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中編

 汚れた身体を綺麗にし、朝食を軽めに済ませた二人はソファーに向かい合って座っていた。家の中に入る際にルインから渡されたポーションを飲んだことでサーリャの怪我は治っている。

 あれだけ強烈な魔法を叩きこまれたのだから腹部は青くなっているのだろうと思っていたが、脱衣所で服を捲ってみれば綺麗な肌がそこにあった時は驚いたものだ。

 今は食糧庫の中にあった茶葉をサーリャが持ち出してきて食後のティータイムとなっている。

「さて、そろそろ話を聞かないとな。魔法を使えるにも拘らず実戦で使えないというよくわからない状態らしいな。どうしてそんなことになっているんだ?」

「えっと、どうしても詠唱を最後まで言い終えることができないの。もちろん詠唱内容は完璧に覚えているわ。でも相手の攻撃を避けながらだとどうしてもそっちに意識が向いちゃって、途中で中断しちゃったり間違えたりするの」

「毎回中断しているわけじゃないんだろう?詠唱が止まらなかった場合はどうなるんだ?」

「その時はだいたい不発に終わるわ。一度ボルクを撃とうとした時には魔法が完成する前に弾けてしまったわ」

 ボルクは低レベルの火炎魔法で作り出した炎弾を相手に向かって撃ち出す比較的扱いやすい攻撃魔法だ。本来ならば術者の目の前に炎弾が作られるのだが、サーリャの場合はしばらくすると形が歪みだし、破裂音とともに消失してしまうのだ。

「それは単純にサーリャの魔法に対するイメージが定まっていないからだろう。定まっていないから魔法は役割を見失って不発に終わるんだ」

「イメージってそんなことが大事なの?てっきり魔力操作が下手だからうまくいかないと思っていたのだけど」

「あのな、魔法は指示しなくても勝手に動いてくれる使用人とは違うんだぞ。術者が今から何をしたいのか、どんな結果を生み出したいのか明確にしなければ発動するわけないだろう。魔力操作なんてそのあとだ。……そんな認識でよくこれまでやってこれたな」

 どうやらサーリャの認識が前提から間違っていたらしく、呆れて溜息を吐くルインに乾いた笑みを浮かべることしかできない。

「それで私はどうなるの?やっぱり不合格なのかしら?」

 恐る恐るサーリャはルインの反応を窺う。

「……まぁここまで悲惨なら普通は放り出すところだが、今回はそれが幸いしたな。余計な知識がない分その知識に引っ張られることもないだろう」

「それじゃあ!」

 嬉しさのあまりサーリャの声のトーンが上がる。

「ああ。しばらくの間面倒を見てやろう。ただし、サーリャにはどちらの道を進むか選んでもらう」

「どういうこと?」

 言っていることが理解できず首を傾げるサーリャにルインは指を二本立てて説明する。

「一つは詠唱を使った戦闘を想定して、立ち回りと魔法の発動を確実にしていく。時間はかかるかもしれないが周りの騎士見習いと同レベルくらいにはなれるだろう。もう一つが俺と同じ無詠唱で魔法を使えるようにすることだ。無詠唱で魔法が使えるようになれば周りの騎士など簡単に追い抜くことができる。無詠唱というアドバンテージがサーリャにとって大きな強みになるだろう」

「そんなの絶対に無詠唱に——」

「ただし!無詠唱を使える者は周りから見れば異質な存在だ。サーリャが俺に恐怖を感じたように、周りもサーリャを同じような捉え方をするだろう。孤立するだけでは済まなくなるかもしれない。それを承知の上で無詠唱を学ぶのかどうかよく考えるといい」

 ルインの言葉にサーリャは一旦言葉を引っ込めどちらの道を選ぶべきなのか改めて考える。

 詠唱を用いた戦闘訓練は騎士学校で何度も経験している。相手との間合いや戦闘時に使用する詠唱の種類や威力など魔法がうまく使えないサーリャでもその立ち回りはしっかりと覚えている。あとは魔法が使えればみんなと同じ場所に立つことができるのだ。無詠唱ならばこれまでサーリャが学んできたことが役に立たなくなるかもしれない。ならば無詠唱は避けた方がいいのだろう。

 そうなのだが……。


(本当にそれだけでいいの?)


 魔法が使えてもそれはあくまで他の皆と同じ場所に追いついただけにすぎない。サーリャはこれまで追いつくために頑張ってきたわけではない。

 同じ立場になるだけでは何も変わらない。周りを突き放すような大きな差が無ければ自分自身の成長には繋がらないだろう。これまで落ちこぼれで周りから孤立していたのだ。今更それを恐れる理由などどこにも無い。

 ならばサーリャの選ぶ道は決まったようなものだ。

「私も無詠唱魔法を使えるようになりたいわ」

「……いいのか?」

「ええ。みんなと同じことをしていただけじゃ自分の為にならないもの」

 サーリャの迷いが無くなった表情にルインも何かを感じたのかそれ以上サーリャの意思を確認するようなことはしてこない。

「サーリャがその選択をするなら俺からはこれ以上何も言うことは無いな。特訓をするにしても騎士学校に戻るにはどれくらいの日数がいるんだ?」

「そうね……。王都から近くの町まで馬車で半日だったから、一日もらえれば問題無いと思うわ」

「ならギリギリまで時間は使えそうだな。とりあえず特別課題に三日確保するつもりだがもう少し必要か?」

 サーリャは首を横に振る。

「いえ。それだけあれば十分じゃないかしら。珍しい個体じゃないから見つかると思うわ」

 実際、サーリャが逃げ回っていた時には複数のハイロウウルフに追われていた。ならば探せば一体ぐらいは見つかるだろう。

 特別課題よりもサーリャが今心配しなくてはならないのは、これから覚える無詠唱魔法をちゃんと使えるようになるかということだ。まずはそこができていなければ特別課題に挑戦することはできない。

「それでいつ始めるの?今からでも大丈夫よ!」

「焦るな。さっきまでボロボロになっていたんだぞ。ポーションで回復していても完全とはいかないんだ。昼から本格的に始めるぞ」

 これから新しい道を自分の意思で歩き始めるのだ。期待を膨らませながらサーリャは大きく頷いた。



 その日の夕方、サーリャはルインとともに敷地の範囲ギリギリのところに立っていた。あと少し進めばルクドの大森林の中に戻れる距離だ。

 ルインの指導を受けるにしても、サーリャの荷物は宿に残したままである。サーリャは渋っていたが、ルインの言葉で宿に帰されることになった。

「それでどうするつもりなのよ。まさかとは思うけどこのまま森を突破するとか言わないわよね?」

「そんなわけないだろう。これを渡しておくから持っていろ」

 そう言ってルインは懐から何かを取り出しサーリャに手渡した。掌の上には一枚の青いプレートがある。

「……これって魔核?」

 片手に収まるほどの大きさで滑らかな手触りに加工されているが、プレートからは僅かに魔力が感じられる。

「よく分かったな。確かにそれはこの森で狩った魔獣の魔核を使っている。俺の魔力を記憶させてあるからそれが通行証代わりになる。わかっていると思うが別の奴に渡したりするなよ?」

「それくらいは分かっているわよ。それにしても色がずっと変化しているなんて不思議なプレートね」

 サーリャはいろんな角度からプレートを観察する。青いプレートなのだが、単色というわけではなく濃淡があり、まるで水の中に落とされたインクのようにゆっくりと動いている。試しにプレートを振ってみるが色の動きはゆっくりなままだ。

 色は綺麗なのだが、片手に収まる程度の大きさなのでこのままではうっかり落としてしまいかねない。

「これって失くさない様に少し穴を開けてもいいかしら?」

「それぐらいなら構わないぞ。使い方と言えるほどのものじゃないが、こっちに来る方法を説明しておく。特にそれを使って何かをする必要は無い。これから町の近くに転移させるから、こっちに来たい時は転移させた同じ場所に行けばいい」

「なるほどね。ここから転移するのね。……ちょっと待って‼転移って——」

「それじゃあ、いくぞ」

 また聞捨てならない言葉を聞いた気がしてルインに問い詰めようとするが、すでにルインは魔法を発動させている。最後まで言い切る前にサーリャの足元に転移陣が現れ周囲の景色がぼやけ始め、数秒後には周りの景色は完全に変わっていた。

「本当に転移しちゃったわね」

 周囲を確認しながらサーリャは今の魔法が現実だったと実感する。

 サーリャの背後には遠くからでも目立つほどの大木が立っており、少し離れた場所にはサーリャが宿を取っている町が見える。町までは一本道になっており、道を外れることは無いだろう。

 大森林から生きて帰ることができた。改めて今の状況は奇跡のようで夢のように感じてしまう。

 しかしこれは夢ではなく現実。サーリャは握っていた左手を開いてみるとそこには一枚のプレートがある。ルインの言葉が本当ならここに戻ってくればまたあの家に戻ることができるのだろう。

 夕焼けに染まる中、サーリャは宿に向かって歩き出した。



「お嬢ちゃん!無事だったのかい⁉」

 随分と久しぶりに帰ってきたような感覚を持ちながら宿の扉をくぐると、厨房から顔を出した女将がすぐさま反応した。エプロンを付けたままサーリャに駆け寄り、怪我をしていないか心配そうに全身をくまなく見てくる。

「出て行ったきり全然戻ってこなかったから心配していたんだよ。もしかしたら魔獣に襲われたんじゃないかと気が気でなかったよ」

「あはは。心配かけてすみません。実は動けなくなっていたところを親切な方に助けてもらって、ずっとその人の家にご厄介になっていました」

 こんな優しい人を心配させてしまったことを申し訳なく感じながらも、サーリャは女将に無事だということを伝える。

「それは命拾いをしたねぇ。でもこの辺りにそんな女性はいたかねぇ?」

「いえ。女性ではなく男性で——」

「男ぉ⁉」

「ひゃっ!」

 男とサーリャが口にした瞬間、女将は信じられないといったように目を見開きながら大声を出し、サーリャの肩をガシッと掴んできた。あまりにも突然のこと過ぎてサーリャも思わず声を上げてしまった。

「男の家に厄介になっていたって、お嬢ちゃんは何もされなかったのかい⁉」

「え、ええ。特に何もされていませんよ」

 確かにルインはサーリャの身体に手を出してはいない。出してはいないのだが……。

(意識を失っている間に服を脱がされて肌を見られたなんて流石に言えないわね)

 そんなことをうっかり口に出せば女将がどんな反応をするのかこの短時間のやり取りで簡単に想像することができる。

「いいかい?男は獣なんだ。あんたみたいな美人が警戒もしないでいたらすぐに食べられてしまうのだから簡単に気を許しちゃだめだよ」

「女将~それはあんまりだぜ」

「そうそう。俺たちは誰にでも優しい無害な人間だぞ」

「うるさいね。そんなことを自分から言うやつは信用できるわけないだろ!」

 二人の話を遠巻きに聞いていた周りの客が茶化しながら話に入ってくるが、女将はすぐさま言い返し騒がしくなる。まぁ、確かに自分から無害を主張してくる人を簡単に信じられない女将の主張にはサーリャも同意する。

「あの、私の荷物ってどうなっていますか?」

「おっと、すまないね。お嬢ちゃんの部屋はまだそのままにしてあるよ。もう少しで夕食ができるからこんなうるさい場所じゃなくて部屋で休んでいな」

「ええ。そうさせてもらいます」

 明日からは毎日特訓の日々が始まるのだから少しでも疲れは取っておきたい。サーリャは客と女将の騒がしいやり取りをそのままにして部屋に向かった。



 翌朝。開けた場所の一角が輝き、光の中からサーリャが出てきた。光はすぐに消え去り、その場に残っているのはサーリャだけだ。視線の先には見覚えのある家がぽつんと建っている。

「本当に何もしなくても跳べたわね」

 サーリャは魔方陣が輝いていた足元を見た。何もしなくても戻ってこられると言われた時は半信半疑だったが、確かにルインの言った通り渡されたプレートを持った状態で転移させられた大木に向かうと確かに勝手に転移魔法が発動した。ルインから渡されたプレートは紐を通して今は首から下げている。発動しなかった場合はどうしようかと心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。

「ルイン~。私よ、サーリャ」

 中にいる家主に聞こえるように大声で呼びかけながらドアをノックする。寝ているのか何の音も聞こえてこなかったのだが、しばらくすると物音が聞こえ始めゆっくりと扉が開きルインが顔を見せた。髪はボサボサでいかにも寝起きだとわかる状態だ。

「おはよう。ずいぶんと早いんだな」

「おはよう。時間に限りがあるんだから少しでも早く始めたいじゃない。迷惑だった?」

「いや。そんなことは無いぞ。好きな時に来ればいいと言うつもりだったからな。それと、何だ?その荷物は?」

 ルインの視線がサーリャの持ち物に移動する。やっぱり気になってしまったか。

 サーリャの姿ほとんど昨日と変わっておらず動きやすい鎧姿だ。ただし、その背には昨日にはなかった大きな麻袋が背負われている。

「いろいろと必要なものはあると思うがどれだけ持ってきたんだ?」

「全部よ」

「……は?」

 寝起きで頭が回らないのかそれとも純粋に理解が及ばないのか、気の抜けた声を出すルインを見てサーリャはしてやったりという表情になる。

「だから、私が宿に預けていた荷物をすべて持ってきたわ!」

 ドーンと高らかに言い切ったサーリャは実に満足気だ。一方でルインの方は朝から顔が引き攣っている。

「……荷物を持ってくるのは構わないが、どこに泊まるつもりなんだ」

「そんなの決まっているじゃない。今日からルインの家に泊まるわ」

「ふざけるな!なんでそんなことになる!」

「だって毎日ルインの家と町を行き来するなんて面倒じゃない。移動にも時間がかかっちゃうし、だったら初めからルインの家で寝起きした方が時間を無駄にしなくていいでしょう?」

 実際これは昨日宿に帰った時からサーリャが考えていたことだ。いくら転移という〝個人〟では使用できないはずの魔法が使えると言っても、無駄にしている時間が発生しているのは事実だ。

 いくら町に近い場所に転移できると言っても安全のためには日が落ちる前には帰らなければならないし、何よりルインに食事を作るという対価を払わなければならないのだ。そうなると早いうちから訓練を止めなければならない。

 一方、ルインの家で寝泊まりするのならばその問題は解消される。日が落ちるまで訓練を続けることができ、その後から夕食を作ることもできる。お互いにメリットがあるのだ。我ながら素晴らしい名案だ。

「寝床まで提供した覚えはないぞ。これまで通り宿に泊まっていろ!」

「もう泊まっていた部屋は引き払ったから、まだ部屋が空いているかはわからないわ。空いていなかったら私は野宿することになってしまうわね。町だと不埒な奴に襲われるかもしれないし、荷物を取られるかもしれないから野宿するならルインの敷地になるけどルインは女性を家の前で野宿させるのかしら?」

「ぐっ……」

 さすがに彼の中の良心が痛むのかルインが言葉に詰まっている。……あともう少しかな?

