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第32話 取り戻した声で何を言う

お読みいただき、ありがとうございます。

どうぞ、今回の旅もお楽しみください。

 朝になっても、捜している者の名は紙に残っていた。

 広場には、書き足すための机が並んだ。呼びかける職員と、自分では声を出さず、紙に名前を書いて差し出す者がいる。昨日までの冊子を手放さない人もいた。誰も、それを取り上げはしなかった。

 エドガーは事情を話し終えてからも、その机の一つに残っていた。

 同じ質問を、違う職員にされた。依頼人の髪と声。金貨の枚数。封を開いた時刻。投函した場所。

「白紙だったんですか」

「そう見えた」

「では、なぜ入れたんです」

 エドガーは顔をこすった。

「危ない物じゃないと、決めつけた」

 フレイアは横から、封に魔力があったことを付け加えた。紙を見た時には術の働きまで分からず、そのまま戻したことも。

 職員がペンを動かした。


 昼近く、言の葉の会の者たちが広場を通った。

 手を縛られた女の後ろに、地下室の老人がいた。杖を取り上げられたのか歩みが遅く、憲兵が腕を支えていた。ほかにも何人かいたが、昨日の全員ではない。

 人が集まり、通りが狭くなった。

「俺の兄が、あそこにいたんだぞ」

 男が一人、前へ出た。

「何を考えてた。答えろ」

 女は足を止めた。憲兵が背を押しかけたが、男の後ろから別の声が飛んだ。

「昨日の暮らしを返せ!」

「喋るなって札を出してみろよ!」

 石が飛んできた。老人の足元へ当たり、跳ねた。憲兵が投げた者の前へ立つ。別の憲兵は、列を早く進めようとしていた。

 女が何か言った。

 声が重なり、聞き取れなかった。

「聞こえねぇよ!」

 男が叫んだ。

 女は顎を上げた。

「自分の子供に、自分の声で話したかった」

 言い終える前に、誰かが笑った。

「俺の兄には子供がいた。そっちは、どうなる」

 女は口を開いたまま、男を見た。

 フレイアは、次に何を答えるのかを待った。誰も答えずに列が動き、男はその場に残った。手に持っていた帽子を、何度も折り畳んだ。


 男は職員へ兄の名を伝えていた。

 エドガーは列から目を離した。

 憲兵が、喋るなとは命じなかった。道を空けろと繰り返していた。その言葉だけでも、従う者と怒る者がいた。

 フレイアは足元に残った石を拾った。投げ返さず、植え込みの土へ置いた。


 昨日の親子が、救護所の前に座っていた。

 母親は少女の擦りむいた膝へ布を巻いていた。少女が顔をしかめると、母親は一度手を止め、何か小さく歌った。歌詞は聞き取れなかった。

 少女が続きを歌おうとし、途中で黙る。

「そこ、もう一回」

 母親は同じところを繰り返した。

 フレイアは通り過ぎるまで、二人を見ていた。近くでは負傷者が呻いていた。歌で消える声ではなかったが、母親も歌をやめなかった。


 リカルドは、焼け残った机で報告を読んでいた。

 腕を吊り、額に布を巻いている。目の前へ行くと、彼は立ち上がりかけて座り直した。

「昨夜は、ありがとうございました」

「俺たちが運んだ物で壊れたんだぜ」

「救助された者がいることも、記録しなければなりません」

 局長は紙を一枚ずつ揃えた。エドガーを許すとも、責めるとも言わなかった。

「声は、もう出していいのか」

「救助と連絡のため、緊急の許可を出しています。その後の扱いは、私一人では決められません」

「また黙らせる?」

 リカルドは手を止めた。

 机の端に、焼けた定型文の札があった。文字の半分が読めなかった。

「昨日まで、同じ意味を正確に伝えれば足りると思っていました」

 彼は一枚の紙へ目を落とした。妻の名前が見えた。

「妻から来た手紙にも、修正を求めました。強すぎる言葉を避ければ、落ち着いて話せると思っていた」

「修正された方は、何と返した」

 フレイアが尋ねた。

「了承したという、短い返事が」

「それを信じたのだな」

「信じたかったのでしょう」

 リカルドは長く黙った。広場から、紙の追加を求める声がした。彼は職員へ残っている束を示し、それから二人へ顔を戻した。

「妻と話す許可を求めています。捜査が先だと断られました。それなら、待ちます」

「会って、どうする」

「まだ分かりません。謝れば済むとも、許せるとも思っていません」

 エドガーは頷かなかった。フレイアも、よいことだとは言わなかった。

 机の上には、まだ読むべき報告が積まれていた。


 民家の裏へ繋いだ馬車は、前日の聴取の合間に職員と回収していた。シリウスとベガを宿の厩舎へ戻し、餌と水を与えてから、エドガーはまた広場へ戻った。

 三日目の朝、二人は出発を認められた。

 事情聴取の控えと、連絡先を提出した印のある紙を受け取った。依頼人がいる酒場へ戻ることは、昨夜のうちに職員へ伝えてある。見つけても捕まえようとせず、知らせるように念を押された。

 出国の門では、冊子を返す箱が置かれていた。

 エドガーは使い込んでしまった一冊を戻した。フレイアは最後に頁をめくり、『お世話になりました』の箇所で指を止めた。

 門番が、それを見て頷いた。

 フレイアは冊子を閉じた。


 街道へ出てから、エドガーが言った。

「最初の酒場で、魔法使いかって聞いたろ」

「ああ」

「もっと聞いときゃよかった」

「我も、分からぬままでよいと考えた」

 魔力があると知らせるだけで十分だと思った。人間の手紙に使う術には、人間の用途があるだろうと。それ以上を知りたくなるのが遅かった。

 エドガーは手綱を持ち直した。

 フレイアは手帳へ、封を開けた時刻と、投函した時刻を書いた。その間にも、立ち止まる機会はあった。急がなければならないと思った理由は、依頼人がそう言ったことと、報酬を受け取ったことだった。

 あの時には十分に思えた二つを、並べて見た。


 酒場へ戻ると、依頼人はいなかった。

 店主は預かった封書と金の袋を出した。封書には、仕事への礼が短く書かれていた。国に何が起きたかは、一言もなかった。

 エドガーは店主へ事情を話した。

「俺は、何も聞いてないぞ」

「分かってる。預かった時刻と、男がどっちへ行ったかを教えてほしい」

 店主は怯えた顔で、戸口へ目をやった。

「朝だった。南へ行くって言ってた。それが本当かは知らない」

 エドガーは、その言葉も含めて控えた。報酬の袋は開けず、封書と一緒に包む。先払い分はすでに役所へ預けていた。残りも渡すために、紙へ日付と店主の名を書いてもらった。

「受け取らないのか?」

「使いたくねぇ」

 店主は包みの口を押さえ、糸で括った。

 結び目から、封書の角が少し覗いていた。仕事への礼が書かれた紙を、エドガーは袋の内側へ押し込んだ。

「これで、いいか」

 店主が尋ねた。

 エドガーは包みを受け取った。金貨が中で鳴ったが、数を確かめることはしなかった。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

続きも読みたいと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

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