第14話 抜かなかった剣、抜けない聖剣
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どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
フレイアは、柄から手を離した。
指先が離れるまで、白龍はそれが何を意味するか理解しなかったらしい。首をもたげ、彼女の手と背中の剣を交互に見た。
「抜かぬのか」
「ああ」
「同じ痛みを知っているのに」
フレイアは白龍の前へ戻った。
「我は、この剣を抜けば、お前が助かると分かった」
白龍の口が僅かに開く。
「同時に、助けたお前が、別の人間を喰うことも聞いた。今の我が選べるのは、その先を含めて剣を抜くか、抜かぬかだ」
「人間の側へ立つというのか」
「我が今、決めたということだ」
白龍は彼女を睨んだ。
傷つく前なら、その目だけで獲物を竦ませられたのだろう。だが、フレイアは動かなかった。龍の言い分を、弱った者の戯言として捨てることもしなかった。
生きるために喰う。
喰われぬために追う。
どちらも、相手が退いてくれなければ、自分の生きる場所を失う。
その中へ入る自分だけが、何も奪わぬ者として振る舞えるはずはなかった。
「ならば、なぜ来た」
白龍の声が、少し低くなった。
「助けぬのなら、なぜ、話を聞いた」
その問いには、すぐに答えられなかった。
確かめるだけのつもりでも、手を近づければ相手は期待する。知りたいと願う自分の行動にも、他者へ起こしてしまうことがある。
フレイアは白龍を見たまま、短く答えた。
「聞く前には、決められなかった」
白龍はしばらく彼女を睨み、それから顔を逸らした。
もう一度頼む声は、すぐには出なかった。
フレイアは、剣にも、傷にも触れずに森を戻った。追手の道を教えず、龍へ近づく足音を止めもしなかった。
彼女は自分が去る足の重さを、軽くする言葉を探さなかった。
◆
川辺で、エドガーは馬へ濡れた草がつかぬよう場所を移していた。
フレイアの姿を見て、まず怪我の有無を確かめ、それから森へ目を向ける。
「何がいた」
「白龍だ。背に、龍殺しの剣が刺さっていた」
エドガーの手が、綱から離れた。
「……龍?」
「ああ」
「まだ、生きてるのか」
フレイアが頷くと、商人は荷台の方へ身体を向けた。何を探すつもりかは、革袋と解体用の道具が出てきて分かった。
「待て。どこへ行く」
「鱗だけでも、値がつく。牙、爪、骨、それに龍殺しの剣だぞ。状態次第で、家を買えるかもしれん」
声は弾んでいた。
火を起こす時も、荷の値を交渉する時も、男はこんな目をしていた。
フレイアは道具を持つ手を見た。
「行くな」
エドガーが振り返る。
「お前が助けなかったなら、死ぬんだろ。捨てる方が無駄じゃないか」
彼女は龍が人を喰ったこと、追われていたこと、助けてもまた喰うと答えたことを話した。
商人は黙って聞き、それから、なるほど、と息を吐いた。
「俺まで命を懸けに行く話じゃない、か」
「それもある。追手が来ている。彼らが倒すつもりなら、剣も鱗も、勝手に持ち出せるものではなかろう」
「なら、交渉すりゃいい」
その返事で、フレイアはまた黙った。
理屈なら、次が出てくる。権利がある者と話し、値を決め、双方に得がある取引へ持ち込めるなら、それはこの男の仕事だった。
人間を学ぶために来た自分が、見たくないからと仕事を禁じるのは、相手を知らぬまま変えようとすることかもしれない。
だが、剣を抜かなかった自分の隣で、その結果へ値札がつくのを見たいとは思わなかった。
「……今は、行ってほしくない」
言い直すと、エドガーは目を瞬かせた。
命令なら反論できたのだろう。頼みの形になると、男はすぐに次の理屈を出さなかった。
「理由は?」
「まだ、上手く言えぬ」
フレイアは正直に答えた。
龍が死ぬことへ儲けを見出すのが嫌なのか。自分がその死に無関係ではないからなのか。それとも、目の前の男の口から、今、その値段を聞きたくないだけなのか。
どれか一つを選べば、残りを嘘にする気がした。
エドガーは森を見て、袋を荷台へ戻した。
「分かった。今日は、やめとく」
彼女が顔を上げると、商人は少し苦い顔で笑った。
「お前の判断が全部分かったからじゃないぞ。それに、俺が儲けたかったことも、なくならんからな」
「分かっておる」
「なら、それで」
フレイアは小さく頷いた。
◆
馬車を出してしばらくすると、森へ入る武装した一団とすれ違った。
傷を負った者が二人いた。一人は手に布を巻き、もう一人は仲間の肩へ体重を預けていた。疲れた顔の男が、森で何かを見たかと尋ねる。
「大きな跡が奥へ続いていた」
エドガーは、それ以上のことを言わなかった。
男は礼を言い、仲間を振り返った。剣を抜いたままの若者が、震える手をもう片方で押さえていた。
彼らは勝った者の顔をしていなかった。まだ、帰れるかどうかを確かめる途中だった。
フレイアは荷台から、その足音を聞いた。
やがて森の中で声が上がる。見つけたという叫びと、互いへ呼びかける声。白龍がどうなったかまでは、街道へ届かなかった。
エドガーは手綱を鳴らさず、馬の歩調を変えなかった。
日が傾く頃、分かれ道へ着いた。
道標の一方に、剣の印がある。エドガーが地図と照らし合わせ、そちらへ馬車を向けた。
「次はカリヴァルだ。聖剣の国と呼ばれてる」
フレイアは、膝へ置いた手を止めた。
「聖剣?」
「勇者レイドスが残した剣がある。それを抜いた者が次の勇者で、王になる資格も得るんだとさ」
胸の傷が、そこにあることを思い出した。
彼女を貫いた刃は、豪華な名剣ではなかった。血で鈍く光る、ただ無骨な鉄の剣。それを、人間は今、どのような物語に変えているのだろう。
「誰か、抜いたのか」
「百年、抜けてないらしい。俺も昔、一度やったが駄目だった」
男は軽く言った。
フレイアだけが、その百年を、軽く聞き流せなかった。
自分が生かされた日から、誰にも抜けない剣。
彼女は初めて、まだ見ぬ国へ、自分の過去が待っていると思った。
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