「あ~心配だな~。入ってこないと思うけど魔獣がうろつく中で野宿をするなんて。硬い地面の上に寝袋を敷いて恐怖に怯えながら眠るなんて私にできるのかしら。あまりの怖さに眠れないかもしれないわ。目の前の空いている部屋が羨ましいわ~」

「ああ、もうわかった!使って構わんからその良心を抉るようなことを言うのは止めろ!」

「やった‼」

 頭をガシガシと掻くとルインは疲れたように許可を出し、サーリャはその言葉を聞いた瞬間嬉しさのあまりその場で小さくジャンプする。先程までの不安げな表情が嘘のような切り替えの速さに流石のルインも思わずジト目だ。しかしそんなことはもう関係ない。すでに言質は取ったのだから。

「それにしても度胸があるな。出会ったばかりの奴の家で寝泊まりしようなどと普通は考えんぞ。俺も男なんだから何かの拍子に襲うかもしれないぞ?」

「私の服を脱がして下着姿を見ていながら手を出してこなかったんだから、そんなことをするつもりはないんでしょう?私はルインを信じているわ」

 今更なルインの指摘にサーリャは何を言っているんだと言わんばかりに肩を竦めた。言葉や態度は冷たいように見えるが、なんだかんだ言いながらもサーリャの面倒を見てくれているし、必要以上に距離を詰めてくることもない。サーリャの身体が目当てならば昨日の内に襲われているはずだ。

 サーリャの言葉にルインは僅かに目を細めたが、特に何も言わずに後ろに下がって途中まで開いていたドアを開けた。

「とりあえず荷物を置いてこい。準備ができたら始めるぞ」

「ええ。すぐに準備するわ」



「それじゃあ昨日の続きだ。的に向かってウォースを撃ってみろ。今は速度を気にせずまずは発動させることを最優先しろ」

「はい!」

 開けた庭の真ん中でサーリャはルインが用意した的に向かって腕を突き出す。

 ウォースは初歩の水魔法で、水の弾丸を相手に向かって撃ち出すものだ。この魔法が選ばれたのは昨日の特訓で一番マシな結果だったからにすぎないが、他とあまり大差はない。

 ちなみに発動経験のあるボルクにしてはどうかと提案したことはあるが、即座に却下された。


「まともに制御できないやつが火を扱いたいとか何を言っているんだ?山火事を起こす気か?」


 ……まったくもってその通りだ。

 そんな経緯があったサーリャは現在ウォースを発動させようと集中し続けている。手の先に魔力が集まり、集めた魔力がゆっくりと水に変換されていく。

 しかし、時間が経つにつれて水の生成される速度が遅くなり始めサーリャの表情が僅かに歪む。

「目の前のことに集中しろ。このままだと昨日と変わらないぞ。残りの魔力を水に変えることを最初の目標にしておいて、その後の工程は一旦忘れろ」

「わかってはいるけどっ!」

 思わずサーリャはルインに言い返す。分かってはいるがなかなかうまくいかないのが現状だ。無から何かを生み出すのがこれほど難しいとは思っていなかった。詠唱で生成していた時は何も問題なかったはずなのに。

(確か詠唱していた時は……)

 頭の中で詠唱内容を起こしていたサーリャだったが、この行動がかろうじて維持していたバランスを崩してしまった。時間をかけて生み出した水に変化が起こり始める。変換が進んだわけではなく、サーリャの意思とは関係なく水が震え始めたのだ。

(まずい!)

 気を散らしてしまっていたサーリャは慌てて制御に意識を戻したが、震えは止まることなく逆に大きくなっていく。

 しばらく大きく震え続けていた水だったが、突如一カ所に集まり始め収束していく。そして圧縮されたようにサイズが小さくなったと思いきや——大きく弾け、周囲に向かって精製した水が飛び散った。

「きゃっ!」

 もちろん一番近くにいたサーリャの被害は大きい。飛んできた水を避けることができず真正面から受けてしまったことで全身がびしょ濡れだ。濡れた前髪からはぽたぽたと水滴が落ちる。

「やらかしたな。何を考えたんだ?」

 この結果を予想していたのだろう。ルインから差し出されたタオルを受け取ったサーリャは浴びた水気を拭いていく。

「ありがとう。なかなか進まないから詠唱していた時はどんなことをイメージしていたのかなと思って頭の中で詠唱内容を思い出していたの」

「それだと無詠唱にならないだろう。その辺りの過程を省くからメリットがあるんだ」

「でもずっと魔法のことばかり考え続けるのは難しいわよ。短時間ならともかく、時間をかけるとどうしても他のことを考えてしまうわ」

 サーリャは難しい顔で問題点を指摘するとルインは顎に手を当てて思案顔になる。

「確かにそうだな。発動速度は一旦度外視していたが逆にそれが足を引っ張るか。……ちなみにどんなウォースを作るつもりだったんだ?」

「えっ?どんなってウォースはウォースでしょ?」

 何を当たり前のことを言っているのだろう。首を傾げるサーリャとは裏腹にルインは落胆の表情を浮かべている。

「……俺が言ったことを覚えているか?無詠唱は明確なイメージが重要だと。ウォースの大きさは?形は丸いのか尖っているのか決まっているのか?他にもまだまだ聞きたいことはあるが、すべて答えることができるのか?」

「え~っと。それは……」

 サーリャは口籠りながら視線を彷徨わせる。そんなサーリャの様子を見ていたルインは大きくため息を吐いた。

「どうやら基本的な所ができていなかったようだな。それだと魔法がうまく発動しないのは当然だ。いいか、一口にウォースと言ってもその形・効果は術者によってある程度違いが出てくる。……見ておけ」

 そう言ってルインはサーリャの目の前にいくつものウォースを作り出した。サーリャは珍しそうにルインの作り出したウォースを眺める。

「どれもバラバラね。これが全部ウォースなの?」

 形が丸いものもあれば槍のように尖ったウォースもあり、拳大の大きさから人の頭ぐらいの大きさのものがあったりなど同じものが一つも無い。

「そうだ。しかしこれだけの種類をすべて使いこなす必要は無い。あくまでも術者のスタイルに合うものだけを使うだけで構わないし、他は状況次第で使う程度でいい。どんなウォースを使いたいのかよく考えながらもう一度やってみろ」

「わかったわ」

 サーリャはルインにタオルを渡してもう一度魔力を集めていく。イメージを固めるためにサーリャは目を閉じる。


 私が求めているウォースとは何だろう


 ウォースはサーリャの中では牽制用という認識だ。しかし牽制用であっても中途半端な威力は求めていない。たとえ見掛け倒しでも相手がそれを見た時、脅威に感じなければならない。

 目を閉じ何も見えない中、サーリャのイメージするウォースが目の前に浮かび上がってくる。

「そうだ。そのまま集中を切らさずイメージを固めていけ。自分のタイミングでそのイメージに撃ち出す姿を付け加えてみろ」

 まるでサーリャの視覚を共有しているかのようにベストなタイミングでルインから追加の指示が入り、サーリャは頷くことで反応する。

 今、暗闇の中にはサーリャのイメージするウォースがはっきりと見えている。サーリャは目を開けて正面に見えている的を見据える。

「行けっ‼」

 次の瞬間、眩い光とともに魔方陣が現れウォースが的に向かって発射された。


 ドオオォォン‼


 大きな爆発音と共に的のあった場所が大きく吹き飛び、土煙が舞った。しばらくして土煙が晴れるとそこには真ん中に大穴が穿たれた的があり、その背後には着弾の衝撃で掘り返された地面がある。

「……やった。やったわ!無詠唱で魔法が撃てたわ‼」

 あまりの嬉しさにその場で飛び跳ねてしまい程興奮するサーリャ。魔法はこれまで使ったことがあるのに、まるで今日初めて使えたかのような喜びがサーリャの中を満たしていく。

「なんとか使えたな。途中で弾けることもなくしっかりと発動していたな。やればできるじゃないか」

「あ、ありがとぅ」

 感心しながら褒められたサーリャは僅かに身じろぎする。初めて褒められてなんだかむず痒く言葉の最後は尻すぼみになってしまう。

「ねぇ、これって——っ。わわっ⁉」

「おっと」

 ルインに先程の魔法について尋ねようとしたサーリャだったが、不意に全身から力が抜けてしまい膝から崩れ落ちそうになる。硬い地面に倒れそうになったサーリャだったが、その前にルインが咄嗟にサーリャを抱きとめ支える。サーリャはルインの腕の中にすっぽりと収まっており、まるでサーリャがルインに抱きついているような状態だ。

「……えっ?えっ⁉なんで⁉」

 これまでサーリャは異性に抱きついたことは無いし、抱きしめられたことも無い。サーリャはルインにしがみついたまま動くことができずパニック状態だ。

「落ち着け。魔力を大量に消費したことによる魔力欠乏症でふらついているだけだ。しばらく安静にしていれば症状は治まる」

「魔力を大量にって、まだ一回しか使っていないわよ?無詠唱ってそんなに燃費が悪いの⁉」

 見上げればすぐ傍にルインの顔があり、思わずドキッとするが必死に表情に出ないように努める。

 そんなサーリャの心境に気が付くことなくルインは静かに首を横に振る。

「そうじゃない。サーリャは目を閉じていたから知らないと思うが、魔法を撃ち出すまでの間サーリャのウォースは常に変化していたんだ。形や大きさだけでなく込められる魔力もだ。常に魔力を放出している状態だから一発撃つだけでそこまで消耗してしまったんだ。とりあえず一人で立てるようになったらポーションを飲んでおけ」

「う、うん」

 他にどうすることもできなかったサーリャは回復するまでの間、ルインの腕の中で大人しくするのだった。



 それからというものサーリャは連日ひたすら無詠唱で魔法を作り出しては撃ち出すという作業を繰り返し、周囲に爆発音が響き渡る。

「魔力を込め過ぎだ。それだと戦闘ですぐにバテるぞ。一発一発にムラがありすぎるから常に同じウォースを撃てるように心がけろ。撃ち出すまでの時間も長くなっている」

「わかったわ!」

 ルインの指摘を受けながらサーリャは手に持っていた小瓶に口をつけ中身を一気に飲み干す。空になった小瓶を傍に用意されたテーブルの上に置くが、すでにテーブルの上には同じように空になった小瓶がいくつも転がっている。

 まだまだ燃費の悪すぎるサーリャでは数発撃つだけですぐさま魔力が枯渇してしまう。自然回復を待っている時間が勿体ないということで、どこから持ってきたのかルインが山ほどの魔力回復ポーションを用意したのだ。あまりのポーションの量に初めは顔を引き攣らせていたサーリャだったが、そのポーションのおかげで今は魔力残量を気にせずに無詠唱の練習ができている。

 魔法を数発撃ってはポーションを飲み、ルインからアドバイスを受ける。それをただ繰り返していく。

 何発目になるのか数えることすらしなくなったころ、再び魔法を撃ち出そうとしたサーリャは自身の違和感に気が付いた。

「ん?」

 体調面は問題ない。魔力もポーションで回復したばかりなので不足はしていない。何もおかしなところは無いのだが……。

(どうして魔法がイメージできないの?)

 魔法の発動方法を忘れたわけではない。これまでの経験を忘れたわけでもない。にもかかわらずサーリャは魔法を発動するためのイメージを長時間維持することができなくなっていた。目の前にイメージは浮かぶのだが、しばらくすると霞のように消えてしまう。

「どうした?」

「なぜだかわからないのだけど、魔法をイメージしようとしても長続きしないのよ。魔力は回復してあるはずなのに何故かしら?」

 これまでの練習ではこんなことにはならなかった。初めてのことにサーリャは戸惑いを隠せない。しかしルインは今のサーリャの様子に心当たりがあるのか、おもむろにポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。

「……あぁ。もうこんな時間か。今日はここまでだな」

「ど、どうしてよ。私はまだやれるわ!」

 練習を打ち切ろうとするルインにサーリャは慌てた。まだ辺りは明るいので十分練習を続けることはできる。どうして打ち切ろうとするのだろう。

「これまでその症状が出てこなかったから俺もその可能性を失念していた。気づいているか?もう五時間以上続けているんだ」

「ご、五時間⁉」

 サーリャは信じられずルインの懐中時計に駆け寄った。時計を見れば確かにそれだけの時間が経過していた。サーリャの中ではまだ二時間程度しか過ぎていないと思っていた。よくよく辺りを見渡せば少し空が夕焼けに染まり始めている。

「長時間の魔法行使で精神の方が疲弊しているんだろう。魔法が発動しにくくなったのはそれが原因だな。まぁ無詠唱じゃなくても五時間ぶっ通しで魔法を使う場面なんか早々起こることが無いのだからある意味当然と言えば当然か」

「へぇ~。無詠唱でもそんな弱点があるのね」

 サーリャは感心したように思ったことを口にする。ちなみにどうしてこれまで同じような症状が出なかったのか聞いてみると、これまではルインの説明が途中で挟んでいたのでその説明の間にある程度気持ちがリフレッシュしていたのではないかということだ。今日に関してはサーリャが魔法を使用している途中に短い指示が入るだけで、サーリャの練習が中断することは無かった。

「そういうことだ。残りのポーションを片付けておけ。ポーションの空き瓶は再利用するから間違っても捨てるなよ」

「うぇ……」

 一足先に家に向かって歩き出してしまったルインを横目に取り残されたサーリャはちらりとテーブルに目を向けた。そこには五時間の練習の結果である空の小瓶が山のように転がっている。小瓶自体は小さいが、数は膨大なものになっている。

「……とりあえず袋がいるわね」



 サーリャが猛練習をしている中、騎士学校の食堂は夕食の時間帯ということもあって賑やかになっていた。そんな中キリアンは上機嫌で夕食を摂っていた。

「キリアン様。今日は何か嬉しいことでもあったのですか?」

 そんなキリアンの表情を見て同じテーブルで夕食を摂っている取り巻きの一人が声をかけてきた。キリアンはフォークに刺さった料理を口に運ぼうとしていた動きを止め、一旦皿の上に戻す。

「それほどまでに分かりやすかったか?」

「ええ。今日は普段よりも楽しそうに過ごされていましたし、何より夕食でここまで豪華な食事をするのを見たことありませんでしたから」

 取り巻きに釣られるようにキリアンは今食べようとしていた料理に目を落とした。キリアンが食べようとしていたのは一目で高級だとわかるほどのステーキだった。分厚い肉にはシェフのオリジナルソースがかけられ、漂ってくる匂いで口の中に唾液が溢れてきそうだ。

 次期当主であり騎士を目指しているキリアンは普段からこのような豪勢な食事をしているわけではない。食事制限を自らに課し、騎士として理想的な生活を心がけている。食欲に負けて騎士になれなかったのでは本末転倒もいい所だ。

 何よりキリアン自身が自分だけ贅沢な暮らしをすることを良しとしていない。

 キリアンはサーリャへの対応は褒められたものではないが、それを覗けば普段の行いに問題は無い。騎士という名がキリアンの中で崇拝するほどに大きくなっているが故の暴走とも言える。

 そんな自分への戒めを緩めるほどに今日のキリアンは機嫌がいい。一日くらいこんな日があってもいいだろう。

「あぁ。もう少しで俺の望みが叶うのだからな。今日はその嬉しさに少しでも浸かっていたいのだよ」

「望みってあの女のことですか?」

 別の取り巻きからの言葉にキリアンは頷いた。

「あの女は叶いもしない夢を追いかけ続けて貴重な生徒の枠を一つ潰しているんだ。そんな奴があと半月でいなくなるとわかると興奮が抑えきれなくてな」

 ようやく、ようやくこの状況まで動くことができた。サーリャの魔法が実戦で役に立たないことは早い段階からわかっていた。別にキリアンが自分から調べたわけではないのだが、魔法がうまく使えない者が騎士を目指しているという情報は騎士学校という箱庭の中では目立つので、自然とキリアンの耳にも入ってくる。

 サーリャという存在を知ったキリアンが最初に抱いた感情は嫌悪と憤りだった。キリアンからすれば騎士とは選ばれた者がなれる存在であり、民から尊敬と感謝を集めるものだと思っている。それは今日この日も、そしてこれからも変わることの無い不変の事実だ。

 しかし、サーリャの存在はその前提を崩しかねない危険な存在だ。役立たずの騎士が生まれたとなればそれは騎士という名前に消すことのできない大きな汚点を残すことになる。だからこそ早い段階から退学させようと裏で動いてきたが、状況はなかなか動くことは無かった。

 まずサーリャは魔法を一切使えないわけではない。落ち着いた状況ならば発動することはできるので、これからの頑張り次第で改善する可能性があったこと。

 そして剣術に関して一部の教師から一定の評価を受けていたために退学処分への動きを妨げていた。

 そして何より一番の原因だったのが騎士学校のメンツの問題だった。

 入学した生徒が短期間で退学となるのは外聞的にもまずい。このままだと騎士学校の教師は人を見る目が無いという評価を受けかねないという理由だった。退学させるにしても一定期間は在籍させていた方がまだダメージは少ないだろうとの判断でこれまでキリアンの主張を退けてきた。

 毎日不満を抱えながら過ごしてきたが、それももう少し我慢すれば解放される時が来る。半月後に目の前で悔しそうに学校を去る姿が目に浮かぶ。

 密かに家の者に調べさせた情報によればサーリャは大森林に一番近い町に到着して数日後には宿を引き払い、森に入ったきり一度も戻ってきていないらしい。命を落としたのか別の活動拠点を見つけたのかわからないが、そんなことは些細なことだ。

(退学した後あの女はどうするつもりなんだろうな。奴が懇願するなら家の護衛として雇ってやってもいいかもしれないな。あぁ、そうだ。我ながら素晴らしい考えじゃないか!)

