第四十話 理の外から来た者達 後編
結衣が目を見開いた。
明日華も、驚いたようにノーノーを見る。
真白は意味が分からないのか、透の袖を引っ張った。
「とおるん、きゅうせいしゅってなに?」
「えっと……みんなを助ける人、かな」
「じゃあ、とおるんだね」
「いや、違うと思う」
透は即座に否定した。
その反応に、ガルドが思わず小さく笑う。
「お前らしいな」
だが、ノーノーの表情は真剣なままだった。
「透。これは、おぬしらを持ち上げるために言っておるのではない」
「……はい」
「わしらは、これからの戦いで、おぬしらの力に頼らざるを得ぬ」
広間の空気が、再び静まった。
「神代家の特異な体質。魔鋼虫に対する相性。そして純粋な戦力。どれも、これからの戦いに必要なものじゃ」
ノーノーの声には、苦さがあった。
「本来ならば、この世界の者たちだけで立ち向かわねばならぬ災厄じゃ。異世界から来たおぬしらに重荷を背負わせるのは、申し訳ない」
ノーノーは、深く頭を下げた。
「じゃが、それでも頼らせてほしい」
透は息を止めた。
ノーノーが頭を下げる。
その姿は、透にとって衝撃だった。
金猿族の大賢者。
王国の知恵袋。
誰よりも冷静で、時に厳しい老人。
そのノーノーが、神代家に頭を下げている。
「わしは、おぬしらに申し訳なく思う。じゃが同時に、ありがたく思っておる」
ノーノーは顔を上げた。
「神代透。結衣。明日華。真白。蒼姫。これまで戦ってくれたことに、礼を言う」
セリナも立ち上がった。
そして、ノーノーに続くように深く頭を下げる。
「私からも感謝を。透さんたちがいてくださらなければ、私はここにいません。アストレアも、グランドワイズも、ラザールも、もっと大きな悲しみに包まれていたはずです」
「セリナ様、やめてください」
透は慌てて立ち上がった。
「俺たちは、そんな大したことをしているつもりはありません」
「大したことじゃないって、お前なあ」
ガルドが呆れたように言った。
「命張って魔鋼虫の群れに突っ込むやつが、何を言ってやがる」
「いや、それは……」
透は言葉に詰まった。
結衣が苦笑する。
「おにぃは昔からこうなんです。自分のことになると、すぐ大したことないって言うんです」
「そうです」
明日華も頷いた。
「兄さまは、もっと自分のしたことを分かるべきです」
「明日華まで……」
透は困ったように眉を下げた。
真白が両手を上げる。
「とおるんはすごいんだもん!」
「真白、そこで乗らなくていい」
「乗るもん」
そのやり取りに、広間の空気が少しだけ緩んだ。
だが、透はすぐに表情を戻し、ノーノーとセリナに向き直った。
「俺は、救世主なんてものじゃありません」
静かな声だった。
「ただ、目の前で困っている人を見捨てたくないだけです。セリナ様を助けたかった。ノアを守りたかった。グランドワイズを守りたかった。ラザールでも、あの街の人たちを助けたかった」
透は一度、結衣たちを見る。
「それに、俺は一人じゃありません。結衣も、明日華も、真白も、蒼姫もいる。ガルドさんも、セシリアさんも、ノーノーさんも、リーファさんも、みんながいる」
リーファが静かに目を伏せた。
透の言葉は、まっすぐだった。
「だから、俺たちは神様に選ばれた救世主なんかじゃありません。ただ、この世界で出会った人たちと一緒に戦うだけです」
結衣が立ち上がった。
「私も同じです。おにぃが戦うなら、私も戦います。おにぃだけに背負わせるつもりはありません」
明日華も続く。
「兄さまを支えるために来ました。けれど、それだけではありません。この世界で出会った人たちを、私も守りたいと思っています」
真白も慌てて立ち上がる。
「真白も! 真白も、みんなを守るもん!」
蒼姫は静かに立ち、透の後ろに控えた。
「神代の翼として、私も共に参ります」
セシリアが、ふっと微笑んだ。
「まったく……頼もしい方々ですね」
ガルドは腕を組んだまま、にやりと笑う。
「救世主かどうかは知らねえが、背中を預ける相手としては十分だ」
ノーノーは、しばらく透たちを見つめていた。
そして、ゆっくりと頷く。
「それでよい」
「え?」
「自らを救世主などと思わぬ者だからこそ、わしらはおぬしらを信じられる」
