↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
超大陸パンゲアへ渡った神代家の異世界奮戦記  作者: 久遠 遙人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
86/143

第7話 激闘

 洞窟から響いたアドの咆哮が、森の空気を震わせる。その余韻が消えるより早く、ライガが前へ出た。


「構えろ!」


 獣牙族の戦士たちが一斉に動く。


 前衛に立ったのはライガ、ガルド、そして数名の獣牙族の戦士。その手には、人の身体をほとんど覆い隠すほどの大楯が握られていた。


 甲殻獣と呼ばれる魔獣の外殻を加工して作られた大楯。厚く、重く、並の攻撃ではびくともしない。


 前衛が横一列に並び、その後ろに透と結衣がつく。結衣は両手にファルシオンを抜いた。透も天羽乃斬を鞘から抜き、洞窟の暗闇を睨む。


 その頭上では、蒼姫が大きく翼を広げ、森の上へ舞い上がっていた。背には明日華。蒼天の弓を構え、洞窟の入口へ狙いを定めている。その後ろでは真白が腰を低くし、蒼姫の背にしっかりと掴まっていた。


「結界も治癒も、いつでもいけるのじゃ」


 さらに少し高い位置では、セシリアが魔力を練りながら周囲を見下ろしている。


 用いるのは広域魔法ではない。味方を巻き込まず、狙った場所だけを撃ち抜くための攻撃魔法だ。


 その横ではノーノーが、小型の魔導爆裂砲を構えていた。


「来るぞ!」


 ライガの声。


 洞窟の奥から、重い足音が響いた。


 ドン。


 ドン。


 ドン。


 やがて暗闇の中から、一体の巨体が姿を現す。続いて、もう一体。


「甲殻獣……!」


 獣牙族の戦士が呟く。


 中型の魔獣。全身を覆う外殻は、大楯の素材として使われるほど硬い。額からは一本の長い角。口元には鷲を思わせる鋭い嘴。太い脚の先には、岩すら引き裂きそうな爪が伸びている。


 その巨体からは想像できないほど、動きも速い。


「二体!」


 明日華が上空から告げる。


 だが、それだけではなかった。


 甲殻獣の脇をすり抜けるように、赤褐色の獣たちが飛び出してくる。


 一体。


 二体。


 さらに続く。


「レッドファング! 五体!」


 サーベルタイガーにも似た巨大な牙。低く沈められた身体。獲物へ飛びかかるために鍛え上げられた四肢。その俊敏さは、獣牙族の戦士にも引けを取らない。


「楯を寄せろ!」


 ライガの号令。


 前衛が大楯を密着させる。隙間を塞ぎ、一枚の巨大な壁を作り上げた。


 次の瞬間、レッドファングが一斉に飛び込んできた。


 ドンッ!


 激しい衝撃。大楯が大きく揺れる。


「ぐっ!」


 戦士たちが踏ん張る。


 上空から明日華が矢を放った。


 シュッ!


 一体の肩へ矢が突き刺さる。


 だが――浅い。


「速い……!」


 狙いを定めた瞬間には、もう位置が変わっている。明日華が次の矢を番える間にも、レッドファングは楯の前を縦横に跳び回る。


 一撃で急所を射抜くことができない。


 それでも前衛は突撃を押し返した。


「耐えろ!」


 ライガが吠える。


 だが、レッドファングの突撃を凌いだ直後――。


「来るぞ!」


 ガルドが叫ぶ。


 二体の甲殻獣が走り出した。巨体とは思えない加速。地面を蹴り砕きながら、その長い角を前へ突き出して突進してくる。


 ドガァン!


 一体が前衛へ激突した。


「うわっ!」


 獣牙族の戦士が一人、楯ごと宙へ弾き飛ばされる。


 さらにもう一体。


「ぐおっ!」


 別の戦士も吹き飛んだ。


 前線に穴が開く。


「ここは通さねえぞ!」


 ガルドが大楯を地面へ叩きつける。


 甲殻獣の角が楯へ激突した。


 轟音。


 ガルドの足が地面を削る。


「おおおおおっ!」


 それでも押し戻されない。


 隣ではライガも甲殻獣の突進を受け止めていた。


「くっ……!」


 二人とも止めてはいる。だが、攻撃に移れない。甲殻獣の長い角が邪魔をして、武器の間合いへ入れないのだ。


「こいつ……!」


 その間にも、レッドファングは止まらない。


 突撃した勢いのまま数体が前衛を飛び越えた。


「セシリアさん!」


 透が振り返る。


 一体が空中からセシリアへ向かって飛び込む。


 透が地面を蹴った。天羽乃斬が一閃する。


 ザンッ!


