第五話 黒い魔獣
アストレア王国より遥か西方。
砂の海が広がっていた。
照りつける太陽。
熱を孕んだ風。
どこまでも続く赤茶けた砂丘。
西方砂漠地帯。
そこはアストレア王国の民にとって、地図の端に記された遠い異国の地である。
その砂漠を、一組の冒険者パーティーが歩いていた。
「やれやれ。ようやく終わったな」
大剣を肩に担いだ男が、額の汗を拭う。
名はガレス。
オアシス都市ラザールを拠点とするCランク冒険者であり、このパーティーのリーダーだった。
「帰ったら酒場だな」
軽い調子で言ったのは斥候のリック。
目ざとく、足が速く、口も軽い。
「その前にギルドへ報告です」
弓使いのミリアが呆れたように言う。
「相変わらずだなお前ら」
大盾を背負った重戦士ドルトが苦笑する。
最後尾では、魔法使いのフィーナが暑さにうんざりした様子でローブの襟を引っ張っていた。
「早く帰りたい……」
それは、ごく普通の依頼帰りだった。
砂漠に出没する小型魔獣の討伐。
危険はあったが、予想の範囲内だった。
少なくとも、彼らはそう思っていた。
砂丘を一つ越えた時。
先頭を歩いていたリックが足を止めた。
「待て」
空気が変わる。
軽口を叩いていた冒険者たちの顔が、一瞬で戦う者のものへ変わった。
「どうした」
ガレスが低く問う。
「何かいる」
リックが砂丘の向こうを指差した。
黒い影が、砂の上を動いていた。
「魔獣か?」
「分からん。だが……見たことがない」
全員が目を凝らす。
それは、獣ではなかった。
黒い外殻。
金属のような鈍い光沢。
6本の脚。
そして赤く輝く複眼。
砂漠に棲む甲殻魔獣にも似ている。
だが、何かが違った。
生き物でありながら、生き物らしさが薄い。
まるで冷たい鉄の塊が、意思を持って動いているようだった。
「なんだ、あれ……」
ドルトが呟く。
その瞬間。
黒い魔獣が動いた。
速い。
砂を蹴り飛ばし、一直線に冒険者たちへ向かってくる。
「来るぞ!」
ドルトが前へ出た。
大盾を構える。
次の瞬間。
ドカッ 轟音が響いた。
「ぐおっ!?」
衝撃。
盾越しに叩きつけられた力に、ドルトの巨体が数歩後退する。
「馬鹿な……!」
ドルトは、重戦士としては腕が立つ。
並の魔獣なら、真正面から受け止められるはずだった。
それを押し返した。
「フィーナ!」
「分かってる!」
魔法使いのフィーナが杖を掲げる。
「火炎槍!」
空気が歪み、炎の槍が生まれる。
それは黒い魔獣へ真っ直ぐ放たれた。
直撃。
炎が弾ける。
だが黒い外殻は、炎を弾いた。
「効いてない!?」
「硬すぎる!」
ミリアが矢を放つ。
矢は赤い複眼を狙った。
しかし寸前で頭部が僅かにずれ、矢は甲殻に弾かれる。
ガレスが踏み込んだ。
「おおおおっ!」
大剣を振り下ろす。
ガキンッ 頭に響く、金属音。
刃が黒い外殻を滑った。
「くそっ!」
手応えはあった。
だが浅い。
この硬さは異常だった。
黒い魔獣が脚を振るう。
鋭い刃のような前脚。
ガレスは身をひねって避ける。
砂が裂けた。
ただの一撃で。
「まともに食らうな!」
「分かってる!」
ドルトが再び盾を構え、ガレスが側面へ回る。
ミリアは矢を番え、フィーナは次の魔法を詠唱する。
リックは砂の上を低く走りながら、魔獣の動きを観察していた。
どこかに弱点があるはずだ。
どれほど硬い魔獣でも、急所はある。
「……見えた!」
リックが叫んだ。
「胸だ!」
「胸?」
「あの甲殻の隙間だ! そこなら刃がとおる!」
複眼の下。
胸部の奥。
黒い甲殻の合わせ目に、わずかな隙間があった。
「ミリア!」
「任せて!」
ミリアが息を止める。
風を読む。
砂の流れを読む。
そして矢を放った。
矢は黒い魔獣の脚の間を抜け、甲殻の隙間へ突き刺さる。
耳障りな音が響いた。
魔獣が激しく身をよじる。
「今だ、ガレス!」
「おおおおおっ!」
ガレスが踏み込む。
全体重を乗せた突き。
大剣の切っ先が、矢の刺さった隙間へ叩き込まれた。
硬い感触。
青い血が噴き出した。
そして。
バキン。
何かが砕ける音がした。
黒い魔獣の動きが止まる。
赤い複眼の光が一瞬強くなり、次いで消えた。
巨体が砂の上に崩れ落ちる。
砂煙が舞った。
「……倒した、のか?」
ドルトが荒い息を吐く。
誰もすぐには近付かなかった。
異様だった。
死体となった今でも、その黒い外殻は不気味な存在感を放っている。
青い血を流す魔獣など初めてだった。
リックが慎重に近付き、短剣の先で甲殻をつついた。
「見たことねえ魔獣だ」
「だな。少なくともラザール周辺でこんなのは聞いたことがない」
フィーナが顔をしかめる。
「嫌な感じがする」
それは冒険者としての勘だった。
長く生き残ってきた者だけが持つ、本能的な警戒。
この魔獣は危険だ。
それも、ただ強いという意味ではない。
存在そのものが何かおかしい。
「死骸の一部を持ち帰るぞ」
ガレスが言った。
「ギルドへ報告する。こいつは普通じゃない」
その判断は正しかった。
だが彼らは知らない。
その黒い魔獣が、千年前にパンゲア中央を喰らい尽くした災厄の末端であることを。
魔鋼虫。
まだその名を知る者は、ほとんどいない。
遠くの砂丘の向こう。
一瞬だけ。
赤い光がいくつも瞬いた。
しかし冒険者たちは、誰一人気付かなかった。
災厄はすでに動き始めていた。




