後編
戦場の左端——第四部隊に配属されたサーリャは絶え間なく押し寄せる魔獣達を相手に剣を振り続けていた。今も魔力を足先に集め、鋭い刃に変化した鳥型の魔獣相手に剣を振り切り結ぶ。そんなサーリャの横を魔獣達が通り過ぎていくのを視界の隅で確認すると、すぐさま近くにいた仲間に警告を飛ばした。
「キリアン!」
「わかっている!そんなことでわざわざ俺を呼ぶな!」
近くにいた仲間——キリアンはすぐさま抜けてきた魔獣達とぶつかり、他の騎士も遅れるようにして新たな魔獣との戦闘に入る。
キリアン達が抜けた魔獣達の対応を始めたのを確認すると、サーリャは意識を目の前の戦闘に戻す。先ほどまで切り結んでいた鳥型の魔獣は仕留められなかったのを悟るとすぐさま飛び上がってしまい、上空からこちらを見下ろしている。
剣の届かない位置まで離れてしまった相手にすぐさまサーリャはその大きな翼に照準を定めて魔法を発動させる。
左手からバチバチと雷光が迸り、まるで弾丸のような魔法が一直線に目標へと飛んでいく。雷撃は体を守っているはずの魔力などものともせず、相手の翼に決して小さくはない穴を空けた。
空に留まることができず墜落するように落下してくる魔獣にサーリャはすぐさま飛び込み、空中で剣を一閃させた。魔獣は空中で真っ二つとなり、滝のように血を撒き散らせながら二つの肉塊となって地面に落ちる。
「はぁはぁ。次は!」
「そこの騎士、前に出すぎだ!そのままだと囲まれるぞ。戻ってこい!」
背後で落下した肉塊に目もくれず次の獲物に向かって駆け出そうとしたサーリャだったが、同じ部隊に配属されたベテラン騎士からの叱責が飛んできたことでサーリャはハッと我に返った。同じ場所で戦っていたはずなのにいつの間にか先陣を切って前に進んでおり、仲間達から大きく離れ孤立しかけている。
すぐさま仲間の元へ戻ろうとするが、そんなサーリャに新たな魔獣が襲い掛かってきたために中断せざるを得なかった。
「倒しても倒してもキリがないわね」
新たな魔獣を相手にしながらサーリャは吐き捨てるように内心の思いを口にする。戦いが始まってから何体の魔獣を屠ってきたかわからない。決して少なくはない数を屠ってきたはずなのだが、こちらに向かってくる相手の数は減ったように思えない。
何よりも向ってくる敵の強さが尋常ではないのだ。
身に纏う魔力は堅牢で、攻撃魔法を数発当てなければ引き剝がすことができない。魔獣の肉体自身もあちこちが変質しており、中にはバランスなど度外視したような変異をとげた相手もいた。
ルクドの大森林——とまではいかないが、それに近い力を一体一体が持っているのだ。いくら練度の高い騎士達でも分が悪すぎる。
すでに何人もの騎士が負傷し後ろへ下がっているためジリジリと後退を余儀なくされている。それでもサーリャは諦めず剣を振るい続け、魔法を撃ち込み出来る限り戦線を下げないように努める。自身の体は返り血であちこちが染まってしまい、大小いくつもの傷で陶器のように滑らかな肌には血が滲んでいる。
いったいいつまで戦い続けなければならないのだろうか。そう思っていた矢先、視界の隅にあるものを捉えた。
「……亀?」
ひしめく魔獣達の隙間から一体の亀が見えた。亀と言っても全長が三メートル程もある大きな亀だ。体の色が不気味に変色し、魔獣の群れの中にいるところを見るとあれも魔獣の一種なのだろう。
亀本来の鈍重な動きは魔獣に変化しても変わらず、後続の魔獣にどんどんと追い抜かれている。——あの動きでよくルルミラ内での激しい生存競争を生き残れたものだ。
そう思っていたサーリャの視線の先でその亀が大きく口を開けた。限界まで開かれた口は何かに食らいつくわけでもなくただ開いたまま。しかしサーリャはその行動の意味が理解できず不気味に感じた。
目を奪われたかのように遠くにいる存在に注意を向けていたサーリャだったが、自身に落ちてきた影に気が付き慌てて剣を頭上に掲げる。サーリャを押し潰そうとしていた魔獣の攻撃が寸前のところで防がれる。
(この胸騒ぎはいったい何なの?なぜだかわからないけどアレから目を離しちゃいけない気がする)
はっきりとしない感覚に焦燥感を持ち始めていたサーリャの表情がすぐさま凍り付いた。
亀の魔獣が一瞬周囲の魔獣の体に隠れて見えなくなったと思ったら、次に現れた時には口の中に怪しげな光が輝いていた。
「全員!今すぐ左右に散ってぇ‼」
悲鳴のようなサーリャの警告はすぐさま轟音にかき消された。亀の口から放たれた光の奔流が進路上にあるものを全て吞み込み、命を刈り取っていく。魔獣も人も関係ない。
身を投げ出すことで辛うじて回避することができたサーリャだったが、起き上がって目に飛び込んできた惨状に絶句した。
「こ、こんなの……」
光が消えた先には何も残っていなかった。先ほどまでひしめき合っていた魔獣も、直前までサーリャと対峙していた魔獣もまるで最初からいなかったかのように消え失せていた。
広範囲の魔法攻撃。たった一発の魔法でサーリャ達に迫っていた脅威がいとも簡単に消し飛んだのだ。味方だったはずの存在も——いや。初めから仲間意識など無かったのかもしれない。
そして魔法による被害は魔獣達だけではない。
「おいっ!しっかりしろ!!」
「だ、誰か……たす……け」
「腕が!!俺の腕があぁ‼」
避けきれなかった仲間があちこちで傷つき倒れ凄惨たる有様だ。キリアンも辛うじて避けることができたのか地面に転がっている。
「動ける者はすぐさま負傷者を運び出せ!本部から最終防衛線まで後退せよと指示が下った。自力で動ける者は魔法で魔獣達を牽制し続けろ。決して近づけさせるな!」
呆然と立ち尽くすサーリャから少し離れた所で指揮官らしき人物が声を張り上げて指示を出している。仲間を運び始めている中、サーリャは魔獣達がいる方向に向き直り今の自分が展開できる魔法を最大数で展開させる。魔法陣がまるで味方を守る壁のようにサーリャの左右を埋め尽くす。
「ここは通さない!」
攻撃魔法の展開速度が早い自分がするべきことは仲間の救助作業ではない。決意と共に放たれた魔法は黒い波の最前列に殺到する。威力は下がっているが圧倒的密度の攻撃によって削られ続け、あちこちで身を守る魔力という鎧を剝がされた魔獣がズタズタにされていき地面に沈んでいく。
死を恐れないのかそれとも理解できなくなるまで堕ちてしまったのか、仲間の屍を踏み越えて進み続けてくる。負傷した仲間の何人かもサーリャと同じように魔法を撃ち込んでいくが、無詠唱ではない分連射力に劣り自身の魔力を使うため長くは戦えない。
両者の間をいくつもの魔法が飛び交う中、必死に流れを押し留めようとしていたサーリャは目にしたものに思わず絶望にも似た声を上げた。
「そんな!まだ撃てるの⁉」
亀の魔獣が再び口を開けてこちらに狙いを定めている。
「いかん!総員退避しろ‼」
指揮官も相手の変化に気が付きすぐさま警告を発するが、射線上にはまだまだ負傷者が残っている。仲間を見捨てることができずその場に留まる者達に向かって光の奔流が再び襲い掛かる。そのまま全員が跡形もなく光に包まれるかと思われたが、直前で何かにぶつかり周囲に光が散る。
視界が焼かれそうになるほどの白さの中、光の中心に一人の少女が立ち塞がっていた。
「くううううぅ!」
吞み込まれれば自身の体など一瞬で消し飛んでしまう攻撃をサーリャは正面から受け止めていた。苦悶の表情を浮かべながら魔力障壁を展開し、破られまいと意識を目の前のただ一つに注ぐ。
「サーリャ・ブロリアス!」
「今のうちに避難してください!ここは私が抑えます!」
「しかし……」
「早く!これもそんなに長くは保ちません」
「……すまない」
指揮官が走り去っていく音を聞きながらもサーリャは決して振り返らない。実際のところかなりギリギリの状態で、現状を維持するのが精一杯だからだ。
攻撃を受け止め続け、ピシリと僅かなヒビが入ったのを確認したサーリャはすぐさま周囲から魔力を搔き集め、薄くなった障壁に注いで修復する。削れては修復するということを繰り返し、できる限り長く現状を長引かせる。
しかし相手もなかなか障壁を破れないことに苛立ちを覚えているのか徐々に出力が上がっている。制御量に限界があるサーリャではこのままだと持ち堪えられなくなる。
バキッ
そんなサーリャに追い打ちをかけるように再び障壁にヒビが入る。今度は先程とは違い明らかに嫌な音をたてた。
(まずい‼)
このままでは障壁を突き破ってくると思われたが、完全に破られる前に障壁が急速に修復され始めヒビの範囲が小さくなる。サーリャはまだ供給量を上げていない。
「いったい何をしている。この場を任せてくれと言ったのはお前ではなかったのか!」
「キリアン⁉どうしてあなたが!」
いつの間にかサーリャの隣に立っていた人物に今気づいたサーリャは驚愕に目を見開く。避難しているはずだと思っていたキリアンがサーリャの障壁に魔力を注いでいた。
「俺を舐めるなよサーリャ・ブロリアス」
玉のような汗を浮かべながらも覚悟を決めた表情でキリアンはサーリャを見返す。
「俺は騎士なんだぞ。騎士は守ることが使命なんだ。目の前で必死に戦っている奴がいる中、無様に戦場から逃げ出すわけにはいかないだろうが‼」
「キリアン……」
「お前に頼るのは癪だが、手伝ってやる。悔しいがこの場はお前に任せるのが適任だろうからな」
これまでの自分に対する彼の態度は決して褒められたものではない。それでも身の危険を顧みずこうして誰かを守るために戦っている。この折れることのない意志の強さはまるでもう一人の自分を見ているかのようだった。
同じ思いを持つ〝仲間〟に「ありがとう」とそれだけを伝えたサーリャは前を見据える。しかしキリアンが援護に入ってくれたとはいえそれでも目の前の敵は強大過ぎた。
これまでよりもさらに輝きを増した光が障壁にぶつかる。もはや修復など間に合わなくなり、障壁全体にヒビがどんどんと広がっていく。サーリャは周囲からだけでなく自身の魔力も総動員していくが、焼け石に水だ。
「こ、これはちょっと……」
「くっそおおおお!」
これまで多くの仲間を守ってきた障壁はとうとう限界を迎え、ガラスが割れたような甲高い音を響かせながら粉々に砕け散った。
「きゃああああぁ‼」
至近距離で巻き起こった爆発にサーリャは木の葉のように大きく吹き飛ばされる。障壁である程度威力は弱まっていてもその威力は決して小さくは無い。後ろへと吹き飛ばされたサーリャはゆっくりと頭だけを起こす。
近くにいたキリアンも爆発の衝撃で吹き飛ばされて離れた場所で倒れている。僅かに身じろぎしているので生きてはいるようだ。吹き飛ばされた際に手放してしまったようで、少し離れた場所にサーリャの剣が落ちている。
「……えっ?」
腕を伸ばして剣を取ろうとしたサーリャだったがなぜか腕が上がらない。別に腕が吹き飛んだわけでも感覚が無くなっているわけでもない。ただ力が入らないのだ。腕だけでなく全身が鉛のように動かなくなっている。この症状をサーリャは一度経験している。
「魔力欠乏症⁉」
先の障壁を維持するために自分の魔力を使った影響なのだろう。仕方なかったとはいえこの状況はまずい。これでは守ることも逃げることもできない。
視線の先ではサーリャにとどめを刺すべく魔法が収束していく。
「動いて……動いてよ!」
サーリャは必死にその場から離れようとするが、まるで自分の身体ではないかのようにピクリとも動かない。
先の二発とは違って、圧縮された魔力弾がとうとうサーリャに向かって放たれる。迫ってくる死にサーリャはとうとう直視できなくなり思わずギュッと目を閉じた。何も見えなくなった暗闇の中、一人の顔が浮かんできた。誰も信じられないと言ったように冷たい表情を向けながらも、時折見せる優しげな表情をする彼は——。
魔力弾がとうとう着弾し、大きな爆発が巻き起こった。爆風が吹き荒れ近くにある物を遠くへと吹き飛ばす中、サーリャも自身を襲う突風に耐えた。うつ伏せに倒れているが、少しでも気を抜けば再び吹き飛ばされかねないほどの勢いだ。
(あれっ?なんで私は生きているの?)
