第五十話 アストレアからの知らせ
アストレア王城の会議室。
中央に置かれた長机の上には、何枚もの地図と報告書が広げられていた。
その中でもひときわ大きな一枚の地図を囲み、国王と王妃、騎士団長オーギュスト、王国の文官たち、そして北方都市へ派遣された調査隊の責任者が席に着いている。
会議室の壁際には、魔鋼虫の襲撃から救出された避難民の代表者たちも控えていた。
透たちが西方へ旅立ってからも、アストレア王国では北方都市の調査と、避難民からの聞き取りが続けられていた。
その結果、これまで断片的だった情報が、少しずつ一つにつながり始めていた。
国王が机上へ視線を落としたまま、静かに口を開く。
「それでは、北方都市の調査結果を聞こう」
「はっ」
調査隊の責任者が立ち上がり、一礼した。
「我々は、ノア殿たちが救出された北方都市を中心に、残された施設と資料の調査を行いました。都市そのものはすでに放棄されており、現在まで住民が暮らしていた形跡はありません」
責任者は数枚の報告書を机上へ並べた。
「しかし、地下施設の一部は崩壊を免れておりました。内部からは石板、金属板、地図、都市の記録と思われる資料などを回収しております」
「内容は読み取れたのか?」
国王の問いに、文官の一人が答えた。
「一部のみです。現在使われている文字と共通するものもありますが、古い表記や専門的な記号が多く、完全な解読には至っておりません」
文官は一枚の金属板の写しを手に取った。
「ただ、年代を示すと思われる記録は、百年近い期間にわたって残されています。ハイエルフの古老たちが語った、千年前の百年戦争と一致する可能性が高いと考えられます」
「一度の襲撃で国が滅びたのではなく、長い戦いが続いたということか」
オーギュストの言葉に、文官はうなずいた。
「はい。都市ごとに抗戦しながら後退し、避難を続けていたと考えられる記述も確認されています」
北方に栄えていた旧パンゲア連邦。
その首都の地下に生じた次元の裂け目から、魔鋼虫が現れた。
人々は各地の都市へ分かれて抵抗したが、戦いは百年に及び、やがて南へ逃れる者と、その場に残って戦う者に分かれた。
それが、ハイエルフの古老たちから伝えられてきた千年前の出来事だった。
今回回収された資料は、その話を裏づける最初の物証となる可能性があった。
王妃が報告書へ目を落とす。
「古老の方々に、この資料を確認していただく必要がありますね」
「はい。我々だけでは、地名や記号の意味を判断できない箇所が多くあります。古老たちの記憶と照らし合わせることで、さらに多くのことが分かるでしょう」
国王は小さくうなずき、次の報告を促した。
「魔鋼虫の動きについてはどうだ」
別の文官が立ち上がり、地図の横に並べられた記録を指し示した。
「近年の襲撃場所と、過去に残された目撃記録を比較いたしました」
地図には、魔鋼虫が確認された場所を示す赤い印が付けられていた。
大地溝帯の周辺だけではない。
アストレア王国の北方、ラザール方面、西方へ続く街道沿い。そして、これまで大規模な群れが現れなかった南の地域にも、赤い印が増えている。
「魔鋼虫は、九百年の間、完全に姿を消していたわけではありません」
文官の言葉に、会議室の者たちが耳を傾ける。
「大規模な群れが動きを止めた後も、少数の個体群は各地で活動を続けていたと考えられます。特に南方では、群れから離れた個体や小規模な群れによる被害が、古い記録にも残されています」
オーギュストが腕を組む。
「我々が、はぐれの群れと呼んでいたものだな」
「はい。しかし、その数は限られており、都市を滅ぼすほどの大群ではありませんでした」
文官の指が、大地溝帯へ移る。
「大地溝帯の周辺には濃密な魔素があり、多くの魔獣も生息しています。休眠期においても、一部の魔鋼虫は周囲の魔素と魔獣の魔核を餌として活動を続けていたのでしょう」
「では、今回の動きは、それらの小規模な群れが増えただけではないということか」
国王の問いに、文官は表情を引き締めた。
「はい。近年確認されている群れの規模と出現範囲は、これまでとは明らかに異なります」
机上に、新たな一枚の報告書が置かれる。
「大地溝帯周辺で長く動きを止めていた巨大なコロニー群が、最近になって活動を再開したと考えるべきです」
会議室に沈黙が落ちた。