 騎士としては不適格な存在だが、これまで剣の腕だけで騎士学校に在籍していたのだ。実力という面では十分護衛として使えるだろう。キリアンの口元がいびつに歪む。

(くくく。散々見下されてきた奴からこき使われていくようになると知ったらどんな顔をするだろうか。早くこの目で見たいものだ)

「早くあの女の悔しがる顔が見たいですねキリアン様」

「あぁ。実戦でまともに詠唱ができない存在などこの学校には必要ない。半月後が楽しみだよまったく」

 キリアンは笑みを浮かべたままフォークに突き刺さったままだった肉を口に運んだ。今日の食事は普段よりも美味しく感じられたのはきっと気のせいではないだろう。



「そもそも詠唱など本来は必要ないものだ」

「えっ、そうなの⁉」

 サーリャは今日も広い庭で魔法の練習をしており、両腕を突き出した姿勢になっている。無詠唱なら本来腕を突き出さなくてもいいのだが、魔法を発動させる際の座標指定がまだ甘いので補助として使っている。

 それでも半月の猛練習のおかげで始めた時と比べたらスムーズに魔法は発動できるようになっている。そんな中、ルインの発言は聞き流せない内容で思わずサーリャは練習を中断した。

 ルインは屋外に運び出した揺り椅子に座りながら手元にある分厚い本を読んでいる。椅子の足が半円になっており、ゆっくりと前後に揺れている。

「魔法の発動は詠唱があってこそよね。どうして必要ないの?」

 サーリャは当たり前のことを不思議そうに尋ねた。魔法は詠唱して初めて発動するものだ。詠唱が必要ないのならばなぜこれまで詠唱が必要だという認識で人々に広まっているのだろう。

「詠唱が必要ならばどうして俺は魔法を自由に発動できる?」

「それはルインだけが持っている特別な力があるとかではないの?」

「違う。そうならばサーリャも無詠唱で魔法が使えるようになっているのは何故だ?」

 確かにルインの言った通りだ。自分で言っておいてなんだが、もし無詠唱がルインだけが持つ特別な力だったのならばサーリャが無詠唱で魔法が使えるようになったことの説明がつかない。

「前にも言ったことだが魔法はそもそも術者の思い描いた現象を具現化することを目的としている。そこには当然魔法を発動した際に〝何をしたいのか〟〟どのような結果を出したいのか〟という明確なイメージが無ければ発動することは無い。しかし戦闘中という極限状態の中で想像を膨らませるということは誰にでもできることじゃない」

 ルインの説明にサーリャは同意するように頷く。戦闘状態ということは言い換えれば命のやり取りをしているということ。少しの油断が取り返しのつかない結果を生み出すかもしれないし、下手をすれば自身の命を失いかねないのだ。そんな中で想像を膨らませるというのは困難だろう。そんなことよりも目の前の脅威に意識を割くことを優先せざるを得ない。

「そんな不安定な魔法など戦闘での有効性は皆無だ。それを打開するために作りだされたのが詠唱という補助システムだ。詠唱によってどのような効果・結果が生まれるのか予め知っていれば発動しやすくなるというわけだ。詠唱している間にイメージが固まり、終わると同時に魔法が発動する。これが騎士学校で学ばされている魔法の仕組みだ」

「誰にでも魔法が使えるようにしたのが今の魔法システムなのね。でもそれなら無詠唱でも魔法が使えるって皆に広めていけば全員が無詠唱で魔法が使えるんじゃないの?」

「そんな簡単な話ではない。これまで信じてきたものがすべて不要だと言われるんだ。理屈ではわかっていてもその事実を納得できるかどうかは別の話だ。少しでも不信感があれば魔法は発動しないから逆に命取りになりかねない」

 どうやらサーリャが思っていたよりも詠唱というシステムは人々の意識に深く根付いてしまっているようだ。これはそう簡単に意識改革などできないだろう。たとえ王の命令であっても馴染むまでには年単位で時間がかかるかもしれない。

「でもルイン。確かに無詠唱は便利だけど、使える回数は詠唱していた時と変わりはないわ。発動面ではメリットがあるけど、他はこれまでとほとんど変わりはないわ」

 いくら発動スピードが速くなってもサーリャの保有魔力には上限がある。スピードを活かして何度も魔法を撃ち出していてはあっという間に魔力切れを起こしてしまう。

 サーリャの疑問に対してもルインは涼しい顔だ。

「それはサーリャが自分の魔力だけしか使っていないからだろう」

「……魔力って自分のを使うしかないでしょう?」

 ルインの言っていることが理解できずサーリャは首を傾げる。自分の魔力を使わないのならどこから魔力を調達するというのだろう。

「それを教える前に一つおさらいだ。魔力とは人間の体内のみにしか存在しないのか?」

「それは違うわ。それはあくまでも人間が持っている魔力。魔力は生物だけじゃなく空気中にも漂っていて——あっ!」

 サーリャはルインが何を言いたいのかようやく気付いた。まさか調達先というのは——。 「理解したようだな。魔力が必要なら周りから貰えばいい。別に誰かが所有権を主張しているわけではないんだから使ったところで誰かから責められることは無い。これからサーリャは無詠唱と同時に周囲から必要魔力を集めるという魔力操作も同時に進行してもらう。初めは半々ぐらいでも構わないが、最終的に魔法を使用する際は自分の魔力を一割程度に抑えるようになってもらう」

「一割って……」

 あまりにもハードルの高すぎる要求にサーリャは思わず言葉に詰まってしまう。確かに自身の使用魔力を一割程度に抑えることができれば魔法の使用回数も格段に増えてこれまで以上に魔法を使用することができる。しかしサーリャはすでに無詠唱魔法を制御するために意識の大半をそっちに割いている。そこへさらに魔力制御も追加となればより緻密な制御が要求される。

「周囲から魔力を集めるやり方は知っているな?一度魔法がうまく発動できなくても構わないからやってみろ」

 しかしルインはそんなサーリャの心配など一切気にせずすぐさま実践するように言ってくる。なんとスパルタな教育だろうか。仕方なくサーリャは周囲から魔力を集めようと意識を切り替える。たとえ文句を言ったとしても聞いてもらえないのはこれまでの経験で分かっている。

(まずは周囲の魔力を知覚。知覚した魔力を引き寄せるように集めていく)

 周囲を漂っている魔力は勝手に集まってきてはくれない。必要ならばこちらから引き寄せなければならない。だからこそサーリャは必要最低限の魔力を集めようとしたのだが、すぐさま問題が発生した。

「どうしてこんなにも魔力を集めるのが〝重い〟のよ⁉」

 サーリャは思ったことを口にせずにはいられなかった。必死に魔力を引き寄せようとしているにもかかわらず思ったよりも集まりが悪い。まるで魔力が引き寄せられることに対して抵抗しているかのように、なかなかその場から動こうとしない。

「ちょっと!練習だからってこっそり妨害しているんじゃないの?」

 あまりにも思い通りに集まらないことに業を煮やしたサーリャはルインに疑いの目を向けた。ルインならばこっそり妨害していても不思議ではない。

「そんなことを俺がするわけないだろう。それよりも魔力を集め過ぎだ。もう少し集める魔力を減らせ」

「どうして?ウォースを使うならこれくらいは必要でしょ?」

「普通ならな。まぁ言っても理解しにくいと思うから、サーリャが必要だと思う量を集めてみろ」

 なんだか引っかかる物言いだが、とりあえずサーリャは普段使用する分だけの魔力を集めておく。ルインの言った通り魔力を減らすべきなのかもしれないが、ここは一度自分が必要だと思う量を集めてみるべきだろう。

「よし!それじゃあウォースを使うわよ」

「ああ。まぁ、いい経験になるだろう」

「……ちょっと。どうして私から離れるのよ」

 時間をかけてようやく必要量が集まったサーリャは魔法を発動させようとするのだが、なぜかルインはサーリャから離れ、遠くから見守っている。明らかにこれから何かが起こると言わんばかりの離れ方だ。

「気にしなくていいぞ。ほら、早く使ってみろ」

 ルインから促されるが正直不安しかない。あのルインが離れるほどなのだ。不安になりながらも言われるがままにウォースを作り始めるが、すぐさま異常に気が付いた。明らかにこれまで慣れ親しんだウォースよりもサイズが大きくなっている。

(これってまずいわよね)

 サーリャのこめかみに一筋の汗が流れていく。必死に元の大きさまで戻そうとするが、圧縮できる量には限界がある。圧縮しきれない分は当然魔法が大きくなることに繋がる。

 魔法を中断しようにもそれは目の前にある高圧縮された水の塊の制御を手放すことになる。手放せばどんな結果になるかなんてすでに想像できる。もっと早くに決断していればとサーリャは後悔するが、もはや今更である。

 助けてほしいと縋るような目でルインを見るが、ルインは黙って首を横に振る。……どうやら助けてはくれないようだ。

 サーリャは深く深呼吸をして覚悟を決める。そして目の前に浮かぶ水の塊の制御を手放した。糸が切れたように魔力の繋がりが切れたのが伝わってくると、次の瞬間圧縮された水が周囲に向かって放たれた。

 当然サーリャはまともに水を全身に浴び、あまりの勢いに後ろへ吹き飛ばされた。以前にも水を浴びた経験はあるが、今回はサーリャ自身が吹き飛ばされるほどの威力だ。

 吹き飛ばされたサーリャは大の字で仰向けのまま地面に転がっている。視界には雲一つない綺麗な青空が広がっているが、サーリャの周りはまるで土砂降りにでもあったかのような状態だ。

 青い空しか見えていなかった視界に人影が映りこんだ。視線だけを向けるとルインが黙ってサーリャを覗き込んでいる。

「何か言いたいことはあるか?」

「そうね……」

 いろいろと言いたいこともあるし聞きたいことも沢山あるが、今言いたいことは一つだけだ。

「とりあえずタオルを貸してくれないかしら?」



「納得できないわ」

 その日の夜、食事をしながらサーリャは日中に起こったことを振り返っていた。

「納得できるできないかの問題じゃないぞ。起こったことが事実なんだからそれを受け止めるしかない」

 ルインはフォークに刺さった料理を口に運び食事の手を止めない。ちなみに今日の夕食はクリームソースのかかった魚のソテーだ。

「だって何でただのウォースがあんな規模にまで大きくなるのよ。何故か魔力も重くて集めにくかったし、私が魔法を使おうとしたときルインが離れたのはあんなことになるって知っていたからでしょう」

 そう言いながらもパクリと自分もソテーを口に運ぶサーリャ。

「もちろんわかっていたぞ。だが初めから俺が最後まで説明しても実感がわかないだろう?だから最終的な判断はサーリャに任せることにしたんだ。その方が手っ取り早いから、俺の優しさに感謝するべきだな」

「その優しさで私は吹き飛ばされた挙句びしょ濡れになったのだけど?」

 サーリャはジト目でルインを見るが、当の本人は知らん顔だ。

「失敗した原因だが、大きく分けると二つある。一つはその土地の特性に対応しきれていなかったことと、もう一つは魔力濃度だ」

「特性と魔力濃度?」

「そうだ。魔力を集めるという行為は簡単そうに見えて実は難易度の高い技術だ。たかが魔力と言っても毎回同じやり方で同じ結果に繋がるとは限らない。その土地の魔力特性に合わせて引き寄せる力加減を調節する必要がある。この場所では他よりも魔力が集めにくいという特性があるな」

「だからあんなにも重かったのね」

 理由が分かりサーリャは納得した表情になる。

「魔力濃度に関しては言葉のままだ。この土地では他よりも魔力が濃くなっていて、本来なら必要魔力量に達していなくても少量の魔力で発動させることができる。普段の威力や効果が一とするならば、ここだと二や三になるということだ」

 サーリャはあまりの効果に驚きを隠せなかった。確かにそれだけの差があるならば日中の結果も納得ができる。魔力効果が二倍にも三倍にもなるのならば確かにあの時のサーリャは魔力を集め過ぎだ。あのまま完成した魔法を放てばとんでもないことになっていただろう。

 料理に置き換えればわかりやすい。調味料を魔力、料理を完成した魔法とするならば、サーリャは普段使っているのよりも圧倒的に濃い調味料を、普段と同じだけの量使用していたということになる。そんなものを口にすればどうなるかなんて食べなくてもわかる。

「もしかしてこの家の魔道具って……」

「もちろんこの森から魔力を集めて使うようにしている。いくら俺でも家丸ごとの魔力を賄えるほど保有魔力は多くないぞ」

 ようやくサーリャはこの家の秘密の知れたような気がする。部屋一つ分に掛けられた状態保存魔法や転移魔法。どれも個人では扱えないはずの魔法をルインが苦も無く使用できていたのは周囲の魔力を使っていたからだったのだ。消費魔力も普段より抑えられているこの森ならば、どんな魔法でも個人で扱えることだろう。