何が起こったのか知るために閉じていた目を開くと、目の前に一枚の魔力障壁がサーリャを守るように展開していた。
「一体誰が……」
そう思ったところでサーリャのすぐ隣から土を踏みしめる音が聞こえた。
「一つ言い忘れていたことがあった」
「っ!」
聞き覚えのある声にサーリャは驚きのあまり言葉に詰まる。聞き間違いだと思う一方で、そんなはずはないと即座に否定する自分がいる。もう聞くことは無いだろうと思っていた声を聞くことができて、サーリャの頬を一筋の涙が流れ落ちていく。
「元々は無詠唱魔法を教える対価として食事をそっちが作るという条件だったはずだ。だがあの日、魔法の指導をすることなく料理を用意しそれどころか普段よりも多くの食事を用意してくれた。一方的に何かを受け取るわけにはいかないから俺は受けた分だけ返さなければならないが、その相手が死にかけている……俺は恩知らずな人間になるつもりは無い」
少し苛立っているような声が聞こえてくる。
「その辺りお前はどう思っているんだ?サーリャ・ブロリアス」
いまだ自由に動かすことのできない身体だが、首だけを動かして傍にいるであろう人物の顔を見る。全身はボロボロで泥だらけ。顔は涙に濡れてみっともない姿だが、それでもサーリャは普段と同じように軽口をたたく。
「ようやくあなたが困らせることができると思っていたのに残念ね。それと何度も言わせてもらうけど、私の名前はお前じゃなくてサーリャよ——ルイン!」
傍に立っていたのはサーリャが知る限りで他に比べる者がいないであろう最強の存在だった。
ルインに起こされ近くの岩にもたれ掛かりながらサーリャはルインの手当てを黙って受け入れていた。手早く作業を進めていく間も目の前に展開された障壁には絶え間なく魔獣達からの攻撃が飛んできている。しかしただの一つも障壁を破ったものは無いことからサーリャの展開する障壁よりも圧倒的に強固だ。
「つまりその亀の攻撃を受け止める際に自分の魔力を使い、その結果あんな無様に倒れていたのか。魔力の使い過ぎだ。戦場で自身の魔力を使い過ぎて倒れたら意味が無いだろう。どれだけ考えなしなんだ」
「仕方ないでしょう。あのままだと攻撃を防ぎきれなくなって障壁が壊れそうだったんだもの……結局は破られちゃったけど」
呆れたようなルインの指摘にサーリャはブスッと頬を膨らませる。確かに動けなくなるまで自身の魔力を使ってしまったのはサーリャのミスだが、あの状況ではそうせざるを得なかった。
「まぁ、今のサーリャにはルルミラの魔獣は厳しいだろうな。通常個体ならともかく特殊個体は対応が面倒だからな」
「ルルミラの魔獣とルインは戦ったことがあるの?」
ルルミラの封印はこれまで破られてこなかったので戦う機会は無かったはず。戦えるとすればかつての大氾濫の時しかないはずで……。
ドォーーン‼
そこまで考えたところで一際大きな爆発音が発生したことでサーリャの思考は中断された。魔力が回復したのかサーリャを吹き飛ばした亀の魔獣も攻撃に加わっている。
「騒がしいな。少し黙らせて来るか」
「待って!あれだけの数を一人でなんて無茶よ!戦うにしてもせめて後方にいる味方と合流して」
まるで散歩にでも行くような気楽さで立ち上がったルインにサーリャはギョッとした。いくらルインでも一人で対処できる数ではない。ルインは腰に剣すら下げておらずコートを羽織っただけの軽装だ。なんとか引き留めようとしたサーリャにルインはスッと目を細める。
「俺の周りでウロチョロされては迷惑だ。どうせ無詠唱ができない奴がいても動きについて来れないのは目に見えている。それに俺に味方などいない」
「ルイン……」
「大人しくそこで休んでいろ」
悠然と歩いていくルインの行動に迷いはない。一人で送り出してしまうことに不安はあるが、それでも何とかなってしまうのではと思ってしまうサーリャだった。
「さて。面倒だがやるか」
大群が迫ってくる中ルインは特に気負わず一人進んでいく。群れの中にサーリャからの話にあった亀の姿を確認したルインの手に魔力が集まり始めた。集まった魔力は凝縮していき、やがて無駄な装飾が施されていない一本の槍へと姿を変えた。槍と言っても全体が雷で構成されており、常に細く伸びた雷が生き物のように槍の上でうねっている。
ひしめく魔獣達の先にいる目標に狙いを定め、獲物を狩るかのように目を細めたルインは全力で槍を投擲した。
一条の光が駆け抜けていき、進路上にあるものをことごとく消し飛ばしていく。ルインの姿が見えていなかった魔獣達は何が起こったのかもわからずに消失しただろう。
間一髪でルインの攻撃を避けた魔獣にも被害は拡大していく。纏わりつくように蠢いていた細い雷が周囲を容赦なく焼いていき、触れてしまった魔獣は瞬時に炭へと変わる。
何者にも阻まれることなく真っ直ぐ突き進む槍は狙い通り亀の頭に直撃し、頭だけでなく体全てが跡形も残さず消し飛んだ。残ったのは焼け焦げた地面がある一本の道だ。
「なるほど。思っていたよりも効果範囲が広いな。貫通力を特化させたつもりだったが、これは思っていたよりも使いやすいかもしれないな」
目の前の結果を見ながらルインは感心した。本来は強力な個体への対策として編み出した魔法だったが、予想を上回る結果に満足する。かなりの数が今の一撃で消し飛んだとはいえまだまだ敵の数は多い。ルインは新たな獲物に獰猛な笑みを見せる。
「せっかくだ。俺の魔法の実験に付き合ってもらうぞ」
サーリャは目の前の光景に呆然としていた。反撃する事さえできず一方的に蹂躙されそうになっていた相手をいともたやすく撃破したことも驚きだが、驚くのはそこではない。
(ルインがここまで強かったなんて……)
サーリャ達の部隊を吞み込もうとしていた魔獣の群れをルインはたった一人で相手している。それも防戦一方ではなく逆に攻め込んでいる。
ルインが腕を横に振るえば放射線上に爆炎が巻き起こり、近づく存在の悉くを爆殺し、縦に振るえばまるで見えない剣を振り下ろしたかのように何体もの魔獣が両断されていく。
腕を振り身体を回転させる度にコートの裾が円を描くようにひらめく。接近を一切許さず一人華麗に腕を振り続けるその姿はまるでダンスを見ているかのよう。
「おい、サーリャ・ブロリアス」
不意にすぐ近くから聞き覚えのある声で名前を呼ばれたサーリャは声のした方に振り返ると、キリアンがいつの間にかすぐ近くまで近寄っていた。大きな傷は無いが剣を杖にしていることから立っているのもやっとなのだろう。
「あらキリアン。思っていたよりも大丈夫そうで良かったわ」
「この状態を見ながらよくそんな口が利けるな。そんなことより、アイツはお前の知り合いなのか?」
「ええそうよ。ルクドの大森林で現地の人から魔法を学んだと言ったでしょう。その現地の人って言うのが彼よ」
サーリャはまるで自慢するかのようにキリアンにルインのことを話したが、キリアンの反応はサーリャの思っていたものとは違った。
「……ありえない。個人であれだけの魔法を行使するなんて……あれが人の範疇でできることなのか?そもそもあれは俺達と同じ人なのか?」
「ちょっとキリアン!いくらなんでもそんな言い方——」
キリアンの発言はあまりにも目に余る。サーリャは憤りすぐさま声を上げたが最後まで言い切ることはできなかった。
ルインを見るキリアンには明確な恐怖が宿っており、その視線は明らかに人に向けるものとは違う。まるで化け物を見るかのような——。
俺に味方などいない
ルインの言葉がよみがえってくる。味方が〝いらない〟のではなく〝いない〟と言った。その言葉の意味をサーリャはようやく本当の意味で理解したような気がした。
戦闘はしばらく続いていたが、後続が来なくなったことで唐突に終わりを告げた。残ったのは掘り返され、未だ煙を上げ続ける焼けた地面とおびただしい死体の山だった。
ルインはするべきことを終わらせてこちらに戻ってくるが、あれだけの軍勢を相手にしたにも拘らず無傷だ。圧倒的な実力を見せつけられ、声をかけることすらできず誰もが固唾を飲んでルインを目で追いかける。
「ようやく静かになったから話の続きといこうか……どこまで話していた?」
先程までの緊張など消え去り、思わずサーリャは噴き出した。やはり彼はサーリャのよく知るルインだ。
「ルルミラの話よ。いくらなんでも忘れるのが早いわよ」
「あぁ。そういえばそんな話だったな」
「……失礼します」
笑うサーリャの耳に男性の声が割り込んでくる。その声にルインは僅かに見せていた笑みを消し、声の主に振り向くのにつられてサーリャも振り返る。視線の先には指揮官の男性が立っていた。
「お前は?」
「私はこの場の指揮を任されている一人でレーゼマンと言います。この度はご協力ありがとうございます」
「勘違いするなよ。俺はお前達を助けに来たわけじゃない。受けた恩を返すためにここにいるだけだ。用が済めば俺はさっさと帰らせてもらう」
「ちょっとルイン‼」
あまりの物言いにサーリャは思わず声を上げる。しかしルインは冷たい視線をレーゼマンに向けたままで態度を変えない。なぜここまで相手を突き放すのかサーリャにはわからない。
「それで?せっかくここまで出張って来たんだ。サーリャは俺に何をして欲しいんだ?」
「何をって……」
「ここで魔法の勉強などできるわけがないだろう。代わりに対価の分だけサーリャの願いを聞いてやろう」
サーリャはいきなりの問いに戸惑う。願いを言えと突然言われてもすぐに思いつくものではない。周囲の視線が自分に集まっているのを感じながらサーリャは必死に願いを考える。
しばらく熟考した後、サーリャは一つの願いを口にした。
「それなら戦線を立て直すだけの時間を作ってちょうだい。時間があれば私達はもう一度戦えるわ」
「「なっ⁉」」
サーリャの願いに、ルインを除いたその場全員が驚きの声を上げた。ルインは僅かに目を細めて探るようにサーリャを見返す。知覚にいたキリアンはすぐさまサーリャに食って掛かった。
「何を言っているんだサーリャ・ブロリアス!時間稼ぎだけでなく最後まで戦ってもらえばいいじゃないか」
ルインもキリアンの意見に同意する。
「その男の言う通りだぞ。てっきり魔獣を殲滅しろと言ってくるのかと思っていたが違ったみたいだな。まぁ言われればできるだけのことはしても構わないが、本当にそれでいいのか?」
「馬鹿にしないで!ルインなら可能なのかもしれないけれど、できるからと言ってそれに甘えて一人に任せるなんてできるわけないでしょう!」
頼めばルインはおそらくサーリャの願い通り魔獣達を殲滅するだろう。ルインにはそれを可能にするだけの力がある。しかしその選択はサーリャの中で真っ先に排除した。
「私達皆が騎士なの。皆が誇りと覚悟を持って今も戦っているのに、その全てを一人に背負わせるなんてひどい真似私にはできない!」
