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第33話 暖かな洞窟の外側

お読みいただき、ありがとうございます。

どうぞ、今回の旅もお楽しみください。

 山麓の小屋で、エドガーは馬車を止めた。

 峠の様子を尋ねると、小屋の主人は軒から空を見て、首を振った。


「今日は上がるな。夕方には荒れる」


 エドガーは地図を広げかけ、その手を止めた。


「一晩、馬も置かせてもらえるか」

「飼葉代は別だぞ」

「分かってる」


 荷台でフレイアが口を開きかけると、エドガーは先に言った。


「聞いたからには、待つよ」


 夜には、小屋の窓を雪が叩いた。

 翌朝、風は弱まっていた。主人は戸の前に積もった雪を払い、地図に印をつけた。


「峠はまだやめておけ。林の上の退避所までなら、昨日通った者がいる。そこで一日待つつもりで行け。風が戻ったら下りろ」


 今日は峠を越えない、とエドガーは言った。飼葉を足し、車輪と革具を確かめてから出た。

 昼前、林が途切れる辺りで風が変わった。


「戻る」


 エドガーが言った時には、前方の道が白く霞んでいた。

 フレイアは馬車と二頭を障壁で囲んだ。雪は外側へ流れたが、その向こうの地形までは見えない。エドガーが馬を落ち着かせ、先ほど通った道へ向きを変えようとした。

 後輪が沈んだ。

 踏み固めた雪の下から、小石が谷へ落ちていく。


「止まれ。そのまま」


 フレイアは荷台の下へ魔力を差し入れた。車輪だけを引けば、軸が折れる。馬が引く力を弱めるようエドガーに伝え、重さを受けたまま、岩の見えている場所へ少しずつ戻した。


「来た時には、道があった」

「縁が崩れたのであろう」


 エドガーは雪の先を見た。下り道は、崩れた箇所の向こうだった。無理に渡せば、二頭とも谷へ落としかねない。

 風の切れ目に、上手の岩壁が見えた。黒い窪みがある。


「あそこなら、風を避けられる」

「確認してくる。我が戻るまで動かすな」


 フレイアは障壁の端を広げ、岩伝いに近づいた。

 洞窟だった。入口の足跡はまだ埋まりきっていない。奥で火が揺れ、人が動いた。


「車輪を、そっちへ寄せろ」


 大柄な男が荷台へ肩を当てた。若い二人が後ろを押し、馬車は岩の段差を越えた。フレイアが力を緩めると、車輪が固い地面へ落ち着いた。

 中には二台の荷車と、繋がれた馬がいた。焚き火を囲んでいたのは六人。さらに奥に、毛布をかぶった一人が横たわっている。


「助かった。俺はエドガー。こっちはレイだ」

「バルガス。俺たちも北へ香辛料を運ぶ途中だ」


 男が手を出し、エドガーが握った。

 荷の間から、甘く鼻を刺す匂いがした。湿った毛布と薪の煙に混じっている。フレイアがフードについた雪を払うと、弓を持った男がこちらを見た。


「魔族か」


 フレイアは手を止めた。

 男は弓へ目を落とし、握り直した。


「俺は、同じ所に寝るのは嫌だな」

「セルド。今は馬を入れるのが先だ」


 バルガスが言った。


「外へ戻せば、この馬も凍える」


 セルドは返事をせず、火から離れた所へ移った。だが、入口を塞いでいた荷袋は足で脇へ押してくれた。

 中年の女が毛布を持ってきた。


「マリナよ。濡れた革を外して。乾いたのを掛けるから」

「借りていいのか」

「そのまま震えさせておけないでしょう」


 エドガーとマリナが二頭の世話を始めた。老人は火へ薪を足し、さっき馬車を押した兄弟は、濡れた布を干す縄を張った。

 誰も、礼の代金を求めなかった。

 フレイアは外を振り返った。入口のすぐ先も、白くなって見えなくなっていた。


 マリナが鍋をかき混ぜ、小さな椀を二つ取った。


「豆のスープでよければ」

「何でもありがたい」


 エドガーが受け取る。フレイアにも同じ量がよそわれた。


「熱いから、気をつけてね」


 フレイアは頷き、息を吹きかけた。

 兄弟の若い方が、離れた所から彼女の角を見ていた。目が合うと、慌てて自分の椀へ視線を落とす。