 そこまで聞いたサーリャは生徒のようにゆっくりと手を挙げる。

「質問なのだけど、今日私が集めた魔力で魔法を発動させたら相手はどうなっていたの?」

 深い考えなどない本当に軽い気持ちでの質問だった。ただの興味本位と言っていい。しかしサーリャはこの後物凄く後悔する事になる。

 ルインはしばらく思案顔になった後嘘偽りなく答えてくれた。

「そうだな。直撃しなくても至近距離で受ければ爆風と破片で木っ端微塵になっていただろうな」

「そ、そうなの……」

 ルインは特に気にしていないようだが、サーリャは血の気が引き真っ青になった。これは真剣に魔力制御を覚えなくてはならない。威嚇程度の攻撃のつもりが相手を爆殺させてしまいましたなんて全く笑えない。

 気を紛らわせるようにサーリャは皿に残っていたクリームソースを口に運んだ。口の中に広がるクリームソースは濃過ぎもしなければ薄過ぎもしない絶妙なバランスで美味しかった。



 残りの半月は瞬く間に過ぎ去っていった。毎日学ぶべきことがあり、気が付けば日が落ち始めていたなんてことは何度もあった。

 そしてとうとうその日がやって来た。課題挑戦期間として設定した初日の早朝、ひと月前と同じようにサーリャは部屋で装備の最終確認を終えて静かに深呼吸を繰り返した。

(とうとうこの日が来たわ)

 前回挑んだ時のことが今でも鮮明に思い出せる。前回は不安で押しつぶされそうになっていたが、今回はなぜか心が落ち着いている。

 この一か月やるべきことはすべてやって来た。完全とはいかなくても無詠唱魔法もある程度は使えるようになっているので相手にダメージを与えることができる。もう逃げ回るだけのサーリャではない。気合を入れるように両手で頬を叩く。

「よしっ!」

 部屋を出て玄関に向かうと驚いたことにルインが待っていた。

「驚いたわね。まさか見送りでもしてくれるのかしら?」

「まぁそんなところだな。あとは最後に言っておくことがあったから、それを伝えようと思っただけだ」

 ルインの目が少しだけ鋭くなり、自然とサーリャも背筋を正す。

「これから先、俺は一切の干渉をしない。サーリャが課題を達成してもしなくても対応は変わることは無い。森で死にかけていたとしても何もしないから甘い考えは一切捨てておくことだ。サーリャがこの家に戻って来た時だけ関わることになる」

 助けは一切無い。改めてルインからその言葉を聞かされたサーリャの脳裏にかつての記憶が浮かんできた。ボロボロになりながら多くの魔獣に追いかけられ、最後は力尽きようとしていたあの光景。自然と自分の腕を強く握っていたサーリャだったが、これまで厳しい表情だったルインの表情が緩んだ。

「まぁ今のお前なら適切に対処すれば問題なく終わらせることができるだろう。自分の力を過信せず相手の力を過小評価せずに動くことだな」

 励まされている。普段見せないルインの優しさがサーリャの心の中に広がっていき温かく感じる。

「何度も言うけど私はお前なんかじゃなくてサーリャよ。出会ったころと比べればマシになったけど、いい加減お前呼びはしなくてもいいんじゃないかしら?」

 悪戯っぽくサーリャが言うとルインもつられるようにニヤリと笑った。

「直してほしければ無事に課題を達成して戻ってくることだな。そしてそろそろパスタを食べさせろ」

 この一か月サーリャは食事に一切パスタを出していない。乾麺のボトルは食糧庫の奥にしまい込んであり、置いた場所を知っているのはサーリャだけだ。

「達成したら考えてあげるわ。期待して待っていなさい!」

「あぁ。行ってこい」

 サーリャは玄関の扉に手をかけたところで動きを止めて振り返った。誰かから見送られるなんてこれまで無かったが、今回はルインが見送ってくれる。だからこそサーリャは元気よくこの言葉を伝えた。

「行ってきます!」



 久しぶりの大森林。一人で森の中を進むサーリャは常に周囲を警戒しながら進む。ルインの家の正確な位置は分からないが、おそらく大森林の深部に近い場所にあるはずだ。ならば森の奥深くにしか生息していない魔獣にいつ出会ってもおかしくない。

 しばらく森の中を歩き回っていたサーリャだったが、ピタリと歩みを止めた。

(あまりにも静かすぎる)

 先程まで聞こえていた鳥の声や虫の音がピタリと止んだのだ。普段とは違う状態になったからには確実に何かが起こる。剣を握る力が自然と強くなり、僅かな異常も見逃すまいと全方位に注意を払う。


 ——パキリ


 小枝が折れる音がすぐ近くから聞こえ、すぐさまサーリャは音のした方向に向き直る。木々の陰からゆっくりとその存在が現れ、サーリャの前にその姿を見せる。相手の正体を見た瞬間、サーリャはまるでデジャブを見ているかのような感覚になった。

「まさかこんなにも早くもう一度会えるとは思ってもみなかったわ」

 鋭い爪や牙。そして体全体から漏れ出して揺らめいている魔力。サーリャの命をあともう少しで奪い取れた存在。——ハイロウウルフの変異種が再びサーリャの前に現れたのだった。



 変異種の背後から遅れるように三体の通常個体も姿を現した。唸り声を上げながらサーリャに飛び掛かろうとゆっくりと近づいてくる。

 変異種は前回と同じで全く動こうとはしない。おそらく配下に再び狩らせるつもりなのだろう。かつてのサーリャを知っているからこその余裕。しかし、

(以前の私と思っていたら大間違いよ!)

 ほぼ同時に通常個体の三体が動き始めた。正面から一体がサーリャを食い殺そうと飛び掛かってくる。サーリャは最小限の動きで横に躱し、無防備になっているハイロウウルフが目の前を通り過ぎる前に行動を起こす。

 ブンッと一瞬で剣に魔力を纏わせ、ハイロウウルフの首元に剣を思いっきり振り下ろし致命傷を負わせる。


 グルルルアアァ‼


 わずかな時間差でサーリャの左側から一体、回り込んだもう一体がサーリャの背後から迫ってくる。振り下ろした勢いのまま体を回転させたサーリャはそのまま横薙ぎの一閃に繋げ左の一体を切り捨てるが、背後への一閃は間に合わない。

 間に合わないと判断した後のサーリャの行動は早かった。すぐさま左手を剣の柄から離して迫ってくる一体に向ける。

挿絵(By みてみん)

 風の刃が放たれ、飛び掛かった勢いのまま空中でハイロウウルフは真っ二つになった。

 瞬く間に三体もやられたことでサーリャへの認識が変わったのだろう。これまで見守るだけだった変異種が警戒しながら戦闘態勢に入った。

 サーリャはこれまで以上に緊張感を高める。先の三体はあくまでも通常個体。ここからが本番なのだ。

 先に動いたのは変異種の方だった。爆発的な加速とともに一気に距離を詰めてくる。鋭い爪がサーリャを切り裂こうと迫ってくる。

 さすがにサーリャでも真正面から攻撃を受けてしまうと吹き飛ばされてしまう。後ろに跳んだサーリャは距離を開けるとすぐさま魔力弾を放つ。しかし変異種の方も魔法が飛んでくることを予想していたのだろう。自身の攻撃が躱されるとわかった途端すぐさまその場から離れ、サーリャの放った魔力弾はほとんど当たらなかった。

(やっぱり殺傷能力が低いと魔力も簡単には引き剥がせないわね)

 攻撃が躱されてもサーリャは冷静に状況を分析する。ほとんどの魔力弾は変異種に当たることは無かったのだが、一発だけ変異種に当たったのは見えていた。魔法が命中した部分の禍々しい魔力は吹き飛ばすことはできたのだが、本体にダメージは入っておらず吹き飛ばした部分もすぐさま周囲の魔力が覆ってしまった。

 やはり剣で致命傷を与えるか威力の高い魔法を撃ち込む必要がある。

 そう考えているサーリャの目の前で変異種の頭上に魔力が集まり始め、徐々に形が形成され始める。これはすでに見たことがある。すぐさまサーリャは変異種へ向かって駆け出す。発射まで多少時間はある。

 距離を詰める間もサーリャは魔法を展開していく。魔力弾が変異種目掛けて——ではなく、その周囲に撃ち込まれる。

 攻撃魔法が完成するまでの間時間を稼ごうとその場から離れようとした変異種だったが、サーリャの魔法でその道を塞がれてしまいその場から動けずにいる。その僅かな時間でサーリャは相手を間合いの中に入れる。

 サーリャが剣を振るう前に相手の攻撃魔法が完成した。魔力の槍がサーリャに向かって飛んでいき、大きな爆発が起こった。

 至近距離からの攻撃。勝利を確信した変異種はほんの僅かに警戒を緩めたが、すぐさま驚愕に目を見開いた。爆炎の中からサーリャが躍り出てくる。その体には攻撃による負傷は無い。

 驚愕に目を見開いている変異種を見ながらサーリャは内心笑みをこぼす。

(どうやらうまくいったわね)

 サーリャの目の前には淡い虹色に輝く壁が出現している。

 魔力障壁。相手の攻撃を防ぐことができ、込める魔力量と展開範囲で強度が変化する防御魔法だ。サーリャの上半身ぐらいの大きさの魔力障壁は役目を終えて消え去っていく。

 すぐさま変異種がサーリャの間合いから離れようとするが、もう遅い。サーリャは全力で剣を振るい、相手の魔力を切り裂きながらその奥にある本体へと深く傷をつけた。しかし致命傷にはならず相手が離れてしまう。

「チッ!」

 思わずサーリャは舌打ちした。相手に剣が届く瞬間、変異種が身を捩ったことで狙いがズレてしまい致命傷にはならなかったのだ。

 しかし十分な傷をつけることはできた。決して少なくは無い血が辺りに飛び散っている。貴重な好機を逃してしまったことを悔やむサーリャだったが、どうやらまだ挽回できるチャンスはあるようだ。

 サーリャから離れた変異種は傷つきながらも逃げずにその場に留まっている。強者としてのプライドなのか、それとも弱者だと思っていたサーリャに背を向けることが嫌なのか何にせよ好都合だ。

 近づくのを恐れているのか変異種は木々の陰から絶え間なく魔力の槍をサーリャに放ってくる。サーリャも魔力弾を撃ち反撃するが、相手の移動速度が速く周りの木々が邪魔をしてうまく当たらない。前回はサーリャを守ってくれた木々は今回相手を守る役割を果たしてしまっている。

「だったら!」

 相手からの攻撃を防ぎながらサーリャはこれまで以上に魔力を集める。左手に魔力が収束していくにつれて風が生まれ、サーリャの髪を揺らしていく。

 何かを感じ取ったのか変異種が木々の陰から姿を現したがもう関係ない。準備は整った。

「いっけええぇ‼」

 サーリャは変異種がいる方向に向かって左腕を大きく横に振るった。次の瞬間、振るった先にある木々が広範囲で切り飛ばされた。

 風の上位魔法「エアリアルサイズ」範囲上にある対象を風の刃で狩り飛ばす範囲攻撃魔法だ。切り飛ばされた木々はすべて轟音を立てながら落下し、見晴らしが良くなった。狙い通り変異種が開けた場所にいたが、残念なことにエアリアルサイズは躱されてしまったようで傷は無い。

 再び木々の中に姿を隠そうと動くがサーリャはそれを許さない。もう一度範囲魔法を放ち一帯を更地にする。

 これ以上は無駄だと悟ったのだろう。変異種は隠れようとはせずに迎え撃つ構えだ。

 タイミングを合わせたわけではないが、ほぼ同時にお互いが動き出す。サーリャは真っ直ぐ変異種のもとへ駆け出し、変異種はサーリャの魔法を警戒してジグザグに動きながらサーリャへと迫ってくる。

 ジグザグに動きながら魔力弾を放ってくるが、サーリャはそれを最小限の動きで時には躱し、時には魔力弾を当てて相殺する。互いの距離が近づくにつれて攻撃の間隔が短くなっていき激しくなる。

 変異種はサーリャに食らいつこうと飛び掛かってくるが、正面からで単調過ぎる。

「そんな攻撃で!」

 このまま横に避けて無防備な側面からとどめを刺す。そう考えて位置をずらしたサーリャだったが、驚愕に目を見開いた。

 変異種は飛び掛かっている最中で方向転換ができない。しかし、体から溢れ出している魔力の一部が突如槍の形になり地面に突き刺さった。槍の端と変異種は魔力で繋がったままであり、槍がスパイクの役割を果たして、変異種が弧を描いてものすごい勢いでサーリャに迫ってくる。

「なっ⁉」

 予想もしていなかった方向転換に驚いたサーリャは慌てて魔力障壁を展開するが、突然過ぎたこともあって展開が不十分だ。

 魔力障壁に変異種が思いっきりぶつかると、未完成だったためすぐさま障壁にヒビが入り、甲高い音とともに砕け散ってしまった。障壁にぶつかったことで多少勢いは殺されているが、それでも巨体の突進を受けたサーリャは吹き飛ばされてしまう。

「あうっ!」

 背中を地面に打ち付けたサーリャは慌てて起き上がろうとしたが、その前に接近してきた変異種の前脚がサーリャの左肩を押さえる。これでは起き上がることができない。

 すぐさま剣で振り払おうと右腕を動かそうとするが、こちらも動かす前に変異種の前脚がサーリャの右肩に叩きつけられる。叩きつけられた際に変異種の鋭利な爪がサーリャの右肩に深々と突き刺さった。

「ああああああああぁぁぁ‼」

 あまりの痛みにサーリャは絶叫する。針で刺されたわけではない。短刀と同じぐらいの大きさの爪が刺さったのだ。その痛みは想像を絶する。

 あまりの痛みに悶えようとするが両肩を押さえられて身動きができず、唯一動く足で地面を掻くしかできない。身動きができず剣は爪が刺さった際に痛みで思わず手放してしまった——絶体絶命だ。

「グルルル」

「ひっ!」

 間近で聞こえる唸り声にサーリャの表情は恐怖で引き攣り、ビクッと身を竦ませる。これまで経験したことも無いくらい魔獣が近くにいる。鋭い牙の間からは唾液が零れ落ちている。

 ゆっくりに感じられる時間の中両者は数秒見つめ合い、そしてサーリャにとどめを刺すべく変異種が大きく口を開いて迫り——両者の間に大量の鮮血が舞った。



 静寂が訪れサーリャはピクリとも動かない。頬には大量の鮮血が付着し、見開いた目はただ一点だけを見つめている。

 視線の先には変異種が大きく口を開けている。——喉元に大きな風穴を開けた状態で。

 変異種がサーリャを食い殺そうとした瞬間、咄嗟にサーリャはありったけの魔力を集めて風属性の魔法を放ったのだ。本来なら相手を吹き飛ばすだけのつもりだったのだが、大量に魔力を集めてしまったので威力が桁違いになってしまって貫通してしまった。

 何が起こったのかわからないと言ったような表情をしながら変異種は力尽きたようにサーリャの上に倒れた。爪がサーリャの肩から抜ける際の痛みに小さくサーリャは声を漏らす。変異種はしばらく手足が痙攣したように震えていたが、その動きもしばらくすると止まる。

 下敷きになったサーリャはピクリとも動かなかったが、しばらくするともぞもぞと動き始めて変異種の下から這い出てくる。死んだ変異種の隣で座り込んだサーリャは茫然としたまま辺りを見渡す。周囲にはサーリャが倒した通常個体が転がっており、血の匂いが辺りに漂っている。