「その選択をすることで周りから恨まれるかもしれないぞ?この戦いで誰かが死ねば残された家族からは一生恨まれることになる。それでも構わないと?」
「後悔しながら生きていくよりかはマシよ」
互いの視線がぶつかり、このまま折れることなく硬直状態になると思われていたが、
「まぁそれがサーリャの選択ならば今日はその選択に従おうか」
「えっ?」
あっさりと引き下がったルインに若干肩透かしを食らい戸惑うサーリャをよそにルインはその間も勝手に話を進めていく。
「戦況を知りたいが指揮所はここから近いのか?」
「は、はい。少し離れた場所にありますが、後方に簡易指揮所が設置してあります」
「ならばそこまで案内しろ。あらかた魔獣は掃除しておいたからしばらくは時間があるはずだ」
「ありがとうございます。それでは案内します」
「その前に連れていく奴がいる。……おい。そろそろ歩けるか?」
「ふぇっ!」
いきなり話を振られたことで変な声が出てしまった。恥ずかしさに顔を赤くしながらもサーリャは慌てて立ち上がる。しかし歩き出そうとしたところでよろめいてしまい、ルインの腕にしがみついた。
「まだ歩くには無理そうだな」
「大丈夫よ。ちょっと肩を貸してくれれば歩けるわ」
「それだと時間がかかるだろう。そのままじっとしていろ」
何をするのだろうと思っているサーリャの目の前でルインはおもむろに姿勢を低くすると、サーリャの身体が浮き上がった。
「きゃっ!」
小さな悲鳴を漏らしながら顔を上げると、すぐ目の前にルインの顔があった。そしてこの時になってようやく自分が抱き上げられたのだと理解した。赤くなっていた顔が更に赤くなる。
「ちょ、ちょっと自分で歩けるわよ!下ろして」
「うるさい。サーリャがいないと俺がいる理由が無いだろ。いいから大人しくしていろ」
そう言われればサーリャも大人しくするしかない。指揮所に着くまでの間、自分に向けられる周囲からの視線に耐えきれずサーリャは何も見たくないと言ったようにルインの胸に顔を埋めていた。その姿がより注目を集めていたことにサーリャは知る由も無かった。
「失礼します。レーゼマンです」
指揮所に到着したサーリャ達はレーゼマンに続くように天幕の中に入った。移動中に知ったことだがレーゼマンはこの部隊の総指揮を任されているというわけでは無く、あくまでも副官という立場らしい。
ルインは一旦天幕の外で待ってもらっている。いかに実力があっても民間人をそう簡単に指揮所となっている天幕に入れるわけにはいかない。
天幕の中では一人の男が戦場に持ってくるにはいささか豪華すぎる椅子に座りながら、テーブルに置かれた菓子を食べていた。ため込んだ贅肉が服の上からでもわかるほどで、あちこちが窮屈そうだ。確か名前はミジェラだったはず。
「おおー!よく戻ったな。魔獣どもはどうなった?」
「はっ!現在確認できる範囲の魔獣は掃討されており、周囲には存在しません。今の内に態勢を立て直し次の攻勢に備えたいと思います」
「それはそれはいい報告だな。騎士になったばかりの役立たずしかいない中、よくそこまでの結果を出したな。褒めてやるぞ」
嬉しそうに腹を叩きながらミジェラが口にした内容にサーリャは僅かに表情を険しくする。これまで必死に戦ってきた者達に対する言葉とは到底思えない。
(私達が役立たずですって?だったらこんな所で戦いに参加すらせず食べてばかりのあなたはどうなのよ!)
「それで、隣にいる騎士は誰なのだ?」
ミジェラの興味がサーリャに向いた。
「彼女はこの部隊に配属された者です。騎士になってまだ日は浅いですが先の攻勢では目覚ましい戦果を挙げ、多くの者が彼女に助けられました。彼女がいなければ戦線はもっと早くに崩れていたでしょう」
「初めましてミジェラ様。サーリャ・ブロリアスです」
レーゼマンからの紹介に続いてサーリャも軽く頭を下げ、騎士の挨拶をする。
「ほぅ。騎士になったばかりだと言うのにそれだけの戦果を挙げるとは素晴らしい実力の持ち主だな。将来は英雄になるのかもしれないな。どうだ?私の専属騎士になってみないか?子爵たる私の下で働けば不自由のない生活が保障されるぞ」
身を乗り出しサーリャの身体を舐め回すような視線にサーリャはゾワゾワと寒いものが全身を駆け巡っていくが、表情に出さないよう必死に耐える。
「ミジェラ様。実は先程の戦闘でブロリアス嬢の知り合いが救援に来てくれました。騎士ではなく民間人で彼女のサポートとして行動するそうですが、実力は確かです」
「おお!騎士でもないのにそれほどの実力を持つ者がいるのか。この場にすぐ呼んでくれ」
どう答えたものか言いあぐねていたサーリャだったが絶妙なタイミングでレーゼマンからのフォローが入ってミジェラの興味がサーリャから外れた。天幕の外に向かう際に申し訳なさそうな視線をこちらに送ってくるレーゼマンにサーリャは同情した。おそらくこれが初めてではないのだろう。
「邪魔するぞ」
相変わらずの不遜な態度で入ってきたルインにサーリャは注意しようと口を開こうとしたところで、何かが倒れる音が鳴り響き何事かとサーリャは慌てて音の方に振り返った。
「な……お、お前は」
「ミジェラ様⁉どうされたのですか!」
勢いよく立ち上がったのか椅子が横倒しになっており、ミジェラは目を見開き顔を真っ青にしながらルインを見ている。突然の事態にレーゼマンはがたがたと震えるミジェラに問うが、その声も届いていないようだ。
「全員!今すぐその男を捕らえよ‼」
「「なっ⁉」」
突然の捕縛命令にその場にいた誰もが驚愕の声を上げ、戸惑いの表情を見せる。
「ミジェラ様。なぜ彼を——」
「その男は悪魔の力を手にし、王国に敵対した大罪人だ。逃亡の際にはいくつもの村の人間を人質にするような卑劣な存在だ」
サーリャは抗議の声を上げようとしたが、続くミジェラの言葉に頭を殴られたかのような衝撃がサーリャを襲った。
人質?王国に敵対?サーリャの頭の中でミジェラの言葉が繰り返し響く中、ゆっくりと背後にいる人物へと振り返った。ルインは相変わらず同じ場所に立っている。
「ルイン……今の話は本当なの?」
「……」
「何をしているサーリャ・ブロリアス!今すぐその男を捕らえるのだ」
ミジェラの怒号が背後から飛んでくる中、サーリャは縋るような目でルインを見ている。誤解だと、何かの間違いだと言って欲しい。いくら命令でも彼に剣を向けるようなことはしたくない。
「どうした。指揮官殿からのご命令だぞ?王国の人間を守るために犯罪人は捕まえなければならないはずでは?」
「それは!」
そう。その目標をこれまで追い続けてサーリャは騎士になったのだ。ならばサーリャが今すべきことはルインを捕らえること。綺麗事だけで誰かを守ることはできない
みんなの言うこととサーリャが思ったこと、どちらが正しいのかわからない。……そんな時はどうするの?どんな騎士にサーリャはなりたいの
幼い頃に聞いた母の言葉がよみがえってくる。自分が目指した騎士とは……。
しばらく葛藤に苦しんだサーリャだが、ついに覚悟を決め決意を胸に——ミジェラに向き直った。
「何故私を見るのだ。捕らえる相手は後ろだぞ」
「その命令には従えません」
「なんだと!」
「彼が過去に何をしていたのか私は知りません。ミジェラ様が仰るように王国の敵なのかもしれません。ですが、今はこうして私達を助けてくれました。そんな彼への感謝の気持ちを捕らえるという形で返したくありません」
もしかしたら自分の選択は間違っているのかもしれない。王国に仕える騎士でありながら王国の敵に肩入れするなど騎士失格なのかもしれない。それでも、
「私は、私の正しいと思う道を進んで皆を守ります」
サーリャの決意を誰もが黙って聞いていた。もちろんその言葉を受け入れられない者はすぐさま喚きたてた。
「ふざけたことを。レーゼマン!王国への反逆者がもう一人増えた。二人をすぐさま捕らえよ。抵抗するなら武力で押さえつけろ」
「……わかりました」
レーゼマンが天幕の外にいる部下を呼びに行くのをサーリャは黙って見送った。ミジェラの言った通りこれは王国への反逆だ。騎士の資格は剝奪。場合によっては死罪になるかもしれないが後悔は無い。自分に嘘を吐いてまで騎士を続けたいとはサーリャは思っていない。それでも何も思わないわけでは無い。
(ルインには悪いことをしちゃったわね)
せっかく一か月もの間サーリャの為に時間を割いてくれたのに、それをすべて無にしてしまった。せめてルインにだけは謝っておこうとしたサーリャだったが、その前にレーゼマンが部下を連れて戻ってきたことでその機会さえ失われた。
「二人とも反逆者を捕らえろ」
「「はっ!」」
二人の騎士がキビキビとした動きで近づいてきてサーリャの横を通り過ぎ、その先にいる人物の前で立ち止まった。二人の騎士の前にいるのは立ち続けているミジェラ。
「な、何だお前達は」
「ご命令により反逆者を捕らえさせていただきます」
「手荒なことはしたくありませんので、抵抗などなされませんように」
「なっ⁉どういうことだレーゼマン!」
ミジェラは顔を真っ赤にしてレーゼマンを怒鳴りつけ、サーリャも事態を呑み込めずレーゼマンを見る。
「どういうことも何も反逆者を捕らえようとしているのですが?」
「ふざけるな!何故私が反逆者なのだ。血迷ったか⁉」
「……ふざけているのはどちらですか」
これまで聞いていたよりも数段階声を落とした低く冷たいレーゼマンの声がサーリャの耳に届く。
「今は皆が一丸となって魔獣の進行を止めなければならない時。それなのにあなたは余計な諍いを持ち込み、あろうことか二人を捕らえよなどと正気を疑いますよ。……おい。さっさと連れて行け」
二人に引きずられるように天幕から連れ出される間もミジェラは喚いていたが、最後まで誰も止めようとはしなかった。
「申し訳ありませんでした。それでは今後の方針について話し合いましょうか」
何事も無かったかのようにこちらに振り返るレーゼマン。これまでサーリャの傍で沈黙を保ち続けていたルインがようやく口を開いた。
「いいのか?このままだとあんたも反逆者だぞ」
「そうですよ!私達の為にここまでしてくれなくても……」
「それは違います。私は多くの命を守るために最善の選択をしただけです。使えるものは何でも使う。それだけのことです」
してやったりといったように笑みを浮かべるレーゼマンにサーリャはぽかんと口を開けるしかできなかった。
「やはり全体的に押されているようだな」
「そうですね。ここはルイン殿のおかげで持ち直しておりますが、やはり戦力差が大きいです。どの戦場も奮戦はしているのですが……」
「戦ってみた感想だけど、どの魔獣もかなり手ごわい印象だったわ。一際強い個体が複数いるなら流石に持ち堪えられないわよ」
「前回の氾濫を経験しているならともかく、今回が初めての騎士達には荷が重いだろうな。この戦いで重要になるのは、いかに早く魔獣を倒すことができるかだ」
