第三十四話 古老の語り 前編
神樹と呼ばれる巨大な大木の根元には、大きな切り株が置かれていた。
表面は丁寧に磨かれ、長い年月を刻んだ年輪が、美しい模様を描いている。
透たちは、その切り株を囲むように用意された椅子へ腰を下ろした。
この場にいるのは、透、セリナ、セシリア、ガルド、ノーノー、リーファ。そして、ハイエルフの族長ファルゼンと、数名の古老たちである。
結衣たち子供組も心持ち緊張した様子で、皆の後ろに用意された椅子に座っていた。
神樹の葉が、静かに風に揺れている。
森の奥深くにあるこの場所だけ、時の流れが少し違っているように感じられた。
やがて、リーファが立ち上がった。
「改めまして、ご紹介いたします」
リーファは透たちへ視線を向ける。
「こちらが神代透様。そして、セリナ様、セシリア様、ガルド様、ノーノー様。後ろにいる少女たちが、透様の妹君たちです」
それぞれが軽く頭を下げた。
族長ファルゼンは穏やかに頷く。
「遠路はるばる、よく来てくださった。我らハイエルフの里は、皆様を歓迎いたします」
そして、隣へ視線を向けた。
「こちらは古老衆の代表、エルンファーゼン様。私の曾祖父にあたる方です」
一人の老ハイエルフが、静かに頷いた。
白銀の長い髪。
深く刻まれた皺。
その瞳には、長い時を生きた者だけが持つ静かな深みがあった。
老ハイエルフは、穏やかな笑みを浮かべる。
「エルンファーゼンじゃ。リーファから話は聞いておる」
エルンファーゼンは、ゆっくりと透たちを見回した。
「おぬしたちは、魔鋼虫について知ろうとしておるそうじゃな」
「はい」
透が答える。
エルンファーゼンは静かに頷いた。
「ならば、まずは千年前の話から始めよう」
その一言で、場の空気が少しだけ引き締まった。
「当時、この世界は今とは大きく違っておった」
神樹の葉が、風に揺れる。
「大地溝帯を挟み、北には人族の世界。そして南には、我らエルフ、ドワーフ、獣人、亜人種たちの世界が広がっておった」
セリナたちは、黙って耳を傾けている。
「とはいえ、交流はほとんどなかった。大地溝帯は広大で、しかも魔素が濃く、人が通れるような場所ではなかったからの。互いの存在は知っていても、行き来することはできなんだ」
エルンファーゼンは、遠い過去を懐かしむように目を細めた。
「そんなある日じゃ。北から、空飛ぶ船に乗って人族の調査団がやって来た」
「空飛ぶ船……」
透が小さく呟く。
「今で言う、ラザールの辺りじゃな」
ガルドが、わずかに眉を上げる。
「ラザールに?」
「あの頃は、ラザールなどという名前はなかったがな」
古老は小さく笑った。
「水辺の近くに、亜人たちが暮らす平和な町があるだけじゃった。そこで偶然、人族の調査団と遭遇した」
エルンファーゼンの声には、懐かしさが滲んでいた。
「彼らは友好的じゃった。我らを見下すこともなく、敵視することもなく、森の話を聞きたがり、ドワーフの技術に興味を示し、獣人たちとも楽しそうに話しておった」
そして、予定していた調査を終えた彼らは、南の種族たちを北へ招待したという。
ハイエルフ。
ドワーフ。
亜人種。
それぞれから十名ほどが選ばれた。
エルンファーゼンは、少しだけ笑った。
「若かったわしも、その一人じゃった」
「初めて空を飛んだ。腰を抜かす者もおったわ」
その言葉に、古老たちの間から小さな笑いが漏れる。
「そして砂漠を越え、あの大地溝帯を越え、緑豊かな北の大地へ降り立った」
エルンファーゼンは、懐かしそうに目を細める。
「そこにあったのが、パンゲア連邦。その中心に築かれた首都もまた、パンゲアと呼ばれておった」
「国と都が、同じ名前なのですか?」
セリナが尋ねた。
「そうじゃ。そして北の人々は、この果てしなく広い大地そのものを、超大陸パンゲアと呼んでおった」
その人族の国へ着いた時、エルンファーゼンたちは驚いたという。
「何もかもが、初めて見るものばかりじゃった」
人族たちは、彼らに様々なことを説明してくれた。
パンゲア連邦。
十二の支族。
共和制。
議会。
自治都市。
古老は苦笑した。
「だが正直なところ、何一つ理解できなんだ」
ノーノーの口元が、わずかに緩む。
「無理もないのう」
「うむ。森で生きてきた若造に、すぐ分かる話ではなかった」
だが、一つだけは理解できた。
エルンファーゼンの表情が真面目なものへ戻る。
「北の人族は、とてつもなく栄えていたということじゃ」
透は黙って耳を傾ける。
「空には巨大な船が飛んでおった。後に、魔導飛行船と呼ばれるものじゃ。初めて見た時は、本当に腰を抜かしかけたわ」
「地上には、不思議な乗り物が走っておった。馬も騎獣も使わぬ。ただ静かに、道を滑るように進んでおった」
「それが、魔導ポッドじゃ」
建物は高く、街は広く、人は多い。
どこを見ても、活気に満ちていた。
エルンファーゼンは、遠い昔を懐かしむように目を細める。
「見るものすべてが新鮮じゃった。何を見ても驚き、何を聞いても分からぬ。我らは終始きょろきょろしておった」
「人族の子供たちに笑われるほどにな」
古老たちの間に、また小さな笑みが広がる。
だが、その笑みはすぐに静かなものへ変わっていった。
「人々は明るかった」
エルンファーゼンの声が、少しだけ低くなる。
「誰もが平和を信じておった。明日も、来年も、その先も。この繁栄は続くと思っておった」
エルンファーゼンは静かに目を閉じた。
「我らも、そう思っておった」
しばし、沈黙が流れる。
神樹の葉を揺らす風の音だけが、静かに響いた。
そして――。
古老は静かに言った。
「だが」
その一言で、場の空気が変わった。
「首都を見学していた、あの日」
エルンファーゼンは、ゆっくりと目を開く。
「悲劇が訪れた」
重い沈黙が落ちた。
透たちも、誰一人として言葉を発しなかった。
やがてエルンファーゼンは、小さく息を吐く。
「……少し、休憩にしよう」
その言葉と共に、里の者たちがお茶を運んできた。
木の器からは、爽やかな香りが立ち上る。森で採れる葉を使った茶らしく、どこかミントを思わせる香りだった。
だが、その場の誰も感想を口にしなかった。
これから語られるであろう話の重みを、皆が感じていたからだ。
千年前に栄えた、人族の都。
空を飛ぶ船。
道を滑る魔導ポッド。
平和を疑わなかった人々。
そのすべてが、次に語られる悲劇の前にあった。
エルンファーゼンは茶を一口含み、静かに器を置いた。
そして、遠い過去を見るように目を細める。
「では、話を続けよう」
神樹の下を、冷たい風が抜けた。
「あの日、首都の地下で何が起きたのかを」