 レッドファングの身体が空中で二つに分かれ、そのまま地面へ落ちた。


 もう一体。


「私が!」


 結衣が飛び出す。左右のファルシオンを振るう。


 刃がレッドファングの胴を掠めた。血が飛ぶ。


 だが浅い。


「っ!」


 レッドファングは止まらない。結衣の横を駆け抜け、そのままセシリアへ飛びかかった。


 セシリアは動じなかった。


「ファイヤーショット」


 指先の前に小さな炎が生まれる。


 次の瞬間、炎弾が一直線に飛んだ。


 ドンッ!


 レッドファングの頭部へ直撃する。


 獣は地面へ叩き落とされ、そのまま動かなくなった。


「さすがセシリアさん……」


 結衣が振り返る。


「前を見なさい、結衣!」


「はい!」


 まだ終わっていない。


 レッドファングは残り二体。甲殻獣も二体とも健在だ。


 その時、吹き飛ばされた獣牙族の戦士へ、一体のレッドファングが走った。


「まずい!」


 透が駆ける。


 間に合う。


 天羽乃斬を振り抜く。


 斬ッ!


 一体を切り伏せる。


 だが、もう一体がいた。


「ぐあっ!」


 鋭い牙が、倒れていた戦士の肩へ食い込んだ。


「離れろ!」


 結衣が飛び込む。レッドファングの脇へ回り込み、ファルシオンを振り抜いた。


 一閃。


 さらに逆の手。


 二つの刃が交差する。


 レッドファングの身体から鮮血が噴き出した。牙が戦士から外れる。


 獣は数歩よろめき、そのまま地面へ崩れ落ちた。


「大丈夫!?」


 結衣が戦士へ声を掛ける。


「俺は……平気だ……」


 だが傷は深い。肩から血が流れている。


「真白!」


 透が叫ぶ。


「癒やしを!」


「分かったのじゃ!」


 蒼姫が高度を落とす。真白が身を乗り出し、負傷した戦士へ両手を向けた。


「じっとしておるのじゃ!」


 淡い光が戦士の身体を包む。噛み裂かれた傷口から流れていた血が止まり、少しずつ傷が塞がっていく。


 一方、明日華は弓を構えたまま、無理に乱戦へ矢を放とうとはしなかった。


 蒼姫と共に上空を旋回しながら、洞窟の入口を見張っている。


「……まだ来るかもしれない」


 その視線は戦場ではなく、暗い洞窟の奥へ向けられていた。


 前線では、ライガとガルドがなおも甲殻獣二体を押し留めている。


「こいつら……普通の甲殻獣じゃねえな!」


 ガルドが歯を食いしばる。


 甲殻獣は本来、関節や腹側を狙えば倒せる。硬い外殻に覆われているとはいえ、弱点そのものは知られている魔獣だ。


 だが目の前の二体は違う。


 明らかに強い。


 速さも、力も、そして外殻の硬さも。


「これも……アドの影響か」


 透が低く呟いた。


 その言葉に答えるかのように、洞窟の奥から――再び、低い唸り声が響いた。


 空気が震えた。


 先ほどまでとは違う。腹の底へ響くような、低く、重い声。


 ガルドが甲殻獣を押し返しながら、洞窟へ視線を向ける。


「……来やがったか」


 暗闇の中。


 二つの赤い光が浮かび上がった。


 ゆっくりと、こちらへ近づいてくる。


 一歩。


 巨大な前脚が陽光の中へ現れた。


 さらに一歩。


 頭部が姿を見せる。


 長く湾曲した二本の牙。獰猛な猫科の魔獣を思わせる顔。


 そして、燃えているかのような赤い瞳。


 やがて十メートルを超える巨体が、洞窟の外へ完全に姿を現した。


 その姿は、巨大なサーベルタイガーそのものだった。


「……あれが、アド」


 結衣が息を呑む。


 ライガも言葉を失う。


 アドはすぐには襲ってこなかった。赤い瞳をゆっくり動かし、討伐隊を見渡していく。


 前衛。


 透たち。


 上空の蒼姫。


 セシリア。


 そしてノーノー。


 まるで、自分を狙う敵の位置を、一つ一つ確かめているように。


 その口元が僅かに開いた。


「……まずい!」


 ノーノーが叫ぶ。


 次の瞬間、アドの口腔に眩い炎が生まれた。


「火炎が来るぞ!」


 光が膨れ上がる。


 直後――。


 ゴオオオオオッ!


