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超大陸パンゲアへ渡った神代家の異世界奮戦記  作者: 久遠 遙人


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第四話 異世界へ

「どうか」


 唇が震える。


「どうか、我らをお導きください」


 祈りの間の中央に刻まれた古い紋様が、淡く輝いた。


 セリナは目を開く。


「え……?」


 光は瞬く間に強くなった。


 床に刻まれた紋様が、まるで呼吸するように明滅する。


 神官たちがざわめいた。


「何だ、この光は……」


「神託か?」


「姫様、お下がりください!」


 護衛の騎士が駆け寄ろうとする。


 だがその瞬間、祈りの間全体が眩い光に包まれた。


 白い光。


 目を開けていられないほどの輝き。


 誰もが腕で顔を覆う。


 そして。


 光の中心に、人影が現れた。


 黒髪。


 黒い瞳。


 見慣れぬ衣服。


 手には一振りの剣のようなもの。


 その場にいた誰もが息を呑んだ。


 アストレア王国の民は北方の血を引く者が多い。


 金髪。


 銀髪。


 淡い肌。


 青や緑の瞳。


 それがこの国では珍しくない。


 だが、光の中から現れた少年は違った。


 夜のように黒い髪。


 深い闇を宿したような黒い瞳。


 王国の誰とも似ていない。


 セリナもまた、声を失った。


「……え?」


 少年が呟く。


 少年の表情に浮かんでいたのは、敵意ではない。


 ただ純粋な驚愕だった。


「どこだ、ここ……?」


 次の瞬間。


 少年の顔が苦痛に歪んだ。


「ぐっ……!」


 刀を握る手に力が入る。


 膝が震える。


 息が詰まったように胸を押さえた。


「な、んだ……これ……」


 その場にいた神官の一人が叫ぶ。


「セリナ様、お下がりください!」


 だがセリナは動けなかった。


 少年の額に汗が浮かぶ。


 呼吸が荒くなる。


 まるで全身を見えない炎で焼かれているかのように、彼は苦悶の声を漏らした。


「あ……がっ……!」


 悲鳴が響いた。


 少年はそのまま倒れた。

 

