第十四話 評議会と甘み
翌朝。
朝食を終えた透たちは、二つの組に分かれて行動することになった。
評議会へ向かうのは、透、セリナ、リーファ、セシリア、ライガ、ガルド、そしてノーノーの七人である。
一方、結衣、明日華、真白、ノア、ラピス、モモは、マイスターベルケンの街を見て回ることになった。
「それじゃあ結衣、みんなのことを頼むな」
宿の玄関前で、透が声をかけた。
「うん。おにぃたちも頑張ってね」
「何かあったら、すぐ宿へ戻るんだぞ」
「分かってるって」
結衣は少し頬を膨らませたが、その表情は楽しげだった。
「あにさま、ご心配なく。無理に危険な場所へ近づいたりはいたしません」
明日華も穏やかに答える。
その隣では、真白とモモが、すでに街の奥へ視線を向けていた。
「甘いもの、探すのじゃ!」
「探す探す!」
「二人とも、それが目的になってるよ」
結衣が呆れたように言う。
ノアはラピスを抱き、皆のやり取りを静かに見つめていた。
「ノアも、何か気になるものがあったら言うんだぞ」
透が声をかけると、ノアは小さく頷いた。
「うん」
以前であれば、返事さえほとんどなかった。
その変化に透は微笑み、それから評議会へ向かう者たちとともに歩き出した。
◇
マイスターベルケンの評議会会館は、街の中心部に建つ重厚な石造りの建物だった。
入口の両側には、槌と歯車を組み合わせた紋章が刻まれた太い石柱が立っている。
建物の内部へ入ると、広い通路の先に大きな会議室が設けられていた。
中央には、分厚い円卓が置かれている。
その席には、議長のバルガス・グランベルをはじめ、副議長のヘルムート・ガンベルク、東西南北の各地区代表がそろっていた。
さらに、最大工房である大槌工房の工房長ゴルディアス・ハンマーフォールと副工房長ベルナー・クランツ、行政長官オルフェン・ベルクマン、騎士団長ギルバート・シュタイン、魔道具師長エルデラ・マギアスも同席している。
透たちが入室すると、議長のバルガスがゆっくりと立ち上がった。
「よく来てくださった。まずは、遠路をお越しいただいたことに礼を申し上げる」
「こちらこそ、話を聞く機会を設けていただき、ありがとうございます」
セリナが丁寧に頭を下げる。
透たちも、それに続いて一礼した。
「本日は、実際に魔鋼虫と戦った者から、詳しい話を聞きたい」
バルガスは一同を見渡した。
「古い記録に残されているものが、現在のパンゲアで本当に活動を再開しているのか。それを我々自身で判断したいと思っている」
「それでは、わしから説明しよう」
ノーノーが円卓の前へ進み出た。
いつもの小柄な姿ではあるが、その表情からは普段の気軽さが消えている。
「最初に断っておくが、これから話すことの中には、わしらにもまだ分かっておらんことが多い」
ノーノーは評議員たちの顔を一人ずつ見回した。
「だが、魔鋼虫が再び現れたということだけは、疑いようのない事実じゃ」
会議室が静まり返る。
ノーノーはまず、魔鋼虫という存在そのものについて説明を始めた。
魔鋼虫は、パンゲアに生息する魔獣とは根本的に異なる。
体内に魔核を持たず、魔素に依存せずに活動する。
硬い外殻を持ち、群れで行動し、役割の異なる複数の個体によって一つの大きな集団を形成する。
そして、群れの中には周囲の個体を統率する司令種が存在する。
「ただ襲いかかってくる魔獣とは違うのか」
騎士団長ギルバートが尋ねた。
「違う」
ノーノーは即座に答えた。
「奴らは考えて動く。攻撃が通じぬと分かれば戦い方を変え、一定の被害が出れば退くこともある。死骸を持ち帰り、場合によっては同族を喰らうことも確認されておる」
「同族を……」
西地区代表のミレーネが、僅かに眉をひそめた。
「おそらく、失われたものを無駄にせぬためじゃろう。じゃが、詳しい理由までは分からん」
続いてノーノーは、これまでに起きた戦いを順に語った。
最初に、グランドワイズで起きた防衛戦。
突然現れた魔鋼虫の群れが、人々の暮らす場所へ迫ったこと。
透たちや冒険者、兵士たちが力を合わせ、辛うじて撃退したこと。
次に、エルフ族の里で確認された魔鋼虫の動き。
北方に存在していた都市の情報。
そしてラザールでの戦い。
それらは、一つの地域だけで起きている偶発的な事件ではなかった。
「確認されている場所が、離れすぎている」
行政長官オルフェンが、卓上に広げられた地図を見ながら呟いた。
「一つの群れが移動しているとは考えにくいですね」
「その通りじゃ」
ノーノーが頷く。
「複数の場所で、同時に活動を始めている可能性が高い」
「つまり、コロニーが一つではないと?」
北地区代表グスタフが問いかける。
「そう考えた方がよいじゃろうな」
その答えに、評議員たちの間から低い声が漏れた。
グスタフは険しい表情で、地図の北方へ視線を落とした。
「我々の古い記録には、大地溝帯の向こうに巣が存在したとある」
「伝承が正しいのであれば、北方には今も大規模なコロニーが存在しているかもしれん」
ノーノーの言葉に、会議室の空気がさらに重くなる。
副議長のヘルムートが、腕を組んだまま口を開いた。
「だが、九百年もの間、目撃記録は一つもない。なぜ今になって、再び姿を現したのだ」
「それが分かれば苦労はせん」
