第45話 救いとは呼ばない終わり
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
「悪いが、相棒だったって言われてもな」
エドガーは、足首の光を引っ張った。
「助けても、覚えてる俺には戻らねえかもしれないぞ」
「それでも、離せと言った貴様の声は聞いた」
フレイアは、オディリアから目を離さなかった。
やがて光が緩んだ。
エドガーはすぐに足を引き、彫刻刀を遠くへ滑らせた。鳥だけは、握ったままだった。
「本当に、変わったのね」
オディリアが呟く。
「分かったつもりになるな」
「レイドスが言っていた。魔族でも――」
「あの男の話で、今したことを飾るな」
オディリアは口を閉じた。
エドガーの足には、光の線に押さえられた跡が薄く残っている。
「我を試すために、こやつを使ったのか」
「……ええ」
「二度とするな」
返事が来るまで、フレイアはそこを動かなかった。
オディリアは、杖を床へ置いた。
「ごめんなさい」
今度はエドガーへ向けた言葉だった。
「謝るくらいなら、最初から聞いてくれ」
「そうね」
彼は壁際へ移り、窓の外を見た。
祭りの飾りが、夕方の風に揺れている。
フレイアは、再び術式を調べた。
核から町へ伸びる線を一本ずつ見る。どの結び目にも、オディリアの反応が入っていた。彼女が維持する術というより、彼女自身を何重にも折り畳み、街の形へ引き延ばしたものだった。
本人だけを取り出す場所はない。
人々だけを別の場所へ移す空きもない。
「貴様が手を離すだけでは、終わらぬのだな」
「眠っても、続くわ。忘れたことまで、術が覚えている」
オディリアは、窓枠へ触れた。
「守るために作ったの。ワタシが倒れても、崩れないように」
エドガーが振り返った。
「壊したら、ここにいる人はどうなる」
「戻る身体があれば、そちらへ。なければ……」
オディリアは言い終えられなかった。
「消えるのか」
「そう、考えるほかない」
フレイアが答えた。
外の身体を一体ずつ確かめてはいない。だが百年という時間と、オディリアが見せた毒の街を前に、無事だと言うこともできなかった。
エドガーは窓へ向き直った。
知らない者たちを見る目ではなかった。作られた記憶でも、彼はその中で働き、話していた。
「言わないのか」
彼が尋ねた。
「俺には説明しただろ。あいつらには?」
オディリアが目を伏せる。
「知れば、また怖がる」
「そりゃ怖えよ」
エドガーは声を荒らげなかった。
「だから黙って消していいって話には、ならねえだろ」
街の声を集めていた水晶へ、オディリアが手を当てた。
話すまで、長い間があった。
フレイアは急かさずに待った。
やがて窓の外へ、震える声が流れた。
「皆さん。時計塔のオディリアです」
広場で、何人かが顔を上げた。
「この街では、同じ日が繰り返されています。ワタシが、皆さんをそうして留めていました」
花を運んでいた女が、足を止める。
オディリアは戦争のことを話した。毒から精神を退避させたこと。身体を治せないまま、長い時間が経ってしまったこと。
何度も、言葉が途切れた。
最後まで聞いた者が、どれほどいたかは分からなかった。
「長様。祭りは、できないんですか」
水晶へ、パン屋の老人の声が返った。
「その話は、いつの戦争です?」
別の男が言う。
リナは花の輪を抱き締めていた。
「おじいちゃんも、いなくなるの?」
オディリアが返事をしようとする。
水晶の下の線が強く光った。戦争や終わりへ話が触れると、そこだけを押し戻すように。
返事を待たず、老人は少女へ膝を折った。
「さあ、走ると転ぶぞ、リナ」
いつもの言葉だった。
少女の目に涙が残ったまま、声だけが朝と同じ形へ戻っていく。
オディリアが術へ力を入れた。
繰り返しを止めるために、線を押さえる。町の音が途切れ、幾つもの影が揺らいだ。
彼女が手を引くと、また話し声が戻った。
フレイアはその手を見ていた。指の先が、前より薄くなっている。
広場では、答えのない問いが祭りの話に紛れていた。
「だから、ワタシが決めてよいとは思わない」
オディリアは言った。
「でも、今日も同じ朝へ戻せば、決めなかったことになるとも、もう思えない」
フレイアは黙っていた。
もっとよい方法が、世界のどこかにあるかもしれない。
その可能性を理由に待つ間にも、エドガーの記憶は欠けていく。オディリアは百年間、その明日を待ったのだ。
「核を、壊して」
少女が、顔を上げた。
「ワタシ一人ではできない。ここにいるワタシを消そうとすると、街を守る術が先に作り直してしまう」
「外から来た我ならば」
「ええ」
フレイアは、足元の線を見た。
その全てを繋いだまま、中心を断つ。
何が失われるのか、知らないふりはできなかった。
「これを、救いとは呼ばぬぞ」
「呼ばなくていい」
「我は、この男を連れ出したい。町の者全てのために来たのではない」
「分かっている」
「貴様に腹も立っておる。我を忘れさせ、別の者へ変えたことに」
オディリアは、そこで初めて目を逸らさなかった。
「それを理由にして、皆まで壊すことになるのね」
「そうだ」
言葉にすると、逃げ道がなくなった。
フレイアは、逃げるために言い直さなかった。
オディリアは立ち上がり、窓の下を見た。
風の中に、一つだけ動かない花飾りがあった。
「レイドスと、祭りをしたかった」
声は小さかった。
「ちゃんと好きだと言って、困らせたかった。困って笑う顔まで、何度も考えたのよ」
今ここで泣いている少女と、百年前の戦場で杖を振った少女が、フレイアの中でようやく同じ者になった。
オディリアは、窓から離れた。
エドガーが床へ手をつき、立とうとした。
フレイアは彼へ手を差し出す。
「掴んでおれ。戻れる保証はできぬ」
「……ここで、また明日を待つよりはな」
彼はその手を取った。
オディリアが、最後の防壁を開いた。
剥き出しの核は、彼女の胸の奥で光っている。
フレイアは、右手へ魔力を集めた。町を吹き飛ばさぬよう、一点へ細く絞る。左手には、知らない者を信じると決めた人間の重さがあった。
「名を、覚えておく」
彼女が言うと、オディリアはわずかに笑った。
「それだけで済むとは、思わないでね」
「思わぬ」
右手を伸ばした。
光の中心へ指が届く。
町のどこかで、明日の祭りを呼びかける声がした。
それを聞いたまま、フレイアは核を断った。
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