新たに指揮官となったレーゼマンの指揮のもと第四騎士団は順調に戦力を再編成し、主要メンバーは指揮所に広げられた地図を見ながら戦況の整理をしていた。
そんな中、サーリャのすぐ近くからノイズ交じりのざらついた声が聞こえてきた。
「誰か聞こえていますか?こちらは第七騎士隊。聞こえていれば応答してください」
見れば小型の通信機から声は発せられていた。突然の通信に一同は通信機に顔を向け、レーゼマンはすぐさま通信機の操作をする。
「こちらは第四騎士団のレーゼマンだ。聞こえているぞ」
「あぁよかった。まだ近くに残っているのですね」
「どういうことだ?」
「現在我々は中央の戦線から北上した砦跡に避難しています」
「なっ⁉そこはすでに撤退命令が出ていたはずだぞ。なぜそんな場所に残っているんだ」
サーリャは慌てて地図に目を向け彼らのいる場所を確認する。通信先の相手の言っていることが事実なら、彼らは第一と第二防衛線の間にある砦にいるということになる。すでに最終防衛線まで後退し始めている状況で何故そんな場所にいるのだろう。
話を聞くと撤退する際に味方に多くの負傷者が出てしまい治療の為に砦に逃げ込んだのはいいが、撤退の機会を失ってしまい動けなくなってしまったらしい。
「救援は呼べなかったんですか?」
「すでに撤退がある程度進んでいましたからね、中央の部隊は戦線を押し上げる余力は残っていません」
「ミラン様が中央にいるじゃないですか。ミラン様なら魔獣の群れなんて突破できるでしょう。今からでも連絡すれば……」
「やめとけ。英雄は個人ではなく国全体の意思で動く。命令されなければ動かんただの人形だ」
英雄のミランであれば連絡すれば何らかの対応をしてくれたはずだ。そう思ってすぐさま中央の部隊に連絡を取るよう提案しようとしたサーリャだったが、すぐさまルインがバッサリと切り捨てた。
ルインは通信機を見下すように冷めた視線を向けている。いや、ルインが見ているのは通信機ではなくその先にいる誰かだ。まるで吐き捨てるかのような態度にサーリャは理由を尋ねようとしたがその前に笑い声が通信機から発せられた。
「何を言っているのですか。ミラン様は失ってはならない存在です。我々のために危険な場所へ戻って万が一があってはいけません。我々は準備が整い次第こちらから打って出ようと思っています。騎士としての意地を最期にアイツらへ見せつけてやりますよ」
「くっ」
明るく話す相手とは裏腹にレーゼマンは悔しそうに表情を歪め、血が出そうなほど拳を握りしめる。
「申し訳ありませんが家族に伝言を頼めますでしょうか。今、皆を呼んできます」
「……いつまで耐えれる」
最期の言葉を託されるという初めての経験に心を痛めていたサーリャだったが、俯いていた顔を上げた。言葉を発したのはルインだ。
「ルイン、何を言って」
「あなたは何を……」
「不必要な問答をするつもりは無い。人的被害を極力抑えたうえで、あんた達はどれくらいその場で耐えることができる」
腕を組みルインは通信機を見つめている。相手はしばらく考え込んでから返答が返ってきた。
「……おそらく日没までが限界です」
ルインは視線を通信機から地図に移し、しばらく考え込むように黙り込んだ。
「ルイン。今からこの距離はちょっと……」
考え込むルインの機嫌を損ねないようにおずおずとサーリャはルインに声をかける。何とか助けたい気持ちはサーリャもあるが条件が厳しすぎる。
「日没までは何としてでもその場所で耐えておけ。それまでにはたどり着いてやる」
「なっ⁉誰かは知りませんがそんなことはお止めください。我々は助けに来て欲しくて連絡したわけでは——」
「いいか?日没までだぞ」
相手の返事を待たずルインは通信機の電源を勝手に切ってしまった。
「ちょっとルイン!さっき私が言ったこと聞いてなかったの⁉」
「そうです。ルイン殿のお力は目にしていますが、さすがに今回は危険過ぎます!」
戦場の端から中央まで敵地のど真ん中を突っ切る強行軍。しかも日没までもう時間が無い。ルインならたどり着けるかもしれないが敵に囲まれた状況では先の戦闘などとは比べ物にならない激戦が予想されるだろう。
助力を求めたサーリャでもさすがに心苦しい。心配するサーリャにルインは睨むように鋭い視線を向けられ、その圧に思わず怯む。
「勝つためなら少数を切り捨てても構わないと?俺は少なくとも見捨てるようなクズに成り下がるつもりは無い。好きにやらせてもらうぞ」
救援に向かおうと天幕から出て行こうとしたルインだったが、外に出る直前で「そういえば」と何かを思い出したように振り返った。なぜだか無性に嫌な予感がする。
「いくら俺でも案内が無ければ間に合うものも間に合わないな。誰かひとり案内役が欲しい所だな」
ルインの視線は真っ直ぐサーリャへと向けられており、周囲を見渡せば全員の視線がサーリャに集中している。
「わ、私⁉」
「ちょうどいい。サーリャなら新しく開発した魔法の実験にも耐えられるだろう。協力感謝するぞ」
嬉しそうに近寄ってくるルインとは逆にサーリャは頬を引き攣らせながらじりじりと後退るが、すぐさま襟首を掴まれてしまう。
「べつに私じゃなくてもいいでしょ!誰か行きたいって思っている人がいるかもしれないじゃない」
「そうなのか?」
僅かな希望に縋って周囲を見渡すが、息が合ったように全員が目を逸らした。レーゼマンでさえ目を逸らしてしまっている。
「いないようだな。とっとと出発するぞ」
「いやぁぁぁ‼」
サーリャの絶叫が辺りに響き渡った。
戦線が大きく後退し周囲に味方がいない中、廃墟となった砦で騎士隊長は一つの決断を下そうとしていた。廃墟と言っても瓦礫の山となっているわけでは無く、ある程度砦としての機能は残している。
「隊長、そろそろ日没になります。これ以上暗くなると我々の行動にも支障が出ます」
「……そうだな。やはり間に合わないか」
ボロボロになった部屋の一室で部下からの報告に耳を傾ける。
多くの負傷者と隠れるにはうってつけだということでこの砦に咄嗟に逃げ込んだのだが、幸いにも砦の外にいる魔獣達には気づかれていない。しかし、それも時間の問題だろう。
隊長は部下と共に部屋を出て階段を下りながら砦の入口へと向かう。
「やはりここまで来るのは無理だったみたいですね」
「仕方ないだろう。どれだけの人数で向かって来ているのかわからんが、敵陣の中を突破することなど容易ではない。突破できてもそこで力を出し尽くしてしまえばそこで終わりだ。もしかしたら断念したのかもしれない」
「それでも俺は嬉しかったですよ。たとえ来られなくても助けに行くと言ってくれたことは」
部下からの言葉には悲しみの感情が一切なく、逆に嬉しそうに話している。
「そうだな。逃げることすらできず、足を引っ張るしかできなくなった俺達の命を見捨てまいと必死に模索してくれたのだからな」
砦の入口に到着すると部下達が戦う準備を整えて自分を待っていた。誰もがボロボロの状態で無傷な者は一人もおらず、砦の中にあった廃材から作った杖で辛うじて立っている者すらいるが、誰一人悲壮感を漂わせていない。
「みんな、こんな役目に付き合わせて悪いな」
「何言っているんですか。隊長が謝ることなんて無いでしょう」
「そうですよ。上からの命令に振り回されず好きに暴れられるって最高じゃないですか!」
「お前、命令忘れて突っ走るからいつも隊長に怒られていたからな」
「ははは。まったくそうだ」
肩を組みながら笑い合っているいつもと変わらない部下達のやり取り。
「ありがとう」
隊長はその一言にすべての思いを込めた。自分は本当にいい仲間達に恵まれた。そんな彼らと最期を共にできる自分は幸せなのだろう。
扉が開き始め外の景色が見えてくる。砦の外にいた魔獣がこちらに気づいて振り返ったのが見える。
「行くぞ‼」
「「おう‼」」
隊長の一言に全員が応え雄叫びを上げる。動ける者は剣を握って駆け出し、満足に動くことができない者は支援のために詠唱を始める。
両者の距離がどんどん縮まっていき、あともう少しで接触するというところで——両者の間を一条の光が駆け抜けた。
「なっ⁉」
別方向からの新手か!光が飛んできた方向に注意を向けようとしたところで騎士達の近くに何かが着弾した。まるで砲撃でも受けたかのように土煙が辺りに立ち込め、隊長は何が飛んできたのか確認しようと目を細める。隊長だけでなく仲間も警戒心をあらわにする中、土煙の中から声が聞こえてきた。
「まったく。どうしてお前達は前に進むばかりで立ち止まるということをしないんだ。前に進むばかりが正しいとは限らないんだぞ」
誰かが土煙の中から歩いてきている。
「俺は日没まで待てと言ったはずなんだがな。どうしてこうも生き急ぐ奴が多いんだ」
コートのひらめかせ、ゆっくりと土煙の中から現れた人物は呆れたようにこちらを見返していた。
「なんとか間に合いはしたな」
ルインは唖然としている騎士達をぐるりと見渡す。間に合いはしたが本当にギリギリのタイミングで、あと少しでも到着が遅れていたら戦端は開かれていただろう。立っているのもやっとな者までが戦闘に参加しており、玉砕覚悟の行動にルインは少なからず怒りを覚える。
「あ、あなたは……」
「言った通り応援に来てやった。そう簡単に命を投げ捨てるな。あんた達はさっさと砦の中に戻ってろ」
「たった一人であれらをどうにかするつもりなのですか⁉それは無茶です。せめて我々の誰かだけでも——」
「そんなボロボロの姿で何を言っているんだ。邪魔になるだけだからさっさと仲間と一緒に戻れ。それともあんたは助けられる命を無駄に散らせるつもりか?」
厳しい言い方だが、この場では騎士のプライドや同情などは何の価値も無い。目の前の隊長もそのことは分かっているようで、しばらく躊躇うような態度を見せたが、最後は頷いた。
「助力感謝します。それと……一つお聞きしてよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「後ろにいらっしゃる方は大丈夫なのでしょうか?」
心配そうな表情でルインの背後を見ている隊長の視線につられるようにルインは肩越しに振り返った。そういえば先程から静かだった為すっかり忘れていた。
「サーリャ、いつまでそうしているつもりだ。さっさとこっちに来い」
ルインの背後ではサーリャが四つん這いになって蹲っている。その顔は真っ青になっており、普段の元気な姿など微塵も感じない。
「なんだ、これだけの距離でもうへばったのか?走ったわけでもないのだから疲れる要素など無いだろう」
「……確かにここまでルインの魔法で移動したから魔力も体力も消耗していないわ。でもね、その移動方法のせいで精神的に大きく消耗したわ」
「移動方法?」
サーリャの言葉にルインは首を傾げた。ぶっつけ本番だったことは仕方ないが、それでも致命的な不具合は無かったはず。何か見落としでもあったのだろうか?
