第四十一話 それぞれの役目 前編
ハイエルフの里に、静かな朝が戻っていた。
前日の会議で語られた言葉は、誰の胸にも重く残っていた。
理の外より来た者たち。
魔鋼虫という、この世界の理から外れた災厄。
そして、それに立ち向かう神代家。
ノーノーは、透たちを救世主なのかもしれないと言った。
けれど、透はそれを否定した。
自分たちは救世主ではない。
ただ、目の前で困っている人を助けたいだけだ。
その言葉を聞いた者たちは、かえって透たちを信じることができた。
神代家にすべてを託すのではない。
神代家と共に戦う。
その思いを胸に、里にいる者たちはそれぞれ動き始めていた。
◇◇◇
最初に役目を果たしたのは、セリナだった。
族長館の一室。
窓から差し込む柔らかな朝の光の中で、セリナは小さなピクシー、モモを両手の上に乗せていた。
そばにはリリアも控えている。
「モモ。お願いします。王都アストレアへ、できるだけ正確に伝えてください」
「うん。セリナの言葉、ちゃんと届ける」
モモは真剣な顔でうなずいた。
セリナは一度目を閉じ、ゆっくりと息を整えた。
「王都アストレアへ。セリナ・アストレアより報告します」
声は静かだった。
だが、そこには王女として、聖女としての強さがあった。
「私たちは現在、ハイエルフの里に滞在しています。ここで古老エルンファーゼン様より、千年前のパンゲア北方で起こった戦いについて証言を得ました」
モモの羽が、淡く光り始める。
その思念は森に暮らすピクシーたちへ。
さらに遠く、遠くへと渡っていく。
「魔鋼虫は、千年前に北方の人族国家を滅ぼした災厄です。人族は長い戦いの末に敗れ、多くの記録が失われました。南へ逃れた人々の間でも、その記憶は正しく伝わっていません」
セリナは続ける。
「そして今、その魔鋼虫が再び南へ生息域を広げています。北方の牧畜町は焼かれ、ラザールにも群れが現れました。グランドワイズも襲撃を受けています」
一度、言葉を切る。
「もはや、これは一都市、一地方だけの危機ではありません」
扉のそばで聞いていた透も、黙ってその言葉を受け止めていた。
「魔鋼虫は魔核を持ちません。そして魔核を喰らいます。通常の魔物とは大きく異なる存在です」
セリナは、そこで透たちへ目を向けた。
「また、神代透様をはじめとする神代家の方々も、魔核を持ちません。現時点では両者の関係は分かっていませんが、無関係とは断定できません」
透はわずかに目を伏せた。
自分たちが報告の中心になることには、まだ慣れない。
だが、必要なことだ。
「今後、私たちはドワーフの里を目指します。魔導兵器の改良、武具の整備、そして魔鋼虫についての情報整理。そのためには、各地の協力が必要です」
セリナは胸の前で両手を合わせた。
「アストレア王国には、各都市への警戒強化、魔鋼虫情報の共有、避難体制の確認を願います」
モモの羽が、ひときわ強く輝いた。
「届ける。セリナの言葉、ちゃんと届ける」
その瞬間。
目には見えない波が、森から森へと広がっていった。
◇◇◇
王都アストレア。
城の中庭。
木々の中に作られた住まいから、一匹のピクシーが飛び出してきた。
近くにいた騎士の前まで飛んでくると、慌てた様子で声を上げる。
「セリナ様からの御言葉です!」
知らせは、すぐに宰相のもとへ届けられた。
王。
宰相。
騎士団長オーギュスト。
そして神官たち。
セリナの報告が伝えられるにつれ、場は重苦しい沈黙に包まれていった。
「千年前の人族国家……パンゲア連邦か」
王が低くつぶやく。
オーギュストは険しい表情で腕を組んだ。
「グランドワイズだけではない。ラザール、北方の町。そして、さらに南下する可能性がある……」
「もはや辺境の異変では済まされぬ」