透は返す言葉を失った。
ノーノーは続ける。
「力を持つ者が、自分を特別だと思い込めば、それはやがて傲慢となる。じゃが、おぬしらは違う。迷い、悩み、困りながら、それでも目の前の者を助けようとする」
古老エルンファーゼンが、静かに言った。
「それこそが、理の外より来た者たちに託された意味なのかもしれぬ」
広間に、深い沈黙が流れた。
今度の沈黙は、重苦しいものではない。
それぞれが、言葉の意味を受け止めている沈黙だった。
やがて、セリナが顔を上げる。
「ですが、私たちは神代家に頼るだけではいけません」
その声は、聖女としてのものだった。
「透さんたちが特別な力を持っているとしても、それだけで魔鋼虫との戦いに勝てるわけではありません。アストレアも、ラザールも、サーディルも、ミルファも。そしてエルフやドワーフ、亜人の里も。すべてが手を取り合わなければなりません」
「その通りじゃ」
ノーノーが頷く。
「神代家の力は切り札になり得る。じゃが、切り札だけで戦は勝てぬ。情報、補給、移動手段、各地の連携、魔導兵器の改良。やるべきことは山ほどある」
ファルゼンが身を乗り出した。
「我らハイエルフも協力しよう。古き記録の精査、森を通じた情報伝達、魔鋼虫に関する過去の知識。出せるものは出す」
リーファも力強く頷く。
「私も、透たちと一緒に行きます。森の外で起きていることを、もう見ないふりはできません」
エルンファーゼンは静かに目を閉じた。
「千年前、我らは北の民を救い切れなかった。その悔いは、今も残っておる」
その声には、長い年月を生きた者の重みがあった。
「ならば今度こそ、同じ過ちを繰り返してはならぬ」
ノーノーは杖で床を軽く叩いた。
「では、次の議題に移る」
空気が、会議のものへと変わった。
「まず、王都アストレアへの報告じゃ。セリナ。ピクシーを通じて、今回の古老の証言と、魔鋼虫の南下について伝える必要がある」
「はい。モモから仲間たちへ言葉を伝えてもらいます。ミルファのエルシア神官長にも連絡が届くよう頼みます。そこから王都へ伝えていただけるはずです」
「うむ」
ノーノーは次にセシリアを見た。
「セシリア。魔導爆裂砲と魔核爆裂弾の改良案をまとめる必要がある。ラザール戦で得られた情報は大きい」
「承知しました。魔鋼虫の外殻に対する効果、爆裂範囲、魔力消費量。再計算が必要ですね」
「ガルド」
「おう」
「前衛の運用も見直す。神代家に頼るとはいえ、透たちだけを突出させるわけにはいかぬ。前衛、弓兵、魔法士、支援役を含めた隊列を組み直す」
「任せろ。実戦で使える形にしてやる」
ノーノーは次に、透たちへ視線を移した。
「そして、神代家じゃ」
結衣が少し緊張した顔になる。
「おぬしらには今後、魔鋼虫に対する遊撃戦力として動いてもらう場面が増えるじゃろう」
「遊撃戦力……」
透が呟いた。
ノーノーは頷く。
「大軍の正面に立つのではない。敵の指令種を討つ。突出した個体を止める。混乱した味方を救う。そうした役割じゃ」
結衣が、ぱっと顔を上げた。
「神代家遊撃隊……」
透が結衣を見る。
「結衣?」
「あ、いえ。なんとなく、そういう名前が浮かんだだけです」
ガルドが笑った。
「いいじゃねえか。分かりやすい」
セシリアも微笑む。
「神代家遊撃隊。確かに、結衣さんらしい名前ですね」
結衣は少し照れたように頬をかいた。
「変ですか?」
「いや」
透は首を横に振った。
「いいと思う」
真白も元気よく手を上げる。
「真白も遊撃隊?」
「そうだな。真白も一員だ」
「やったのじゃ」
真白は嬉しそうに笑った。
蒼姫は静かに言う。
「ならば、空からの偵察と攻撃は私が担いましょう」
明日華も頷いた。
「私は後方から援護します」
結衣は鉄棍を握るように拳を作る。
「私は前に出ます。おにぃの横で戦います」
「結衣、無理はするなよ」
「それはおにぃも同じです」
即座に返され、透は苦笑した。
ノーノーは、その様子を見てわずかに目を細める。
「よい。ならば今後は、神代家遊撃隊を一つの戦力単位として考える」
ファルゼンが感心したように言った。
「異界より来た家族が、一つの隊となるか」
「家族だからこそ、かもしれません」
セリナが静かに言う。
