第13話 助けを求める捕食者
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どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
川沿いで馬を休ませていると、森の奥から声がした。
「……誰か、いるのか。この剣を、抜いてくれ」
苦しげな音だった。だが、人間が喉を鳴らす声ではない。巨木の中に空洞があって、その奥から響いてくるような低さだった。
フレイアは、川へ水を飲みに来た二頭を見た。どちらも耳を立て、森と逆の方向へ身体を向けている。
「ここで待っていろ」
「お前は、見に行くのか」
「ああ。助けを求めている」
そう言ってから、フレイアは自分の理由に少し驚いた。
強い気配がするからでも、珍しいものを調べたいからでもない。まだ正体も見ぬ相手の声へ、自分で答えていた。
エドガーは手入れをしていた銃を外套へ戻し、二頭の近くへ寄った。
「一人で留守番は、できるんだろうな」
「心配する相手、間違ってねえか」
「馬ではなく、貴様に聞いている」
男は肩をすくめ、拳で自分の胸を軽く叩いた。
「少なくとも、馬の後ろへ隠れずに済む程度にはな」
軽い返事だった。
だが、馬車から離れすぎず、見通しのよい場所へ立つ動きに迷いはない。フレイアは頷き、森へ入った。
獣道は、途中で道ではなくなっていた。
大きな何かが身体を引きずり、草も土も一緒に剥いでいる。折れた木の幹へ血が擦りつけられ、割れた石が泥へ埋まっていた。
逃げた先を隠せぬほど傷ついている。
フレイアは、その跡へ沿って歩いた。途中に折れた槍があり、さらに進むと、潰れた金属の盾が落ちている。獣が勝手に傷ついたのではなく、戦いの後だった。
「魔族、か」
声が近くなった。
木々の向こうに開いた場所があり、巨大な白龍が伏せていた。白銀の鱗は泥と血に汚れ、片翼の膜には長い裂け目がある。首を動かすたび、根元に溜まった血が草へ落ちた。
伏せたままでも、フレイアの背より高い。
彼女が見上げると、縦に細い瞳孔がこちらを捉えた。追手ではないと知った安堵が、その目に僅かに浮かぶ。
「背を見ろ。そこにある剣を、抜いてくれ」
フレイアは横へ回った。
龍の背骨に沿う位置へ、黒ずんだ柄が突き出していた。刃は深く、鱗の下へ食い込んでいる。傷口へ集まる魔力が剣へ流れ、回復しようとするたびに吸い上げられていた。
「龍殺しの剣と、呼んでいた」
白龍は息を吐いた。
「抜こうとすれば、さらに力が抜ける。人間どもが、追ってくる。ここで捕まれば、もう」
言葉の途中で、身体が大きく震えた。
痛みを隠すだけの余力も失い始めている。フレイアは剣から伸びる魔力の流れを探り、柄へ触れずに、その周囲へ指を近づけた。
内側から力を奪う感覚を、自分は知っている。
百年前、胸へ剣を受けた時、身体は自分のものなのに、次の動きへ繋がらなくなった。意思より先に、命の働きが止まりかける。強さとは別の場所を掴まれたような感覚だった。
目の前の白龍も、同じところにいる。
「抜けば、助かるのか」
「我の再生は速い。剣さえなければ、ここを離れる程度の力は戻る」
「それは、確かなのだな」
「我の身体だ。我が知っている」
フレイアは頷いた。
彼女の力なら、柄を折らず、骨への負担も減らして引き抜けるだろう。できることは分かった。
だが、それをするかどうかは、まだ決めていなかった。
「なぜ、人間に追われた」
白龍の目が細くなる。
「今、それを聞く必要があるのか」
「ある」
フレイアは相手から目を逸らさなかった。
白龍は、しばらく彼女を見た。
やがて、投げるように答えた。
「人を喰った」
フレイアは顔を動かさなかった。
「何人」
「数えていない」
「偶然、襲ってきた者をか」
「村へ下りたこともある。街道で捕らえたこともある。獲りやすい時に、必要なだけ獲った」
言い訳を探している様子はなかった。
ただ、身体が大きければ腹も減る。空から見つけたものを掴み、食う。白龍にとって、人間の一人ひとりの名や、その者を待つ家のことまで考える理由はないのだろう。
「ならば、追手は喰われた者の仲間かもしれぬな」
「だろうな」
白龍は苛立ったように爪を動かした。地面へ浅い溝ができる。弱っていても、それを人間が受ければ、容易く身体が裂ける力だった。
「人も、獣を殺して食う。お前と旅をしている者も、食わぬわけではあるまい」
フレイアは、エドガーが肉を切る手を思い出した。
昼のために火を起こし、食材を選び、口へ運ぶ。それは当然の作業として教わった。殺された獣のことは、尋ねなかった。
目の前の龍だけへ、生きるために奪うなと言えば、それを言う自分の口にも別の矛盾が残る。
「この剣を抜いたら、どうする」
「遠くへ行く。この辺りには戻らない。それでよいだろう」
「遠くで、また人を喰うのか」
白龍は、理解し難いことを聞かれた顔をした。
「腹が減ればな」
フレイアは黙った。
嘘をついて、もう人は喰わぬと言うこともできただろう。龍はそうしなかった。それは正直さか、それとも、この魔族が人間のために迷うはずがないという確信か。
彼女はまだ、剣へ触れていなかった。
風が、森の奥から人間の匂いを運んできた。
複数いる。鉄と革と血。足音は遠いが、引き返している様子はない。
白龍も気づいた。大きな頭が上がり、翼が動く。だが、半ばまで開いたところで傷が裂け、また地面へ伏せた。
「急げ」
先ほどまで命じていた声が、少し変わっていた。
「抜いてくれ。ここで、殺される」
フレイアは白龍の背へ回り、剣の柄へ手を置いた。
冷たい。吸い上げる魔力の流れが、皮膚の下を掠める。自分の力を使えば、この流れへ逆らって引き抜くことはできる。
白龍は、安堵したように息を吐いた。
その息が終わる前に、フレイアの指が止まった。
遠くで誰かが呼んでいた。
失った者の名ではない。仲間が遅れていないか確かめる、短い呼び声だった。追う人間にも、そこから帰る先がある。
ここで剣を抜けば、別の場所で、今は顔も知らぬ者が食われるかもしれない。
抜かなければ、目の前で、自分へ助けを求めるものを見捨てる。
「何を、迷っている」
白龍が声を荒らげた。
「お前も魔族だろう。戦って、他の命を奪ったことがあるのだろう」
フレイアは答えなかった。
龍は、その沈黙へ縋りついた。
「それなら、分かるはずだ。我だけが、なぜ死なねばならん」
柄へ置いた手が、少しだけ強くなった。
その問いを、自分も、百年前、胸に剣を受けた場所で抱いていた。
フレイアは柄を握ったまま、木々の向こうへ顔を向けた。人を呼ぶ声が、また近づいていた。
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