九百年前、魔鋼虫の主力となる巨大コロニー群は、餌となる魔核の減少とともに休眠期へ入った。
だが、魔鋼虫そのものが消滅したわけではない。
少数の個体群は活動を続け、そして今、眠っていた巨大な群れまでもが目を覚まし、再び餌を求めて動き始めている。
「現在が、休眠期から活動期へ切り替わった直後だとすれば……」
王妃が言葉を止める。
オーギュストが、その先を引き取った。
「群れの数は、今後さらに増える可能性があります」
今まで各地で起きていた襲撃は、それぞれ別の災害として受け止められていた。
だが、すべてが巨大コロニー群の活動再開によって起きているのならば、話は変わる。
一つの都市や、一つの国だけで防げる規模ではない。
国王は地図上の赤い印を見つめた後、壁際に控えていた避難民たちへ目を向けた。
「救出された者たちから得た証言についても聞こう」
年老いた男が促され、ゆっくりと立ち上がった。
「私どもの間には、千年前、南へ逃れた者たちとは別に、北へ向かった者たちがいたという話が伝わっております」
「北へ?」
「はい。首都から離れ、山の多い土地へ逃れた者がいたと。ただ、それがどこであるのか、その者たちが無事だったのかを知る者はおりません」
別の避難民も、小さくうなずいた。
「私も祖母から聞いたことがあります。北へ逃れた者たちは、二度と戻らなかったと」
長い年月を経て伝えられた、わずかな言い伝え。
これまでは、それ以上の意味を持つものではなかった。
文官の一人が、机上に広げられた地図を指し示した。
「これは、北方都市を調査した際、残されていた資料の中から回収したものです」
古びた地図には、大地溝帯の南側だけではなく、その向こうに広がる土地も描かれていた。
中央に大きく記されているのは、旧パンゲア連邦の首都。
その南には幾つもの主要都市を示す印が並び、北東には広い山岳地帯が記されている。
「我々が北方都市と呼んでいる都市は、旧首都から見れば南方に位置しています」
文官の指が、首都と大地溝帯の間をゆっくりとなぞった。
「千年前、魔鋼虫が首都から南へ勢力を広げたのであれば、これらの都市が滅びたこととも一致します」
国王は地図から視線を上げた。
「北へ逃れた者たちがいたという証言については?」
「複数の避難民から、同じ趣旨の話が得られています」
調査隊の責任者が答えた。
「千年前、南へ逃れた人々とは別に、首都から北、あるいは北東へ向かった者たちがいたと伝えられているそうです」
王妃が、地図の北東部へ目を向けた。
「この山岳地帯へ向かった可能性があるのですね」
「はい」
文官がうなずく。
「これまでは言い伝えにすぎませんでした。しかし、この地図によって、実際に首都の北東に広大な山岳地帯が存在していたことが確認できました」
オーギュストは、地図に描かれた山々を見つめた。
「避難民の証言と、当時の地理が一致したということか」
「その通りです。ただし、そこへたどり着いた者がいたのか、今もその子孫が暮らしているのかまでは分かりません」
「大地溝帯の周辺に残った可能性は?」
国王の問いに、オーギュストは首を横に振った。
「低いでしょう。休眠期にも少数ながら魔鋼虫は活動を続けていました。生き残った者たちがいるとすれば、その勢力圏を避け、北東の山岳地帯まで逃れた者たちでしょう」
会議室の視線が、地図の一点へ集まった。
そこに人がいるという確かな証拠はない。
だが、避難民の証言と、旧時代の地図。
二つを重ねることで、単なる言い伝えだった話に、初めて現実の土地が結びついた。
「調査隊を向かわせることはできないのですか?」
王妃の問いに、オーギュストは難しい表情を浮かべた。
「現在の移動手段では困難です。首都跡と大地溝帯の周辺は、魔鋼虫の活動域となっている可能性が高い。地上から越えようとすれば、調査隊そのものを危険にさらすことになります」
「今は、存在する可能性があると分かっただけでも十分でしょう」
国王が地図から顔を上げる。
「いずれ安全に探索できる手段が得られた時、この情報が役に立つ」
そして、机上に並べられたすべての資料を見渡した。
千年前の百年戦争を裏づける記録。
休眠期にも活動していた少数の個体群。
近年になって動き始めた巨大コロニー群。
そして、北東の山岳地帯へ逃れた人々がいた可能性。
