第三十話 ハイエルフの里
騎獣の背に揺られながら、透は静かに前方を見つめていた。
昨晩、ノアから聞いた話が頭から離れない。
◇◇◇
「まず、魔核探知のことを聞いてもいい?」
「うん」
「ノアは、人や魔獣の魔核が分かるんだよね」
「分かる」
「どんなふうに見える?」
ノアは少し考えた。
「光。熱。場所」
「光と熱?」
「目で見えるのとは違う。近くにあると分かる。強い魔核は、強く分かる」
「距離は?」
「近い方がはっきり。遠いとぼんやり。たくさんいると混ざる」
透は頷きながら聞く。
「魔獣も分かる?」
「分かる」
「魔鋼虫は?」
ノアの表情が少しだけ硬くなった。
「分かる。でも違う」
「違う?」
「魔核じゃない。けど、分かる。嫌な感じがする」
セリナが息を呑む。
「魔鋼虫には、魔核がないはずですが……」
「うん。魔核じゃない。でも、いると分かる。ざらざらする」
ざらざら。
透は、その表現を胸の中で反復した。
ノアなりの感覚なのだろう。
「人族と魔獣の違いは?」
「違う。人は形が静か。魔獣は荒い。大きい魔獣は強く光る」
「俺は?」
透が自分を指差す。
ノアは透を見た。
「透は、分からない」
「やっぱりか」
「魔核がない。けど、いるのは分かる」
「それは普通に見えてるってこと?」
「うん」
ノアは頷いた。
「でも、魔核では見えない」
透は苦笑する。
「俺は特殊なんだな」
「うん」
即答だった。
セリナが小さく笑い、少しだけ空気が和らぐ。
「他にできることはある?」
「分からない」
「分からない?」
「できることが普通だった。だから、何が特別か分からない」
その言葉に、透は少し黙った。
ノアにとっては、それが普通だったのだ。
誰かに能力として褒められたり、説明を求められたりした経験などなかったのかもしれない。
「そっか」
透は静かに頷く。
「じゃあ、少しずつ確認していこう。急がなくていい」
「うん」
◇◇◇
「トオル?」
前に座るノアが振り返った。
「どうかした?」
「いや。ちょっと考え事」
「そう」
ノアはそれ以上聞かなかった。
それだけで十分だった。
透が軽く笑みを返すと、先頭を進んでいたリーファが騎獣を止めた。
「着きました」
全員が顔を上げる。
目の前には、広大な森が広がっていた。
見渡す限りの木々。
確かに大森林ではある。
だが、それだけだ。
「ここ?」
結衣が首を傾げる。
「普通の森にしか見えないけど」
「そうじゃな」
真白も同意する。
「もっとこう、すごいものを想像してた」
リーファは小さく微笑んだ。
「見えていないだけです」
そう言うと騎獣から降り、森の入口へ進んで静かに目を閉じる。
風が吹き、長い金髪が揺れた。
そしてリーファは、聞き慣れない言葉で詠唱を始める。
古いエルフ語なのだろう。
透たちには意味は分からない。
だが、空気が変わった。
森全体が呼吸するように震え、風が強くなる。木々がざわめき、次の瞬間、目の前の景色が大きく揺らいだ。
「えっ?」
結衣が声を上げる。
空気が波打つ。
水面に石を投げ込んだように景色が歪み、やがて隠されていた本来の姿が現れた。
「……すごい」
思わず透も呟いた。
目の前に広がっていたのは、まるで別世界だった。
空へ届くほど巨大な樹々。幹の太さだけでも城壁ほどあり、その枝と枝の間には無数の回廊が架けられている。
樹上には建物が並び、森の中では小さな光が無数に飛び交っていた。
妖精たちだ。
まるで童話の世界だった。
「うわぁぁぁ!」
結衣が目を輝かせる。
「すごい! すごいよ、おにい!」
「これは驚いたな」
透も素直に頷いた。
「おおおー!」
真白も尻尾をぶんぶん振っている。
「森が生きてるみたい!」
ノアも珍しく言葉を失っていた。
蒼姫は静かに森を見つめる。
「濃いですね」
「はい」
明日華も頷いた。
「魔力が満ちている」
セシリアでさえ、感心したように周囲を見回していた。
「これはすごいわね……」
ノーノーは、すでに目を輝かせている。
「ふぉっふぉっふぉっ。興味深いのう」
◇◇◇
その時だった。
森の奥から、数人のエルフが姿を現した。
全員が弓を携えた兵士たちだ。
彼らの姿を目にした結衣が、わずかに首を傾げる。
「……ねえ、おにい」
「どうした?」
「やっぱり、私たちが知ってるエルフとは違うよね」
透も静かに頷いた。
「ああ。そうだな」
現れた兵士たちは、いずれも人族より小柄だった。
