第二話 獣牙族の里
ライガたちに案内され、一行はやがて獣牙族の里へと入った。
里――そう聞いていた透は、目の前に広がる光景に少し驚いた。
「……思っていたより、ずっと大きいですね」
街道の先には、緩やかな起伏に沿って家々が立ち並んでいる。
人口は数千人規模だろう。
人族の都市のように、高い城壁で囲まれているわけではない。
代わりに、町の外縁には腰ほどの高さまで積み上げられた石壁と、太い丸太を組んだ柵が延びていた。ところどころには見張り台もある。
だが、防壁というよりは、町と外を分ける境界に近い。
「なんか、すごく開けてるね」
結衣が騎獣の上から左右を見回す。
「うん」
明日華も町並みを見渡した。
道幅は広い。
人族の町なら荷車二台がすれ違える程度の道でも、ここではさらに余裕がある。
その理由は、すぐに分かった。
通りを行き交う獣牙族の中には、人族より一回りも二回りも大きな者がいる。さらに、大型の騎獣や荷運び用の獣が、当たり前のように町中を歩いていた。
建物も、それに合わせて作られている。
一階部分は灰色や褐色の石積み。その上に太い木材を組み、土を塗り込めた壁。
屋根は木板や乾燥させた草で葺かれ、軒先には束ねた薬草や干し肉が吊るされている。
「人族の町とも、ハイエルフの里とも全然違うな」
透が呟く。
整然と区画された都市ではない。
かといって、無秩序でもない。
土地の起伏や昔からある大木を避けるように道が曲がり、その間を家や工房、家畜小屋が埋めている。
生活そのものが、そのまま町になったような場所だった。
「おおー!」
結衣が声を上げる。
道の向こうを、羊に似た白い毛の家畜が十数頭、ぞろぞろと横切っていった。
その後ろを、小さな獣牙族の子供が枝を持って追いかけている。
「そっち行くなー!」
一頭が列を離れた。
子供が慌てて駆ける。
すると、近くで革細工をしていた大柄な獣牙族が立ち上がり、何も言わずに家畜の進路へ回り込んだ。
ひょいと向きを変えさせる。
「ありがとー!」
「ちゃんと見とけよ!」
「はーい!」
そんなやり取りのすぐ横では、別の家の前で肉が大きな串に刺され、炭火で焼かれていた。
香辛料と脂の香ばしい匂いが、通りまで流れてくる。
「……いい匂い」
真白の耳がぴくりと動いた。
「真白」
「見てただけ」
透に名前を呼ばれただけで、真白が胸を張る。
しかし、目は完全に焼かれている肉へ向いていた。
セシリアがくすりと笑う。
「まだ何も言われてませんよ」
「む」
町の奥へ進むにつれ、生活の音が幾重にも重なっていく。
金属を打つ音。
木を削る音。
家畜の鳴き声。
子供たちの笑い声。
酒場らしい建物からは、昼間だというのに大きな笑い声まで聞こえてきた。
鍛冶場の前では、熊に似た大柄な獣牙族が赤熱した鉄を叩いている。その隣では、細身の獣牙族が弓の弦を調整していた。
別の一角では、何枚もの大きな獣皮が干されている。
狩りと牧畜。
それを加工する職人。
そして、それらを使って暮らす者たち。
必要なものの多くを、自分たちの町の中で作っているのだろう。
「活気がありますね」
透が言う。
「ああ」
ライガが振り返った。
「基本的には自分らで食って、自分らで作って、自分らで守る。それがここの暮らしだ」
その言葉を聞きながら、透は改めて周囲を見る。
確かに、武器を持っている者は多い。
だが、常に戦いを求めているような殺伐とした空気はない。
子供を肩車する父親。
井戸端で話し込む女性たち。
家の軒先で昼寝をしている老人。
家畜の毛を梳く少女。
どこにでもある暮らしが、そこにはあった。
ただし――。
町の中を走る子供たちまで、やけに足が速い。
「せいやぁ!」
道の脇では、木剣を持った子供同士が打ち合っていた。
片方が転ぶ。
「いたっ」
「大丈夫か?」
「まだやる!」
「おう!」
すぐに立ち上がる。
結衣が楽しそうに笑った。
「元気だねぇ」
「結衣が言うのか」
「おにぃ、どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
「むー」
そのやり取りを聞いて、ライガが声を上げて笑った。
やがて町の中心へ近づくにつれ、視界が大きく開けた。
「わぁ……」
明日華が小さく声を漏らす。
そこにあったのは、巨大な円形の建造物だった。
低く厚い石壁。
何段にも積み上げられた観客席。
町のどこからでも目に入るほど大きな、円形闘技場。
「あれが、うちの闘技場だ」
ライガが少し誇らしげに言った。
「祭りもやるし、成人の試合もやる。腕に覚えがある奴が力を示すのも、だいたいあそこだな」
「やっぱり戦うんだ……」
セシリアが半ば呆れたように呟く。
「そりゃそうだろ」