ノーノーは率直に答えた。
「長い休眠期に入っていたのか、それとも我々の知らぬ場所で活動を続けていたのか。何らかのきっかけで、再び活動を活発化させた可能性もある」
「きっかけとは?」
「分からん。今は推測を重ねても意味がない」
ノーノーはそこで一度言葉を切った。
「わしらが知っているのは、奴らが現れ、人々を襲い始めているということだけじゃ」
◇
その頃、結衣たちは宿屋街から商業区へ向かって歩いていた。
朝から多くのドワーフが通りを行き交い、店先からは威勢のよい呼び込みの声が聞こえてくる。
「昨日の蒸気風呂、すごかったね」
結衣が楽しそうに声を上げた。
「はい。お湯につかるお風呂とは、まったく違いましたね」
明日華も頷く。
「最初は、前が見えなくて驚きましたけれど」
「真白なんて、蒸気の中を走り回ってたもんね」
「雲の中にいるようだった!」
真白が胸を張る。
「ましろん、白くて見えなくなってた!」
モモが笑う。
「モモも小さくて見えなかった」
「わたしは飛べるから平気!」
「風呂の中では飛ばないでよ」
結衣の言葉に、モモは楽しそうに笑いながら真白の周りを一周した。
ノアはラピスを抱きながら、その様子を見ている。
口元には、ほんの僅かだが笑みが浮かんでいた。
「ノアも気持ちよかった?」
結衣が尋ねると、ノアは少し考えてから答えた。
「うん。あたたかかった」
「ラピスは?」
ラピスはノアの腕の中で小さく鳴き、銀色の尻尾を揺らす。
「気に入ったみたいですね」
明日華が微笑んだ。
そのときだった。
真白の耳がぴくりと動く。
続いて鼻をひくひくさせると、通りの先へ勢いよく顔を向けた。
「……甘い匂いじゃ」
真白の目が輝く。
モモも空中で動きを止め、同じ方向を向いた。
「甘い!」
二人の視線の先には、湯気を立てる焼き菓子を店頭に並べた小さな店があった。
「行くぞ、モモ!」
「突撃!」
二人は同時に叫び、店へ向かって駆け出した。
「ちょっと、真白!」
「待ってください!」
結衣と明日華が慌てて後を追う。
ノアもラピスを抱えたまま、少しだけ足を速めた。
真白とモモは店先へたどり着くと、焼き上がったばかりの菓子を見上げ、そろって歓声を上げる。
「うひょー!」
「いっぱいある!」
店番の女性ドワーフが、二人の勢いに目を丸くした。
その後ろから追いついた結衣が、息を整えながら二人を見下ろす。
「勝手に走っていっちゃ駄目でしょ」
「甘いものが真白を呼んでた」
「呼んでた!」
「お菓子は呼ばないよ」
呆れながらも、結衣の顔には笑みが浮かんでいた。
◇
評議会では、ノーノーの説明が続いていた。
「そして、もう一つ知っておいてもらわねばならぬことがある」
ノーノーは透へ目を向ける。
「ここにいる透と、その家族についてじゃ」
評議員たちの視線が、一斉に透へ集まった。
透は僅かに緊張しながらも、姿勢を正した。
「透たち神代家は、このパンゲアで生まれた者ではない」
バルガスが眉を上げる。
「では、どこから来たというのだ」
「異なる世界からじゃ」
会議室の空気が、再び揺れた。
副議長ヘルムートが、訝しげに透を見る。
「異なる世界とは、どういう意味だ」
「言葉の通りじゃ。このパンゲアとは別の世界。地球と呼ばれる場所から、神代家はやって来た」
ノーノーは、神代家が黄泉比良坂を通り、パンゲアへ転移してきたことを簡潔に説明した。
そして、透たちの体には魔核が存在しないことも伝えた。
「魔核を持たない人族だと?」
魔道具師長エルデラが、強い関心を示して身を乗り出す。
「本当に、その体内に魔核がないのですか」
「確認した限りでは、ありません」
セシリアが答えた。
「ですが、透さんたちは魔素の影響を受け、身体能力や感覚が大きく変化しています」
「魔核を持たずに、魔素の影響を受ける……」
エルデラは考え込むように呟いた。
「魔鋼虫もまた、魔核を持っていない」
ノーノーの言葉に、何人かの表情が険しくなる。
「じゃが、神代家と魔鋼虫が同じ存在という意味ではない。共通しているのは、魔核を持たぬという一点だけじゃ」
ノーノーは、誤解を招かぬよう強い口調で続けた。
「透たちは、これまで幾度も人々を守るために戦ってきた。グランドワイズでも、エルフ族の里でもじゃ」
透は円卓を囲む者たちを見回した。
「俺たちにも、どうしてこの世界へ来たのかは分かっていません」
静かだが、真っすぐな声だった。
「ただ、目の前で誰かが襲われているのに、何もしないことはできませんでした。俺たちにできることがあるなら、これからも力を尽くしたいと思っています」
議長のバルガスは、しばらく透を見つめていた。
やがてゆっくりと頷く。
「なるほど。異世界からの来訪者とは、にわかには信じがたい話だ」
その視線が、ノーノー、セリナ、リーファ、セシリアへ順に向けられる。
「だが、これだけの者たちが同じ事実を語り、古い伝承とも重なる部分がある。初めから否定してよい話ではあるまい」
円卓の上に広げられた北方の地図へ、全員の視線が集まる。
魔鋼虫は、本当に活動を再開したのか。
そして、北方の大地溝帯の向こうには、何が待ち受けているのか。
マイスターベルケンの未来を左右する評議は、ようやく始まったばかりだった。