 最後にサーリャはすぐ傍にある存在に目を向ける。そこには変わらず息絶えた変異種が倒れている。

「倒したんだ……私一人で」

 ポツリと出た言葉は自分で言っておきながら実感がわかない。まるで現実ではなく夢を見ているような気分だ。しかし焼けつくような右肩の痛みが夢ではないとサーリャに伝えてくる。服の下を血が流れている感覚もはっきりと伝わっている。

「ここから離れないと……」

 心が麻痺してしまっているのか感情のこもらない言葉しか出てこない。他の魔獣がいつやって来るかもわからないので長居は無用だ。サーリャはもたつきながらも左手だけで最低限の応急処置を済ませ、周囲に転がっているハイロウウルフ達から魔核を回収する。そしてサーリャはふらつきながらもその場を後にした。



 無事にルインの家まで戻ってきたサーリャは扉の前で一息ついた。麻痺していた感情も回復しており、今は嬉しさが心を満たしている。ルインに朗報を伝えられるのが嬉しくてたまらない。

 サーリャは玄関の扉を勢いよく開けると、出て行った時と同じようにルインがいた。

「ただいま!」

「おう。その様子だといい結果だったようだな」

 笑顔のサーリャにつられるようにルインの表情も優しげだ。

 「そうよ‼私一人でハイロウウルフを倒すことができたわ。しかも一体じゃないのよ。通常個体が三体に変異種が一体よ!信じられる?」

「……」

「無詠唱って本当に凄いわ!詠唱だと不可能な連射もできて相手を翻弄することができたわ。他にもね——」

「待て待て。その前に治療が先だ。見たところ傷は深そうだから部屋で処置する。手を貸してやるから行くぞ」

 興奮してさらに言葉を続けようとしたサーリャだったが、その前にルインに止められてしまった。報告することに夢中ですっかり忘れていた。

「ちょっと待ってね。靴を脱ぐから」

 靴を脱ごうと下を向いたサーリャは気づくことができなかった。何かを探るような目でルインがサーリャを見ていたことに。



 ルインに支えられながらサーリャは部屋に入ると、テーブルの上には治療道具一式が並べられていた。おそらくルインが用意してくれていたのだろう。

 治療のために再び上半身下着姿になったサーリャは恥ずかしさで頬を赤くするが、前回のように身悶えたりせずに大人しく手当てを受けている。せめて少しだけでもと脱いだ服で胸元を隠している。

「無詠唱魔法ってイメージが固まっていれば発動できるのよね。だったら新しく思いついた魔法も使えるってことなのかしら?」

「使えることは使えると思うぞ。ただし魔力量や効果などの設定を細かく決めていかなければならないからそう簡単に使えるわけではないがな」

「へぇ~。それでも新しく作るってなんだか楽しそうね」

 てきぱきとルインが処置をしていく間もサーリャは思いついたことを喋り続け、ルインが短く答えていく。

「よし、とりあえずこんなもんだな。念のため今日は様子を見て、問題が無かったら明日にポーションで傷を治せば問題なく腕を動かすことはできるだろう」

 ルインが包帯を巻き終えるとサーリャはシャツをすぐさま身に着ける。

「ありがとう。それよりもルイン!私と相性のいい魔法って何だと思う?やっぱり初めて使えるようになった水かしら?」

「……」

 ルインからの返事が返ってこないことに気づかずサーリャは話し続ける。

「でも最初に使えるようになったのは火炎系なのよね。ここだと無理だけどやっぱり火炎系も——」

「サーリャ」

 顎に手を当てて話し続けていたサーリャだったが、不意に言葉を遮られたので一言文句を言おうとルインを見た瞬間言葉に詰まってしまった。なぜかルインはサーリャを労わるような目で見ている。なぜそのような表情を向けられるのかサーリャにはわからない。

「もういいんだ。終わったんだからこれ以上我慢するな」

「な、なにも我慢していないわよ。何を言っているの?」

 戸惑いながらもサーリャはルインに言葉を返す。何を我慢しているというのだ。

「サーリャがそう思っているのなら俺はそれを違うと否定することもしないし、これ以上言うつもりはない。それでも気づいているか?帰ってきてからサーリャは課題のことを話しはするが、一度も自身が危なくなった時のことを話そうとしていないのを」

「っ!」

 ルインからの指摘にサーリャは衝撃を受けた。全く気が付かなかった。サーリャ自身は普段と同じように話していたつもりだったが、どうやら違ったらしい。

 衝撃を受けるサーリャに構わずルインは話し続ける。

「確かに見た目は普段通りのサーリャだと思う。それでも俺からすれば必死に感情を押し殺して無理をしているようにしか見えない。そんな状態を俺は放っておくことも見なかったことにすることもできない」

 真っ直ぐ正面からサーリャを見るルインの表情は真剣そのものだ。その視線を受け止めきれずにサーリャは俯いた。

 しばらくサーリャは黙って俯き続けるが、ルインは何も言ってこずサーリャが話すのを待っている。静かな時間が過ぎていく中、ようやくサーリャは俯いたまま口を開いた。

「……私ね。変異種に押し倒されたの」

「そうか」

 ルインは相槌を返すだけで静かにサーリャの話に耳を傾けてくれる。

「押し倒された時にね、爪が肩に刺さったの。逃げようとしても肩を押さえられているし痛みで大声をあげてしまったわ」

「そうか」

 次第にサーリャの声が震え始めてくる。声だけでなく体もサーリャの意思と関係なく震え始めてきた。

「その時ね。私怖かったの。これから殺されるんじゃないかと思って思わず悲鳴が出てしまったわ」

 そう。たしかにあの時サーリャは死を覚悟した。あまりの恐怖で泣き叫びたい気持ちにもなったがぐっと我慢して最後まで生きるのを諦めなかった。だからこそサーリャはこうして生きている。

 それでも恐怖が消えるわけではない。乗り越えたと思っていた恐怖が再びサーリャに襲い掛かってきて押し潰されそうになる。そんなサーリャの頭にポンッと優しく何かが置かれた。

 思わず顔を上げるとルインがサーリャの頭に手を置いていた。

「恐怖を感じるのは誰にでもあることだ。それを恥ずかしがることもないし我慢する必要もないんだ。サーリャは周りの奴らができないことを見事やり遂げたんだ。たとえ周りから何と言われようと、俺はサーリャの努力を認める」

「あっ……」

 ルインの言葉が凍っていたサーリャの心を溶かしていく。その優しさがサーリャには何よりの救いだった。目の端から涙が溢れてくる。

「よく頑張ったな」

 その言葉がとどめだった。これまで誰かから応援されることは無かった。いつもサーリャに浴びせられるのは役立たずとか無能だとかの批判的な声ばかりで味方は誰もいなかった。

 それでもルインは違う。いつもサーリャのことを気にかけてくれてサーリャの為に多くのサポートもしてくれた。そしてルインはこんなサーリャの頑張りを褒めてくれた。誰かから褒められるなんてこれまで無かった。

 喜び・恐怖その他にもいろいろと我慢していた感情が込み上げてくる。

「うわあああぁぁぁ!」

 サーリャは痛みのことなど忘れてルインの胸に縋りついてありったけの大声で泣いた。泣いている間もルインは優しくサーリャの頭を撫でてくれて、さらに感情に歯止めが利かなくなる。これまで我慢していたものをすべて吐き出すようにしばらくの間、サーリャはルインに抱きしめられながら泣き続けた。



 静かに扉を開け、ルインはそっと部屋から出て行こうとして背後を振り返った。ベッドでは泣き疲れたサーリャが眠っており、目元には涙が残っている。

 起こさないように扉を閉めたルインは何をすることも無くソファーに座りながら物思いに耽っていた。

「らしくないことをしたな」

 ルインは元々そこまでお節介を焼くつもりは無かった。それでもサーリャが帰って来た際の違和感は無視できないもので、つい深く踏み込んでしまった。

 サーリャはおそらく騎士学校で孤独なのだろう。誰からも評価されずに常に一人で訓練を続けていたのだ。だからこそ弱音を吐くことは許されない。助けてくれる者がいないのならば一人で解決しなくてはならない。

 他人を頼らない生き方は本人の努力次第で可能だ。しかし騎士という立場を目指す過程でその生き方はあまりにもリスクが高すぎる。感情を押し殺し、恐怖を感じなくなるなどもはやそれは人とは呼べない。ただ魔獣を狩るだけの人形となり果ててしまっている。

 あのままサーリャが騎士になれたとしても長生きできないだろう。生存本能を無視して前に進み続けるなら最後に待つのは死だ。せめてそれだけは避けたいと行動した結果まさか泣かれるとは思わなかったが……。

(今更俺が誰かに優しくするなんて)

 誰かを信じることはもう止めた。信じればその果てに何があるかはすでに経験したことだ。化け物と蔑まれる周りからの視線。向けられる剣や撃ち込まれる数々の魔法。そして信じていた者から向けられる殺意……。


 ——この反逆者がっ!


 そこまで考えたところでハッと我に返ったルインはこれまでのことを振り払うかのように頭を振る。知らない内に嫌な記憶の海に沈んでしまっていたようだ。

 ここからは彼女の行動次第だろう。これからもひたすら前に進み続けるのか、それとも退くことも覚えるのか。彼女の性格から考えれば予想はつくが。

「どうなるんだろうな」

 再びルインは呟くがそれに応えてくれる者は誰もおらず、呟きは静寂の中に消えていった。



「お世話になりました」

 翌日。サーリャとルインは王都——から少し離れた平地に立っていた。昨日サーリャは目覚めるとすぐさま学校に課題達成の報告を魔法による通信で出してある。腕の傷も完治しており、問題なく動かすことができる。

 ちなみに目覚めた瞬間ルインの胸の中で泣いたことを思い出してしまい、奇声を上げながらベッドの上で激しく転げまわったのはサーリャだけの秘密だ。

「別にたいしたことはしていないぞ。それよりも俺の言ったことは守ってしまうぞ」

「わかっているわよ。そのための交換条件だもの。ルインのことは誰にも話さないわ」

 王都に戻る際にサーリャとルインはある交換条件を出している。無詠唱魔法が使えるようになったと言っても、まだまだ未熟だと言わざるを得ない。サーリャはこれからもルインから手ほどきを受けたいと思っているが、王都から大森林までは距離があるためそう簡単に行けるものではない。

 そのためにサーリャは転移の魔方陣を王都から近い場所に設置して欲しいとルインに願い出たのだ。初めは渋っていたルインだったが、サーリャの根気強い説得にとうとう折れてくれて設置してもらえるようになった。

 その代わりにルインは自分の素性を誰かに話さないことと関係ない人物を連れてこないことを条件に出したのだった。サーリャはあくまでも現地で知り合った人から手ほどきを受けたということになり、ルインという人物をサーリャは知らない。

 ちなみに手ほどきを受ける際の対価はそのまま継続されることになるので料理は作り続けることになる。

「それを覚えているならいい。それじゃあ俺はもう帰らせてもらうからな」

 そう言ったルインはすぐさま転移でいなくなってしまった。よっぽど人と関わるのが嫌なのだろう。

「それじゃあ行くとしますか」

 サーリャは荷物を背負い直して王都に向かって歩き始めた。



 一か月ぶりの王都だが、まるでもっと長く離れていたかのような懐かしさがある。そんな王都内をサーリャは進んでいく。目指していた騎士学校が見えてくると自然と歩みが早くなったサーリャだったが、入り口に誰かが立っていることに気が付いた。その人物が誰なのか分かったサーリャは嫌そうな表情になる。まさかアイツがいるなんて……。

「久しぶりだなサーリャ・ブロリアス。俺はこの日が来るのを楽しみにしていたぞ」

「久しぶりねキリアン。私は最初に会ったのがあなただなんて残念で仕方ないわ」

 教師の誰かから聞いたのだろうが、まさか入り口で待っていると思っていなかったのでサーリャの言葉にも自然と棘が混じる。

「聞けばできもしないくせに課題達成の報告をしたそうじゃないか。そんな嘘で教師たちの貴重な時間を取らせるのは失礼だと思わないのか?」

 どうやらサーリャが虚偽の報告をしていると思っているらしい。この場でわざわざ説明するのも面倒なので、サーリャはさっさとキリアンの横を通り過ぎる。背後からキリアンがずっと何か言ってくるがすべて無視しながら目的の部屋まで歩いて行った。



「久しぶりですねブロリアス嬢。手紙では課題を達成したということですが本当ですか?」

「はい。課題として出されていましたハイロウウルフの単独討伐ができましたので、報告しに来ました」

 課題を出した本人であるヘルトはサーリャの言葉を聞きながらも疑いの目をサーリャに向けており、なぜか部屋の中までついて来たキリアンも鼻で笑っている。やはりサーリャの報告を誰も信じていないようだ。

「あのですねブロリアス嬢。あなたの騎士になりたいという気持ちの強さは理解していますが、嘘を吐いてまで達成したとするのは褒められることではありませんし、そんなことで騎士の資格を与えることはできませんよ」

「そうだ!証拠も無しにそんな言葉を信じられるわけないだろう!」

「ならば証拠をお見せします」

「「えっ?」」

 二人が呆気にとられる中サーリャは背負っていた荷物の中から小さな袋を取り出し、テーブルの上にあった書類トレーの中に中身をすべて出す。ゴロゴロとトレーの上にサーリャの戦果である魔核が次々と転がっていく。驚愕に目を見開きながら固まる二人にサーリャは堂々と言い放った。

「これで文句ありませんよね?」



 トレーの上に出された魔核の一つをヘルトは震える手で手に取った。

「まさか……本当に?いや、確かにこの魔核は……」

 ヘルトはぶつぶつ言いながら魔核をじっくりと確認している。一つ一つ確認していたヘルトだったが、最後の一つ——中でもひときわ大きい魔核を手に取ったヘルトは目玉が飛び出るのではないかと思うほどに目を見開いた。

「そんな⁉信じられない!」

「ヘルト教授!その魔核がどうしたのですか!」

「これはただのハイロウウルフの魔核ではない。ハイロウウルフの中でもひときわ強力な個体である変異種の魔核だ。この個体を相手にする際は騎士団を派遣しなければ討伐は不可能なはず」

「「えーー⁉」」

 ヘルトの言葉にキリアンだけでなく討伐したサーリャも驚きの声を上げた。確かにこれまで相手してきた魔獣の中ではトップクラスの強さだったが、まさかそこまでの強さだとは知らなかった。

(よく私生き残れたわね……)

「嘘だ‼彼女にそんな実力などあるはずがない!いったいこの一か月何をしていたんだ」

 目の前の事実が信じられないのかキリアンが喚いており、ヘルトも同じ意見なのだろう。説明を求めるかのように疑惑の視線をサーリャに向けている。

 だからサーリャはこの一か月現地で知り合った人の特訓を受けていたことを二人に説明した。

「説明したとおり私は現地で特訓を受けた後に課題に挑戦しました。当然ですがハイロウウルフ討伐の際には同行者はおらず私一人で、手助けなどを受けておりません。必要ならば魔法による審問も受けるつもりです。それでどうなのですか?私は課題達成なのでしょうか?」