ライガは当然のように返した。
「強ぇ奴がいるってことは、それだけ守れる奴がいるってことだからな」
透はその言葉に、少しだけ表情を緩めた。
そして、闘技場の正面。
広場の中央には、一体の巨大な石像が立っていた。
獅子の鬣を持つ、筋骨隆々の剣闘士。
両脚を大地に踏ん張り、胸を張り、右手を高々と突き上げている。
天に向かって、今にも咆哮を響かせそうな姿。
石像だというのに、圧倒されるほどの生命力があった。
「……すごい」
結衣が見上げる。
透も同じように像を眺め、ふと隣のライガへ目を向けた。
「ライガさん」
「なんだ?」
「少し……似ていますね」
「ん?」
ライガは像を見上げた。
そして、口元を吊り上げる。
「あれは初代族長ゴッデスだ」
その声には、はっきりと誇りがあった。
「不敗を誇った剣闘士。そして、あたしたち獣牙族をまとめた最初の族長さ」
石像の足元を、何人もの獣牙族が行き交っている。
誰もが日常の一部として、その像の下で暮らしている。
強くあること。
仲間を守ること。
そして、自分たちの力で生きること。
この町を見ているだけで、獣牙族という者たちが少し分かったような気がした。
そのとき。
「みゃん」
ノアの腕の中でラピスが鳴いた。
『ひと、いっぱい』
「そうだな」
透が笑う。
すると、通りを歩いていた一人の獣牙族がラピスに気づき、その場で足を止めた。
「……え?」
次の瞬間。
その顔色が変わる。
「フェ、フェンリル様……?」
その声に、周囲の獣牙族たちが次々と振り返った。
ライガが頭を抱える。
「……まあ、こうなるよな」
透たちの獣牙族の里での滞在は、どうやら静かには始まりそうになかった。
◇
獣牙族の里での滞在が決まった頃には、空もずいぶんと暗くなり始めていた。
族長との正式な会談は翌日。
その後には、透たちを歓迎する宴も開かれるという。
「今日はゆっくり休んでくれ」
ライガにそう言われ、一行は里の中央から少し離れた場所にある宿へ案内された。
旅人を受け入れるための建物らしく、獣牙族の家々の中ではかなり大きい。
一階には食堂と広間。
二階にはいくつもの客室があり、人族より大柄な獣牙族も泊まれるように、廊下も扉も広く作られていた。
「おおー、ちゃんと宿だ!」
結衣が部屋を覗き込んで声を上げる。
「何だと思ってたんだ?」
「もっとこう……毛皮を敷いた大部屋で、みんなで雑魚寝とか?」
「獣牙族に失礼ですよ」
セシリアが呆れたように言った。
「あはは……」
透が苦笑する。
荷物を置き、騎獣たちの世話を宿の者に頼んだところで――。
「じゃ、俺はちょっと行ってくる」
ガルドが大剣を背負ったまま玄関へ向かう。
「どこへです?」
「決まってんだろ。酒場だ」
「やっぱり……」
「せっかく獣牙族の里まで来たんだぞ。ここの酒を飲まねぇでどうする」
誰も止めなかった。
というより、止めても無駄だと全員分かっていた。
「明日の会談に遅れないでくださいよ」
セシリアが釘を刺す。
「分かってるって!」
片手を上げて、ガルドは意気揚々と宿を出ていった。
「……あの人は、どこへ行っても変わりませんね」
セシリアはため息をついたものの、今日は追いかける気もないらしい。
「私はのんびりさせてもらいます」
「それがいいと思います」
透も笑った。
一方、ノーノーは何やら考え込んでいた。
夕食の時間だと聞いても反応が鈍く、食堂へ来てからもどこか上の空だった。
「ノーノーさん?」
「ん? ああ……なんでもない」
そう答えながら食事をいくらか口にすると、
「すまん。少し部屋にいる」
それだけ言い残し、席を立ってしまった。
透はその後ろ姿を見送ったが、今はそっとしておくことにした。
◇
夕食は、宿の食堂で取ることになった。
ラピスを連れて外の店へ出れば、また大騒ぎになる。
それを考慮して、宿側が料理を用意してくれたのだ。
大きな木の卓を囲み、透、結衣、明日華、真白、ノア、セシリアが席につく。
蒼姫は明日華の隣。
ラピスはノアの傍らに敷かれた布の上で、料理が運ばれてくるのを待っていた。
「お待たせしました!」
獣牙族の女性が、大きな皿を両手で抱えてやってくる。
どん。
卓の中央へ置かれたものを見て、結衣の目が丸くなった。
「……でっか」
丸焼きだった。
こんがりと焼き上げられた肉の塊から、香辛料と脂の香ばしい匂いが立ち上っている。
真白の耳が、ぴん、と立った。
「肉!」
尻尾まで一気に膨らむ。
「真白、まだ待って」
「分かってる!」
そう言いながら、視線は肉から一瞬も離れない。
透は丸焼きを眺めた。
「ずいぶん大きな魔獣ですね」
「これ、魔獣じゃありませんよ」
セシリアが言う。
「え?」
「家畜です」
「これが?」