 石床に膝をつき、刀を抱え込むようにして崩れ落ちる。


 セリナは我に返った。


「すぐに治癒師を!」


 王女の声が祈りの間に響く。


「この方を王城へ運んでください! 早く!」


 騎士たちが駆け寄る。


 だが少年の体に触れた一人が顔をしかめた。


「熱い……!」


「何をしているのです、急いで!」


「はっ!」


 少年は意識を失っていた。


 黒髪が石床に広がる。


 その手は、倒れてなお刀の柄を離していなかった。


 セリナはその姿を見つめる。


 胸の奥がざわついていた。


 神託。


 祈り。


 光。


 そして現れた黒髪黒目の少年。


 これは偶然なのか。


 それとも。


 セリナには、まだ何も分からなかった。


 ◇◇◇


 三日後。


 アストレア王城。


 円卓の間には、国の重鎮たちが集まっていた。


 国王アルベルト・アストレア。


 王妃エレノア。


 宰相グランツ。


 騎士団長オーギュスト。


 宮廷魔術師長エリシア。


 大神官オルド。


 そして第三王女セリナ。


 重い空気が室内を満たしていた。


 最初に口を開いたのは国王だった。


「セリナ。改めて神託の内容を聞かせよ」


「はい、父上」


 セリナは静かに立ち上がる。


 顔には疲労の色が残っていた。


 この三日間、彼女はほとんど眠れていない。


 神託のこと。


 現れた少年のこと。


 そして彼がまだ目覚めないこと。


 そのすべてが、心に重くのしかかっていた。


「神託は明確でした」


 セリナは言った。


「三か月後、王国に災厄が訪れます」


「災厄とは何だ」


 宰相グランツが問う。


「それは……分かりません」


 セリナは唇を噛んだ。


「見えたのは黒い群れです。大地を埋め尽くすほどの数。空を覆う影。王都が炎に包まれる光景……」


「魔物の大発生か」


 騎士団長オーギュストが低く呟く。


「あるいは、山脈を越えた異国の軍かもしれませんな」


 宰相グランツが言う。


「外洋からの侵攻は考えにくいが、絶対にないとは言い切れぬ」


「高度限界があるのだぞ。山脈を越えて大軍が来るなど、現実的ではない」


 オーギュストが首を振る。


「ならば大渓谷か」


「渓谷を越える軍勢など聞いたことがない」


 会議の場に重い沈黙が落ちる。


 アストレア王国は、地形に守られてきた国だ。


 王都を囲む自然は、敵にとってあまりにも厳しい。


 だからこそ、誰も災厄の正体を掴めない。


 大神官オルドが静かに口を開いた。


「古い記録には、黒き災いという言葉があります」


「黒き災い?」


 国王が問い返す。


「はい。千年前、大陸中央で起きたとされる災厄です。ただし詳細は残されておりません。神話と混ざり、今ではほとんど伝承に近い」


「それが来ると?」


「断定はできません」


 オルドは首を振る。


「しかし神託に黒い群れが現れたのであれば、無関係とは言い切れませぬ」


「三か月か」


 宰相グランツが眉間に皺を寄せる。


「備えを整えるには、あまりにも短い」


「しかし何もしなければ王都は危うい」


 オーギュストが言う。


「直ちにグランドワイズ大渓谷側の関門警備を増強すべきです」


「方角から考えれば、来るならグランドワイズ渓谷側だろう。関門を防衛拠点にする」


 国王は重く頷いた。


「だが、もう一つの問題がある」


 円卓に沈黙が落ちる。


 全員の視線がセリナへ向いた。


 セリナは小さく息を吸う。


「光の中から現れた少年のことですね」


「そうだ」


 国王は頷く。


「黒髪黒目。見慣れぬ衣服。見たこともない刀。そして現れるなり倒れた。あれは何者だ」


 誰もすぐには答えられなかった。


 宮廷魔術師長エリシアが口を開く。


「少なくとも、既知の転移魔法ではありません」


「召喚術ではないのか」


「違います」


 エリシアは断言した。


「召喚術式の痕跡がありません。魔法陣も、媒介も、契約の鎖もありませんでした。あれは、こちらが呼び出したのではなく……」


「では何だ」


「引き寄せられた、という方が近いかと」


 その言葉に円卓がざわつく。


 大神官オルドが目を細めた。


「神の御業か」


「断定はできません」


 エリシアは首を振った。


「ただ、彼の身体に異常があることは確かです」


「異常?」


「はい。治癒師の報告では、彼には魔核が確認できません」


 その瞬間、室内が静まり返った。


 魔核。


 この世界に生きるすべての者が持つ、魔素を宿す器官。


 人族も。


 獣人も。


 エルフも。


 ドワーフも。


 魔物ですら。


 魔核を持たぬ生物など、パンゲアには存在しない。


「魔核がない……?」


 オーギュストが信じられないという顔をする。


「それで生きているのか」


「はい」


 エリシアは頷く。


「むしろ、魔核を持たないがゆえに、この世界の大気に満ちる魔素が彼の身体を直接侵した可能性があります」


「だから倒れたのか」


「おそらくは」


 セリナは拳を握った。


 あの時の少年の悲鳴が耳に残っている。


 あれは恐怖ではなかった。


 全身を引き裂かれるような、純粋な苦痛だった。


「彼は今どこにいる」


 国王が問う。


「王城東棟の客室に運んでいます」


 セリナが答えた。


「治癒師と侍医が交代で様子を見ています。命に別状はないようですが、三日間、目を覚ましていません」


「危険は?」


「武器は取り上げられませんでした」


 セリナの言葉に、騎士団長が眉を上げる。


「なぜだ」


「あの刀を離そうとしなかったのです。意識を失ってなお、手から離れませんでした」


「ならば力ずくで――」


「試しました」


 エリシアが言う。


「ですが離れません。まるで刀そのものが彼を拒む者を弾いているようでした」


 再び沈黙が落ちる。


 国王は目を閉じた。


 災厄の神託。


 黒い群れ。


 魔核を持たぬ、光の中から現れた黒髪黒目の少年。


 あまりにも不可解な出来事が続いている。


 だが王として決断しなければならない。


「セリナ」


「はい」


「少年が目覚めたら、まずお前が話を聞きなさい」


「私が、ですか」


「あの場にいた中で、最も近くで彼を見ていたのはお前だ。それに、お前は巫女でもある」


「分かりました」


 セリナは深く頭を下げた。


 その時だった。


 円卓の間の扉が、外から叩かれた。


「入れ」


 国王が言う。


 扉が開き、一人の騎士が息を切らして駆け込んでくる。


「会議中、失礼いたします!」


「何事だ」


「東棟の客室にて、例の少年が目を覚ましました!」


 セリナは反射的に立ち上がった。


「本当ですか!」


「はい!」


 国王が静かに頷く。


「行きなさい、セリナ」


「はい!」


 セリナは円卓の間を飛び出した。


 ◇◇◇


 知らない天井だった。


 それが、神代透が最初に思ったことだった。


 次に感じたのは、全身の重さ。


 腕も脚も鉛のようにだるい。


 喉が渇いている。


 頭の奥がぼんやりしていた。


「……ここは」


 声がかすれる。


 透はゆっくりと体を起こした。


 柔らかな寝台。


 白い布。


 石造りの壁。


 大きな窓。


 見たことのない家具。


 そして、枕元には一振りの刀が置かれていた。


「天羽乃斬……」


 透は思わず手を伸ばした。


 柄に触れた瞬間、少しだけ安心する。


 だが次の瞬間、記憶が蘇った。


 本殿。


 清掃。


 突然の光。


 伸ばした手。


 天羽乃斬。


 白く染まる世界。


 そして。


 光の中で見た、見知らぬ人々。


「何が……起きたんだ」


 透は頭を押さえた。


 理解が追いつかない。


 ここは神代神社ではない。


 病院でもない。


 日本のどこかとも思えない。


 窓の外には、石造りの街並みが見えた。

 