「あ、あぁ。結論から言うと文句なしに合格だ。それどころかこのまま騎士団入隊への推薦もできるほどだ」

 食い気味にヘルトに詰め寄ると圧されながらもサーリャが聞きたかった答えを聞くことができてホッと胸を撫で下ろした。これで問題なく騎士になることができる。

 用が済んだので退室しようとしたサーリャの隣からすぐさま反論の声が上がった。

「そんなことがあってたまるか!教授、サーリャ・ブロリアスは虚偽の報告をしています。彼女をこのまま騎士にさせるのは反対です」

「しかしキリアン・オルランド。彼女はこうして魔核を持ち帰っている。しかも四つの内一つは変異種の魔核だ。これだけの成果を出していながら彼女を不合格にすれば、この先ほとんどの者が不合格扱いになってしまう。それに魔法による審問も受けると言っているのだから、ここで虚偽の報告をしていてもすぐにバレるのは明白だ」

 魔法を用いた審問では決して嘘を吐くことができない。魔法に対する抵抗を一切無くし、半ば催眠に近い状態で行われる為いかに実力がある者でもその状態で虚偽報告をすることなどできない。

 不正防止のために審問の際は複数人の立ち合いが必要となり、許可なく審問を行使すれば残りの人生を牢獄で過ごすことになるほど厳しく管理されている。これは騎士学校に通う者なら必ず学んでいる内容である。もちろんキリアンも例外ではない。

「それは……そうなのですが。いや、ですが……」

 自分が理屈の通らないことを言っているのだと自覚があるのだろう。それでも何か言わずにはいられないのか視線を彷徨わせながら口をパクパクと動かしている。

 これ以上この場にいる必要は無いだろう。「失礼します」とサーリャはヘルトに一礼して退室しようと扉に向かって歩き始める。この後は特に予定は無いので何をしようかと考えていたサーリャの耳にそれは聞こえてきた。

「やっぱり信じられない。きっと審問を潜り抜ける技でも教えてもらったんだろう。その人物はとんだペテン師だ」

 サーリャの中で時間が止まったように感じた。ドアノブに手をかけようとした姿勢のまま凍り付いたようにピタリと動きが止まる。たった今、サーリャにとって聞き逃すことのできない言葉が聞こえた気がする。

「……ちょっと待ちなさい」

 姿勢はそのままで振り返ることなくサーリャは口を開く。自分の口からこれまで出したことも無いゾッとするような低い声が出てくる。

「今、なんと言いました?」

 サーリャの雰囲気が劇的に変化したことに真っ先に気づいたヘルトは慌ててキリアンを止めようと口を開こうとするが、「教授は黙っていてください」とその言葉を封じる。

 キリアン派と言えば自分の発言が火薬庫に炎弾を撃ち込むほどの暴挙だと気がつかずさらに言葉を重ねる。

「図星だったかな?君を指導した奴はペテン師だと——」

「撤回しなさい」

「なに?」

「私のことを何と言おうと構いません。それでもあの人のことを侮辱するのは私が許しません!今すぐ撤回しなさい‼」

 怒りの感情に染まったサーリャは鋭い目つきでキリアンを睨みつける。あまりにも感情が高ぶりすぎて魔力が漏れ出し、サーリャの周囲の空間が悲鳴を上げるように軋む。

 サーリャはこれまで感じたことの無いほどの怒りで理性を失いそうになっていた。ルインがペテン師?その発言は決してサーリャの中で許されるものではない。ルインは落ちこぼれ同然のサーリャに対して見下すような態度をとらず、正面からサーリャと向き合ってくれた。ルインには感謝してもしきれない。

 これ以上侮辱されたなら思わず剣を抜いてしまいそうだ。

「な、ならこの私と一騎打ちをしろ。魔核をそれだけ回収できたのならそれだけの実力があるのだろう?」

 初めて見るサーリャの激情に圧されたキリアンは掠れる声で挑発をしてきた。キリアンからの提案に対する答えはすでに決まっている。

「受けて立ちます」



 騎士学校内にある訓練場。訓練場となってはいるが模擬戦も行われることもあるので周囲を囲むように観覧席が設置されている。その観覧席は満席状態となっており、今から始まる戦いを見ようと多くの生徒で賑わっていた。

「それではこれよりキリアン・オルランドとサーリャ・ブロリアスの模擬戦を執り行う。この模擬戦の審判は私、ヘルト・オズモンドが務める」

 ヘルトが落ち着いた声で説明を続ける。

「攻撃手段の制限は無し。武器と魔法の両方を使用してもらって構わない。相手を殺傷させるような行為は厳禁で相手を降参、もしくは私が決着したと判断すればそこで模擬戦は終了とする。二人とも異論は無いな?」

 サーリャとキリアンは同意するように頷く。同意が得られたことでお互いがそれぞれ所定の位置へ移動する。

 会場が静まり返り、これから始まる戦い開始の合図を待つ。サーリャは鞘から剣を抜き、いつでも動ける状態のまま合図を待つ。

 それほど待たずにヘルトから訓練場全体に聞こえるような大きな声で宣言が発せられた。

「それでは、始め‼」



「先手は貰ったぞ!」

 合図が出されると同時にキリアンはすぐさま魔法を発動させようと動いた。素早く詠唱を済ませサーリャに向かって風魔法のエアカッターを放つ。風の刃がサーリャを切り裂こうと飛んでいく。

 サーリャは迎撃するつもりなのか腕を突き出して魔力が集まっていくのをキリアンは感じた。しかし、途中でなぜかハッとした表情になり腕を引っ込めた。制御も手放したのか集まっていた魔力も行き場を失って小さな破裂音とともに魔力が弾けた——明らかに不発だ。

 迎撃に失敗したサーリャは慌ててその場から身を投げ出すように離れこちらの魔法を避ける。

(なんだあの姿は。偉そうに大口を叩いておきながら、結局は魔法を使えていないではないか)

無様に転がったサーリャを見たキリアンは自分の主張が正しかったのだと確信した。今更彼女が言い訳をしてきてももう遅い。二度と生意気な口をきけないように多少痛めつける必要がある。

「ほらほら!休んでいる暇は無いぞ!」

 接近されなければ恐れる必要は無い。キリアンは一方的な戦況にするべく追加の詠唱を始めた。



 サーリャとキリアンの模擬戦が行われる中、観覧席のあちこちでは笑いが起こっていた。

「おい、なんだよあれ」

「必死に逃げ回っていて情けな~い」

「アレでよく模擬戦を受けるって決めたな」

 見下ろす先で必死に逃げ回るサーリャの姿に誰もが見下すような視線と言葉を投げかけている。誰もがこの模擬戦の結果がどうなるのか予想できてしまっている。

 そんな中、目の前の戦闘にまったく別の感想を持つ者がいた。ある程度の実力を持ち、噂や評判に左右されず冷静に、そして客観的に状況を見極めることができる者だ。

「おい……どうなってるんだよ」

 一人の生徒が困惑しながらぽつりと呟いた。しかしその言葉に反応する者は誰もいない。周りでその言葉を聞いていた生徒も同じ意見で、誰もその問いに対する答えを持っていないからだ。

 だからこそ彼らからすると目の前の光景は違和感だらけで、疑問しか浮かんでこない。

「どうして彼女は詠唱していないのに魔法が発動しそうになっているんだよ」



(信じられない)

 キリアンの魔法を避けるために走り回っているサーリャは自分の魔法を振り返っていた。実際に経験していながら何かの間違いだったのではと思ってしまう。

(まさかここまで魔力を集めるのが〝簡単〟過ぎるなんて)

 そう。あまりにもこの場に満ちている魔力が軽すぎるのだ。緊張から魔力を集める際に少し気合が入りすぎていたにしても、明らかに集め過ぎだった。あれでは——

(あのまま撃って爆殺させないで本当に良かったわ)

 サーリャは冷や汗をかきながら内心ホッとした。ルクドの大森林と言う特殊な環境に慣れ過ぎたせいで、同じ感覚で使おうとしていた。大森林を出てから一度も魔法を使っていなかったせいで本来の魔力の重さをすっかり忘れていた。

 開始早々へまをやらかしたサーリャだがもう問題ない。逃げ回っている間に魔力の重さは再確認できた。

「行くわよ‼」

 攻めに転じるため、サーリャは走るのを止めてその場でキリアンに向き直る。遠くでキリアンが立ち止まったサーリャを見て笑い声をあげる。

「とうとう諦めたか。ならばこれで終わらせてやるぞ!」

 勝利を確信したキリアンから先程よりも大きな風の刃が放たれてこちらに迫ってくるが、サーリャはその場から動かない。静かに腕を上げたサーリャは即座にキリアンと同じ風魔法を展開して迎撃する。互いの攻撃魔法が正面からぶつかり、相殺される。

「……はっ?」

 何が起こったのかわからずキリアンが間抜けな声を上げる中、サーリャの周囲にはいくつもの魔方陣が展開される。

「詠唱で防げるのならば防いでみなさい。それができないなら——」

 魔方陣が一層輝きを増す。

「必死に逃げ回りなさい」

 いくつもの攻撃魔法がキリアンに向かって殺到した。



 訓練場はまさに戦場と化した。爆発音が絶え間なく周囲に響き渡り、何度も地面が吹き飛び大穴を開けていく。

 そんな中サーリャは容赦なく魔法を叩きこんでいく。中途半端に手を抜くようなことはせず反撃の隙など一切与えない。サーリャが放っているのは火炎魔法のボルクだ。直撃すればもちろんただでは済まない。

「ひいいい!」

 絶えず放たれ続ける魔法をキリアンは情けない声をあげながら必死に逃げ回っている。サーリャは時にキリアンを追い立て、時に進路を妨害するように魔法を撃ち込む。ルール違反で負けたくないので威力は抑えているが、それでも脅威だ。逃げ回るキリアンの顔は恐怖で引き攣っている。

「もう終わらせましょうか」

 サーリャは淡々とした表情で目の前の光景を見ていた。長々と相手をいたぶる趣味は無い。これまでの魔法による一方的な展開はこれまでの扱いに対するサーリャなりの仕返しだ。ここからは自分らしい戦いで勝負を決める。

 展開していた魔法を解除し、サーリャは剣を握りしめてキリアンに向かって駆け出す。撃ち込まれる魔法が無くなったことでキリアンから反撃の魔法が飛んでくるが、サーリャは最小限の動きで避けていき、邪魔になる魔法のいくつかは剣で切り払い決して速度を緩めない。

「来るな!来るなぁ!」

 キリアンは相変わらず魔法に固執してサーリャの動きを止めようとしてくるが、ここまで接近しているならば剣で対処する方が早い。

 肉薄したサーリャの斬撃をキリアンは間一髪で受け止める。互いの剣がぶつかり合い金属音が響き渡る。そのまま連続でサーリャはキリアンに斬りかかるが流石成績上位者。かろうじてサーリャの決定打を捌いている。

「何故だ!お前は何もできない不適格な存在だろう。そんな奴になぜ俺が!」

 剣を互いに打ち合わせた状態のままキリアンが喚く。

 「確かに私は落ちこぼれだったわ。魔法をまともに使えなくて、誇れるのは剣の腕だけ。あの時のままなら私は騎士になることなんてできなかったでしょうね」

「だったら——」

「それでも私は諦めなかった!」

「っ!」

 サーリャの言葉にキリアンは何も言えなくなる。

「あなた達から馬鹿にされて味方が誰一人いなくても、諦めず努力を重ね続けたの。その結果、彼と出会うことができた」

 もしもサーリャが早々に騎士を目指すのを諦めていればルインと出会うことは無かっただろう。藁にも縋る想いで彼に助力を乞い、無詠唱という新しい力を奇跡的に得ることができた。

「あの人がいたから私は騎士になることができるの。私にとっては感謝してもしきれないほどの恩人よ。そんな人を悪く言う権利はあなたには——無い‼」

 サーリャは感情を乗せるように思いっきり剣を振り抜いた。


 ギィン


 キリアンの剣が弾き飛ばされ、回転しながら少し離れた地面に突き刺さる。思わず後ろによろめくキリアンの喉元にサーシャは剣を突きつけた。

「そこまで!勝者、サーリャ・ブロリアス」

 ヘルトから模擬戦終了の合図が出たことで、サーリャはゆっくりと剣を下ろし鞘に戻した。歓声は一切無い。模擬戦開始前とは真逆の静寂が訓練場を満たしている。観覧席に目を向ければ多くの目がサーリャに向けられている。その目に宿るのは戸惑いや恐怖など理解できないものを見るかのような感情で、決してサーリャに対して好意的なものではない。

(これが今までルインに向けられていたものなのね)

 ルインも同じような経験をしたのだろう。今度はサーリャにその番が回ってきたのだ。気分のいいものではないが、それでも後悔など無い。それも併せて受け入れると決めたのはサーリャ自身だ。

 サーリャは何も言わずに黙って訓練場を後にした。



 サーリャが去った後の訓練場。先程までの静寂はすぐさま破られ、観覧席では模擬戦を見届けていた生徒が周囲の者達に思っていたことを口にしていた。

「おい、本当にあいつが勝ってしまったぞ」

「魔法が使えないんじゃなかったのかよ」

「詠唱なしでどうやって魔法が使えるんだ?」

「それよりもあれだけの魔法を撃てるって、彼女はどれだけ保有魔力があるんだ」

 話題に上がるのは知らない技術を使用したサーリャのことばかりで、キリアンに対する感想はほとんど出てこない。そんな中、訓練場に残されたキリアンは俯きながら突っ立っていることしかできなかった。



 ルイリアス王国の王城。王都の中心に位置し、これまであらゆる敵の侵入を許したことの無いその堅牢さは内外に広く知れ渡っており、王国民の誇れることの一つだ。

 そんな王城内は他国からの要人を招くこともあることから手入れが隅々まで行き届いており、高名な画家が描いた絵や一級品の工芸品などには埃一つ無い。そんな王城内の通路を一人の女性が歩いていた。

 キリっとした顔立ちで騎士団の制服に身を包んでいる彼女が歩くたびに後ろで一つにまとめたオフゴールドの髪が揺れる。コツコツと靴音が歩くたびに広い廊下に響き渡るだけで彼女以外周囲には誰もいない。時折すれ違う王城勤めの人間は彼女を見ると誰もが道を開け、敬意を示すように頭を下げる。

 一般人では早々に立ち入れるはずのない王城内を女性は迷いなく歩いていく。やがて扉の前に衛兵が控えている一際厳重そうな部屋の前にやって来ると、衛兵が静かに扉を開けて入室を許可する。

 中は部屋というよりホールと言って差し支えないほどの広さを有しており、女性は入室すると部屋の真ん中あたりまで進み膝をついて頭を垂れた。

「陛下。ミラン・リルコット、ただ今帰還しました」

「うむ。よく戻ってくれた。面を上げよ」

 威厳に満ちた声が頭を下げたミランに掛けられ、その言葉に従いミランは頭を上げた。視線の先には二人の人物がミランを見下ろしていた。一人はこの国の王であるルシャーナ・ヘルオンス。もう一人はその王の右腕で宰相の地位を任されているクレスだ。