「いくら急いでいてもね、自分自身を砲弾にして撃ち出すって何を考えているのよ‼」
ガバリと勢いよく顔を上げたサーリャの顔は青いままだが、その目には僅かに涙が浮かんでいる。
「間に合ったのに何が不満なんだ?」
「全てによ!ここに来るまで生きた心地がしなかったし、おかげで死ぬかと思ったわ‼」
せっかく間に合わせたのにこの言い草だ。理不尽な非難にルインは納得できず憮然とする。
何よりも短時間で辿り着かなければならなかったので、移動にはルインが作り出したオリジナル魔法が用いられている。これは高速で長距離を移動することを目的として作られた魔法だ。
自身を球体の魔法障壁で包み込み、その状態から指向性を持たせた爆破魔法を背後に向かって放つことで砲弾を撃ち出す現象を再現している。魔法で体を浮かしているので地面に落ちることなく、定期的に爆破魔法を放てば速度が落ちることも無い。
しかしほぼ直線でしか進めない性質上、起伏の少ない平地でしか使うことができず方向の調整も簡単ではないので使用条件が厳しいのが課題となっている。
「生身のまま飛んだわけでもあるまいし、障壁を張っていたのだから死ぬとは言い過ぎだろう」
「魔獣にぶつかったり攻撃を受けて障壁にヒビが入ってもなかなか直そうとしなかったら誰でも不安になるわよ‼いつ割れるのか不安で仕方なかったんだからね!」
「それは——話はあとだ。さっさとそいつらと一緒に砦に戻って守りを固めろ。奴らが来た」
「っ!わかったわ」
ふらつきながらも騎士達を砦に押し戻していくサーリャを見送りながら、ルインは迫ってくる集団の中央に目を凝らす。
「やはり特殊個体は中央にいたか」
集団の中に一際体が大きい個体が混じっている。見た目は二メートルを超える大型の猿だが猿とは思えないほどの牙が口元から覗いており、体毛に覆われた丸太のような腕の先には長い棒状の得物を持っている。岩を削ったのか先端が剣のように鋭くなっている。
短いながらも頭に角を生やし、顔の一部には爬虫類が持つような鱗が覆っている。二足歩行で歩くその姿はもはや新たな種族と言っても差し支えない。
「閉じ込められた空間内での生存競争を勝ち残るとある程度喰らった相手の特性を備えるというのは興味深いな」
まだまだ興味は尽きないが、戦場にいるのだと自分に言い聞かせて意識を切り替える。
手始めにルインは圧縮したボルクをするに向かって放つ。圧縮された火炎弾は前にいた何体かの魔獣に大穴を開けた後、目標の猿に直撃し大きな爆発が巻き起こった。
「……やはりこの程度では抜けないか」
爆炎の中からゆっくりと猿が姿を現す。直撃したはずなのにその体には焼け焦げた跡は見受けられない。その代わりにゆらゆらと陽炎のように揺らめいている魔力が全身を包んでいる。
ルインは敵に向かって駆け出す。距離を詰める最中も周囲の雑魚を一掃するのは忘れない。
左右に大きく腕を広げると、敵集団の両端に巨大な刃が現れる。ルインが広げた腕を目の前でクロスさせると、ルインの動きに合わせるかのように巨大な刃がまるで鋏を閉じるかのように中心に向かって移動する。刃の内側にいる魔獣は悉くその体を真っ二つにさせていき、身体が宙を舞う。
大量の鮮血が舞う中、猿は左右から迫りくる刃を自身の腕で受け止めた。ルインの作り出した刃は太い腕に纏わりついている魔力によって受け止められている。しかしそれは想定の範囲内だ。
ルインは走りながらおもむろに右腕を何もない空間に突き出すと、右腕の肘から先が虚空に呑み込まれた。すぐさま引き抜くと右手には先程までは持っていなかった一振りの剣が握られている。
魔力を帯びたルインの剣と振り下ろしてくる猿の得物が正面からぶつかった。身体強化を施したルインの足元に亀裂が入る。
両者の力はほぼ互角でぶつかった位置から動かない。目の前で猿の左腕が横薙ぎに振られ向かってくるのをルインは膝を曲げて体勢を低くする。巨腕がルインの頭上を通過し風切り音が間近で聞こえる。姿勢が横に流れた隙を見逃さずルインは相手の腹に至近距離から魔法を叩きこむ。
さすがの巨体も至近距離で攻撃を受ければ効果はあるようで、爆発の勢いで後ろに数歩下がる。爆炎の向こうで露出した肉体が見えたが、すぐさま周囲の魔力が穴を塞ぐように動き始めてしまい露出部分が無くなってしまった。
「回復力も底上げされているのか」
面倒くさそうにルインは頭を掻いた。回復・防御に秀でた個体は処理に時間がかかるので個人的にはあまり相手にしたくない。
今度は猿の方から左腕を振り上げながら突っ込んでくる。ルインはすぐさま後ろへ飛び下がると、さっきまでルインが立っていた場所に腕が振り下ろされ地面が大きく凹んだ。
間髪入れずに右手に持っている凶器がルインを真っ二つにするべく迫ってくるが、ルインは逆に相手の懐に潜り込むと正確に右手の指を数本切り飛ばした。得物を握る力が弱まったのは見計らい、蹴り飛ばす。手から離れた得物が後方に向かって飛んでいく。
そのまま追撃に入ろうとしたところでゾクリと背筋に寒いものが走り、ルインは直感に従ってその場から急いで飛び離れた。何かが勢いよく上空から降ってきて地面が震える。
「ここまでくると獣と呼んでいいのかわからんな」
相手の異様な光景を目にしたルインは小さく笑った。
上から降ってきたものの正体は先程ルインが蹴り飛ばしたはずの得物だった。柄の部分には何もなく猿は握っていない。いくらルインでも自分の真上に敵の武器を蹴り上げるような真似はしない。蹴り飛ばしたのは遥か後ろだったはず。なぜ蹴り飛ばしたものが戻ってきているのか。
その理由は柄に伸びている細い魔力だった。魔力は猿の右腕から伸びて得物に絡みついており、まるで鞭のようになっている。
魔力で物を操作する技術はまだルインは習得していない。
(使えるようになればいろいろと便利そうだな)
術者がその場から動くことなく、欲しいものを手元に引き寄せたり邪魔なものを遠くに投げ飛ばしたりできるとはなんと魅力的な技術なのか。今すぐ帰って練習したいところだ。
「そのためにもさっさと終わらせないと……な!」
ルインはおもむろに左へ向かって攻撃魔法を放つ。大きく迂回してルインの横を通り過ぎようとしていた魔獣がその命を散らす。
そろそろ後続もこの場に到着し始めている。猿は地面に刺さった得物を引き寄せ、自身の周囲にゆらゆらと漂わせる。
猿が右腕を振るい魔力で繋がっている得物が向かってくるのをルインはしゃがんで躱し前へと踏み込み相手の腹に剣で深く切り込む。魔力を切り裂きその先にある肉体に深々と傷をつける。
ルインを挟み潰そうと相手の両腕が迫ってくる。ルインは左腕を突き出し再び至近距離から爆破魔法を放ち、爆発の衝撃で後方へと距離を取る。目の前で猿の両手が勢いよく合わさり、大きな音を立てる。ルインは両腕目掛けて魔力弾を高密度で発射させ腕の魔力を散らす。
回避したルインに追い打ちをかけるように右腕に繋がった得物が斧のように振り下ろされてくる。ルインは即座に障壁を上に展開する。ルインをかち割ろうとしていた得物が障壁にぶつかり、猿へと跳ね返っていく。
跳ね返った得物が猿の真上に戻った瞬間を狙ってルインは魔法を発動させる。圧縮した空気の塊が得物を上から叩きつけ、真下にある右腕に深々と突き刺さった。猿の絶叫が辺りに響き渡る。
だらりと下げた右腕からだらだらと血を流しながらも猿は戦意を失うことなくルインを睨みつける。右腕に突き刺さったものを勢いよく引き抜くと勢いよく血が噴き出すが、すぐさま肉が盛り上がってきて傷口が塞がり、その上から魔力が覆い元に戻った。
傷をつけてもすぐさま元に戻るのではいつまでも硬直状態のままだ。
「もう少し楽しみたいがそろそろ終わらせてもらうぞ」
ルインは左腕を突き出して猿に向ける。向けると同時に猿の周囲——前後左右に四つの魔方陣が現れ、猿を中心にして周囲を回り始める。周囲を取り巻く魔方陣を不気味に感じたのか魔方陣の外に出ようとするが、魔方陣も猿の動きに合わせて移動する。
「貴様がどこまで耐えられるのか確かめてやろう」
猿の足元に体がすっぽりと入るほどの大きな魔方陣が現れ、赤く輝き始める。理解できない状況に不安を覚えてルインに向かって走ってくるが、もう遅い。穏やかにルインは鍵となる言葉を口にした。
「インフェルノ」
次の瞬間、猿の足元から凄まじい威力の炎が噴き上がった。噴き上がった炎は足元の魔方陣の外へ出ることなく真っ直ぐ上へと昇っていき、周囲を回る魔方陣の動きに合わせて渦を巻いて中の魔獣を包み込む。全身を業火で焼かれる中、もだえ苦しみながら抜け出そうとするが魔方陣が移動することでそれを許さない。
その間もルインの攻撃は止まることは無い。
渦巻く炎によって身を守る魔力が一気に消し飛んで肉体を焼いていき、何もしなくても呼吸をするたびに炎が喉や肺を焼いていく。炎の中からこれまで聞いたことも無いような絶叫が聞こえてくるが、ルインはただその光景を眺めるだけだ。
足元の魔方陣が更に輝きを増し、とどめと言わんばかりに倍以上の火力となり猿に襲い掛かった。あまりの火力に猿の肉体はとうとう耐え切れなくなり、瞬く間に炭へと変わり崩れ落ちて炎の中に消えていく。
呼吸もままならずただ苦しむだけの状況だった猿からすれば〝ようやく〟と思っているかもしれない。ようやくこの苦しみから解放されるのだから。
炎はそのまま雲を突き抜け天を貫く柱となった。その様子は戦場にいる誰もが目撃することとなり、見た者は様々な感情を作り出した。
ある者は敵からの新たな攻撃かと警戒を強め、ルインの魔法を知る者は作戦が成功したのだと安堵した。サーリャは砦の中から「綺麗」と感想を零しながら心奪われたかのように炎柱を見上げる。
そしてもう一人……。
目を見開き驚愕の思いで炎を見上げる者がいた。戦場にいるにも拘らず腕を下げ無防備な状態で見上げ続けていた。
サーリャは砦の入口から周囲を窺い、問題無いと判断するとゆっくりと外に出た。辺りには動くものは何もない。あるのは物言わなくなった死体だけだ。
猿らしき大型の魔獣をルインが討伐してからはもはやただの掃討戦に変わってしまった。周囲の魔獣はルインの圧倒的な力を見せつけられて恐れをなしたのかすぐさま反転して逃げ出そうとしたが、ルインの作り出した氷壁に阻まれ叶わなかった。
「さて。これだけ暴れればあとは騎士団だけでも対応できるだろう。そろそろ俺は帰って寝たいんだが……」
「ふふっ。ちゃんと食事くらいはとりなさいよね。言っておくけどパスタで済まそうなんて考えないでね。それでも助かったわ。来てくれてありがとう」
いつもの気だるげなルインに戻っているのを見てサーリャは自然と笑みがこぼれる。なんだかんだで彼はサーリャ達を助けてくれたのだ。
騎士団の隊長も遅れてやって来てからは何度もルインに頭を下げて感謝の言葉を伝えている。ルインは迷惑そうに雑な返事をしているが、サーリャからすればただの照れ隠しのようにも見える。
「救援が来るまでは無茶はするなよ。せっかく助けたのにそのあと無茶をして死んだなんて笑えんからな。……それじゃあな」
「待って‼」
帰るためにルインが転移魔法を発動させようとしたところで絶叫にも近い女性の声が突如聞こえてきて、その場にいる誰もが何事かと身構えた。そして声を発した人物を見た誰もが驚愕の表情になった。
「ミラン様⁉」
