第28話 白紙の配達依頼
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
増水した橋を避けたため、昼食を取る店も予定とは違った。
街道沿いの小さな酒場で、フレイアは皿の肉を切り分けていた。切り口には赤みが残っている。エドガーは自分の皿と見比べ、首を振った。
「もう少し焼いてもらえばよかったのに」
「貴様の肉は、切るたびに皿が動いておる」
「食いでがあるって言えよ」
ナイフが滑り、エドガーは慌てて皿を押さえた。フレイアが口を開く前に、卓の脇から声がした。
「ワードレアへ行くのかい」
灰色のフードをかぶった男だった。エドガーが振り返ると、男は一歩下がり、両手を見せた。
「店主との話が聞こえてね。頼みたいことがある」
「買い付けなら、荷と値段次第だ」
「手紙を一通。向こうのポストへ入れてほしい」
男は茶色の封筒を卓へ置いた。宛名と番地があり、折り返しに小さな封がついている。続いて置かれた金貨を見て、エドガーはナイフを下ろした。
「手紙一通の額じゃない」
「国内の家族へ出したい。私は入れないんだ」
「なぜ」
「当局と揉めた。戻れば拘束される」
男はそれ以上説明しなかった。店の奥で椅子が鳴り、こちらへ顔を向けた客をちらりと見る。
「君たちにまで危険なことは頼まない。外国から来た旅人の手紙なら、受付はしてもらえる」
「中身が禁制品なら、そこで終わりだ。運ばずに戻す」
「それでいい」
返事が早かった。エドガーは封筒を持ち上げた。軽い。指で確かめられる固い物はない。
「到着した日の、日没までにお願いしたい。夕方の集配に間に合えば、待たせずに済む」
「返事も受け取れって話か?」
「いや。帰りにここへ寄ってくれれば、残りを渡す」
金貨のうち一枚を、エドガーは卓の上で裏返した。本物らしかった。革具を買い替え、馬の飼葉を多めに積んでも残る。
フレイアは男の袖口を見ていた。封を置いた指の辺りに、薄い魔力が残っている。
「魔術を使うのか」
「少し。旅には便利だからね」
封筒からも同じ気配がした。荷札の封や、持ち主を確かめる印にも見られる程度の弱さだった。それだけで用途が分かるわけではない。
エドガーは金貨と封筒を別々の懐へしまった。
「引き受ける。ただし、向こうで届けられなかったら、無理はしない」
男は礼を言い、店を出た。
「怪しんでおったのではないか」
「怪しんでるよ」
「それで受け取るのか」
「検査して通らない物なら戻す。金も返す。それでいい」
皿の肉は冷え始めていた。エドガーは切れなかった部分を端へ寄せた。フレイアは、金貨をしまった胸元をもう一度見てから、残りを食べた。
◆
数日後、午前のうちにワードレアの門へ着いた。
衛兵は声をかけず、窓口の札を裏返した。
『人数と滞在日数をお知らせください』
エドガーが答えると、二人分の旅券が出てきた。その下に、薄い冊子が二冊重ねられる。衛兵が指す箇所には、太い字が並んでいた。
『門内では口頭会話を禁じます。意思の伝達には、承認された定型文または検閲済みの書面を使用してください』
「聞き返すのもか?」
衛兵は『はい』の札を示した。
「まだ読めない子供は?」
今度は返事が遅れた。衛兵は冊子をめくり、『保護者が補助します』を指した。
フレイアは別の欄を読んだ。言葉を禁じる術式は門にも冊子にもない。咽喉を塞がれるわけではないらしい。
エドガーが預かった手紙を出すと、衛兵は旅券を確かめ、封筒へ青い印を押した。封の状態を見るだけで、その場では開けない。
『外国便。中央郵便局にて内容審査』
地図上のポストを指され、エドガーは頷いた。
門をくぐった途端、馬の蹄の音が急に大きくなった気がした。
人は大勢いた。呼び売りの代わりに値札が並び、客は欲しい物を指で示す。向かい合った二人が冊子を素早くめくり、一人が苛立って閉じた。喧嘩は声がなくても分かるのだと、フレイアは思った。
宿の主人は部屋の札を二つ出した。エドガーが片方を選ぶ。食事を付ける札、厩舎を使う札。主人は順に確認していった。
最後にエドガーが何か言いかけると、主人の手が宙で止まった。
赤い札が出てきた。
『声を出さないでください』
主人は戸口の方を見た。それから冊子を押し戻し、もう一度選ぶよう促した。
エドガーは黙って座り直した。
部屋へ入る頃、正午の鐘が鳴った。
エドガーは机に封筒を置いた。旅人用の冊子を開き、郵便の規則と交互に見る。
「……家族宛てなら、何で自分で窓口へ頼まねぇ」
壁から離れ、息に混ぜるほどの声で言った。
「拘束されると言ったであろう」
「その話だって、あいつが言っただけだ」
封筒に国を批判する文が入っていれば、運んだ者にも責任を求めるのか。規則には、持込人へ事情を尋ねる場合があると書いてある。
エドガーは長く封を眺めたあと、薄い刃を差し込んだ。
「後で、開けたことは言う」
封が剥がれた。
フレイアはその継ぎ目を見た。ごく細い光が消え、中の紙へ移ったようにも見えた。
エドガーが紙を広げる。
何も書かれていなかった。
裏返し、窓の光へ透かす。それでも白かった。
「文字が消える手紙って、あるのか」
「ある。送った者にしか読めぬ物も、決まった条件で現れる物もな」
「これは?」
「分からぬ。我の知る書き方ではない」
エドガーは紙を机へ置いた。フレイアは触れずに覗き込む。薄い魔力はまだあった。外から来た物を追う印か、開封を知らせる仕掛けか。似た働きをする術はいくつもある。
「封にあった魔力は、今は紙にも残っておる」
「開けたのがばれたってことか」
「そうとは限らぬ」
エドガーは唇を噛んだ。依頼人を探して戻るなら、ここまでの日数をかけ直すことになる。
「中央で審査するって書いてあったな。向こうなら読めるかもしれねぇ」
フレイアはもう一度白紙を見た。知らない術式を、弱いからと後回しにしていた。もっと調べようと思えば調べられた。
だが、彼が折り畳む手を止めなかった。
エドガーは開封したことが分かるまま封を戻し、冊子を持って立ち上がった。
◆
午後の広場では、郵便の集配が行われていた。
袋を抱えた職員が一台ずつ小さな車へ載せている。ポストの脇には、青い印のある外国便を入れる口があった。その上にも『中央審査』と書かれている。
エドガーは宛先をもう一度確かめた。
封筒が投入口を滑り、底へ落ちた。
「よし、これで――」
自分の声を聞いて、エドガーが口を閉じた。
近くの客が顔を上げる。郵便の袋を運んでいた職員の手が止まった。こちらを見た者が隣の袖を引き、視線が次々に増えた。
エドガーは冊子へ手を伸ばした。
広場の端から、憲兵が二人、まっすぐ歩いてきた。
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