「そなたの活躍は聞き及んでいるぞ。各地で素晴らしい功績を挙げているそうではないか」

「……そのようなことはございません。私は自分の手の届く範囲でしか人々を守ることができません」

「それでもその積み重ねで多くの民が救われているのだ。その事実は変わることが無い故、卑下せずに誇っても良い」

「勿体なき言葉でございます」

 王からの称賛を受け取りながらもミランはこれまでの活動の報告を詳細に報告する。王城から安易に離れることのできない王に変わって王国各地の情報を届けるのもミランの仕事だ。

 黙ってミランの報告を聞いていたルシャーナだが、あらかた報告をし終えたと判断すると満足そうに頷く。

「報告ご苦労であった。そなたの報告は変に飾ったり、嘘偽り無くありのままを伝えてくれるから実に分かりやすい。さすがは我が国の英雄であるな」

「お待ちください陛下」

 ルシャーナの言葉を遮るような形でミランは口を開いた。本来なら王の言葉を遮るなど言語道断だが、それでもミランは口を挟まずにはいられなかった。

「私は英雄などと呼ばれる資格などありません。国の立場上、他の者の目がある場所では仕方ありませんが、この場でその呼び方はおやめください」

 ミランの言葉にルシャーナは気分を害した様子は無く、逆に悲しげに視線を落とした。ミランが何を言っているのか理解したためだ。

「……やはりおぬしはまだ探しておるのか」

 ミランは黙って静かに頷くことで返事を返す。

「私は大罪人です。間違った正義を振りかざし、王国のことを真に思っていた者へ剣を向けてしまいました」

「待て。その件に関してはすでに言ったであろう。手を下したのはおぬしであるが、最終的にその決定を下したのはわしだ。おぬしはただ従っただけで真に責められるのはこのわしだ」

「しかし……」

「これ以上の問答は不要だ。この件はここまでとする。良いな?」

 王からそこまで言われてしまえばミランは何も言えない。ある程度の発言は許されているが、これ以上の反発は不敬になる。悔しさを滲ませながらも「わかりました」と引き下がった。

「おぬしを呼び戻したのはこの話をするためではない……封印が破られる兆候を確認したのだ」

「っ!その兆候を確認したのはいつなのですか?」

 先程までの暗い雰囲気などすぐさま消え去りミランの表情が引き締まる。話の内容がどれだけ重要なのか理解しているためだ。

 「確認されたのは五日前です。当時監視をしていた者が封印の一部に亀裂が入っているのを確認し、騎士団が緊急招集されました。そのまま破られるのかと思ったのですが、徐々に亀裂は自動修復されていき一旦状況は落ち着いたという状況です」

 クレスからの説明を聞きながらミランは眉を寄せながら考え込んだ。状況を聞く限りではあまり時間が残されていないようで、決して楽観視はできない。

 王国は一度魔獣達によって甚大な被害を出した過去がある。魔獣大量発生の兆候を見逃し放置してしまった影響でそれらが一挙として王都に進行してくるという事態があったのだ。当時動員できる騎士が総員で対応に当たったがそれでも数の暴力に圧し負けてしまい、このままでは王都内に侵入を許してしまうという状況にまでなった際に王であるルシャーナはある決断を下した、


 都市一つを囮とした魔獣の封印


 進行を止めなければならないが戦力が圧倒的に足りていない。今は無理でも戦力が整えばいつか対抗できる。苦渋の決断ではあったが、すでに住民は避難済みで他に案は出なかったことですぐさま採決された。

 封印によって滅亡を免れた王国はそれからというもの戦力増強を図ってきたが、いくら当時と比べて魔法技術が発展した今でも封印の中がどうなっているのか確認できない以上勝てるのかどうかはミランでもわからない。

「すぐさま動ける騎士全員を集める必要があるかと思います」

「うむ。わしも同じ結論に至った故にすぐさま命令を出した。数日の内にこの王都に集結するであろうが、最低限の戦力は残さなければならない以上戦力不足なのは否めん。だからこそおぬしを呼び戻した。必要な人材や物資はこちらで用意するので部隊の編成・指揮権の采配はおぬしに任せる」

「わかりました。すぐさま行動を始めたいと思います」

 ミランは挨拶もそこそこに早足で部屋を後にした。



 国のトップ二人だけとなった玉座の間。ミランが出て行った扉を見ながらルシャーナは隣にいる信頼できる人物に声をかけた。

「クレス。おぬしは今回の件をどう見る?」

「……正直に申し上げるなら厳しいと言わざるを得ません。各地の魔獣被害を無視するわけにもいきませんから、今回動員できる戦力は全体の六割程度でしょう」

「やはりそうか」

 ルシャーナは疲れたように溜息を漏らした。クレスがその結果を導き出したのなら、おそらくミランも同じ考えに行きついているだろう。玉座に座っている自分の身体がなんだか重く感じる。

「幸いにも数日前に騎士学校を卒業した者が一定数います。その者達も動員すれば少しは戦力になるかと思います。在学中にある程度は魔獣との戦闘も経験していますし、今年の卒業生は例年に比べて実力が高いようです」

「騎士になったばかりの者達を戦場に送るのか……」

 いくら実力が高くてもそれは騎士学校という枠組みの中での話だ。おそらく実践に出れば少なくない被害が出るだろう。

 彼らも大切な王国民だ。まるで道具のように使い潰すようなことはしたくないが、それでも彼らの力を頼らなければ状況はさらに悪くなる。選択肢が残されていないことにルシャーナは身を切られるかのような思いになり、思わず胸に手を当てる。

「そう考えると〝英雄〟がどれほど大切な存在だったのか今更ながらに思い知らされますね。今こそその力が必要だと言うのに……」

「……」

 本人はその意図は無いのだろうが、まるで責められているかのような発言にルシャーナはクレスの言葉に何も言い返すことができない。クレスの言う〝英雄〟が誰を指しているのか理解しているからだ——その者がどうなったのかも。

「ミランは未だ探しておるのか?」

「彼女の行動範囲から考えればそうなのでしょう。諦めたくないのでしょうね。死んだと報告していながらもどこかで生きていると信じたい気持ちがあるのでしょう……気持ちはわからなくもありませんがね」

 ミランはかつての魔獣大氾濫で目覚ましい戦果を挙げている。貴族としての立場も与えられ、王都で優雅に過ごすこともできるはずなのに未だ騎士としての立場にとどまっている。

 しかもわざわざ人の少ない辺境の地ばかりを優先的に訪れていることから彼女の目的は明らかだ。そして生きていることを諦め切れない者はミランともう一人いる。

「娘は今どこにいるのだ」

「報告では北方の山岳地帯にいるそうです。一応連絡はしておりますが、距離的にこちらに戻ってくるのは不可能かと思います」

「あやつの事だ。たとえ近くにいたとしてもわしの言葉など聞き入れぬだろうよ」

 ルシャーナは悲しげに眉を落とす。ルシャーナには娘が一人いるが、その関係は修復不可能と言えるまでに冷え切っている。

 娘はかつての英雄から手ほどきを受け、忙しいルシャーナに変わって娘の良き話し相手になってくれていた。王族という立場上年の近い友人が少なかった娘は英雄に懐いていたのだが、その人物を父親が討つように命じ、そして討たれた。

 娘がどのような反応を示すかなど明らかだ。

 娘も相当な実力を持っているのだが、間に合わないのならば仕方ない。

「今度こそ我らは生き残ることができるのか試されるのであろうな」

 先の見えない不安の中、ルシャーナはそう言うことしかできないのであった。



 その日の夜、ミランは行きつけのバーで突っ伏していた。別に酔いつぶれたわけでは無い。心境的には酔いつぶれたいが、残念ながら酒に強いミランはそんなことにはならない。普段の彼女からは想像できないほどのだらしなさだが、店内には今のところミランしかいない。

 空になったカクテルグラスの縁を指先でなぞりながらミランは物思いに耽る。

「……何が英雄よ。私にそんな資格なんて無いのに……」

 思わずミランの口から愚痴がこぼれる。

「ねぇマスター。ちょっと聞きたいことがあるのだけどいいかしら?」

 頭だけを動かしカウンターにいる男性に声をかけた。老齢であるマスターは周囲から英雄ともてはやされているミランであっても客の一人としか見ず、特別扱いしたりしない。

 洗い終えたばかりのカクテルグラスを拭いていたマスターは「なんでしょうか?」と動かしていた手を止めた。

「自分が正しいと思って行動したことが実は間違っていて、そのせいで取り返しのつかないほど相手を傷つけてしまったとしたらマスターならどうするのかしら?」

「傷つけた……ですか。相手の方には謝罪はされたのですか?」

「もうその人には会えないの」

 ミランの言葉から何かを察したのか、「そうですか」と相槌をうった後、顎に手を当ててしばらくマスターは考え込んだ。

「もしかするとあなたはまた同じように誰かを傷つけるかもしれないと考えているのですか?だからご自分の行動に自信が持てず迷っていると」

「……驚いたわ。まさかそこまで言い当てられるなんてね」

 悩みを言い当てられたことにミランは自虐的な笑みを浮かべる。

 あの日、間違った正義のもとに親しかった相手を手に掛けたことはミランの中で消えることの無い傷として残っている。

 今でもあの時のことははっきりと覚えている。自分の放った魔法が相手の身体を確実に貫いたことを。怒り・絶望・諦め。いくつもの感情が混ざり合いながら力なく谷底に落ちていくその様子も……

 魔獣を狩るだけなら特に気にするようなことではないが、時には人を相手にすることも少なくは無い。その時自分はいつも通り剣を振るえるのだろうか。もしかしたら間違っているのは自分ではないのか?そう考えるといったい何を信じて自分は戦っていけばいいのだろう。

「あくまでも私個人としての意見ですが、そんな悩みなど捨ておきなさい」

 しかし目の前の男性はそんなミランの悩みをバッサリと切り捨てた。

「なっ⁉」

「誰にだって間違いはあります。一度も間違えることなく生きていくことなどできません。大切なのはその間違いを次に活かせるかどうかでしょう?間違えることに怯え、その経験を活かせないようでは傷つけた相手にも失礼です」

「それはマスターも経験があるのかしら?」

「もちろんです。私の未熟さが原因でせっかく来ていただいたお客様を不快にさせてしまったことが何度もあります。その経験を私は決して無駄にせず活かすことで今の私があるのです」

 ミランは自然と突っ伏していた体を起こしてマスターの真剣な言葉に耳を傾けていた。頬を張られたような衝撃がミランの頭に響く。

騎士は相手と命の奪い合いをする仕事である。そこには相応の覚悟が必要となり、中途半端な気持ちではいられない。これまで自分の事ばかりに意識を向けてしまい大切なことを見失ってしまっていた。

「少し説教っぽくなってしまいましたね。すみません」

「いいえ。助言ありがとうございます」

 ミランは心からの感謝をマスターに伝えた。その顔は店に入って来た時の暗さなどすっかり無くなり、吹っ切れたように明るくなっていた。



 ミランがバーで飲んでいる頃、遠く離れた森の中にポツンとある一軒家では騒がしい声が響いていた。

「ちょっとルイン!なんて格好をしているのよ⁉」

「着替えを持って行くのを忘れたんだ。仕方ないだろう」

「だからって裸でうろつかないでよ!」

 入浴を終えたばかりで髪が濡れたままのルインは腰にタオルを巻きつけただけの姿だ。顔を真っ赤にしながら横を向くサーリャだが、目はちらちらとルインの方に向けられその裸体が何度も視界に入る。

「……俺は気にしないが?」

「私が気にするの‼いいから早く服を着てよ!」

「仕方ないな」

 ぶつぶつと文句を言いながらも部屋に向かおうとしていたルインをこっそりと見ていたサーリャはあるものを見つけた。

「ちょっと待ってルイン。その傷はどうしたの?」

「傷?」

「ほら、左肩のところ」

 サーリャは自分の左肩を指さしながらルインに場所を教える。ルインの左肩——少し胸寄りの辺りに火傷の痕があった。火傷の痕と言っても火傷にしては範囲が狭く、サーリャが手を広げれば隠れそうなぐらいだ。場所的にここまで限定的な範囲になるのは珍しい。まるで魔法で撃ち抜かれたかのような傷痕だ。

「あぁ。これは俺の甘さが招いた結果だな」

 ルインはサーリャが示した火傷をそっと触れる。

「甘さ?」

 ルインの言っている意味が分からずサーリャは首を傾げる。

「これは俺が傷つけたくないなどと甘い考えで躊躇った果てに〝敵〟から受けた傷だからな」



 捨てられた都市——ルルミラ。

 多くの魔獣を閉じ込めるこの都市は常に霧に覆われているため、日中であっても不気味なほどに薄暗い。巡回する騎士以外誰も足を踏み入れないルルミラで変化があった。


 ビシッ


都市をすっぽりと覆うドーム状の障壁の一部に亀裂が走った。最初に入った亀裂を中心にして周囲にどんどん広がっていき、やがて障壁をぶち破って何かが内側から飛び出てきた。

 それは人など簡単にへし折れるのではないかと思えるほどの太く巨大な腕だった。太い腕は全体が黒い体毛に覆われており、明らかに獣の特徴を備えている。

 突き破ってきた腕は上下左右でたらめに動かし、開けた穴をどんどん広げていく。徐々に穴が広がっていく中とうとう限界が訪れ、まるでグラスが割れたかのような甲高い音を立てて障壁が割れ、割れた場所から連鎖的に広がって都市を覆う障壁全てが砕け散った。

 割れた障壁は光の粒子へと変わっていきまるで雪のようにゆっくりと落ちてくる中、役目を果たした腕はゆっくりと腕を戻していく。

 腕の主はゆっくりと障壁があった場所に向かって一歩を踏み出した。これまで忌々しい障壁に阻まれて先へと進むことができなかったが、今は違う。周りにいた魔獣達もつられるように一体、また一体と動きだしていく。

 もはや自分たちは自由だ。これからは好きに生きていけるが、やるべきことがある。自分達を長い間この地に縛り付けた存在に復讐をしなければ。

 魔獣達は鋭敏になった感覚で憎むべき存在が多くいるであろう方向に向かって進み始める——その先にあるものをすべて壊すために。

 災厄がとうとう動き始めた。



「すみません。依頼達成の手続きと回収した魔核の買取もお願いします」

「わかりました。手続きをしてきますのでしばらくお待ちください」

 依頼書を受付に渡したサーリャは鑑定が終わるまでの間、受付カウンターにもたれかかりながら待っていた。

 騎士になってもうすぐ一か月になろうとしている。サーリャは積極的に依頼をこなし続けていた。報酬額は気にせず解決できそうな依頼であれば小さな村にでも赴く。一つ一つの利益は僅かだ、達成量が多いので生活に困るようなことには今のところなっていない。

「そういえば今日はルインの家に行く日だったわね」

 特別課題を終えた日からサーリャは月に数回、無詠唱魔法の指導を受けるためにルインのもとを訪れている。壁に掛かっていたカレンダーを見て今日がその日だとすっかり忘れていた。

(今日の夕食はどうしようかしら。相変わらずルインって一人の時はパスタしか食べないわよね。毎日食べているのによく飽きないわね)

