第四十九話 リーファの恋心
その日の夕暮れ。
リーファは族長の家へ戻ると、居間の椅子に腰を下ろし、小さく息を吐いた。
神代家が撮影した、地球へ送るための動画。その光景が、まだ頭から離れない。
結衣が皆を並ばせ、真白がラピスを抱いて騒ぎ、明日華がそれを静かにたしなめる。
その中心には、いつも透がいた。
騒がしい妹たちを困ったように見守りながら、必要な時にはそっと手を差し伸べる。
最後に画面へ向かって語った言葉も、透らしいものだった。
『俺たちは大丈夫です』
『必ず、また会いましょう』
あの言葉を聞いた時、なぜか胸の奥が温かくなった。
「リーファ」
「な、何?」
突然名前を呼ばれ、リーファは肩を跳ねさせた。
向かいの椅子には、母のフィレオナが座っている。その隣では、父のファルゼンが茶を飲んでいた。
「帰ってから、ずっと上の空ですよ」
「そんなことないわ」
「そうですか?」
フィレオナが微笑む。
リーファは視線を逸らした。
その様子を見ていたファルゼンが、静かに茶器を置く。
「リーファ」
「何よ、父さままで」
「そなた、好いた者でもできたのか」
「なっ……!」
リーファは勢いよく立ち上がった。
膝が卓の端に当たり、茶器が小さく揺れる。
「どうして、そうなるのよ!」
「母さま」
「ええ」
フィレオナが頷く。
「その反応を見る限り、見当違いではなさそうですね」
「違うわ! 私は別に……」
そこまで言って、リーファは言葉を詰まらせた。
透の顔が浮かんでしまったからだ。
朝の鍛錬で剣を振るう横顔。
真白の頭を撫でる優しい手。
皆の前では落ち着いているのに、自分のことになると少し鈍いところ。
「ほら」
フィレオナが楽しそうに言う。
「顔に出ていますよ」
「出てない!」
リーファは両手で頬を押さえた。
触れた頬は、自分でも分かるほど熱かった。
「まあ、落ち着きなさい」
ファルゼンは茶を一口飲んだ。
からかっている様子はない。むしろ、その表情は思いのほか真剣だった。
「相手は、あの透という少年か」
「だから、まだ何も言ってないでしょ!」
「否定もしておらぬ」
「父さま!」
声を上げたリーファに、フィレオナがくすりと笑う。
ファルゼンは困ったように眉を下げた。
「責めているのではない」
その言葉に、リーファは少しだけ口を閉じた。
「ただ、我らと人族では、生きる時間が違う」
ファルゼンの声は静かだった。
「我らは長く生きる。人族の生涯は、我らにとってあまりにも短い」
リーファも、それは分かっている。
ハイエルフと人族では、流れる時間が違いすぎる。
「それに、我らと人族との間に子をなすことはできぬ」
ファルゼンは、真っ直ぐに娘を見つめた。
「だが、共に生きることまでできぬわけではない」
リーファが顔を上げる。
「互いの違いを知り、それを受け入れることができるのであれば、添い遂げることはできる」
「父さま……」
「そなたの心を、我らが決めることではない」
ファルゼンは、少しだけ表情を和らげた。
「ただし、違いを見ぬふりだけはするな。それは、いずれ互いを傷つける」
リーファは椅子へ座り直した。
恋だと言われても、まだよく分からない。
透のことが嫌いでないのは確かだった。
そばにいれば安心する。
笑っていれば、なぜか自分まで嬉しくなる。
里を出て、ドワーフの地へ向かうと聞いた時には、胸の奥が少し苦しくなった。
「私……」
リーファは膝の上で両手を握る。
「あの人のことが好きなのか、まだ分からない」
「ええ」
フィレオナは急かさず、娘の言葉を待った。
「でも、透が里を出ていくって考えると……少し、寂しい」
口に出した途端、その気持ちが形を持ったように感じられた。
「そうですか」
フィレオナが優しく微笑む。
「ならば、今はそれで十分でしょう」
「十分?」
「分からない気持ちを、無理に決める必要はありません」
ファルゼンも頷いた。
「己の心とは、ゆっくり向き合えばよい」
「……うん」
リーファは小さく答えた。
その時、居間の扉の向こうから、微かな物音が聞こえた。
ファルゼンが扉へ目を向ける。
「そこにいるのは誰だ」
「ひゃっ!」
扉の向こうから、弟のエルディンが転がり込んできた。
その後ろには、姉のエルフィナも立っている。
「私は止めたのよ」
エルフィナは平然と言った。
「姉さまも、ずっと聞いてたじゃないか!」
「私は、あなたを連れ戻しに来ただけです」
「最初から最後まで聞いてたくせに!」
「二人とも!」
リーファが立ち上がる。
エルディンは慌てて廊下へ逃げ出した。
「リーファ姉さまが、人族の男を好きになったー!」
「まだ好きなんて言ってないわよ!」
リーファは顔を真っ赤にして、その後を追いかけていった。
残されたファルゼンは、静かに茶を飲む。
「相変わらず、騒がしいな」
「あなたも、少し楽しんでいたでしょう?」
フィレオナに指摘され、ファルゼンは黙って視線を逸らした。
◇◇◇
翌朝。
リーファが里の道を歩いていると、前方から透がやってきた。
朝の鍛錬を終えたところなのだろう。透の額には、うっすらと汗が浮かんでいた。
「おはよう、リーファ」
「お、おはよう!」
思った以上に大きな声が出た。
透が少し驚いたように目を瞬く。
「どうした?」
「な、何が?」
「いや。なんだか、いつもと違うような」
「何でもないわ!」
リーファは勢いよく答えた。
昨夜の会話が、次々と頭に浮かんでくる。
好きな男性。
添い遂げる。
里を出ていけば寂しい。
意識すればするほど、透の顔をまともに見られない。
「顔が赤いぞ」
透が心配そうに、少し身を屈める。
「熱でもあるんじゃないか?」
「ない!」
リーファは一歩後ろへ下がった。
透の顔が近づいただけで、胸が妙に騒がしくなる。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だから! 鍛錬に戻れば!」
「もう終わったんだが……」
透はますます不思議そうな顔をした。
少し離れた場所では、明日華と結衣が二人の様子を見ている。
明日華が口元へ手を添え、くすくすと笑った。
「何々?」
結衣が明日華の顔をのぞき込む。
「リーファ、どうかしたの?」
「結衣姉さまには、分からないのですか?」
「何が?」
結衣は本気で首を傾げている。
明日華は少し考えてから微笑んだ。
「結衣姉さまは、そのままでいてください」
「どういう意味?」
その横では、真白も同じように首を傾げていた。
「リーファ、顔が真っ赤」
「真白!」
「やはり熱があるのか?」
「ないって言ってるでしょ!」
リーファはそう叫ぶと、透たちに背を向けた。
「わ、私は用事があるから!」
「ああ。気をつけてな」
透の声を背中に受けながら、リーファは足早にその場を離れた。
しばらく歩いてから、そっと後ろを振り返る。
透はまだ、不思議そうにこちらを見ていた。
その隣で、明日華だけがすべて分かっているように笑っている。
リーファは再び前を向き、胸元へ手を当てた。
心臓が、いつもより少し速く動いている。
昨日までは、分からないと思っていた。
今も、はっきりと分かったわけではない。
ただ――。
透に声をかけられただけで、こんなにも落ち着かなくなる理由を、いつまでも知らないふりはできそうになかった。