宰相の声も硬い。
王はしばらく目を閉じて考えていた。
やがて目を開く。
「各地へ警戒を出せ」
その声には迷いがなかった。
「ラザール、サーディル、ミルファとの連絡を密にする。魔鋼虫に関する情報を集め、各都市との経路を確認せよ」
「はっ」
「それと、セリナたちの旅を支える準備も必要だ」
王は集まった者たちを見渡した。
「あの者たちだけに戦わせるわけにはいかぬ」
オーギュストが深く頭を下げる。
「騎士団も動かします。王都の守りを固めつつ、対魔鋼虫部隊を準備いたします」
王は静かにうなずいた。
「セリナが王女としての役目を果たしている。ならば、我らも我らの役目を果たさねばならぬ」
遠く離れた王都でも、事態は動き始めていた。
◇◇◇
一方、ハイエルフの里。
報告を終えたセリナが族長館へ戻る頃、別の部屋では透たちが大きな卓を囲んでいた。
透。
結衣。
明日華。
真白。
蒼姫。
そして、ノーノーとセシリア。
卓の中央には、一本の銀色の筒が置かれている。
「ふむ」
ノーノーが興味深そうに覗き込む。
「これが、透たちの世界の道具か」
「はい。母さんが結衣たちの勉強用に持たせてくれたものです」
結衣が銀色の筒を手に取った。
端を外し、中から黒い薄膜を引き出す。
卓の上へ広げると、薄膜はぴんと張り、一枚の薄い板のようになった。
セシリアが目を見開いた。
「巻物……ではありませんね」
「魔力も感じぬ」
ノーノーが鼻先を近づける。
「魔導具ではないのか?」
「電気で動く道具です」
「でんきですか?」
セシリアが首をかしげる。
「雷の小さいものとか?」
「まあ、だいたいそんな感じです」
透が苦笑した。
結衣が端末の隅へ親指を当てる。
黒い膜の表面を淡い光が走り、文字と絵が浮かび上がった。
「おおっ!」
ノーノーが声を上げる。
「魔力がないのに……」
セシリアも画面から目を離せない。
「文字が浮かんでいます」
「映像も出せますよ」
結衣は少し得意げだった。
「通信はできませんけど、辞書や図鑑、学校の教材なんかが入っています」
真白も胸を張る。
「真白もお勉強するんだよ」
「すぐ飽きるけどな」
「飽きないもん!」
部屋に小さな笑いが起こった。
その横で、明日華はふと自分のポシェットへ手を入れた。
指先に冷たいものが触れる。
サーディルの骨董店で手に入れた、二つの金属片。
明日華はそっと取り出し、掌の上へ並べた。
薄く、冷たい。
魔力は感じられない。
二つを重ねてみる。
形は合わなかった。
「……?」
離そうとした瞬間。
ほんのわずかに、二つの欠片が互いを引いたような気がした。
肩に止まっていた蒼姫が目を向ける。
「明日華。それは?」
「サーディルで見つけたものです。まだ何なのかは分かりません」
明日華は二つの欠片を見つめた。
「でも……少し気になります」
「ならば、失くさないように持っておくとよいでしょう」
蒼姫が穏やかに微笑む。
「縁あるものは、必要な時に意味を持つものです」
「はい」
明日華は金属片をポシェットへ戻した。
その時はまだ、誰も知らなかった。
その小さな二つの欠片が、重要な鍵になることを。
「明日華、どうかした?」
「いえ。大丈夫です」
明日華が首を振ると、結衣は再び端末へ顔を戻した。
「それで、ノーノーさん。これを見てください」
画面が切り替わる。
現れたのは、地球の生物図鑑だった。
甲虫。
蜂。
蟻。
蝶。
蜻蛉。
硬い外殻と、節のある脚を持つ小さな生き物たち。
セシリアが息を呑む。
「これは……魔物ではないのですか?」
「虫です」
透が答えた。
「僕たちの世界では、ごく普通にいる生き物です」
「これが……虫」
セシリアが画面へ顔を近づける。
ノーノーは黙ったまま、食い入るように見つめていた。
