第十五話 再会と腹ぺこ少女
「うひょー!」
「いっぱいある!」
店先に並べられた焼き菓子を前に、真白とモモは完全に釘付けになっていた。
「どれにするのじゃ……」
「これもおいしそう!」
「二人とも、まだ買っていいとは言ってないんだけど」
追いついた結衣が呆れたように言う。
明日華も苦笑しながら、その隣に立った。
「まずは何があるのか見てからにしましょう」
「全部!」
「全部じゃ!」
「駄目です」
即座に返され、二人が揃って肩を落とす。
その様子を、ノアはラピスを抱いたまま静かに見ていた。
店先からは、焼き上がったばかりの菓子の甘い香りが漂っている。
真白は目を輝かせ、鼻をひくひくと動かした。
「いい匂いなのじゃ……」
ところが。
ぴくり。
真白の耳が動いた。
「……?」
もう一度、鼻をひくひくさせる。
今度は、菓子ではない。
真白がゆっくりと顔を上げた。
そして大通りの向こうへ顔を向ける。
「真白?」
結衣が首を傾げた。
真白の耳が、またぴくりと動いた。
その表情が一変する。
「――かか様!」
「え?」
次の瞬間。
真白は弾かれたように走り出した。
「真白!」
結衣が慌てて声を上げる。
だが、真白は止まらない。
行き交う人々の間を縫い、ものすごい勢いで大通りを駆けていく。
「かか様ぁぁぁー!」
その声に、一人の女性が振り返った。
「あら?」
そして、こちらへ一直線に駆けてくる真白を見つける。
「あらあら、真白ちゃん」
「かか様ー!」
真白は速度を緩めることもなく、その胸へ飛び込んだ。
美琴はその小さな身体を、難なく受け止める。
「かか様! かか様!」
「はいはい。元気そうね、真白ちゃん」
真白は美琴にしがみつき、嬉しそうに頬を擦りつけた。
かなりの勢いで飛び込んだはずなのだが、美琴は僅かに身体を引いただけだった。
パンゲアへ来た美琴たちもまた、周囲を満たす魔素の影響を受け、以前より身体能力が強化されていた。
やがて追いついた結衣が、そこで足を止める。
「……お母さん?」
美琴の後ろには、穏やかな笑顔を浮かべる隆志が立っていた。
「結衣」
「お父さん……」
結衣の目が大きく見開かれる。
その横で、明日華も息を呑んだ。
「お母様……お父様……」
「結衣、明日華」
美琴が微笑んだ。
それだけだった。
「お母さん! お父さん!」
「お母様! お父様!」
二人は同時に駆け出した。
美琴と隆志も腕を広げる。
結衣と明日華がその胸へ飛び込み、四人は互いを確かめるように抱き合った。
「元気だった?」
「うん……!」
「お母さん……!」
「明日華も。よく頑張りましたね」
「はい……!」
突然の再会だった。
パンゲアへ来てから、会いたくても会えなかった家族。
もう一度会えると信じてはいても、本当にその日が来るのかは誰にも分からなかった。
だから今は、言葉よりも互いの温もりを確かめることの方が大切だった。
少し離れた場所で、ノアが黙ってその光景を見つめていた。
いつもなら真白と一緒になって甘味へ飛んでいくモモも、今だけは騒がず、ノアのそばを静かに飛んでいる。
しばらくして、結衣が顔を上げた。
「でも、お母さんたち……どうやってここへ来たの?」
「そうですね。その話もしないといけませんね」
美琴が微笑む。
そして周囲を見回した。
いつの間にか、往来の真ん中で抱き合っている一行を、行き交うドワーフたちがちらちらと見ている。
「ここで立ち話もなんですから、そこのお店に入りましょうか」
「お店!」
真白の耳がぴんと立った。
さっきまで目指していた甘味の店である。
「甘いのじゃ!」
「真白ったら……」
結衣が涙の残る目で笑った。
モモもすぐにいつもの調子を取り戻す。
「甘いの食べるー!」
「はいはい」
美琴も笑いながら歩き出した。
そのとき。
「……え?」
蒼姫だけが動かなかった。
その視線は、隆志の肩へ釘付けになっている。
そこには一羽の黒い鳥がいた。
これまで再会に気を取られ、まったく意識していなかった。
だが。
蒼姫には分かる。
その姿。
その気配。
そして、自分の奥深くにある何かが、その存在を知っていた。
「まさか……」
黒い鳥が蒼姫へ顔を向ける。
「おお、蒼姫か」
「――始祖様!」
蒼姫がすぐに人の姿へ変わった。
そして片膝をつき、頭を垂れようとする。
「よいよい」
八咫烏が翼を軽く動かした。
「そのような堅苦しいことはせんでよい」
「ですが……」
「わしは退屈じゃったから、この者たちについて来ただけじゃ」
「退屈……」
蒼姫が顔を上げる。
あまりに気楽な言葉に戸惑ってはいるものの、その表情はどこか嬉しそうだった。
「元気にしておったか?」
「はい!」
蒼姫が大きく頷く。
それを聞いていた結衣が目を丸くした。
「始祖様って……蒼姫の?」
「はい」
「ということは……」
結衣が隆志の肩に止まる黒い鳥を見る。
「神話に出てくる八咫烏様!?」
「神話か」
八咫烏は愉快そうに首を傾ける。
「まあ、好きに呼ぶがよい」
明日華が一歩前へ出て、丁寧に頭を下げた。
「これから、よろしくお願いいたします」
「うむ」
八咫烏が頷く。