視線の先には誰もが知っている英雄が立っていることにサーリャは目を見開いた。なぜ英雄であるミランがこの場にいるのだろう。ミランの周りに同行者は一人もおらず、単身でここまで来たのだと判断できる。余程急いでいたのか肩で大きく息をしている。
「ルイン……本当にあなたなのね。生きていてくれたのね」
「えっルインってミラン様と知り合いなの⁉」
ルインを見て今にも泣きだしそうなミランの態度も気になるが、ルインがミランと顔見知りだという事実の方がサーリャからすれば衝撃的で思わずサーリャは二人の顔を交互に見る。謎が多いルインには散々驚かされてばかりである程度慣れたと思っていたが、まさか英雄と顔見知りだとは予想していなかった。
しかしルインの反応は冷たかった。
「知らんな。別の誰かと間違えているんじゃないか」
「えっ?でも……」
名前まで呼ばれておきながら人違いは無いだろう。ルインの明確な拒絶に戸惑いながらミランへと振り返ると、拒絶されたことがショックだったのか大きく傷ついた表情になっている。
「英雄殿が来たなら俺がいる必要性は無いな。俺は帰らせてもらう」
「あ、……えっと」
「ルイン待って」
嘲笑うかのようなルインの言葉にどう反応すればいいのか迷っていたサーリャだったが、ルインの帰るという単語に大きく反応したミランは必死に呼び止めようとする。
「あなたにどうしても言いたいことがあるの!だから私と一緒に王宮へ——」
「黙れ」
「っ!」
ミランの呼びかけは途中でルインの低く冷たい一言で断ち切られた。断ち切られただけではない。感情が昂ぶり全身から魔力が漏れるほどの明確な敵意が周囲に向かって放たれる。ルインの感情に魔力が呼応し、サーリャが騎士学校で見せた時とは比べ物にならないほどに空間が歪んでルインを中心に地面に亀裂が広がる。ここまで感情をあらわにしたルインをサーリャは初めて見た。
「王宮に来いなどとよく言えたもんだな。どうやら貴様は何も変わっていない。貴様の言葉など欠片も信じるに値しないし聞いてやるつもりもない。英雄を演じたければ俺の視界に入らないところで好きに演じていろ」
それだけ言い残すとルインは転移魔法を発動し姿が消えてしまった。残ったのは大きく傷つきその場で立ち尽くすミランと状況が理解できないサーリャだった。
(ルイン。あなたは過去に一体何があったの)
大氾濫から一か月後。
サーリャは騎士寮にある自室でベッドの上で寝転がりながら一人物思いに耽っていた。
大氾濫は結果的に人類の勝利で幕を閉じた。ルインが倒した猿の魔獣と同等、あるいはそれ以上の強さを持った強力な魔獣がいなかったことと、その後にルインが相当な数を撃滅したことにより全体数が少なくなっていたことが幸いしていた。それでも騎士側にも相当な被害が出ているので素直には喜べないところでもある。
上官であるミジェラの命令に従わなかったサーリャや第四騎士団は特に罰を受けていない。噂によればミジェラは降格させられたあと領地に戻されたようだが、サーリャにとってはどうでもいいことだ。
……あの日からサーリャはルインと顔を合わせていない。大氾濫の後始末と事情聴取で忙しかったのもあるが、それ以上にサーリャ自身が行くのを躊躇っていたからだった。
(あの時のルイン、まるで別人みたいだった)
サーリャの知るルインはのんびりとその日の気分で行動するような人物だが、その認識が簡単に吹き飛びかねないほどの変わりぶりだった。
敵意と憎悪。負の感情に塗りつぶされたルインは今まで見たことが無い。過去を知りたいと思う気持ちはあるが、簡単に踏み込んではいけない内容だということも理解できる。
「あ~。どうしたらいいのよ」
答えの出ない悩みに苦しんでいるサーリャだったが、そんな中コンコンと控えめに扉がノックされたことで中断することになった。サーリャに来客など珍しい。いったい誰だろうと思いながら扉を開け、その先に立っていた人物にサーリャは目を見開いた。
転移魔法が発動し、見慣れた景色に切り替わったのを確認したサーリャは視線の先にある家に向かって歩き出す。すでに太陽は真上に差し掛かろうとしている。
木々のざわめきしか聞こえない中、サーリャは緊張した面持ちでルインの家に近づいていく。おそらくサーリャが訪ねてきたことにルインは気づいているはずだが、ルインの家は静かなままで何の変化も無い。
(もしかしてまだ寝ているのかしら?)
そんなことを考えながらルインの家まで残り半分となった辺り、庭の真ん中に差し掛かった瞬間——
動くな
「ひっ!」
小さな悲鳴とともにサーリャは恐怖で足を止めざるを得なかった。
何故ならどこから発せられたのかわからないほど反響したルインの声が周囲に響き渡り、一瞬の内に逃げることなど許さないように埋め尽くすほどの攻撃魔法に取り囲まれたからだった。
「可能性には気づいていた。メリットがあれば当然デメリットも存在する。それでもその可能性は低いだろうと俺は判断して俺は起動キーとなる物をお前に渡した」
こちらに対して敵意を隠そうとしないルインの声が響く中、サーリャは叱られる子供のように震えながらその場に立ち尽くす。
「転移魔法を使用する際は起動の核となるプレートを持っていなければならない。他人への貸出や譲渡は一切許可しない。確かにその点に関してはクリアしている。そのうえでお前は抜け道があることに気づいた。〝使用者と一緒にプレートに触れていれば共に転移できるのではないか〟と」
サーリャの目の前でゆっくりと玄関の扉が開いていき、ルインが姿を現す。服装こそラフな普段着だが、動きに一切の隙が無くこちらの動きを観察しながら臨戦態勢だ。
「同時に転移できる人数に限りがあるから少数精鋭で来るとは思っていたが、最高戦力を送り込むとはよほど俺の命が欲しいらしいな」
スッとルインの視線がサーリャの左にズレる。
「そうだろう?ミラン・リルコット」
サーリャの隣でミランが息をのんだのが分かった。
ルインは玄関先で警戒を緩めることなくサーリャを睨みつける。
「さて、どういうつもりなのか説明してもらおうかサーリャ・ブロリアス」
「えっと……これは……」
しどろもどろになりながらサーリャはびっしょりと冷や汗を流していた。
(ひぃぃ。やっぱりルイン怒ってる)
当たり前と言えば当たり前なのだが、約束を最初に破ったのはサーリャ自身だ。問い詰められることは分かっていたのだが、改めて本人から追及されると何も言えなくなってしまう。
サーリャ達を取り囲む攻撃魔法はいつでも発射可能状態になっており、ルインがその気になればいつでもサーリャ達の命を奪える。
「上官の命令に逆らってでも自分の信じる道を選んだその意気込みに少しは感心したのだが、どうやら俺の思い違いだったようだな。お前も俺の敵になるようだしな」
「それは——」
「それは違うわルイン」
すかさず反論しようとしたサーリャだったが、その前にこれまで一言も話さなかったミランが口を挟んだ。今のミランは騎士の制服を身に着けておらず、私服姿で帯剣もしていない。
「ここに連れてくるように命令したのは私よ。彼女はそれに従っただけで何の責任も無いわ」
「ミラン様何を言っているのですか!ルイン、確かにお願いはされたけどここに連れていくと決めたのは私よ。約束を破ったのは私なのだからルインが怒るのも無理はないわ」
もしも脅迫されていたのならばプレートの存在を教えずに転移すればよかった。それならば転移するのはサーリャだけでミランはその場に取り残されることになる。サーリャはルインに助けを求めればいくらでも対応はできたはずだ。それをしなかったのはサーリャの判断だ。それでもミランは首を横に振り懸命に言いたいことを伝えようとする。
「あなたが私を信用できないのは理解しているわ。その怒りがどれほどのものなのか私には推し量ることはできない。それでも……それでも今日だけでもいいからあなたと話をさせてちょうだい!そのあとあなたが望むなら私はあなたに八つ裂きにされても構わない」
ミランの覚悟にギョッとし、慌ててミランの方を振り返ったサーリャは見てしまった。
普段の凛々しい姿で皆を引っ張り、希望の象徴であるミランが今にも泣きだしそうな表情でルインを見ている。胸元に当てた手はギュッと服を掴んでいて、必死さが伝わってくる。だからこそサーリャもルインを説得するために口を開く。
「ルイン、私からもお願い。今日だけでもミラン様と話をしてあげてくれないかしら」
サーリャも頭を下げてルインに頼み込む。ルインの過去に何があったのかはまだわからない。それでもここまでの反応を示すからにはよほどのことがあったのだろう。だからこそこんな人の立ち入らない場所で一人静かに暮らしている。
それでもサーリャはミランと話をして欲しいと思っている。
誰とも関わらず、人ではない化け物に囲まれた森の中で一人隠れるような暮らしを続けてほしくない。
「どいつもこいつも自己犠牲を体現したような奴らばかりだな。お前達はそれが最善だと考えているようだが、俺からすれば自分が背負っている苦しみから早く楽になりたいと思っている自己満足のパフォーマンスにしか見えん。それで相手の気持ちが楽になると自分の行動が正当化できると本気で信じていそうだな」
頼み込む二人にルインの厳しい言葉が容赦なく浴びせられる。敵意だけでなく嫌悪感までもが追加されてしまい、ルインの反応は最悪とも言っていい。
このまま追い返されるか殺されるか。覚悟を決めようとしたところでルインが不意に背を向けた。
「……下手なことはするなよ」
「えっ?」
二人を取り囲む魔法がすべて消失し、ルインはサーリャ達をそのままにして家の中に一人で入ってしまった。サーリャとミランの二人だけになった空間でしばらく時間が止まったかのように固まっていたが、しばらくしてサーリャは隣で固まったままのミランにおずおずと声をかけた。
「えっと……とりあえず中に入りましょうか」
向かい合う形でソファーに座った三人は言葉を交わすことなく黙ったままで時間だけが過ぎていく。ルインとテーブルを隔てて向かい合う形で座っているミランの隣でサーリャは居心地悪そうにお互いを見ることしかできないでいた。少しでも話しやすいようにとサーリャが淹れた紅茶のカップはそれぞれの前に用意されているが、誰も手を付けない。
ルインは自分から話すつもりが無いのか腕を組んでおり、隣のミランに関してはどう切り出していいのかわからないのか口をパクパクさせるだけで会話すら始まっていない。
この状況に流石のサーリャも頬を引き攣らせながら内心呆れていた。
(なんて面倒くさい二人なの)
話し合いに来たはずなのに一人は完全に会話をするつもりが無く、もう一人は普段の姿からは想像もできないくらい奥手になって話すことさえ躊躇っている。埒が明かない状況にサーリャは仕方なく助け船を出すことにした。
「あの~。事情を知らないので良ければ二人の関係を改めて教えてくれないでしょうか」
「あ、ごめんなさいね。サーリャさんからすればそう思っても仕方ないわね。ルインと私はかつて同じ騎士団に所属していたのよ。騎士団と言ってもメンバーは私とルインの二人しかいなかったけどね」
「サーリャと呼んでくださいミラン様。それで、どうしてミラン様とルインの二人だけしかいないのですか?」
「純粋に実力の差ね。私とルインの実力に周りが追い付いて来れなかったのよ。私が正面から斬りこんでルインが周りを薙ぎ払っていたから二人でも特に不都合が無かったのよ」
「あぁ。そうですか」
