第三部 第一話 獣牙族の女戦士
ハイエルフの里を発ってから、しばらく。
透たちは獣牙族――人族からは獣人族と呼ばれる者たちの里を目指し、騎獣に揺られながら街道を進んでいた。
街道の左右には岩肌のむき出しになった丘陵が連なり、その向こうには乾いた草原が広がっている。
穏やかな旅路だった。
少なくとも――その声が聞こえてくるまでは。
「ぶっ殺ーす!」
「……え?」
左手にそびえる岩山の向こうから、とんでもない奇声が響いてきた。
直後。
『ギャオオオオオオ――ッ!』
空気そのものを震わせるような咆哮が轟く。
騎獣たちが一斉に足を止めた。
透も反射的に、腰の天羽乃斬へ手を伸ばす。
ガルドは岩山の向こうへ視線を向けると、にやりと笑った。
「やってるな」
そう言うなり、騎獣から飛び降りる。
「行ってくる」
「俺も行きます」
透もすぐに続いた。
そして、後ろを振り返る。
「みんなは――」
結衣が鉄棍を握っている。
明日華は、すでに蒼天の弓を手にしていた。
蒼姫まで翼を広げている。
全員、目が輝いていた。
「…………」
透は口を閉じた。
言っても無駄だ。
「先行くぜ!」
ガルドが岩場へ向かって駆け出した。
透もその横へ並ぶ。
「おにぃー! 待ってぇー!」
背後から結衣の声が飛んでくる。
その様子を見送ったセシリアが、額へ手を当てた。
「まったく……この連中は戦闘民族か」
◇
岩山の向こうでは、すでに激しい戦いが繰り広げられていた。
『ギャオオオオッ!』
咆哮とともに、巨大な爪が振るわれる。
「散れぇ!」
獣人たちが左右へ跳んだ。
その中央にいるのは――巨大な魔獣。
ジャイアント・ブラックファング。
体高だけでも五メートル近い。
その姿は、地球にかつて存在したサーベルタイガーを、何倍にも巨大化させたようだった。
黒褐色の体毛。
大きく盛り上がった肩。
そして上顎から突き出した二本の犬歯は、一本だけで二メートル近い。
巨体に似合わず、その動きは俊敏だった。
牙。
爪。
そして、相手を怯ませる強烈な咆哮。
獣牙族の戦士たちは、完全に苦戦していた。
その中心で、ひときわ目立つ女戦士がいた。
金色の鬣のような髪をなびかせた、獅子を思わせる獣人の女性。
「おらぁっ!」
一気に踏み込み、拳をブラックファングの前脚へ叩き込む。
ドンッ!
鈍い衝撃音が響き、巨体がわずかに揺れた。
だが、それだけだ。
「ちっ、硬ぇ!」
「ライガ! このままじゃやべぇぞ!」
「なんだって、こんなところにブラックファングがいるんだよ!」
「うだうだ言ってねぇで戦え!」
「え?」
ライガと呼ばれた女戦士が、隣にいた獣人の襟首を掴んだ。
「行ってこい!」
「ちょ――!」
ぶんっ。
「なんでぇぇぇぇ――!」
仲間が宙を舞った。
そのままブラックファングめがけて飛んでいく。
「…………」
ちょうど岩場を越えてきた透が、その光景を目撃した。
「ガルドさん」
「あん?」
「あの人、仲間を魔獣に投げましたよ」
「元気でいいじゃねぇか」
「そういう問題ですか?」
ガルドは巨大なブラックファングを見上げた。
「しかし、なんだこいつ。こんなでけぇの、見たことねぇぞ」
口元は笑っている。
透は小さく息を吐いた。
「苦戦しているみたいですね」
「よし。俺も仲間に入れてもらうか」
ガルドは大剣を肩に担ぐと、透を見る。
「透。お前は手ぇ出すなよ」
「え?」
「お前が本気でやったら、あっという間に終わっちまうからな」
「……分かりました」
透は苦笑した。
「俺は、あの人たちのフォローに回ります」
「それでいい!」
ガルドが地面を蹴った。
「おりゃあああっ!」
ブラックファングの背後へ一気に回り込み、大剣を振り上げる。
狙うは脳天。
豪快な一撃が振り下ろされた。
だが。
『ギャッ!』
ブラックファングが瞬時に振り向いた。
二メートル近い犬歯が、大剣を迎え撃つ。
ガギィィンッ!
