを拾った。
食べかけの一切れには、赤いジャムが残っていた。
男は、次の朝もここで食べたかったのだろう。
それ以外に何を望んでいたか、もう聞けなかった。
朝、女神像から少し離れた土を掘った。
瓦礫の下から見つけた板を使い、根のある場所を避けた。エドガーが布を掛け、フレイアが土を戻す。
剣は鞘へ納め、墓の脇へ置いた。
エドガーが板へ文字を書こうとして止まる。
「名前、聞いたか」
「聞いておらぬ」
あれだけ話した。
国が滅びた話も、最後の願いも聞いた。
それでも、名は知らなかった。
エドガーは、その朝の日付だけを書いた。
馬車へ荷を積む間、フレイアは戸口に立っていた。
「我が近くにいると、怖いか」
エドガーは縄を結ぶ手を止めた。
「さっきは、怖かった」
フレイアは頷いた。
以前の彼ならどう答えたか、考えても仕方がなかった。今の彼は、そう答えた。
「行くのを、やめるか」
「勝手に話をそこへ飛ばすな」
彼は結び目を締め直した。
「一緒に行くから、聞いたんだ。次は、止めた所で俺にも口を挟ませてくれ」
「分かった」
「間に合わない時まで、黙ってろとは言ってねえ」
「分かっている」
同じ言葉を繰り返すしかなかった。
レイドスも似たことを言ったのだろうかと考え、他人の言葉に預けるのをやめた。
町を出る前、男の井戸へ寄った。
水は確かにあった。
周りの畝には、細い葉が残っていた。罠の手入れに使ったらしい紐も、軒に掛かっている。
国を作るには足りず、一人が次の日を迎えるには足りていた物を、二人はそのままにして門を出た。
しばらくは、車輪の音しか聞こえなかった。
空は晴れ、草の上を鳥が飛んでいる。
エドガーが一度だけ、背後を見た。
「世界の破滅を願った、か」
「冗談だとも言った」
「願いが叶うなら、今ごろ俺たちもいねえのか」
「叶った形が、人間の望む形とは限らぬという話だった」
そう答えた後、フレイアは首を振った。
「だが、それを何にでも当てはめれば、起きたことを全て泉の仕業にできる」
エドガーが前を向いた。
願いが届いた証拠も、最後にどれほどの力が残っていたかの記録もない。
男の言葉だけが、二人の間に残っていた。
次の丘を下る前に、焦げた匂いがした。
エドガーは馬車を停めた。
村の屋根から、細い煙が上がっている。道に荷車が倒れ、その横を何本もの轍と蹄の跡が通っていた。
最初の家の壁には、矢が残っていた。
フレイアは、馬車を木陰へ寄せるよう言った。
人の声を探したが、返ってくるものはなかった。崩れかけた家へ不用意に入らず、外から見える範囲を確かめる。
布で腕を吊った兵士が、戸口に倒れていた。奥にも人影がある。庇っていたのか、共に逃げようとしたのか、今の姿だけでは分からなかった。
「兵を匿ったから、焼かれたのか」
エドガーが呟いた。
「そう見える。だが、そうと決まったわけではない」
村外れには、違う紋章の旗が二本落ちていた。
どちらが先に来たのか。誰が火を放ったのか。ここに残る物だけで、話を完成させることはできない。
遠くで、低い音がした。
フレイアは顔を上げた。まだ戦っている者がいるのかもしれなかった。
「この道は引き返す。先ほどの分岐へ戻るぞ」
エドガーは頷き、村の位置を地図へ記した。
次に人のいる詰所へ着いたら伝える。そこで通れる道も聞き直すことにした。
泉が、世界を壊したのか。
そう考えれば、何もかもを一つの願いへ押しつけられる。
だが村を焼くには、ここへ来て火をつけた者がいる。メルスで男を殺したのも、泉ではなかった。
フレイアは自分の手を見てから、荷台へ乗った。
詰所へ着くと、二人は村の位置と見たものを伝えた。そこで別の南行きの道を聞き、進路を変えた。
二日後、その街道に明るい幟が並び始めた。
大きな賞金の額。剣を持つ人間。緑色の小さな姿。
遠くから歓声が聞こえる。
「祭りか」
エドガーが、馬の歩みを緩めた。
フレイアはその声を聞きながら、幟に描かれた、追われる側の顔を見ていた。
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