「透さんたちは互いを守るために戦います。その絆が、力になっているように思えます」
透は少し照れくさくなり、視線を外した。
だが、否定はしなかった。
家族。
それは透にとって、何よりも大切なものだった。
そして今、この世界で出会った仲間たちもまた、守りたい存在になっている。
「次に、移動手段じゃ」
ノーノーの声で、透は現実へ引き戻された。
「これから先、魔鋼虫の動きは早まる可能性がある。徒歩や通常の騎獣だけでは、間に合わぬ場面も出るじゃろう」
「蒼姫は、大きくなれば数人を乗せられます」
明日華が言った。
「ただし、長距離を何度も飛ぶとなると、負担は大きいと思います」
「うむ。蒼姫だけに頼るのは危険じゃ。ドワーフの里へ向かう道中で、大型の騎獣や駄獣の手配も考えねばならぬ」
ガルドが肩を回した。
「俺とノーノーは、でかい駄獣で十分だ。走れと言われても困るしな」
「誰が老人扱いしてよいと言った」
「してねえよ。自分で言ったんだろ」
軽いやり取りに、少しだけ笑いが起こった。
重い会議の中に、こうした隙間があることがありがたかった。
ノーノーは咳払いをして、話を戻す。
「いずれにせよ、次に目指すのはドワーフの里じゃ。魔導兵器の改良、武具の整備、そして魔鋼虫の外殻に対抗するための素材加工。ドワーフたちの力が必要になる」
ファルゼンが頷いた。
「黒鉄山脈のドワーフたちは頑固だが、話の分からぬ者たちではない。こちらからも使者を出そう」
「助かる」
ノーノーは短く礼を言った。
会議は、その後も続いた。
ピクシーたちを介した各地への警告。
北方の町が焼かれたことの確認。
魔鋼虫の群れが、どの方角から南下しているのか。
ラザール、サーディル、ミルファ、アストレアの連携。
そして、ハイエルフの里が今後どこまで外の世界と関わるか。
どれも簡単な話ではなかった。
だが、誰も逃げようとはしなかった。
千年前の戦いを知る者。
今を生きる者。
異世界より来た者。
それぞれが、自分にできることを探していた。
やがて、ひと通りの議題が終わった頃、広間には静かな疲労が漂っていた。
ノーノーは最後に、もう一度透たちを見る。
「透」
「はい」
「今日の話は、重かったじゃろう」
「……はい。正直、少し」
「じゃが、忘れぬでよい。背負いすぎる必要もない」
透はノーノーを見る。
「おぬしらは神ではない。救世主と呼ばれようが、理の外より来た者と呼ばれようが、一人一人は悩み、傷つき、疲れる者じゃ」
ノーノーの声は、先ほどより柔らかかった。
「だからこそ仲間がおる。家族がおる。わしらもおる」
透は静かに息を吸った。
そして、頷く。
「はい」
セリナが微笑んだ。
「透さん。私たちは共に戦います。頼るだけではありません。あなた方を支えます」
「ありがとうございます」
透は素直に頭を下げた。
結衣が隣で笑う。
「おにぃ、ちょっと顔が固い」
「そうか?」
「固いです」
明日華も小さく頷いた。
真白は透の袖を引っ張る。
「とおるん、あとで森に行く?」
「今日は会議で疲れたから、少し休もう」
「じゃあ、一緒にお昼寝?」
「それは……」
「真白も疲れた」
透が困っていると、ガルドが豪快に笑った。
「救世主様も、昼寝には勝てねえってわけだ」
「だから救世主じゃありません」
透が即座に返す。
その言葉に、広間のあちこちから小さな笑いが漏れた。
重い話をした後だからこそ、その笑いは温かかった。
理の外より来た者たち。
この世界の常識では測れぬ者たち。
だが彼らは、特別な存在である前に家族だった。
互いを守り、出会った人々を守りたいと願う、ただの家族だった。
そして今、その家族の歩みが、この世界の未来と重なり始めている。
魔鋼虫という災厄が南へ広がり始めた今、千年続いた均衡はすでに破れた。
だが、それは滅びの始まりだけを意味するのではない。
理の外より来た者たちが、この世界に現れた。
その意味を、まだ誰も正確には知らない。
けれど少なくとも、この日、ハイエルフの里の広間にいた者たちは、同じ思いを抱いていた。
もう、過去の悔いを繰り返してはならない。
もう、誰か一人に背負わせてはならない。
神代家に託すのではなく。
神代家と共に戦う。
その決意が、静かに広間を満たしていた。