まるで金属同士が激突したような音が響く。
次の瞬間。
バキッ!
巨大な犬歯が、根元近くからへし折れた。
「うおっ!」
反動でガルドの身体も吹き飛ぶ。
宙で一回転し、そのまま着地。
靴底が地面を削りながら、数メートル滑った。
ガルドは大剣を握った右手を、ぶらぶらと振る。
「かってぇー……手ぇ痺れたぞ」
周囲の獣人たちは呆然としていた。
「お、おい……」
「あの人間……」
「ブラックファングの牙、折りやがったぞ」
「マジかよ……」
その横を、透が何事もなかったように歩いていく。
ライガが、その姿に気づいた。
「あんたら、何者だ?」
「これから皆さんの里へ向かおうとしていた者です」
透は戦場だというのに、いつもの調子で頭を下げた。
「神代透です。大きな戦闘音が聞こえたので来ました。今、牙を折ったのがガルドさんです」
「……あれも大概だが」
ライガは透をじっと見る。
そして、眉を寄せた。
「あんたは何なんだ?」
「はい?」
「なんか知らねぇけど……あんたのほうが、やべぇ雰囲気しかしねぇんだが」
「そんなことは……」
「ある」
即答された。
だが、ライガはすぐに豪快に笑った。
「まあいい。加勢には感謝する」
拳を胸へ当てる。
「あたしはライガ。獣牙族の次期族長だ。よろしくな」
「はい。よろしくお願いします」
「カミシロ・トオル、か。変わった名前だな」
「よく言われます」
その時、ブラックファングが怒りの咆哮を上げた。
『ギャオオオオオッ!』
ライガが振り返る。
「話は後だ」
「ですね」
透も後方へ目を向けた。
こちらへ駆けてくる仲間たちの姿が見える。
「心強い仲間も来たようですから、一気に叩きましょう」
「ああ!」
ライガが獰猛に笑った。
「さっきは油断したが――今度はそうはいかねぇぜ!」
地面を蹴る。
巨体の懐へ潜り込み――
「おらぁっ!」
身体を回転させ、強烈な回し蹴りをブラックファングの右前脚へ叩き込んだ。
ドゴォッ!
骨まで響くような鈍い音。
『ギャッ!』
巨体が大きく傾く。
「今だ!」
そこへ。
「おにぃー!」
透が空を見上げた。
「結衣!?」
結衣が飛んでいた。
岩場を蹴って高く跳躍し、両手で鉄棍を振り上げている。
「えぇぇぇいっ!」
鉄棍が頭部へ炸裂した。
ドガンッ!
ブラックファングの頭が沈む。
そして。
「結衣、そのまま動かないで!」
後方。
明日華が蒼天の弓を引き絞っていた。
その肩には蒼姫。
弦が限界まで引かれる。
明日華の指が離れた。
――ヒュン。
音は、ほとんど聞こえなかった。
一筋の矢が空間を貫く。
ブラックファングの眉間へ吸い込まれ――
そのまま突き抜けた。
『――――』
巨体が硬直する。
そして。
ズゥゥゥン……!
大地を揺らしながら、ブラックファングが崩れ落ちた。
しばしの沈黙。
ライガが倒れた巨体を見下ろす。
「……やったか?」
ガルドが大剣を肩へ担いだ。
「嬢ちゃんたち、相変わらず半端ねぇな」
「やったね、明日華!」
「う、うん」
ぱんっ。
結衣と明日華がハイタッチする。
そのまま透のところまで走ってきた結衣は、褒めてもらうのを待つように顔を上げた。
「よくやった、結衣。明日華も、すごい一射だったよ」
「へへー!」
結衣は満面の笑顔を浮かべる。
「……ありがとう、おにぃ」
明日華は少し頬を赤らめ、視線を逸らした。
その肩にとまった蒼姫が、そんな明日華を見て、どこか微笑ましそうに首を傾げている。
一方。
その様子を眺めていたライガは――
「…………」
倒れたブラックファングを見る。
ガルドを見る。
結衣を見る。
明日華を見る。
そして最後に、透を見る。
「……なんなんだ、こいつら」
それが。
透たちと、獣牙族の次期族長ライガとの最初の出会いだった。




