第16話 名もない鉄の剣
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
二日目の朝にも、聖剣の前には列ができていた。
早く来れば抜けるわけではない。それでも、開場を待つ人々は、昨日よりよい日になると思っている顔だった。
フレイアは広場の外側から歩いた。
誰もが同じ剣へ向かう。だが、話していることは、それぞれ違う。友人と来た青年は王になった後の家の大きさを語り、別の男は、帰って子供へ見せるための絵を頼んでいた。
片隅には、木の剣で構えを真似る子供がいた。
昨日、城門で転んだ子供だった。膝には布が巻かれている。それでも、振る前に足を開き、真面目な顔で大人の挑戦を見ていた。
「お前も、あれを抜きたいのか」
フレイアが尋ねると、子供は角を見て少し驚いた。だが逃げず、木剣を背へ隠した。
「大きくなったら。まだ、柄まで届かないから」
「抜いて、何をする」
子供はすぐに答えなかった。
母親が近くの露店で品を見ている。その姿を一度確かめ、剣を抱き直して言った。
「怖いものが来た時、前に立つ」
フレイアは子供を見た。
レイドスが、自分の前へ立った時も、似た理由を持っていたのだろうか。敵の身体にも血が流れ、剣へ貫かれれば倒れると、分かった上で。
「怖くはないのか」
「怖いと思う。でも、誰もいない方が、もっと怖いから」
それだけ答えると、子供は母親に呼ばれ、駆けていった。
木剣の先が地面へ触れかけ、途中で慌てて持ち上げる。その小さな動きまで含めて、フレイアは見送った。
◆
剣を管理する係員は、詳しい来歴なら博物館へ、と教えてくれた。
剣の装飾がいつ施されたか、形が変わった記録はあるか。フレイアが尋ねると、彼は手元の冊子をめくったが、そこまでの情報は持っていなかった。
「代々、ここにあると聞いています。専門の資料を扱う者でしたら、分かるかもしれません」
知らぬことを知らぬと答えたため、フレイアは礼を言った。
博物館への道を確かめようとした時、別の魔力が視界の端へ触れた。
建物の影に、一人の少女が立っている。
髪は淡い銀紫。フードの奥には小さな黒い角があった。こちらを見ていたのではなく、広場の人間をじっと観察している。
同じ魔族だった。
フレイアが気配へ応じると、少女はゆっくり顔を向けた。目が合う。驚きはない。初めから、気づかれるのを待っていたような静かさだった。
少女は微かに会釈し、路地の奥へ消えた。
追えば、すぐ追いつける。
だがフレイアは、先に博物館へ向かった。相手の見せた気配へ、言われるままに足を向けたくはなかった。
入口の男は、彼女の角を見ると、少し緊張した。
壁の絵には、人間の軍が魔族へ勝つ場面が描かれている。魔族の旅人を通してよいか、一瞬考えたのだろう。それでも、料金と展示の規則を説明し、普通の客と同じように案内した。
「戦争の記録もありますが、差し支えありませんか」
「そのためにも来た」
男は頷いた。
フレイアは薄暗い展示室へ入った。外の熱気から離れると、石の壁は涼しく、足音が長く残った。
◆
展示されている戦争は、人間が覚えておくための形をしていた。
村の焼けた跡。破られた防壁。勇者が敵陣へ進む絵。その説明の中へ、見覚えのある土地の名がある。
フレイアの知る戦いにも、ここへ書かれていないものがあった。だからといって、ここにある一枚の絵の中の人間が、恐れなかったわけではない。
彼女は一つずつ見た。
展示の前で足を止め、すぐに本を開いて正誤を決めることはしなかった。
やがて、部屋の隅へ並べられた武器の前へ着いた。
華やかな品ではなかった。
折れた槍、柄の失われた斧、錆びた刃。持ち主の名が分かるものは少ない。説明は、拾われた場所と推定された時代を記すだけだった。
その中に、一振りの鉄剣があった。
鍔は小さく、柄の形も簡素。刃の根元へ、黒い染みが残っている。
フレイアの足が、そこで止まった。
広場の剣を見た時とは違う。記憶が先に探し当て、身体の方がその後を追っている。
「そちらが、気になりますか」
入口にいた男が近づいてきた。
フレイアは硝子へ顔を寄せず、剣の全体を確かめた。
「誰が使った」
「分かっていません。戦場跡の出土品です。周りの武器は朽ちていたのに、これだけ刃の形を保っていて」
男は、根元の染みを指した。
「古い血の跡だろうと言われています。それ以上は、鑑定でも」
フレイアは目を閉じなかった。
自分は、この柄を握った手を見たことがある。力を込める時、親指がどこへかかったかも。刃が服を裂いた角度も、胸へ通った時の冷たさも覚えている。
記憶の中の剣が、初めて、目の前の物と重なった。
「よい剣だ」
ようやく、それだけを言った。
男は嬉しそうに頷いた。名のある品より、こうしたものへ目を向ける客が来ることを喜んでいるらしかった。
「私も、これは好きなんです。誰のものか分からなくても、使った人がいたと分かるでしょう」
フレイアは頷いた。
彼女には、誰のものだったかまで、分かり始めていた。
外へ出ると、広場から歓声が聞こえた。
誰も抜けぬ剣へ、また誰かが挑んでいる。硝子の中の鉄剣との間にあるものを、今すぐ一言で決める気にはなれなかった。
その時、足元へ薄い魔力の糸が触れた。
路地の入口に、先ほどの少女がいる。
今度は会釈せず、ただフレイアを待っていた。
少女の背後から、微かに血の匂いがした。
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