「触らなければよい」


 フレイアが言うと、兄の方が弟の肘を小突いた。


「言っただろ。勝手に手を出すなって」

「出してない」


 二人の声に、マリナが短く笑った。

 エドガーも笑いかけたが、その顔が途中で止まった。奥を見ている。


「あの人の分は?」


 毛布をかぶった男へ、顎を向けた。


「ボルクだ。荷運びを頼んでる」


 バルガスは火へ手をかざした。


「朝から腹が痛いと言ってな。荷台で寝たまま、ここまで来た」

「だから出るのが遅れたんだ」


 セルドが言った。


「起きろと言っても動かない。積み込みも俺たちがやった。予定通りなら、こんな所で止まってない」

「それは分からないわよ。上も荒れていたかもしれない」


 マリナが返した。ただ、男の椀を取ろうとはしなかった。


「寝かせておいた方が、いいのか?」


 エドガーが尋ねた。


「放っとけば、そのうち食い物の匂いで起きるさ」


 兄の方が言った。


「前の町でも、仕事になるといなくなるんだ。宿の女将にまで絡んでたし」

「絡んだのは、見たのか」


 フレイアが聞いた。


「追い出されかけてたのは見たよ」

「勘定を忘れたんだと、わしは聞いたが」


 老人が口を挟んだ。兄は肩をすくめた。


「どっちでも、似たようなもんだろ」


 弟が曖昧に笑った。老人は笑わず、長い枝で火の位置を直した。

 奥の男は動かなかった。

 フレイアは椀を置いた。毛布の膨らみを見つめる。火が揺れるたび、影は動く。その下の身体が動いたところは、まだ見ていない。


「寒い所へ寝かせておく理由があるのか」

「元から、あっちへ寝たがるんだ」


 バルガスが答えた。

 若い弟が顔を上げた。


「ここでは、俺たちが運んだろ」

「そういう意味じゃない」


 バルガスの声が少し強くなった。弟は椀を持ち直した。

 エドガーは自分の椀を脇へ置き、立ち上がった。


「一度、声をかけてくる」

「寝てる奴を起こして、文句を言われても知らないぞ」

「なら、俺が聞くよ」


 そう言って、火の向こうへ回った。


 岩壁のそばは、火から数歩離れただけで冷たかった。

 エドガーが男の横へ膝をつく。フレイアも近づいた。毛布の端が湿り、下の土へ張りついていた。


「ボルク。聞こえるか」


 返事はなかった。

 肩へ手を置き、もう一度呼ぶ。エドガーは顔を覗くために、毛布を下げた。

 青白い頬が見えた。

 エドガーは男の襟を緩め、胸元に耳を寄せた。しばらく動かず、それから首筋へ指を当てた。

 フレイアは待った。呼びかければ目を開ける、と思っているような手つきではなかった。


「どうした」


 後ろから、バルガスの声がした。

 エドガーは答えず、男の手首に触れた。曲がった腕を動かそうとしたところで、手を止めた。

 マリナが椀を持って来た。


「起きられそう? こっちへ運びましょうか」


 エドガーはゆっくりと顔を上げた。


「息をしてない。脈もない」


 マリナの椀の縁で、スープが揺れた。


「寝てるだけでしょう」


 セルドが近づき、男の肩へ手を伸ばした。エドガーがその前へ腕を出した。


「待て。身体も硬くなってる」


 火のそばで、誰かが立ち上がる音がした。

 エドガーはもう一度男の顔を見た。それから、毛布を胸の上へ戻した。


「死んでる」


 マリナは椀を持ったまま立っていた。兄弟は顔を見合わせ、老人は、横たわった男の名を小さく呼んだ。

 ボルクは答えなかった。

 返事をしないことを笑う者も、もういなかった。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

続きも読みたいと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

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