 巨大な火球が放たれた。地面を舐めるように迫る炎。


「散れ!」


 ライガが叫ぶ。


 戦士たちが左右へ飛ぶ。


 火球が地面へ激突した。


 ドォォォン!


 爆炎が吹き上がり、熱風が森を薙ぐ。木々の葉が一瞬で焼け、周囲へ焦げた臭いが広がった。


「高位魔法を……!」


 セシリアが目を見開く。


 フレア。


 並の魔術師なら、そう何度も撃てる魔法ではない。大量の魔素を必要とする高位火炎魔法だ。


 だが、アドの口元に再び炎が集まり始めた。


「もう次を撃つ気か!?」


 ガルドが叫ぶ。


「特殊個体じゃ!」


 ノーノーが魔導爆裂砲を構える。


「奴自身が、周囲の魔素の減少に影響されておらん!」


 パンゲアの人々にとって、魔素は魔法を使うためだけのものではない。身体にも魔素を宿し、それを力へ変えている。


 高位魔法を連発されれば、周囲の魔素は急速に失われていく。


 魔術師は魔法を使えなくなる。獣牙族の戦士たちも、本来の身体能力を発揮できなくなる。


 戦いが長引けば長引くほど、弱っていくのは――こちらだけ。


「長期戦はできんぞ!」


 ノーノーが引き金を引いた。


 ドンッ!


 爆音。


 魔導爆裂砲から放たれた弾丸が、アドの肩へ直撃した。爆炎が巨体を包む。


「やったか!?」


 煙が流れる。


 その向こうに、二つの赤い瞳。


 アドが立っていた。


「……浅い!」


 表皮は焼け、血も流れている。だが致命傷には程遠い。


「もう一発じゃ!」


 ノーノーが二発目を撃つ。


 今度は胸部へ着弾。再び爆発が起きる。


 アドの巨体が僅かによろめいた。


 それでも倒れない。


「これで弾切れじゃ!」


 ノーノーが舌打ちする。


「ならば!」


 セシリアが杖を向けた。


 魔法陣が展開する。


「ファイヤーバレット!」


 複数の炎弾がアドへ殺到した。次々と命中する。


 爆炎。


 それでも――。


「効きが弱い……?」


 セシリアが眉を寄せる。


 確実に傷は負わせている。通常の魔獣なら耐えられないほどの攻撃だ。


 だがアドは平然と立っている。


「魔法耐性まであるというのですか……」


 その間にも――。


「押せぇ!」


 ガルドとライガたちは、残る二体の甲殻獣を押し留めていた。


 だがアドは、その光景を見ていた。


 赤い瞳が動く。


 身体が低く沈む。


「来るぞ!」


 透が叫んだ。


 だが、アドは突進しなかった。


 地面を蹴る。


「飛んだ!?」


 十メートルを超える巨体が、空へ舞った。


 ガルドたちの頭上を軽々と飛び越える。


「後ろだ!」


 透が振り返る。


 アドが討伐隊の後方へ着地した。


 ズンッ!


 地面が揺れ、土が跳ねる。


 そして、口の奥に再び炎。


「フレア!」


「真白!」


 透が叫ぶ。


「結界を!」


「分かったのじゃ!」


 蒼姫が急降下する。真白が両手を広げた。


 淡い光が討伐隊の前へ広がり、巨大な防護結界を形成する。


 直後、フレアが直撃した。


 ドォォォォン!


「ううっ……!」


 真白が歯を食いしばる。


 結界全体が激しく揺れる。表面に、ひび割れるような光が走った。


「真白!」


「まだ……大丈夫なのじゃ!」


 炎が消える。


 結界は辛うじて残っていた。だが真白の額には汗が浮かんでいる。


 何度も防げる攻撃ではない。


「くそっ!」


 透が走る。


 アドの右前脚へ踏み込み、天羽乃斬を振るった。


 刃が毛皮を裂く。肉へ食い込む。


 その瞬間――。


 ガギィン!