「硬い外殻……節のある脚……複眼……」
やがて、その目が鋭くなる。
「似ておる」
「魔鋼虫に、ですね」
セシリアもうなずいた。
結衣が別の資料を表示する。
「これはシロアリです」
さらに画面を送る。
「そして、これがシロアリの巣」
そこに現れたのは、地面から幾つもの尖塔が伸びる巨大な巣だった。
ノーノーの動きが止まった。
「……これは」
「どうしました?」
透が尋ねる。
「昨日、エルンファーゼン殿が話しておった」
ノーノーが画面を指す。
「エルンファーゼン殿たちが帰還して百年ほど後、ドワーフの里付近に不時着した魔導飛行船。その乗員が、魔鋼虫の巣は巨大な尖塔のようなものだったと話していたそうじゃ」
セシリアの表情が変わった。
「似ているのですか?」
「わし自身が見たわけではない。まだ断定はできぬ」
ノーノーはそう前置きした。
「じゃが……気になるのう」
結衣が蟻の社会構造を開く。
「蟻や蜂には、役割の違う個体がいるんです。女王蟻、働き蟻、兵隊蟻みたいに」
「役割の違う個体……」
セシリアがつぶやく。
「小型種。飛行種。大型種。そして指令種」
ノーノーが腕を組んだ。
「ただの偶然として片付けるには、似ているところが多い」
「魔鋼虫って、本当に虫なの?」
真白が不安そうに尋ねた。
「まだ分からないよ」
透が答えた。
「でも、調べる価値はありそうだ」
結衣がさらに教材を開く。
昆虫が古い外殻を破り、柔らかな体を外へ出していく映像だった。
「これは脱皮です。虫は大きくなる時に、古い外殻を脱ぐ種類がいます」
「魔鋼虫にも脱皮があるらしいです」
セシリアがすぐに反応した。
「古老の証言にありました」
ノーノーが身を乗り出す。
「ならば、脱皮直後はどうなる?」
「種類にもよりますけど、新しい外殻が固まるまでは柔らかい虫もいます」
「なるほど」
ノーノーの口元がわずかに上がった。
「もし同じ性質を持つなら、狙い目になる」
セシリアもうなずく。
「外殻、関節、脱皮、群れの役割、巣の構造。調べるべきことが一気に増えましたね」
透は画面を見つめていた。
これまで、魔鋼虫はただ倒さなければならない敵だった。
だが。
生態を知れば、戦い方そのものを変えられるかもしれない。
真白が画面を覗き込み、顔をしかめた。
「虫、あんまりかわいくない」
「真白はそうだろうな」
「地球の虫も悪いやつなの?」
「いや」
透は首を振った。
「虫だって自然の一部だよ。花粉を運んだり、土を作ったり、ほかの生き物の餌になったりする」
「じゃあ、魔鋼虫とは違う?」
「違う」
透は、はっきりと言った。
「地球の虫は、魔核を喰って世界を壊したりしない」
その言葉を聞き、ノーノーが深くうなずく。
「大事なのはそこじゃ」
画面の小さな昆虫を見つめる。
「虫という生き物そのものが悪なのではない」
そして、少し考えてから続けた。
「もしかすると魔鋼虫は、初めからこの世界に存在した魔物ではないのかもしれぬ」
部屋が静かになった。
「虫に似た何かが、この世界へ入り込み――」
ノーノーはゆっくりと言葉を選ぶ。
「魔核を喰らうようになった」
セシリアが静かに息を吐いた。
「まだ仮説です」
「うむ」
「ですが、千年前の記録と照らし合わせる価値はあります」
「なら、調べよう」
透が言った。
「僕たちの世界の虫と、パンゲアの魔鋼虫。似ているところと違うところを全部」
ノーノーが笑う。
「剣や魔法だけが、戦う力ではないということじゃな」
透は画面に映る小さな昆虫を見つめた。
母が、結衣たちの勉強のために持たせてくれた端末。
その中に詰まっていた何気ない知識が。
千年もの間、この世界を苦しめてきた災厄の正体へ近づく手がかりになるかもしれなかった。