サーリャは少し遠い目になりながら納得せざるを得なかった。一対一での戦闘に特化しているミランと広範囲の殲滅に特化したルインが組めば敵なしだ。
俺達の馴れ初めを話しに来たわけじゃないだろう。サーリャ、ルルミラを犠牲にした大氾濫についてはどこまで知っている?」
「当時の騎士団全員で対処したのでしょう?それでも防ぎきれなかったからルルミラに魔獣達を誘い込んでまとめて封印したのよね」
「サーリャよく考えてみて。あれだけの規模を封印するとなるとルルミラで魔獣達の進行を押し留める必要があるわ。それが可能なのは誰?」
「それって!」
ミランからの補足でサーリャはハッとなり目の前に座る人物に目を向けた。そんなことが可能な人物をサーリャは一人しか知らない。
「それがルインなの?」
「そうよ。封印の準備が整うまでの時間稼ぎ——遅滞戦闘を担当していたのが彼よ。彼のおかげで作戦は成功したといっても過言ではないわ。英雄と呼ばれるのは本当ならルインのはずだったわ。……けれども、逆に成功してしまったことでルインが狙われるきっかけにもなったわ」
「成功したから?」
どういうことだろう。作戦が成功し多くの人を守れたはずなのに何故狙われる必要があるのだ。
「あなたとルインの使用する魔法技術は私達からすれば理解できる範囲を超えているわ。詠唱を必要とせず瞬時にどんな魔法も展開できるなんて反則もいい所よ。理解できないからこそ人はそれを使う者を恐れるわ。なぜそんな力を使うことができるのか。その力をどうやって手にしたのか。その疑問は陛下も例外ではなかったわ。その結果起こってしまったのが……」
ルインの捕縛命令
ミランによればルインの捕縛に関しては多くの人員が投入されたらしい。それこそ一人を捕まえるにしては明らかに多すぎる規模で。ルルミラの件がまだ完全に収束していないのにも拘わらず人員を割くなど通常なら考えられない。
事前に動きを察知していたルインはすぐさま王都を脱出したらしい。
「どうしてルインは逃げ出したの?私の時みたいにきちんと説明すればわかってもらえたんじゃ……」
「簡単なことだ。俺を捕らえるように進言した連中は俺の存在を疎ましく思っていた貴族どもだった。捕縛と言っているが最後は処分するのが目的だとわかりきっていた。それに時間が経つにつれて無詠唱を使う俺への認識が悪くなり、最後は正常な判断ができるやつがいなくなっていた。まともな奴ならあんな命令など素直に従わないぞ」
「っ!」
ルインの言葉にミランはびくりと身体を震わせた。膝の上に乗せている手は固く握られ、あまりの力に指先の関節が白くなってしまうほどだ。異常ともいえる反応にサーリャは猛烈に嫌な予感を感じた。
「その命令って……」
恐る恐る尋ねたサーリャの言葉にルインはすぐには返さなかった。目の前にあるカップに口を付け、一息つく。
カップを再びテーブルに置くとルインは淡々とした口調で告げた。
「俺と俺に協力したであろう者達全員の殺害だ」
あまりの内容にサーリャは自身の中で何かが崩れるような音がした。
数年前——
雨上がりでぬかるんだ地面をものともせず、ルインはスピードを緩めることなく森の中を進んでいく。
「ちっ!しつこい奴らだ」
背後をちらりと確認したルインは思わず悪態をつく。追っては相変わらずルインの後方から迫ってきている。見えるだけでも四人はいるが、あくまでも見える範囲内だけだ。おそらくさらに後方には倍以上の人数がいるだろう。
捕縛命令が出て既に半月。その間ルインは休むことなく逃走を続けていた。
(俺一人の為にこれだけの人数を割くとは暇な奴らだな)
追っては常に交代要員が後方に控えており、長期の追跡任務でも支障はない。しかし追われる側のルインは常に逃げ続けなければならず、休まる時が全くない。精神的にも体力的にもそろそろ限界が来ており、このままではいずれ追い付かれる。
(一度派手に魔法を撃ち込んで攪乱させておくか?)
これまで戦闘は何度かあったが、ルインはできる限り殺傷は控えている。追われる身となっても相手はかつての味方だ。仲間を傷つけることには抵抗がある。
そう考えていたところでルインの死角から何かが高速でルインへと迫ってきた。
「なっ⁉」
咄嗟に迫ってくる方向に障壁を展開するが、飛来した何かは易々と障壁をぶち破りルインを勢い良く吹き飛ばす。受け身を取ることすらできずゴロゴロと地面を転がり、慌てて起き上がると視界が開けて明るくなっていた。どうやら森の切れ目に出たようで、ルインのすぐ背後には崖が迫っている。
「とうとうお前まで参加するようになるとはな。英雄とは随分と暇な役職のようだなミラン・リルコット」
口の中の血を吐き出しつつ、ルインは正面に立つ相手を睨みつけた。
ルインの視界の先にはミランが盾を正面に構えたままの状態で立っている。先程障壁を破ったのは彼女のシールドバッシュだろう。
「ルイン、ここまでよ。大人しく私達と一緒に王宮に戻ってちょうだい」
「残念だが俺はお前達と戻る気は無い。自分から殺されに行くなど馬鹿のやることだろう」
「どうして⁉審問を受けるだけじゃない。潔白を証明できればあなたはこんなことをしなくて済むのよ!それなのにどうして……」
どうして理解してくれないのかと悲しげな表情を見せるミランに流石のルインも怒りが湧いた。
「ふざけるな‼今回審問を担当するのは俺を危険視している貴族どもだろうが!危害を加えようとしてくる奴らに無防備になれと本気で言っているのか!」
審問では虚偽の報告ができないように魔法に対する一切の抵抗を無くさなければならない。つまり審問と偽って害意を向けられればルインは何の対処もできないことになる。中立で公平な立場の者が担当するならまだいい。しかし今回は明らかにルインに対して良い感情を持っていない者なのだ。警戒するなと言う方が無理である。
「私が立ち会ってそんなことはさせないと約束するわ。それに陛下の命令よ。少しでも憂いを無くそうとしているのだから仕方ないでしょう」
「ならばあの命令はどうなんだ!無関係な人を命令だからと言って虐殺することが仕方ないことだと必要なことだと思っているのか‼」
殺害対象が自分だけではなく協力した者達にまで広がり、それを命令だからと言って従うなど正気とは思えない。
「報告通りあなたのその力が悪魔に魂を売り渡すような邪悪な手段で手に入れたのだとしたら放置することはできないわ。協力者がいるのならその者達も同罪よ。あらゆる脅威から王国を守るのが私の使命よ」
「……それがお前の選択なのか」
ルインの呟きにミランは何も答えず、代わりにこちらを安心させるかのように微笑みを浮かべている。しかしその目は全く笑っておらず、瞳の奥にはどす黒い感情が見え隠れしているのをルインは見逃さなかった。今のミランはルインからすれば優しく手招きしている死神にしか見えない。
これ以上は何を言っても彼女には届かないだろう。
「悪いが俺はこのまま行かせてもらう」
はっきりとルインが告げると微笑みを浮かべていたミランの顔から感情が抜け落ちた。
「いいわ。あなたの意思が変わらないのなら仕方ないわね。王国を守る騎士としてあなたをここで討つ。——やりなさい」
ミランの後ろで待機していた騎士が一斉にルイン目掛けて魔法を放つ。射線上にある木々など容赦なく吹き飛ばしながら向かってくる魔法をルインは障壁を展開して受け止める。ルインは決断を迫られていた。ミランが参加している以上手加減ができる状況ではない。ミランも魔法の詠唱を始めている。
(悪く思うなよ!)
ルインは一帯を吹き飛ばそうと素早く魔法を構築し腕を振るおうとしてその動きが止まった。視線の先にはかつての仲間達がいる。こちらに殺意を向けてくる仲間達の顔にかつて他愛なく笑い合っていた時の表情が重なる。
「あっ……」
僅かな隙をミランは見逃さずミランが剣に雷撃を纏わせて突っ込んでくる。殺意を隠そうとしないミランの鋭い突きが障壁にぶつかりその勢いを止める。目の前のミランの表情に圧されてしまいルインはたじろぐ。
障壁で止められているミランの剣先に雷撃が集まり、障壁を突き破って雷撃がルインを貫き、そのまま後ろへと倒れる。背後にあるのは崖だ。
(まさかこんな終わり方とはな)
落ち行く浮遊感と薄れゆく意識の中、ルインはこれまでのことを振り返っていた。
ただ守りたかった。少しでもその助けになればとこれまで力を振るい続けてきた。無詠唱という特殊な力も隠すことはしなかった。今は理解されなくてもいつか仲間達は理解してくれるだろうと。——その結果がコレだ。
行動の見返りとして返って来たのは恐怖・不安・嫉妬などの負の感情だけだった。これまでのすべてを否定されたような気がして閉じた目の端から涙がこぼれる。
再び目を開ければ崖端からこちらを見下ろす〝敵〟が見えた。誰もが落ち行くルインを見て安堵の表情を浮かべている。
(本当に……なんのために戦ってきたんだろうな)
もうすべてがどうでもよくなり、ルインは静かに目を閉じた。
「これが真実だ。騎士は誇り高い存在だとか弱者を守る存在だとかサーリャは思っているようだが、実際は命じられればどんな内容でも疑問を持たずに遂行する駒にすぎん」
「そ……んな」
初めて聞かされる真実にサーリャは掠れた声しか出せない。知らぬ内に全身から力が抜け、ソファーの背もたれに身を預けていた。
「崖から落ちたルインはどうやって助かったの?」
「それは俺も覚えていない。気が付いた時には川の縁で倒れていたからおそらく川に落ちたんだろうな。もしかしたら無意識に障壁でも張っていたのかもしれない。別にあのまま死んでいても俺は構わなかったんだがな」
「そんな!」
自身の命にさえ関心が無いルインの態度に思わずサーリャは声を上げた。
「事実そうだろう。化け物と蔑まれ多くの村の人間を人質にするような犯罪者だぞ?さっさといなくなった方が王国も——」
「そんなこと言わないで!」
ミランが悲痛な叫びがルインの言葉を遮る。
「死んだほうが良かったなんて言わないで。私はあなたが死んだと思っていた時は本当に辛かった。自分のしでかしたことを何度も悔やんでも悔やみきれなかった。僅かな希望に縋ってあちこちあなたのことを探し回ったわ。人質の件も嘘。あなたは周りに迷惑が掛からないようにそう証言するように頼んでいたのでしょう。だからこそ被害を受けた村は一つも無かった」
ルインはスッと目を細めてミランを見る。
「……口止めをしていたはずだが?」
「誰にも悟られないように配慮して、あなたが立ち寄った村をもう一度一人で回ったわ。……時間はかかったけれど皆教えてくれたわ。あんな状況にも拘らずあなたは常に周りの心配をしていた。それに引き換え私は……」
ミランは声を詰まらせた後その場で立ち上がり、ルインに向かって深く頭を下げた。
「ごめんなさい!謝って済まされることではないし、私にその資格が無いこともわかっているわ。それでも謝りたかったの。たとえ許されなくても直接その言葉は伝えたかったの」
ルインは黙って頭を下げるミランを見るだけで何の反応も示さず、サーリャはその様子をはらはらと見届ける。
「ならばミランには俺が言うことを実行してもらおうか」
「……何をすればいいの?」
「ミランの持つ英雄という肩書き・権力・人脈。持ちえる全てを使って助けられる者はすべて救え。貴族からの圧力だの王国としてのメンツなどで止まることは決して許さん」
(えっ、その程度でいいの?)