「っ!」


 透の腕へ、強烈な反動が返ってきた。


 刀は確かに入った。


 だが浅い。


「硬い……!」


 違う。


 最初から硬かったわけではない。


 刃が触れる瞬間、筋肉そのものが一瞬にして硬質化した。


 そして何より――見えない。


 いつもなら見えるはずのものが。


 剣を通すべき場所。


 切断へ至る線。


 アドには――どこにもない。


「おにぃ!」


 反対側から結衣が飛び込む。


 左右のファルシオンが、アドの脚を斬りつける。


 二条の傷。


 それでも深くない。


「こんなに硬いの!?」


 しかも――。


「傷が……」


 透が目を見開く。


 流れていた血が止まる。裂けた肉が、見る間に塞がっていく。


「再生までしやがるのか!」


 ガルドの声が飛ぶ。


 長期戦になれば、勝ち目がない。


 魔素はこちらだけが減っていく。アドはフレアを撃ち続ける。傷を負わせても再生する。


 透は天羽乃斬を握り締めた。


 切断線さえ見えない。


「どうすれば……」


 その時、上空で明日華が矢筒へ手を伸ばした。


 取り出したのは、通常の矢ではない。


 ドワーフたちが魔鋼虫との戦いを想定して仕立てた、強固な外殻を貫くための矢。


 明日華が蒼天の弓へ番える。


 ギリギリギリ……。


 剛弓が大きくしなる。


 アドの赤い瞳が、上空を捉えた。


「気づいた……」


 明日華が呟く。


 アドが動く。


 木々の間を縫う。


 右へ。


 左へ。


 時に急停止し、また駆ける。


 その巨体からは考えられない速度。明日華へ狙いを絞らせない。


「やっぱり、分かってる……」


 自分の矢が危険だと。


 明日華は無理に追わなかった。弓を引いたまま、静かに息を整える。


「兄さま、結衣」


「ん?」


「なに?」


「あいつの足を止めて」


 透がアドを見る。


「分かった」


 結衣もファルシオンを構え直した。


「了解!」


 その頃、甲殻獣との戦いにも変化が起きていた。


「いつまでも付き合ってられるか!」


 ガルドが叫ぶ。


「合わせろ、ライガ!」


「ああ!」


 突進してくる甲殻獣。


 これまで正面から受け止めていたガルドと獣牙族の戦士たちが、一斉に大楯を外した。


 甲殻獣の角が空を切る。


 勢いを殺せない。


 そのまま突っ込んできたところへ――。


「今だ!」


 ライガの一撃。


 剥き出しになった首へ武器が食い込む。


 続いてガルド。


「おらぁっ!」


 渾身の一撃。


 甲殻獣の首が落ちた。


「あと一体!」


 その声を背に、透が右から走る。


 結衣が左から走る。


 アドの視線が二人へ動いた。


 左右からの挟撃。


 透は刀を構える。結衣もファルシオンを低く構えた。


 アドが低く身を沈める。


「来る!」


 透が踏み込もうとした。


 だが、アドは二人へ突進しなかった。


 地面を蹴る。


 巨体が空へ舞った。


「上!?」


 結衣が見上げる。


 その瞬間、明日華の目が細くなった。


「待ってた」


 空中では、進路を変えられない。


 蒼天の弓が限界まで引き絞られる。


 そして――放った。


 バシュン!


 矢が一直線に走る。


 アドの赤い瞳が動いた。


 身体を捻ろうとする。


 だが、遅い。


 右脇腹から飛び込んだ矢が、巨体を貫いた。


「ギャアアアアアアアッ!」


 初めて、アドが明確な悲鳴を上げた。


 巨体が空中で崩れる。


 地面へ落下。


 ドンッ!


 土煙が舞い上がる。


「入った!」


 明日華が叫ぶ。


 アドの脇腹から大量の血が流れている。これまでとは明らかに違う傷。


「今だ!」


 一番近くにいた結衣が走った。


「結衣、待て!」


 透の声。


 だが結衣は止まらない。


 倒れたアドへ飛び込む。


「やあああっ!」


 ファルシオンを振り上げる。


 その瞬間――。


 土煙の向こう。


 赤い瞳が開いた。


 アドの尾が動く。


 ブンッ!


「え――」


 巨大な尾が、結衣の身体を横から薙ぎ払った。


 ドンッ!