「これからは、お主たちと共にある。よろしく頼むぞ」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
結衣も頭を下げる。
真白は美琴に抱きついたまま、隆志の肩をじっと見上げていた。
「……黒いのじゃ」
「真白ちゃん」
美琴が困ったように笑う。
「はっはっは!」
八咫烏は気を悪くするどころか、大きな声で笑った。
◇
その頃。
評議会で行われていた会合も、ひとまずお開きとなっていた。
今後については改めて話し合うこととなり、参加していた者たちはそれぞれ席を立つ。
まだ日が暮れるまでには時間がある。
せっかくドワーフの里まで来たのだからと、それぞれ興味のある場所を見て回ることになった。
ノーノーは、里でも最大規模を誇る工房へ向かう工房長についていくことになった。
魔道具や技術に興味のあるセシリアも一緒だ。
ライガとガルドはというと。
「冒険者ギルドがあるらしいな」
「ああ。酒場も兼ねているそうだ」
「ほう」
ライガの目が輝いた。
「行くぞ、ガルド」
「最初からそのつもりだっただろう」
二人は迷うことなく冒険者ギルド兼酒場へ向かっていった。
セリナは神殿へ。
リーファは、ハイエルフの里からこちらへ来ている職人たちの工房を訪ねるという。
そして透は、一人で町を歩いてみることにした。
「さて……」
評議会の建物を出た透は、大通りを見渡す。
マイスターベルケンへ到着してから、落ち着いて町を見る時間はほとんどなかった。
今日は特に目的を決めず、気の向くまま歩いてみることにする。
町は歩いているだけでも面白かった。
武具を並べる店。
工具ばかりを扱う店。
用途の分からない魔道具が所狭しと並んだ店。
少し奥まった場所からは、絶え間なく鉄を打つ音が響いてくる。
「やっぱりドワーフの町だな」
透は店先を覗きながら、ゆっくりと歩いていく。
そんなときだった。
「ん?」
少し先に人だかりができている。
何人ものドワーフたちが、何かを囲むように立っていた。
ただし、誰も近づこうとはしていない。
「何だろう」
透は人だかりへ向かう。
「すみません、ちょっと通してください」
人の間を抜けて中心を覗き込む。
「……え?」
誰かが倒れていた。
女性らしき人物が、大通りの真ん中にうつ伏せになっている。
まったく動かない。
「大丈夫ですか?」
透はすぐに近寄り、その横へしゃがみ込んだ。
「どうかしましたか?」
「…………」
返事がない。
「怪我ですか?」
「…………」
よく見ると、口元がわずかに動いている。
「え?」
透が耳を近づけた。
「何て?」
「……おなか……」
「お腹?」
「……へった……」
声がか細すぎて、よく聞き取れない。
「お腹が張った?」
「…………」
「お腹の調子が悪いんですか?」
「ちがーーーう!」
「うわっ!」
突然、倒れたまま少女が叫んだ。
「お腹が減ったの!」
「あ……そっち?」
「もう……動けない……」
再び力尽きたように地面へ顔を伏せる。
透は少しの間、少女を見つめた。
怪我人でも病人でもなかった。
どうやら本当に、ただ腹が減って動けなくなっているらしい。
「……分かりました」
透は周囲を見回す。
ちょうど少し先に食堂がある。
「あそこの店で何か食べましょう」
「…………」
ぴくっ。
少女の身体が動いた。
「食べ物……?」
「はい」
「食べてもいいの?」
「いいですよ」
ゆっくりと。
本当にゆっくりと少女が顔を上げた。
そのまま身体を起こし、地面に女の子座りになる。
先ほどまで死にそうだったとは思えないほど、瞳がきらきらと輝いていた。
「……!」
透は思わず目を奪われた。
青みがかった銀色の髪は肩口ほどまで伸び、どこかボーイッシュな印象を与える。
同じ色合いの澄んだ瞳。
健康的に日に焼けた肌。
冒険者らしい半袖の服からは腹部がのぞき、短いズボンから伸びる脚は、細いというよりもしなやかに引き締まっている。
全体にすらりとした、筋肉質な体つきだった。
そして。
とても可愛らしい顔をしている。
「…………」
透の胸が、どきりと鳴った。
「どうしたの?」
「あ、いや……何でもないです」
透は慌てて答える。
「それより、動けます?」
「うーん……」
少女は真剣な顔をして考え込んだ。
「最後の力を振り絞れば……」
「はい」
「そこに食べ物があると分かれば……」
「ありますよ」
「本当に?」
「本当です」
「うーーーーん……!」
少女は両手を地面についた。
ぷるぷると身体を震わせながら、ゆっくりと立ち上がっていく。
「立てた……」
「そこまでですか……」
透が思わず苦笑する。
すると少女がふらりと身体を揺らした。
「危ない!」
透が手を伸ばす。
だが少女は倒れなかった。
代わりに。
ぎゅっ。
透の服を掴んだ。
「……食べ物」
「はいはい。行きましょう」
少女は透の服を掴んだまま、一歩を踏み出した。
「そっちです」
「分かる」
「え?」
「食べ物の匂いがする」
「……元気になってません?」
「まだ無理」
「そうですか……」
少女は透から手を離そうとはしない。
透は苦笑しながら、そのまま少女と一緒に食堂へ向かった。




