第25話 一人分の墓、二人分のパン
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どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
グラウスの銃口が、商人の身体から上官へ移った。
エドガーは隣で何が起きようとしているかを知った。止める声は出なかった。上官が片膝を折るのと、エドガーが右側の兵へ撃つのが、ほとんど同時だった。
狙いが逸れ、木箱の角が砕けた。兵は顔を覆って引き、長銃の先が下がった。
「走れ!」
誰が言ったか、覚えていない。
エドガーはグラウスの襟を掴み、木箱の陰へ飛び込んだ。頭上を弾が抜ける。上官の怒号が続いた。膝を撃たれたらしい。死んでいないことを確かめている暇はなかった。
足場の板を踏み、壁へ手をかける。グラウスが先に登っていた。掴まれた手首に、さっきの縄の跡が食い込む。
「早く!」
壁を越える直前、エドガーは演習場を振り返った。
火鉢が倒れ、地面に赤い炭が散っていた。アンデルセンの身体は、離れた所に横たわっている。立ち上がらない。兵も誰も、そちらを見ていなかった。
引きずり上げられ、壁の外へ落ちた。足の裏から膝まで衝撃が突き抜けた。
グラウスが先へ走る。エドガーも追った。軍へ戻れば、もう撃たれずに済むかもしれない。上官の命令通り、商人は撃ったのだ。
そんな考えが浮かんだ自分を、エドガーは殴りたくなった。
倉庫の裏には、荷を積み終えた馬車があった。
商人が朝の出発に備えたまま、二頭もつながれている。シリウスが音に驚いて首を振った。グラウスがその横へ回る。
「大丈夫だ。俺だよ。パンもらった――」
「乗れ!」
エドガーは繋留の縄を外し、御者台へ上がった。手綱を持つのは、アンデルセンが荷を下ろす間に代わった数回だけだった。強く引くのではなかった。声をかけて、進む方を示す。
「シリウス。ベガ」
自分の声が裏返った。
二頭が動く。グラウスが荷台へ掴まり、片足をかけた。馬車が曲がると、その身体が見えなくなった。
「いるか!」
「いる! 前を見ろ!」
背後で銃が鳴った。幌の布へ穴が開いた。
エドガーは御者台へ伏せた。二頭は道を知っていた。倉庫を出る運搬用の通りを、荷車の轍に沿って進む。前方に夜間の輸送列があり、鉄門が開いていた。鉄鉱石を載せた牛車が、ゆっくりと門の下を通っている。
「門を閉じろ!」
歩哨台で叫ぶ声がした。牛車の御者が振り返る。列が止まり、荷台が門の下へ残った。
エドガーは右へ手綱を寄せた。牛車と門柱の間へ入る。幌の骨が柱に触れて折れ、顔の横へ木片が飛んだ。足元の板が傾く。シリウスに引かれ、ベガが踏ん張った。
門の外へ出た途端、車輪が石へ跳ね上がった。舌を噛んだ。血を飲み込みながら、エドガーは二頭を道の中央へ戻した。
「グラウス!」
「……出たな」
荷台から声がした。
警鐘は、まだ鳴っていた。
荒野へ出ても速度を緩められなかった。馬の息が荒くなる。これ以上走らせてはいけないと分かっても、背後の明かりが見える間は手綱を止められなかった。
グラウスが御者台の横へ身体を寄せた。いつものように肩をぶつけてくる。エドガーは押し返しかけ、その身体が冷たいことに気づいた。
「何だよ、その手」
返事を待たずに見た。友人の指は血で濡れていた。
「どこをやられた」
「分かんねえ。門の所、かな」
軍服の胸へ手を当てると、布が吸いきれなかった血が指へついた。エドガーは手綱を片手へまとめ、外套を脱がせようとした。
「押さえろ。強く。ここ」
「お前は、前」
「いいから押さえろ!」
グラウスが言われた所へ掌を置く。その上からエドガーも押した。友人が歯を食いしばる。すぐに手綱が滑り、馬車が道の端へ寄った。
どちらも離せなかった。