結衣まで身を乗り出した。
宿の女性が楽しそうに笑う。
「この辺りで昔から飼ってるものですよ。外じゃなくて、大きな飼育舎の中で育てるんです」
姿は、地球の大型の齧歯類を思わせる動物だという。
繁殖が早く、成長も速い。
そして何より肉が多く取れるため、この里では古くから重要な家畜として飼育されてきたらしい。
「へぇぇ……」
結衣は感心しながら、切り分けられていく肉を見つめた。
「牛とか豚みたいなものなんだ」
「地球の動物に例えるなら、そうかもしれませんね」
セシリアが答える。
「いただきます!」
全員で手を合わせる。
真白も、
「いただきます!」
今日は誰よりも大きな声だった。
一口食べた結衣が目を見開く。
「おいしい!」
「ほんとだ」
明日華も頷く。
見た目からもっと癖の強い肉を想像していたが、臭みはほとんどない。
脂が多すぎることもなく、噛むと肉汁が広がった。
「真白、これ好き!」
「知ってる」
「まだ何も言ってない」
「顔見れば分かるよ」
「むふー」
真白は上機嫌で肉を頬張った。
ノアは自分の食事を取りながら、細かく切り分けた肉をラピスの皿へ入れてやる。
「ラピス。熱いから、まだ」
「みゃん」
『はやく』
「まだ」
『おにく』
「……まだ」
ラピスが皿をじっと見つめる。
ノアもじっとラピスを見つめる。
しばらくして、ラピスが諦めたようにその場へ伏せた。
透が思わず笑う。
「ノア、すっかりお姉ちゃんだな」
「……そう?」
「うん」
ノアは少し考えてから、ラピスの頭を撫でた。
肉料理のほかには、豆を何種類も煮込んだ濃いスープ。
素朴な平パン。
どれも飾り気はないが、旅をしてきた身体には嬉しい、しっかりとした食事だった。
そして、食事が一段落したところで最後の皿が運ばれてくる。
「おお……」
今度は真白だけではなく、結衣も声を上げた。
半透明の白いゼリー。
その中に、橙色や黄色の果肉がいくつも浮かんでいる。
「甘い匂いがする!」
真白が身を乗り出す。
里の近くに生える大木の実から採れる、白く甘い乳状の果汁を固めたものだという。
そこへ酸味の強い柑橘類を加えた、この地方ではよく食べられる菓子らしい。
一口。
真白の動きが止まった。
「…………」
「真白?」
「おいしい……」
次の瞬間。
「これ、とってもおいしいのじゃ!」
ぱあっと顔を輝かせる。
「真白、今日一番いい顔してる」
結衣が笑った。
「肉の時より嬉しそう」
明日華まで笑う。
「どっちも好き!」
真白は大真面目だった。
食後も、そのまま誰も席を立とうとはしなかった。
久しぶりに、何も急ぐ必要のない夜だった。
「それにしてもさぁ」
結衣が椅子の背にもたれながら話し始める。
「この町、面白いよね」
「何が?」
「全部!」
即答だった。
「道は広いし、でっかい人いるし、ちっちゃい人いるし。耳も尻尾もみんな違うし!」
「そこ?」
「そこも!」
結衣は止まらない。
「服も全然違うじゃん。毛が多い人は薄着だったり、腕とか脚を出してる人も多いし。でも毛が少ない人はちゃんと服着てるし」
「体質が違いますからね」
セシリアが答える。
「同じ獣牙族といっても、元になった種族によって身体的な特徴はかなり違います。寒さに強い者もいれば、暑さが苦手な者もいますから」
「へぇー」
「あと、あの闘技場!」
やはりそこへ行く。
「あんなの町の真ん中にあるんだよ? 子供まで木の剣で戦ってたし」
「結衣、混ざりたそうだった」
明日華がぼそりと言う。
「ちょっとだけね!」
「やっぱり」
「ちょっとだけだよ!」
透は笑いながら平パンをちぎった。
「でも、いい町だな」
「うん」
結衣も頷く。
「なんか、みんな元気」
「そうですね」
セシリアは空になったカップを卓へ置いた。
「獣牙族は力を大切にします。でも、それは喧嘩が好きという意味ではありません」
「守る力、か」
透が言う。
昼間、ライガが話していた言葉を思い出した。
――強い者がいるってことは、それだけ守れる者がいるってこと。
「私は嫌いじゃありませんよ。そういう考え方」
セシリアが微笑む。
「私も!」
結衣がすぐに手を上げる。
「おにぃも好きでしょ?」
「ああ」
透は迷わず頷いた。
隣では真白が、最後に残ったゼリーを名残惜しそうに少しずつ口へ運んでいる。
ノアは眠そうになってきたラピスを膝へ抱き上げた。
明日華の肩では、蒼姫が目を細めている。
外からは、遠く酒場のものだろう、大きな笑い声が聞こえてきた。
きっとガルドも、その中に混じっているのだろう。
明日は族長との会談。
そして、歓迎の宴。
だが、今夜だけは。
旅の途中で訪れた新しい町の夜を、一行は何を急ぐこともなく、のんびりと過ごしていた。




