第48話 新しい約束のおにぎり
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
次の宿場へ着くまで、四日かかった。
初日は、馬も人も休みながら進んだ。二日目から、エドガーは朝に帳面を開くようになった。昨夜までの道順を読み、自分の覚えている景色と比べる。
三日目には、確認を一つ忘れて荷を積み始めた。
そのことを喜んでよいのか、フレイアには分からなかった。
少なくとも、前日に食べた物を尋ねると、値段まで答えが返ってきた。
宿へ荷を下ろすと、主人が街道の知らせを伝えた。北東の幹道は国境の戦闘で閉じられ、南へ回る道を使う者が増えているという。
エドガーは地図に印をつけた。出発する時には、検問で通れる道を聞き直すことにした。
宿場の広場には、大きな木と長椅子があった。
フレイアが腰を下ろすと、エドガーは買い物へ行くと言った。彼女を置いて、狭い路地へ消える。
以前なら、何とも思わなかった待ち時間だった。
彼女は冊子を開いた。
帰ってきた男に、どうした、と尋ねられるまで、同じ頁を読んでいた。
「別に、変わりはない」
「そうか。こっちは少しあったぞ」
エドガーは包みを掲げたが、中身を見せずに宿へ戻っていった。
昼前、彼がようやく隣へ座った。
指に小さな赤い痕がある。
「怪我か」
「火傷になるほどじゃねえよ。……なあ、それ、何を読んでるんだ?」
彼は冊子を指した。
「人間界マニュアルだ」
「そんな本、売ってるのか」
「部下に作らせた」
「魔王の部下が、人間の説明書を?」
「ベルゼという者だ。人間の書物をよく読んでおる。今は我に代わって、全体の統治も任せている」
「大仕事のついでに、旅の手引きまでか。忙しい奴だな」
フレイアは、ベルゼがそれを聞けば、ついでではないと文句を言うだろうと思った。
口にしようとして、説明が必要なことに気づく。
エドガーは、その者の顔も知らない。
前のエドガーも、知らなかった。話したことを覚えているのは、彼女だけだった。
「ほかにもいるのか」
「アンドラスとグラシャだ。各地の統治を任せている。アンドラスは力に長け、グラシャは魔法を扱う」
「あんたが旅していても、困らねえんだな」
「何も任せられぬ王など、旅に出られぬ」
「そりゃそうか」
エドガーは一度頷き、それから言いにくそうに尋ねた。
「前にも聞いたか、この話」
「似た話ならな」
「悪い」
「謝られるようなことではない」
彼は顔を上げた。
フレイアは冊子を閉じた。書いてあることより、今の返事を聞き逃したくなかった。
「今は、貴様が知らぬから話している。それでよい」
エドガーは少し黙り、それから肩の力を抜いた。
「じゃあ、もう一つ。あんたの親父は、何で人間界へ攻めてきたんだ」
「世界を従わせるためだ」
「身も蓋もねえな」
「父は、先に人間が魔界へ侵入したと言っておった」
エドガーの眉が上がる。
「俺が知ってる話じゃ、魔王が一方的に攻めてきたことになってる」
「父の言葉と、人間の言葉は違うのであろう」
「どっちが本当なんだ?」
フレイアは広場を見た。
井戸から水を汲んだ男が、重そうに桶を持ち替えている。子供が片方を持とうとして、かえってこぼした。
「我が見たのは、戦が続いていた頃からだ。最初の境界を誰が越えたか、我は見ておらぬ」
「親父の話も、確かめたわけじゃないのか」
「ああ」
長い間、確かめる必要があると思わなかった。
それは口にすると、自分の過ごした百年まで違って見えそうだった。
「ただ、先に何があろうと、ヘクセライへ来た毒が消えるわけではない」
エドガーは、黙って頷いた。
「親父が死んだ時は、悲しかったか」
少し間を置いて、彼が尋ねた。
「人間が言う悲しみと同じものは、覚えておらぬ」
「そうなのか」
「力で従わせていた王が倒れた。次に誰が立つか。それを考えた」
彼女にとっては、そういう出来事だった。
同じ血を引く者だから大切にするという考えも、幼い者を長く守り育てる習慣も、人間ほど当たり前ではない。
「では、冷たい娘だったと?」
「いや。分からねえものを、俺の家の話へ置き換えてもな」
エドガーは指の痕をこすった。
「ただ、同じじゃないんだなとは思った」
フレイアは頷いた。
彼が、膝の包みを開いた。
白い三角形が二つ、竹の皮の上に並んでいた。黒い海藻が一方の側面を覆っている。
フレイアは、話の続きを忘れた。
「それは」
「おにぎり。約束したろ」
彼女は両手を膝へ揃えた。
エドガーが、一本だけ曲がった指を伸ばして包みを寄せる。
「宿で鍋を借りた。作り方を聞いたら、店の婆さんに握り方まで教わってな。三回、崩した」
「その指は、米か」
「少し冷ませと言われたんだが、早くやろうとした」
「愚か者め」
「食う前からかよ」
笑った声に、フレイアも僅かに口を緩めた。
彼女は一つを持った。
思っていたより重い。三角形は整っていたが、角の一つだけが少し潰れている。
レイドスが作ったものとは、形が違うはずだった。
「いただきます」
冊子で読んだ言葉を口にして、端を齧った。
海藻が小さく割れる。温かな米の中から、塩味の強い魚が出てきた。
噛むたび、米の甘みが分かった。
箱庭で食べた果物と違い、手にも口にも、確かな重さがある。
「……美味い」
「よかった」
「魚が入っているぞ」
「入れろって、あんたが説明しただろ」
「聞いていたことと、食べたことは違う」
エドガーは笑い、自分の一つを取った。
しばらく二人とも、話さなかった。
食べ終えても、フレイアは指先の米粒を見ていた。
オディリアが、これを食べながら祭りの話をした。
残った一粒を口へ運ぶ。魚の塩気が、まだ舌に残っていた。
「レイドスの話をしてる時にも、これが出てきたんだったな」
エドガーが言った。
「ああ」
「あんたの覚えてることなら、また聞かせてくれ」
フレイアは顔を上げた。
「話そう」
エドガーは竹の皮を畳みかけ、手を止めた。
フレイアは閉じた冊子を脇へ置き、オディリアの話を始めた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
続きも読みたいと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