 必要なら何か買っていこうかと考えていたところで背後から声がかかった。

「お待たせしました。無事に手続きが終わりましたので報酬をお受け取りください。魔核の買取金額も一緒にまとめておきました」

「ありがとうございます。それじゃあ私はこれで——」

「ああ、ちょっと待ってください。今日はサーリャさんにお客様がいらしてます。別室に案内しますのでついて来てください」

「はぁ……いいですよ」

 相手に心当たりがないサーリャは首を傾げながらも相手の待つ部屋まで移動し、扉に手をかけた。



 ルインはいつものようにリビングで魔法研究のため分厚い本を片手に思いついたことを手元の紙に書き込んでいく。他人が見れば落書きにしか見えないこともルインにとっては貴重な情報となっており、どんな理由で書き記したのかもすぐさま思い出すことができる。

 しかし、今日は普段よりも集中できないでいた。体調が悪いわけでは無い。なぜ集中できないのか理由は分かりきっている。ルインはその原因に目を向けた。

「ルイン、食器って他には無いの?できれば深みのあるお皿がいいのだけど」

「それなら食糧庫の扉前にある箱を開けてみろ。使っていない予備の皿がいくつかあったはずだ」

「……ホントだわ。ありがとう。ついでにお鍋もどこにあるか教えて欲しいのだけど」

 こんな調子でサーリャは訪ねて来るなり、いつもの魔法の特訓をするわけでもなくキッチンを占領し、設備をフル稼働させながら忙しそうに料理を作り続けている。いったい何人分作るつもりなのだろうか。

 魔法の特訓をしないのならばルインも好きにさせてもらおうと思っていたが、こう何度も呼ばれては進むものも進まない。

「ルイン~。ちょっと手伝ってほしいのだけどー!」

 再びサーリャから声がかかり、ルインは自分の作業を進めることを諦め仕方なく本を閉じた。



 夕食の時間。ルインは目の前に並べられた料理に圧倒されていた。

「今日はいつもにも増して量が多いな」

「そうかしら?いつもと同じくらいだと思っていたわ」

「これが普段の食事量ならサーリャの食事量はとんでもないことになるぞ」

 サーリャは特に気にした風でもなく首を傾げる。

 ルインは別に小食ではないと自分では思っている。人並みには食べるし、日によっては普段よりも食事量が多くなることもあるが、あくまでも一人分の枠組みの中で納まっている。

 しかし今目の前には山盛りのサラダやスープ、香りのある薬草と一緒に焼かれた肉料理などがテーブルの上に隙間なく並べられており、明らかに二人で食べきれる量ではない。

「安心して。食べきれなくても小分けにしておけば明日でも食べられるわ。保存魔法のかかっているあの部屋なら傷む心配もないしね」

「まぁ、確かにそうだな」

「ほら、早く食べましょう。是非とも感想を聞かせて欲しいわ」

 どうやら新作を作っていたらしい。妙にうきうきしたサーリャに促される形でルインは席に着くのであった。



 夕食を終えた二人は食後のお茶を堪能していた。もちろん食べきれなかった分は小分けにしたうえで食糧庫にしまってある。

「それでどうだった?香草焼きって私初めての料理だったのだけど」

 キラキラと期待する眼差しでこちらを見てくるサーリャにルインは少し居心地悪そうに身じろぎする。

「……そうだな。味付けに関しては何も言うことは無いな。少し香りが強いのが気になったからもう少し量を減らしてもいいかもしれないな。……それでも美味しかったな」

「ふふっ。良かったわ。あっ!そういえば言い忘れていたけど、私しばらくこっちに来れそうにないからある程度作り置きをしておいたわ」

 ルインからの感想に満足気だったサーリャは突如思い出したかのように目の前でポンッと手を合わせた。ルインは口元に運んでいたカップを一度離す。

「ほう。騎士の仕事か」

「そうなの。ちょっと王都から離れた場所に向かうことになるから、またここに来られるのがいつになるのかわからないの。料理は食糧庫に運んであるわ」

 ルインは確認のつもりで食糧庫へと向かう間もサーリャの説明が背後から続く。

「どうせルインのことだから私がいないとパスタばかりでしょ?だから少しでもバランスのある食事を用意しておいたわ。私の配慮に感謝しなさいよね!」

「それはそれは。料理人のサーリャ殿には感謝しなければならないな」

 軽口を返しながら扉に手をかけたルインはそのまま中に入ってサーリャの言う料理を確認した。

「……」

 黙って料理の数々を確認したルインは一通り確認すると再びサーリャのいるリビングに戻ってきた。リビングでお茶を飲みながらサーリャは誇らしそうな表情でルインを見ている。

「どう?かなり作りすぎちゃったけどバリエーションは豊富でしょ?あれだけあれば毎日飽きずに食べられるでしょ」

「あぁ。確かにバリエーションは豊かだったな。あれだけの種類があるなら確かに飽きることは無いとわかる」

 ホッとした表情を見せ胸に手を当てるサーリャにルインはさらに言葉をつづけた。

「ここに戻って来れないこともな」

 不気味なほどの静寂が二人を包み込んだ。サーリャは胸に手を当てたままの状態で固まっている。

「い、いや~何を言っているのよ。言ったでしょう?しばらく来ることができないから作り置きをしたって」

「ただの作り置きなら料理を作るだけで済む話だろう。ならば何故すべての料理にレシピが一緒に添えられている?」

「っ!」

「そもそも今日のサーリャはどこか違和感があった。家に来るなり特訓そっちのけで料理に没頭していた。普段よりも明るく振舞おうとしていたのもバレバレだ」

 ルインはサーリャの態度の変化には気づいていたが、てっきり無詠唱を使うサーリャへの当たりが強くなった影響程度だと考えていた。しかし、まるで会うのが最後だと言わんばかりの今日の行動は無視するわけにはいかない。

「いったい何があったんだ?」

「ははは……ルインに隠し事はすぐにバレちゃうわね」

 乾いた笑い声とともに俯くサーリャにルインは何も言わず、彼女が自ら話し始めるのを待つ。しばらく無言が続いた後ようやくサーリャが口を開いた。

「ルインってさ……ルルミラって知っているかしら」

「ああ。たしか、かつてあった魔獣の大氾濫の際に倒しきれなかった魔獣達を封印した都市の名だな」

「実はね、その封印が破られたらしいの。封印を破った魔獣達は王都を目指していて迎撃のために騎士全員に召集がかかったわ。……もちろん私にも」

 俯いていて表情は見えないが、沈んだ声からサーリャの心境が分かる。

「無詠唱で魔法が使えるし実戦経験も特別課題の結果で一定の基準を満たしているから最前線とまではいかないけど、それなりの激戦区へ配置されるみたいなの」

 更にサーリャの話を聞いていくと相手の規模が大きく、ほぼ総力戦になるらしい。王都とルルミラとの間に存在する平原を戦場と定め、迎え撃つようだ。

(それにしてもまさか無詠唱の影響がこんな形で返って来るとはな……)

 ルインはタイミングの悪さに嘆きたい気分になる。無詠唱は周囲から異質な存在として認識されているから下手なちょっかいはされないと思っていた。だからこそこれまでサーリャは自由に動くことができていたのだが、まさか無詠唱が使えることで逆に戦力として数えられるとはルインも想定していなかった。無詠唱が使えなくても戦力として数に入れられることには変わりは無いのかもしれないが。

「意味の無い質問だとは思うが、逃げるつもりはないんだな?」

 幸いにもルルミラの軍勢が目指しているのは王国だ。他国へ逃げればまだ生き残れるチャンスはあるだろう。ルインの言葉にサーリャは静かに首を横に振る。

「騎士になったからにはここで逃げるわけにはいかないわ。守れる人になるために私はこれまで頑張ってきたから」

 サーリャは覚悟を決めた表情で真っ直ぐルインを見返す。自分の選んだ道に後悔は無いのだろう。

「あ、そろそろ帰らないと!それじゃあ今までありがとうね。こんな私を騎士にしてくれたことは決して忘れないわ」

 ルインが何かを言うよりも前にサーリャは早口で言いたいことを言うと、慌ただしく出て行ってしまった。

「……最後まで騒がしい奴だったな」

 一人になったルインはカップを片付けようとサーリャの席に近づいて——気づいてしまった。

慌てて立ち上がった際に落ちたのだろう。カップに入っていたものとは別の水滴がいくつもテーブルの上に残されていた。



 封印が破られて一週間。

 遠くまで見渡せることのできる平原には早朝からかつてないほどの人が集まっていた。深い堀や柵などが至る所に設置され、騎士はそれぞれ所定の持ち場で最終確認を済ませていく。そんな中、後方に設置された天幕内では数人の騎士が集まっていた。

「ミラン様。各部隊、皆所定の位置で準備が完了しています」

「わかりました。各部隊への連絡状況に不具合は?」

「今のところ魔力通信に支障はありません。万が一に備え伝令を何人か待機させています」

「医療体制、および物資の確認も問題ありません!」

 次々と入ってくる報告を聞きながらミランは見落としが無いか入念に確認していく。

「ならばあとは戦いが始まってからですね」

 ミランは天幕を出てこれから戦場と化す平原を見下ろす。

「皆さん!」

 ミランの声が魔法の力によって戦場全体に響き渡り、誰もが手を止めミランの言葉に耳を傾ける。

「これから先、想像もできないほど激しい戦いが待ち受けているでしょう。多くの仲間が傷つき倒れてしまうかもしれません。それでも!私達は決して逃げるわけにはいきません。私達の後ろには多くの王国民がいるのです。一体でも見逃せば抜けた先で破壊の限りを尽くすでしょう、それでも、そんな結果は起こらないと私は知っています」

 ミランは自分の想いを嘘偽りなく言葉に乗せる。

「皆さんはこれまで王国を守ってきました。だからこそ今回もその結果は変わりません。全員が力を合わせれば越えられない問題など無いのですから」

 ミランは一旦言葉を区切り一番伝えたいことを——心の底からの願いを口にする。

「守りましょう私達の国を。そして私達の生活を」

 言い終えると静寂が戦場を満たした。数秒の静寂の後、空気が震えるほどの歓声がミランの耳に届いた。不安だった者達がミランの言葉に奮い立ち、自分達の帰るべき場所を守ろうと気合を入れる。

「それでは私も持ち場へと向かいます。全体指揮はお任せします」

「はい。こちらはお任せください」

 英雄と持て囃されるミランでもここまでの大規模な人数の指揮は取ったことが無い。ミランは最前線で動き、指揮は別の者に任せるのが適材適所だろう。

 自分の持ち場である中央まで移動したミランはふと自分の右隣りを見た。ミランの動きについていける者がいないためミランは自分の部隊を持っていない。当然右隣には誰もいない。

「駄目ね。いつまでもこんな感情を引きずっていちゃ」

 誰もいない場所に寂しげな視線を向けていたミランは気持ちを切り替えようと努める。ここからは余計な感情を持ちながら戦う余裕など無い。それに自分の決意はすでに皆に向かって口にしたのだ——守りきると。

 彼の夢を奪ったのならば自分がその夢を叶えよう。それこそが今の自分に与えられた役割だ。

 ミランの決意が固まるのを待っていたかのように変化が訪れた。変化にいち早く気が付いたミランは勢いよく変化を感じ取った方向に振り返る。

 視線の先にあるのは小高い丘があるだけ。しかし上から徐々にその丘が黒く染まっていく。その様子は離れた位置からでもはっきりと視認することができる。

「わかってはいたけれど、やっぱり多いわね」

 覚悟していたとはいえ目の前の現実にミランは呻くしかない。種族はバラバラで本来なら共生・共闘などできるはずの無い魔獣達が、周りには目もくれず一直線にこちらへと向かって来ている。まるで黒い波が迫ってきているかのようだ。

 ミランはカイトシールドと剣を魔法で呼び出して装備すると、一呼吸ついたあと鋭い目つきで迫りくる脅威を睨みつけた。

「ここは絶対に通さない‼」



 そろそろ昼時に差し掛かる時間帯。ルインは自室のベッドの上で何をするわけでもなく寝転がっていた。いつものように研究を続けようと思ったのだが、なぜか気分が乗らなかった為にこうしてゴロゴロと時間を潰している。

「そろそろ何か食べるか……」

 カチッカチッと時計の音が響く中、空腹を感じたルインは気だるげに起き上がった。食糧庫に入ったルインは手軽に済まそうと作り置きされた料理の一つに手を伸ばす。わざわざ一食分に小分けされた器を持ち上げた際に何かが床に落ち、小さな音を立てる。

「ん?」

 ルインが床に目を向けるとそこには一冊のノートが落ちていた。ルインが持ち込んだ覚えは無いのでサーリャが持ち込んだのだろう。料理を一旦棚に戻したルインはノートを拾い上げて中身を開いた。

「本当にアイツは几帳面だな」

 中には手書きで料理のレシピがびっしりと書き込まれていた。わかりにくい所には丁寧にイラストまで添えられている。

 パラパラと流し読みしていくが、手の込んだ料理は少なく手軽に作れるものが多い。わざわざそこまで考えているサーリャの行動に感心するべきなのか呆れるべきなのかわからずルインは小さく笑う。

 最後のページを捲ったところでルインの手が止まった。最後のページはレシピではなくたった一言のメッセージだけが書かれていた。


「これを見て少しは料理ができるようになりなさい。パスタばかりなんて許さないからね」


 表情を変えず黙って最後のメッセージを見ていたが、気が済むとパタンとノートを閉じ——何事も無かったかのように料理に手を伸ばした。



 戦闘が始まって既に数時間が経過した。頭上の太陽は真上から大きく位置を移動し、少しずつ下がり始めている。その間に状況は大きく変化していた。各地で激戦が絶え間なく続き、その情報が絶えず指揮所にもたらされる。

「第一部隊被害甚大!戦線が押され始めています!」

「後方に戻していた第六を向かわせろ。第一は緩やかに後退しながら第六との合流を優先しろ」

「観測班から報告!敵の左翼が伸び始めています。このままでは第四が囲まれてしまいます!」

「くっ!ならば後方の部隊を再編成して向かわせろ。囲まれる前に何としても足止めするんだ」

 全体指揮を任されているレジウェルは息をつく暇もなく次々と指示を出していく。数年後には六十歳を迎えようとしているが気迫は全く衰えておらず、鍛え抜かれた肉体は今もなお現役として活躍できる。

 そんなレジウェルからはすでに余裕が無くなっており、続々と寄せられる悪い知らせに表情を険しくしていた。

 状況は時間が進むにつれて悪くなる一方だった。数の力とはやはり驚異的で、騎士団が総力をもってしても抑えきれるものではなかった。三重に設定していた防衛線もすでに第二まで後退を余儀なくされ、その第二もそろそろ維持できなくなり始めている。

「中央の状況はどうなっているか!」

「ミラン様の奮闘により辛うじて持ち堪えております。しかし、それでも時間の問題かと……」

「……仕方ない。ならば各地に向かわせた応援が合流次第緩やかに戦線を下げろ。最終防衛線まで我々は後退する」

 その言葉に周りの者は思わずレジウェルの方に振り返った。皆一様に顔が青ざめている。彼らの気持ちは痛いほどに分かる。ここを抜かれてしまえばもはや魔獣達を止めるものは何も無い。それでも戦線を下げなければ瓦解してしまう。

「何をしている。早く全部隊に連絡しろ」

 その言葉で我に返った部下たちは慌てて指示を出すために動き始める。そんな彼らを見ながらレジウェルは己の無力さに思わず拳を握りしめた。

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