曲がり角の陰へ入り、ようやく馬を歩かせた。荷台の布を引き出し、グラウスの胸へ重ねる。血が布へ広がるのを見ないよう、顔を上げた。
「話せ」
「何を」
「何でもいい」
グラウスは唇を舐めた。
「星。名前、つける話」
「ああ」
「全部ついてたら、どうすんだろうな」
「相談するんだろ」
「そうだった」
短い笑いが咳へ変わった。エドガーは布を押す力を変えた。間違えたのかもしれない。軍医がいれば。どこかに家があれば。
道の両側には、赤茶けた土しかなかった。
「グラウス。俺を見るな。上を見ろ」
「まだ、灰色だ」
「この先で変わる」
エドガーには、そんなことは分からなかった。
「じゃあ……変わったら起こせよ」
「寝るな」
「疲れた」
「俺もだ。だから喋れ」
グラウスは頷いた。頷いたはずだった。
次の問いに、返事はなかった。エドガーはもう一度名前を呼び、胸の布を押し直した。少し先まで行けば返事をするかもしれない。振動で目を開けるかもしれない。
御者台の縁へ友人の腰帯を結び、落ちないようにしてから、馬を進ませた。
夜明けに、街道を外れた。
木々の陰へ馬車を入れ、二頭へ水をやる。その間も、荷台を振り返るのを避けていた。水袋が空になれば、次にすることがなくなる。
グラウスの腰帯を解いた。胸へ耳を当てた。手首に触れた。何も変わらなかった。
荷台の隅に、紙で包んだパンが二つあった。
グラウスの物を取っておこうと手を伸ばし、包みに書かれた字を見つけた。
『エドガーとグラウスへ。
朝に会えなかったら、これを二人で分けてほしい。
外の話をして、危ない目に遭わせたと思っている。すまなかった。
それでも、もし君たちが出たいと思った時、私が手を貸せるなら貸したい。
馬車の道具箱の底に、予備の服と商会の通行証がある。私個人の証明書ではなく、馬車と商会の荷を通すものだ。ただし、必ず通れるとは約束できない。
ここを出られたら、東の町を見てほしい。君たちが隣国と呼んでいる所だ。
シリウスは左、ベガは右。水をやりすぎず、休ませること。君たちも食べること。
アンデルセン』
最後の字が、紙の端へ小さく押し込まれていた。
出発の朝に渡すつもりで用意した手紙だった。昨夜、エドガーたちに撃たれるつもりで書いたとは思えなかった。
エドガーは、二人で逃げるために殺したのだと考えかけた。
それでは商人が、死ぬことを選んだことになる。
紙を畳めず、しばらく膝へ置いた。
道具箱には短い鋤があった。固い根を避けて穴を掘った。友人の身体を横たえ、土をかける前に、腰の短銃を外した。
グラウスに渡された銃だ。自分の物と区別がつかなかったので、握りに小さな傷をつけた。
「借りる」
返事を待ってから、土を戻した。
石を積み、片方のパンを上へ置いた。食べ物を残せば獣が寄る。野営で教わったことを思い出し、また取った。
「分けるだけだぞ」
半分を折ろうとして、潰れた。冷えて硬くなったチーズが指へつく。食べてみると、あの日と同じ塩気がした。
飲み込めなかった。少し待ち、水を口に含んで押し込んだ。残りは二つとも荷台へ戻した。
道具箱には、商人が自衛に使っていたらしい弾薬もあった。使える物を確かめ、二丁を装填し直した。こんなことだけは、考えなくても手が動いた。
商人の外套を着る。袖が長かった。グラウスならそれを見て笑うはずだった。御者台に登り、隣へ一人分の場所を空けてしまった。
東へ行けば、何があるのか。アンデルセンが言えなかったことを知るのが怖かった。知らないままで商人を撃ったことだけが残るのは、もっと怖かった。
「東へ行く」
二頭の耳が動いた。
エドガーは、もう一度墓を見てから、手綱を持ち直した。
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