第2話 幸福を買う人、悲しみを引き取る人
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どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
午後の街道には、荷馬車が増えた。
次の国へ向かう者も、国を出てきた者もいる。フレイアは幌の間から人々を見ていたが、やがて奇妙なことに気づいた。
国を出る者の多くが、晴れ晴れとした顔をしていた。荷を背負って足を引きずる男まで、何かを失って軽くなったように笑っている。
「何の国だ」
「ジマリハ。商売をするなら、面白い場所だ」
エドガーは言って、近づく城門を顎で示した。
門の両脇に小さな露店が並んでいる。青や桃色に光る結晶が、遮蔽硝子の中で砂糖菓子のように積まれていた。
客の一人が代金を払う。結晶を胸へ押し当てると、その顔にゆっくり笑みが広がった。
「幸福を売っている」
エドガーの言葉に、フレイアは紙包みの残っていない掌を見た。
あのパンを食べた時と同じものを、知らぬ者から買えるというのか。
門の向こうで、人だかりが割れた。黒い結晶を抱えた少女が、誰にもぶつからぬよう端を歩いてくる。袖の擦れた服に、細い手首。頬は濡れているのに、顔だけは無理に笑おうとしていた。
「そちらは、何を売っている」
少女は足を止めた。
フレイアを客だと思ったのだろう。涙を拭き、銅貨の数を言うような慣れた声で答えた。
「売る方じゃ、ありません」
少女は黒い結晶を服の内側へ隠した。
「悲しいのが要らなくなったら、私が引き取ります」
少女は続けて、引き取りの値段を口にした。
「小さい悲しみなら、銅貨二枚から。大きいものは、お話を聞いてからになります」
客を逃すまいとする声だった。頬の涙へ自分の指が触れると、少女は慌てて袖で拭いた。濡れた袖口は、そこだけ布の色が濃くなっている。
フレイアは荷台の縁へ手をかけた。
「引き取るとは、何をする」
だが、返事を聞く前に荷馬車が前へ進んだ。国境の係員が、後ろが詰まっていると手を振っていた。エドガーが詫びるように帽子を上げる。
「先へ行くぞ。ここじゃ、停めて話もできねえ」
少女はすぐに道を空けた。次の荷車へ同じ言葉をかけながら、人の流れの端へ下がっていく。
フレイアは後ろを見たが、青い服の商人が間へ入り、少女はそれきり見えなくなった。
門をくぐっても、フレイアは少女が消えた方を見ていた。泣きながら、次の客に渡す笑顔を作っていた。引き取ったものは、どこへ行くのだろう。
荷運びの男がすぐ脇を通り、彼女は荷台から身を引いた。魔界でこの距離まで詰め寄るのは、戦う時くらいだ。
エドガーは人混みの切れた場所へ馬車を停め、荷を縛る紐を確かめた。
「俺はこれから商談だ。お前は?」
「この国を見る」
「何日くらい」
「三日あれば、概ね分かるであろう」
言い切ると、商人が妙な顔をした。笑いたいのを堪えているらしい。
「そんなに分かりやすいなら、俺はもうちょっと儲かってると思うんだがな」
「商才がないだけかもしれぬ」
「その可能性は、三日じゃ調べきれねえな」
エドガーは肩をすくめた。フレイアが荷台から降りると、次の約束を、もう決まったことのように告げた。
「じゃあ、三日目の正午。今の門の前で」
「待て。なぜ貴様と合流する」
「まだ最果てまで着いてないだろ」
フレイアは男を見上げた。途中まで乗せると言っていたはずだ。だが、指摘して断られるのも、少し面白くない。
「貴様の商売はどうする」
「商人は、売れる所で売って、買える所で買う。行き先が増えるのは、悪い話じゃない」
フレイアは頷き、三日目の正午だと繰り返した。
エドガーの馬車が人波へ消えてから、彼女は通りの中央へ歩き出した。三歩ほどで荷運びの男に進路を譲られ、さらに人が避け始める。
角を見られたのかと思ったが、違う。無意識に放っていた魔力が、周囲を威圧していたらしい。
フレイアは力を収めた。戻ってきた人の流れへ入り、黒い結晶を持つ者を探した。
感情の店は、服屋と果物屋の間にあった。
看板には、旅立ちの高揚、初恋のときめき、と品名が並んでいる。門前の少女が抱えていた黒いものは、ここにはなかった。