身体は驚くほど細く、弓を持つ腕も華奢に見える。
だが、弱々しさは感じられない。
細い身体の内側に、張り詰めた弦のような力を秘めている。足取りは軽く、森の中を歩いてきたというより、木々の間から音もなく現れたように見えた。
「もっと背が高くて、耳が長くて、すらっとした人たちだと思ってた」
結衣はリーファと、並んで立つ兵士たちを見比べた。
「リーファさんだけを見てた時は、そういう人なんだと思ってたけど……みんな小さくて、細いんだね」
「わたしも、初めは少し意外に思いました」
明日華が静かに言った。
「物語に登場するエルフというより、昔話に出てくる妖精に近い気がします」
その言葉が、透には妙にしっくりきた。
人に近い姿をしている。
だが、人族とはどこか違う。
森の中に立つ彼らは、この世界に暮らす一つの種族というより、木々や風から生まれた存在のように見えた。
「昔の人が語っていた妖精は、本当はこういう姿だったのかもしれないな」
透が呟く。
「じゃあ、真白と同じ?」
真白が兵士たちを見ながら尋ねる。
「真白も妖怪と呼ばれることがあるし、少し似ているのかもしれないな」
「でも真白には、こんなに細い腕で弓を引けるとは思えないよ」
結衣が言うと、真白は自分の腕と兵士たちの腕を見比べた。
「真白だって、やればできるもん」
そう言いながら胸を張る。
その様子を見て、透は小さく笑った。
明日華はまだ、エルフたちの姿を見つめている。
「でも、そうだとしたら……わたしたちが知っているエルフの姿は、誰が考えたのでしょう」
透はすぐには答えられなかった。
「さあな。長い間に、物語の中で少しずつ姿が変わっていったのかもしれない」
「そういうものなのかな」
結衣は納得しきれない様子だったが、それ以上は尋ねなかった。
透も深く考えることはしなかった。
ただ、胸の奥に小さな引っかかりだけが残った。
兵士たちに敵意はない。
彼らはリーファを見ると、一斉に胸へ手を当てた。
「お帰りなさいませ、リーファ様」
そして、一拍置いて。
「姫様」
その瞬間、場の空気が止まった。
「え?」
結衣が固まる。
真白も目を丸くした。
「……姫様?」
兵士たちは、二人の反応を見て不思議そうな顔をしている。
リーファは少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「言っていませんでしたか?」
「聞いてない!」
結衣が即座に叫んだ。
「真白も聞いてない!」
「リーファ姉ちゃん、お姫様だったの?」
リーファは、わずかに視線を逸らした。
「姫様と言っても族長の娘ですので、姫様は大げさです」
「教えてください!」
結衣が全力で突っ込む。
真白も隣で何度も頷いていた。
結衣は勢いよく透を振り返る。
「おにいは知ってたの?」
「いや」
透は苦笑した。
「確信はなかったよ」
「でも、気づいてたんでしょ!」
「なんとなくね」
セリナも微笑む。
「私も、薄々は気づいていました」
「セリナさんも?」
「ええ」
ガルドは肩をすくめた。
「まあ、あの立ち居振る舞いを見ていればな」
「ガルドさんまで?」
「ワシも気づいておったぞ」
ノーノーが得意げに言う。
「私もです」
セシリアも続いた。
結衣は絶句したまま、ゆっくりと周囲を見回す。
「ひょっとして……気づいてなかったの、私だけ?」
皆が苦笑する。
明日華が、そっと結衣の肩へ手を置いた。
「大丈夫、結衣」
「何が大丈夫なの?」
周囲から笑いが起こった。
リーファも口元を隠して笑っている。
兵士たちも、ようやく事情を察したらしく、どこか安心したような表情を浮かべていた。
しばらくして、兵士の一人が一歩前へ出る。
「族長がお待ちです」
リーファは頷いた。
「分かりました」
そして透たちを振り返る。
「それでは参りましょう」
兵士たちの先導で、一行は森の奥へと歩き出した。
巨大な樹々の間を抜けながら進んでいく。
遠くには、周囲の木々よりもさらに大きな樹が見えた。
おそらく、あそこが里の中心なのだろう。
結衣は歩きながら、まだぶつぶつと言っている。
「お姫様だったなんて……」
「びっくりしたね」
隣を歩く真白も同じだった。
そんな二人を見ながら、透は苦笑する。
その胸には、先ほど覚えた小さな違和感が、まだ消えずに残っていた。
こうして一行は、新たな出会いが待つハイエルフの里へと足を踏み入れた。