 尖塔。


 城壁。


 見たことのない旗。


 そして遠くには、雪をかぶった巨大な山脈が連なっている。


「外国……?」


 そう呟いた時だった。


 透は違和感に気付いた。


 部屋の中のものを見つめる。


 机。


 椅子。


 花瓶。


 窓枠。


 壁。


 そこに線が見えた。


 細く、淡い線。


 まるで物の表面に刻まれた亀裂のように。


 だが実際に傷があるわけではない。


 見れば見るほど、線ははっきりしていく。


「……何だ、これ」


 透は目をこすった。


 しかし線は消えない。


 机にも。


 椅子にも。


 扉にも。

 

 空間の中に、切れ目のようなものが見える。


 それが何なのか、透にはまだ分からなかった。


 ただ本能的に思う。


 この線に沿えば、切れる。


 なぜそう思うのか分からない。


 だが確信に近い感覚があった。


 その時。


 扉が叩かれた。


 コンコン。


 透は反射的に天羽乃斬へ手を伸ばす。


「誰だ」


 声を出した直後、自分が日本語を話していることに気付く。


 ここがどこかも分からない。


 相手に通じるのかも分からない。


 扉が静かに開いた。


 そこに立っていたのは、一人の少女だった。


 長い金色の髪。


 白い肌。


 深い蒼の瞳。


 純白の法衣。


 年齢は透と同じくらいに見える。


 少女は透を見て、ほっとしたように息を吐いた。


「目を覚ましたのですね」


 聞いたことのない言葉のはずだった。それなのに蒼姫の念話とは違い、日本語のように理解できてしまった。


 透は目を見開く。


「……あなたは?」


 少女は驚愕した。


「この国の言葉を話せるのですか?」


「はい、自分にも分かりませんが、あなたの言葉を話せるようです」


 少女は一歩だけ部屋へ入った。


 そして丁寧に頭を下げる。


「私はセリナ・アストレア。アストレア王国第三王女です」


「王女……?」


 透の思考が止まる。


 少女は真剣な表情で続けた。


「あなたは、三日前。大神殿の祈りの間に、光と共に現れました」


 三日前。


 透はその言葉を理解するのに少し時間がかかった。


「三日……?」


「はい」


「俺は、三日も眠っていたのか」


「そうです」


 セリナは申し訳なさそうに目を伏せた。


「あなたは現れた直後、激しい苦痛に襲われ、意識を失いました」


 透は胸元を押さえる。


 確かに覚えている。


 息を吸った瞬間、体の内側を焼かれるような痛みが走った。


 あれは夢ではなかった。


「ここは……どこなんです」


 透は尋ねた。


 セリナはまっすぐに彼を見る。


「ここはパンゲア。アストレア王国です」


「パンゲア……」


 聞いたことのない名だった。


「アストレア王国……」


 透は呟く。


 頭の中が混乱する。


 だが一つだけ、はっきりしていることがあった。


 ここは、自分の知っている世界ではない。


 透は窓の外を見た。


 石造りの街。


 遠い山脈。


 見知らぬ空。


 そして部屋中に見える奇妙な線。


 何もかもが違っていた。


 透は天羽乃斬の柄を握りしめる。


「俺は……帰れるのか」


 その問いに、セリナはすぐ答えられなかった。


 沈黙。


 それが答えだった。


 透はゆっくりと目を閉じる。


 神代家。


 父。


 母。


 爺様。


 結衣。


 明日華。


 真白。


 蒼姫。


 元日の朝の笑い声。


 温かな食卓。


 自分が願った時間。


 それが、急に遠くなった気がした。


 セリナは静かに言う。


「まずは、あなたのお名前を教えていただけますか」


 透は目を開いた。


 目の前の少女は、不安そうにこちらを見ている。


 敵意はない。


 それだけは分かった。


「神代透」


 透は答えた。


「神代、透です」


 セリナはその名を小さく繰り返した。


「カミシロ……トオル」


「こちらの世界ではトオル・カミシロ様、でしょうか」


 異世界の部屋で。


 見知らぬ王女が、自分の名を呼ぶ。


 その瞬間、透はようやく理解した。


 自分は本当に、知らない世界へ来てしまったのだと。


 こうして、神代透の異世界での日々が始まった。





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