「祝い事ですか、旅のお守りですか」
足を止めたフレイアへ、店員が声をかけた。
長い卓の端で、男が掌を差し出している。先ほど結晶を吸収した男だった。笑みはまだ残り、同時に少し困った顔をしていた。
「思い出せないんだが。俺は何を喜んでたんだ?」
「ご自身の記憶が入る品ではありませんので」
店員は慣れた声で答えた。男は首を傾げ、それから、まあ気分はいい、と頷いて立ち去った。
フレイアはその背を見送った。
「喜ぶ理由は、要らぬのか」
「何かよいことがあるまで、待っていられない日もありますからね」
店員は結晶を一つ、光へ透かした。淡い金色の奥で、糸のようなものが揺れている。
「この色を、誰かの中から取り出したのだな」
「ええ。記念日や祝いの翌日は、よい品が集まります」
「取り出した者は、その記念日をどう思う」
店員が結晶をしまう手を止めた。
「出来事は覚えていますよ。感情と、記憶は別です」
「では、覚えているだけになるのか」
「売る量にもよります。全部を手放す方ばかりではありません」
フレイアは自分の掌を見た。昼に食べたパンの味は、まだ思い出せる。もし美味かったという気持ちだけを取り出したら、もう一度食べたいとは思わなくなるのだろうか。
試すために差し出しかけた手を、彼女は引いた。
店員が値段を告げる前に、フレイアは店を出た。
同じ露店の前へ戻った時、フレイアはようやく曲がる道を間違えたと気づいた。門前の少女も見つからない。
通りを覚えるには、まず拠点が要る。そう決めると、迷っていた時間も無駄ではなくなった。
寝台の絵を掲げた宿へ入り、二階の部屋を頼む。主人は角へ一度目をやっただけで、人数と日数を尋ねた。
「一泊、銀貨二枚。食事をつけるなら三枚です」
「三泊だ。食事もつけよ」
自分でも、即答したと思った。
昼までは不要だった出費が増えている。フレイアは財布を開きながら、ベルゼの旅費の見積もりを思い出した。食費の欄は空白だった。戻ったら、不備を指摘しなければならない。
宿の主人は釣りを数え、真鍮の鍵を渡した。
フレイアは鍵を受け取り、すぐに尋ねた。
「門に、黒い結晶を持った少女がいた。悲しみを引き取ると言っておったが、どこへ行けば会える」
「引き取り人なら、南東から来る方が多いですね。お知り合いですか」
「いや。何をしているのか、聞きそびれた」
「捨てる方が、引き取り料を払う商売ですよ」
主人は帳場の下から、喇叭に似た器具を出した。胸へ当てる広い口と、細い硝子管。先には小さな容器がついている。
「感情導管といいます。取り出したい気持ちを意識して、魔力を通す。すると、こうして」
主人が器具を自分の胸へ当てる。短い音がして、管の中へ光が集まった。
容器に落ちたのは、爪の先ほどの金色の結晶だった。
「今日の仕事が終わったら、いい酒を飲もうと思っていましてね。大したものではありませんが」
結晶へ移ったためか、その笑みが少し薄くなった。
主人は掌へ結晶を戻し、胸へ押し当てる。光が皮膚に溶け、また、酒の楽しみを思い出したような顔になった。
「捨てた悲しみは、どうなる」
「引き取りを請けた者が吸収します」
「結晶のままでは、いかぬのか」
「負の感情は安定しづらい。漏れ出せば周りの者へ影響しますから、普通の引き取りでは、その場で吸収する義務があります」
幸福なら、遮蔽と流通の許可で運べるという。フレイアは、少女が黒い結晶を服の内側へ隠した仕草を思い出した。あれも、自分の中へ入れるためだったのか。
「吸収した者は、悲しくなる」
「そうですね」
「それを捨てるには、また金が要るのか」
主人は一瞬、困ったように口を閉じた。
「それで生計を立てている方は、わざわざ捨て直したりしませんよ。出ていくお金の方が多くなってしまう」
フレイアは鍵を握り直した。
「南東への道を、教えよ」
「詳しいことなら、向かいの酒場で。あそこには、いろいろなお客が来ますから」
宿の主人は食事の時刻を告げ、次の客へ笑いかけた。
フレイアは荷物を部屋へ置くと、向かいの酒場へ出直した。
あの少女は、泣きながら次の客を探していた。銅貨二枚で、あの少女は何を買うのだろう。
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