まだ分からないことは多い。
しかし、透たちが西方へ旅立った時と比べれば、事態の輪郭ははるかにはっきりしていた。
「透殿たちは、すでに西方の都市と各種族へ親書を届けている」
国王の言葉に、オーギュストがうなずく。
「はい。魔鋼虫へ対抗するため、各地へ協力を求めながら進んでおります」
「これまでは、危険が迫っていることを知らせ、協力を求める段階だった」
国王は、魔鋼虫の出現場所を示した地図へ手を置いた。
「だが、今は違う。過去に何が起きたのか。現在、何が始まっているのか。各地がなぜ手を結ばなければならないのか。それを示すための情報が、ようやくそろった」
オーギュストも静かに続ける。
「各都市や種族が、具体的な対抗策を話し合う時期に来ています」
「各地の代表者を集めるための準備を始める」
国王の決定に、会議室の空気が変わった。
「まずは、すでに親書を受け取った都市と種族へ、今回判明した情報を共有する。会議の開催場所や時期についても、それぞれの意見を求めよ」
「承知いたしました」
「ハイエルフの里へは、最優先で資料を送る」
国王は文官たちへ視線を向けた。
「古老たちの記憶と照合し、千年前の記録について確認していただくのだ。透殿たちにも、この情報を届けなければならぬ」
「すぐに写しを作成いたします」
「原本は王城で保管せよ。地図、北方都市の調査記録、避難民の証言、魔鋼虫の出現状況をまとめ、伝令に持たせる」
文官たちが一斉に頭を下げた。
「資料の到着には時間がかかります。ピクシーネットワークで、先に知らせを送ってはいかがでしょう」
オーギュストの提案に、国王がうなずく。
「そうしよう。詳しい資料を持った伝令が向かうことを伝えよ。到着後、透殿たちとハイエルフの古老を交え、協議していただきたいとな」
会議が終わると、王城の一室ではすぐに資料の整理が始められた。
文官たちが長机を囲み、回収された記録を書き写していく。
旧パンゲア連邦の地図。
北方都市の調査報告。
避難民から聞き取った証言。
魔鋼虫が確認された場所と、その時期。
休眠期と活動期についての推測。
それらは順にまとめられ、厚い書類箱へ収められていった。
伝令には、王国で最も速い鳥型騎獣が用意されることになった。
その一方で、王城に滞在していた一人のピクシーが、開かれた窓のそばへ降り立つ。
ピクシーは目を閉じ、両手を胸の前で重ねた。
小さな身体を、淡い光が包み込む。
遠く離れた仲間へ思いを届けるため、意識をピクシーネットワークへ重ねていく。
◇
ハイエルフの里。
神樹の木漏れ日が差し込む広場で、結衣たちは旅立ちの準備について話していた。
その近くを飛んでいたモモが、不意に空中で動きを止める。
「モモ?」
結衣が顔を上げた。
モモは返事をせず、目を閉じたまま、じっと宙に浮かんでいる。
小さな身体の周りに、淡い光が浮かんだ。
その様子に気づき、透たちも会話を止めた。
やがて光が収まると、モモはゆっくりと目を開いた。
「アストレアから、知らせ」
セリナがすぐに歩み寄る。
「王都からですか?」
「うん。北方都市を調べて、いろいろ分かったって」
モモは届いた思いを確かめながら、一つずつ伝えていく。
「千年前の戦いのこと。今の魔鋼虫のこと。それから、北へ逃げた人たちがいたかもしれないって」
「北へ逃げた人々……」
リーファが小さくつぶやいた。
「詳しい資料、伝令が持ってくる。いちばん速い騎獣で、こっちに向かうって」
セリナの表情が引き締まる。
「いつ頃到着するのですか?」
「たぶん、明日」
モモはそう答えた後、透たちを見回した。
「資料が着いたら、みんなで話してほしいって。古老の人たちにも見てもらいたいって」
透はセリナと視線を交わした。
アストレアから新しい情報が届く。
それは単なる追加の報告ではない。
透たちが西方へ届けてきた親書を、実際の行動へ結びつけるための根拠となるものだった。
「すぐに族長へ知らせましょう」
リーファが言った。
「古老たちにも集まってもらう必要があるわ」
「ええ」
セリナもうなずく。
「資料が届き次第、会議を開きましょう」
穏やかだった広場の空気が、静かに引き締まっていく。
千年前に失われた記録と、現在のアストレアが集めた情報。
その二つが、ようやく一つにつながろうとしていた。