「きゃあっ!」


 結衣の小さな身体が宙を舞った。


「結衣!」


 地面へ叩きつけられる。


 転がる。


 ファルシオンが手から離れ、土の上を滑っていった。


 動かない。


「……結衣?」


 透の足が止まった。


 何かが遠くなった。


 アドの唸り声。


 甲殻獣との戦闘音。


 誰かの叫び声。


 風に揺れる木々の音さえ。


 すべてが消えていく。


 倒れている妹。


 その姿だけが、透の目に映っていた。


 胸の奥から、激しいものが込み上げる。


 怒り。


 恐怖。


 焦り。


 だが――次の瞬間。


 それらすべてが、消えた。


 ――静かだった。


 水面から波紋が消えていくように、頭の中から余計なものが失われていく。


 息を吸う。


 吐く。


 それだけ。


 透はゆっくりと天羽乃斬を上段へ構えた。


 セシリアが息を呑む。


「……何?」


 ノーノーも透を見た。


「これは……」


 二人の腕に鳥肌が立つ。


 透から立ち上る気配が、先ほどまでとはまるで違う。


 怒りは感じる。


 殺気もある。


 だが荒れてはいない。


 むしろ、恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。


 アドがゆっくりと起き上がった。


 明日華の矢に貫かれた脇腹。開いた傷が、少しずつ塞がっていく。


 赤い瞳が透を捉えた。


 グルルルル……。


 アドの姿勢が低くなる。


 透は動かない。


 ただ見ている。


 前脚。


 後脚。


 肩。


 背。


 首。


 筋肉の動き。


 呼吸。


 重心。


 アドが一歩、前へ出た。


 透の瞳が僅かに動く。


 これまで何度見ても、どれほど集中しても、そこには何もなかった。


 切断へ至る線など、どこにも見えなかった。


 アドが口を開く。


 赤い光が灯る。


「まさか……!」


 セシリアが声を上げた。


「またフレアを!」


 炎が集まる。


 だが透は動かない。


「透!」


 ガルドの叫びも届かない。


 アドの身体が硬化していく。


 首。


 肩。


 胸。


 次に来る攻撃へ備えるように。


 透は小さく息を吐いた。


「ふっ――」


 その時。


 見えた。


 ほんの一瞬。


 細く。


 淡く。


 今にも消えてしまいそうな一本の線。


 アドの首を横切っていた。


 透は考えなかった。


 斬れるか。


 届くか。


 硬化しているか。


 そんなことは、もう何も。


 身体が動いた。


 地面を蹴る。


 アドの口元で、フレアが完成する。


 赤い光が爆ぜようとした。


 次の瞬間――。


 透の姿が消えた。


 誰にも、何が起きたのか分からなかった。


 ただ。


 透はすでに、アドの横を通り過ぎていた。


 天羽乃斬が振り下ろされている。


 アドの巨体が止まった。


 口の中に集まっていた炎が揺らぐ。


 消える。


 燃えるような赤い瞳が、ゆっくり瞬いた。


 そして――。


 ズズッ――。


 首がずれた。


 ゴトン。


 巨大な頭部が地面へ落ちる。


 遅れて、首を失った巨体が傾いた。


 ドォン――!


 地面が震える。


 土埃が舞い上がった。


 静寂。


 残る甲殻獣も、ほぼ同時にガルドとライガたちによって倒されていた。


 だが、誰も声を上げなかった。


 ガルドが、天羽乃斬を下ろした透を見る。


「……おいおい」


 ライガも言葉を失っている。


 セシリアも。


 ノーノーも。


 ただ立ち尽くしていた。


 先ほどまで、あれほど攻撃を受けても倒れなかった怪物。


 魔導爆裂砲にも耐え、セシリアの魔法にも耐え、傷を負えば再生し、透の天羽乃斬すら浅くしか通らなかった。


 その首が、たった今。


 一撃で落ちた。


 だが、透は誰よりも早く、その場から駆け出した。


「結衣!」


 アドの死骸など、もう見ていない。


 倒れている妹の元へ駆け寄り、膝をつく。


「結衣! 大丈夫か!」


 返事がない。


「結衣!」


 透が肩へ手を伸ばそうとした、その時。


「……いたた……」


 小さな声。


 結衣がゆっくりと目を開けた。


 透の顔から、一気に緊張が抜ける。


「……よかった」


「おにぃ……?」


 結衣は目を瞬かせた。


 まだ何が起きたのか分かっていない。


「私……飛ばされた?」


「ああ。思い切り」


「そっかぁ……」


 結衣が顔をしかめる。


「……痛い」


「真白!」


「今行くのじゃ!」


 蒼姫が急いで高度を落としてくる。


 その向こうで、アドの巨大な頭部が横たわっていた。


 燃えるようだった赤い瞳から、ゆっくりと光が失われていく。


 獣牙族を長年苦しめてきた災害。


 古文書にもその名を残す、ネームド・ザガンガ。


 ――アド。


 その討伐は、ここに成った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。