サーリャは予想していなかった命令に首を傾げた。思っていたほど重い内容ではないのだが、ミランは何かに気づいたのか目を見開く。
一人首を傾げるサーリャにルインが補足するように説明する。
「簡単なことではないぞ。周りからの干渉を一切受け付けずに人助けをするんだ。都合の悪い貴族からの反感を買うことは免れないし、場合によっては王の意思にも逆らうということだ。下手をすれば俺のように排除の対象になるかもしれない。これまで持っていたものをすべて捨ててしまうかもしれない。——その覚悟はあるのか?」
試すようなルインの言葉にミランはすぐさま頭を上げた。横顔から覗く表情は先程までの暗さは無く、覚悟を決めた強い意志が宿っている。
「覚悟はある!ルインが果たせなかったことのすべてを私が引き受けるわ」
「……そうか。ならば俺からはこれ以上何も言うつもりは無い。ここからは行動で示してもらう」
「ありがとう」
(良かった)
再び頭を下げるミランを見ながらサーリャは隣で安堵の息を吐き出した。そもそも言葉を交わすことすらさせてもらえないのではと危惧していたが、ミランはこうしてルインに謝ることができた。すくなくともミランを連れてきたことは間違いではなかったと思う。
「それにしてもルインのあの傷はミラン様が付けた傷だったのね。私はてっきりこの森でルインが怪我をするくらいの魔獣がいるのかと思ったわ」
「そんな奴がいたら今頃サーリャは生きてはいないぞ。それに人の裸を見て勝手に騒いでいたのはそっちだろう。またお得意の妄想でもしていたのか?」
「えっ?」
「そ、そんなこと考えていないわよ!人を変態扱いしないでちょうだい」
先程とは違って緩くなった空気の中、顔を真っ赤にさせながらサーリャは身を乗り出しながら喚いた。ミランの前でなんてことを言うのだ。そんなサーリャをルインは鼻で笑う。
「どうだか。下着姿を見たぐらいで顔を真っ赤にさせながら妄想を膨らませるくらいだぞ。普段からいろいろと考えているんじゃないのか?」
「あ、あなたね~」
プルプルと体を震わせながらサーリャは呻く。一度ルインとはその辺りについて真剣に話し合った方がよさそうだ。もしくはルインの料理を激辛にでもして苦しませた方がいい。
「あ、あの……」
「えっ?」
そんな中、隣のミランがなぜか躊躇うように声を上げたことでルインとの会話が中断した。ミランはサーリャとルインを交互に見ながらなぜか申し訳なさそうな表情になっている。
「ごめんなさい。あなた達がそんな関係だったなんて知らなかったわ。サーリャには辛い話だったわね」
「はい?」
サーリャの思考がますます混乱する。自分とルインがどうしたというのだ。そしてなぜ謝られなければならないのだ。サーリャは先程までのルインとの会話を振り返り……そして気づいてしまった。
ルインの裸をサーリャは見ており、ルインもサーリャの下着姿を見ている。それに加えて互いが気軽に話せる間柄。そこまで揃えば周りからどう思われるのかなど明白だ。引き始めていた熱が再び顔に戻ってくるのが嫌でもわかってしまう。
「ル、ルインとはミラン様が思っているような関係ではありません!」
「わかっているわ。私の前だからって隠さなくても大丈夫よ。心配しなくても誰かに言うつもりは無いわ」
「だから違いますってば‼ルインも何か言いなさいよ!」
なかなか分かってもらえないミランの誤解を解くのにサーリャはさらに労力を使うことになった。
サーリャが必死に説明したおかげでミランの誤解が解け、和やかな空気になった頃におもむろにルインが切り出した。
「もう一つ気になっていたんだがサーリャはこれからどうなるんだ?」
「私?」
話題が自分のこととなったが、ルインの発言の意味が分からずサーリャは自分を指さしながら首を傾げる。
「今までの話を聞いていなかったのか?無詠唱という異物が存在したことで今回の騒動が起きたんだぞ。無詠唱が使えるサーリャにも同じことが起きないとは言い切れないだろう」
「そう言われても私にはどうすることもできないじゃない。そもそもだけど騎士になったばかりの私を危険視するかしら?」
英雄と呼ばれるに相応しいルインとは違いサーリャは無詠唱を使えるといっても所詮は新米騎士。周囲への影響力など皆無で何かが起こるとは考えにくい。
しかしルインは静かに首を横に振る。
「甘いな。影響力が無いうちに刈り取っておくのがアイツらのやり方だぞ。この先余計なちょっかいが入るのは間違いないだろう」
この先の騎士生活に暗雲が立ち込めてきたが、そんなサーリャに思わぬ援護が入った。
「その点は心配しなくていいわ。サーリャは私の部隊に入ってもらうつもりよ。下手なちょっかいは出さないと思うし、正面から私と敵対するような貴族は少ないでしょう」
「えーー!私がミラン様の部隊にですか⁉」
驚きの声を上げるサーリャを見ながらミランはにこりと笑う。
「安心しなさい。ルインがいた時と同じでメンバーは私しかいないわ。サーリャが入ってくれてもう一度部隊と呼べるようになるから」
「そういう意味じゃないのですけど⁉」
確かにミランという後ろ盾はサーリャにはとても心強い。しかしサーリャが気にしているのはそこではない。
「私、ルインほどの実力はありませんよ」
戦場でルインの戦いを間近で見ていたサーリャはよく理解している。ミランの隣でルインと同じだけの働きができるかと問われればサーリャは即座に否と答えられる。それだけの差がルインとの間にはある。
「その点に関しては問題無いわ。私が責任もって鍛えてあげるわ」
「それは名案だな。ミランは対無詠唱戦闘も心得ているから安心してボコられて来い。ミランは手加減など一切しないからいい経験になるぞ」
当の本人は置き去りに英雄級の二人だけで勝手に話が進んでいく。二人からの視線を受けたサーリャは反論できず、ガックリと肩を落として小さく「はい」と答えることしかできなかった。
ルインに会いに来ることができミランの目的も果たせたことで長居する理由が無くなったサーリャ達は王都へ帰るために玄関まで移動した。ミランが先に外へと出て行き玄関先でルインと二人きりになったタイミングでサーリャはルインへと近づいた。
「ルイン。あなたとミラン様の間に起きたことは二人の問題だから私から口出すべきことではないのは分かっているわ。それでももう少しお互いに歩み寄ってもいいんじゃないかしら」
外にいるミランには聞こえないようにサーリャは少し声を落とす。
「ルインが受けた仕打ちに対して許せないという気持ちは理解しているつもりよ。だけど、ミラン様もルインを傷つけてしまったことに対して後悔していることも事実よ」
リビングでサーリャがルインと言い合いをしている時に気づいてしまった。二人を見るミランの表情が寂しげだったのを。かつては今のサーリャとルインのような親しい間柄だったのだろう。
「それとこれも返しておくわ」
サーリャは首から下げていたものを外してルインに差し出した。その手にはルインから貰った転移魔法のカギとなる一枚のプレートがある。どのような理由だとしてもルインとの約束を破ったことには変わりはないので返さなければならない。
しかしルインはプレートを受け取らず、逆にプレートを持つサーリャの手をゆっくりと押し戻す。
「また来る時に必要になるだろうが。俺は毎回迎えに行くような面倒なことをするつもりは無いぞ」
「それって!」
「……今回は特別に見逃そう。次無断で誰かを連れて来たら今度こそそれまでだ。覚えておくことだな」
ルインはそれだけ言うと視線をサーリャからその背後にある玄関扉に向ける。数秒黙って扉を見つめていたルインだったが、仕方なさそうに小さく息を吐き、サーリャよりも先に玄関扉を開けた。サーリャもその後をついて行く。
「おい、ミラン・リルコット」
家から少し離れ始めていたミランがルインに呼び止められてこちらに振り返る。
「俺はこれまでのことを許すつもりは無い。英雄ミラン・リルコットは信用することはできない」
「わかっているわ。今まで言いたかったことがやっと伝えることができたから、もう今後あなたと——」
「ただし!」
寂しげなミランの言葉を遮るようにルインは言葉を重ねる。
「ただのミラン・リルコットならば話し相手ぐらいにはなってやる。俺が言いたいのはそれだけだ」
それだけ言うとルインはミランからの返事を待たずにさっさと家の中に戻ってしまった。静かに扉が閉められ残ったのはサーリャとミランのみ。
「本当に面倒くさいわね」
サーリャはその場で小さく笑うとミランに駆け寄り「行きましょうか」と促し、先に転移魔法人のある場所まで歩き始めた。ミランは何も言わず歩き出したのが気配で分かった。
速度を落としミランと並んで歩く二人は言葉を交わさず黙って歩き続けていたが、おもむろにサーリャは前を向いたままミランに声をかけた。
「良かったですね。また来れますよ」
「……そうね。今度来るときは何かお土産を持ってこないといけないわね」
「それはいいですね。何か甘いものでも買っていきたいですね」
サーリャは前を見続け決してミランの方を見ない。今のサーリャにできることは気づかないことだけだ。ミランの声が震えていたことも、視界の隅でミランの頬で何か光るものがあったこともすべて。
サーリャはふと空を見上げた。見上げた先には気持ちいいほどの青空が広がっている。その光景は今のサーリャの心境を現しているかのようだ。
明日からまた新たな日常が始まるのだ。不安が無いわけでは無いが今は期待の方が大きい。無詠唱という存在はサーリャの日常を大きく変化させるまさに魔法のような存在だ。改めて出会えたこの奇跡に感謝するしかない。明日への期待を膨らませながらサーリャは自然と首から下げた青いプレートに優しく指を触れ、転移魔法でその場を後にするのだった。




