第二十五話 湖畔の神殿
湖畔の少し高くなった場所に建てられたそのコテージからは、湖と大神殿がよく見えた。
「すごい。宿っていうより別荘みたい」
結衣が部屋を覗き込みながら言う。
「真白はここがいい。湖が見えるのじゃ」
真白は窓際に駆け寄り、外を眺めている。
窓の外では、湖面が淡く輝いていた。
荷物を置いた後、それぞれの行動が決まった。
セリナは神官長エルシア・ミルファのもとへ。ノーノーとセシリアは神殿の図書館へ。
透、結衣、明日華、真白、ガルド、リーファたちは、神殿の訓練場を見学することになった。
「図書館じゃと?」
ノーノーの金色の瞳がきらりと光る。
「西方都市群最大の神殿の図書館じゃ。古い記録も残っておるかもしれん。これは見逃せぬのう」
「私も同行します。神殿結界や魔鋼虫に関する記録があるかもしれませんから」
セシリアも静かに頷いた。
二人は案内役の神官に連れられ、早々に図書館へと向かっていった。
◇◇◇
一方、透たちは神殿の敷地内にある訓練場へ案内された。
そこでは、白と銀を基調とした鎧を身に着けた騎士たちが鍛錬を行っている。
「聖騎士団か」
ガルドが腕を組んで呟いた。
「ミルファには神殿を守る聖騎士団があります。町には高い城壁がないので、結界と聖騎士団が守りの要なのです」
リーファが説明する。
透たちが訓練場へ入ると、何人かの騎士たちが興味深そうにこちらを見た。
旅人の一行。
だが、その中にはラザール防衛戦に関わった者たちがいる。その話は、すでにミルファにも届いているらしい。
「少し身体を動かしてもよろしいでしょうか」
透が尋ねると、聖騎士の一人が快く頷いた。
「もちろんです。こちらの訓練場をお使いください」
ガルドは軽く大剣を振り、リーファは弓の調子を確かめる。結衣は鉄棍を手に取り、明日華は背負っていた和弓を静かに構えた。
その瞬間、周囲の騎士たちの視線が明日華の弓へ集まる。
「それは……ずいぶん長い弓ですね」
聖騎士の一人が思わず声を漏らした。
「私の故郷の弓です」
明日華は短く答え、矢を番える。
長い和弓が、ゆっくりと引き絞られた。
次の瞬間、放たれた矢は訓練場の的の中心を静かに射抜いた。
周囲から小さなどよめきが起こる。
「ほう」
リーファも感心したように目を細めた。
「ラザールでは、ゆっくり見る暇がありませんでしたが……弓の形も扱いも、こちらとはまるで違いますね」
「明日華は弓、すごいからね」
結衣がなぜか得意げに胸を張る。
「結衣も鉄棍を持つと別人みたいになるけどな」
透が笑うと、結衣は少し照れたように頬を掻いた。
真白はその横で、短い手足を動かしながら準備運動をしている。
「わらわもやるのじゃ」
「真白、今日は軽くだぞ」
「わかっておる。軽くじゃ」
そう言いながら、真白はやる気満々だった。
ノアは少し離れた場所で、その様子をじっと見ている。
リリアとモモは訓練場の柵の上に座っていた。
「みんなすごいのー」
モモがぱたぱたと羽を揺らす。
「真白、がんばれー!」
リリアが声を上げた。
真白は振り向き、ふふんと鼻を鳴らす。
「見ておるがよい。真白の華麗なる動きを」
その直後、足元の砂に少し滑り、真白は慌てて体勢を立て直した。
「……今のは準備運動じゃ」
結衣が吹き出し、訓練場に小さな笑いが広がった。
◇◇◇
同じ頃。
神殿の奥では、セリナが神官長エルシア・ミルファと対面していた。
エルシアは静かな雰囲気を持つ女性だった。
年齢はセリナより上だが、厳しさよりも柔らかさが先に立つ。白い神官衣に淡い青の飾り布をまとい、湖のように落ち着いた瞳をしていた。
「ようこそ、ミルファへ。神託の巫女セリナ様」
「お招きいただき、ありがとうございます。エルシア神官長」
セリナは深く頭を下げた。
神殿の礼拝堂には、清らかな水の気配が満ちている。
白い石柱。湖へ向かって開かれた窓。その窓から差し込む光が、床に淡く揺れていた。
セリナはそこで、神託の祈りを捧げた。
アストレア王国から遠く離れた西方の地。
その湖の神殿で、セリナの祈りは静かに響いていく。
祈りを終えた後、エルシアはそっと頷いた。
「アストレアへ、現状を伝えられるのですね」
「はい。王都にも、ラザールでのこと、そしてミルファへ到着したことを伝えたいと思います」
セリナが言うと、エルシアは視線を小さなピクシーたちへ向けた。
そこには、リリアとモモがいた。
訓練場から呼ばれてきたモモは、なぜか胸を張っている。
「モモ、できるのー」
「頼りにしています」
セリナが微笑むと、モモは嬉しそうに羽を震わせた。
ピクシーの情報伝達は、手紙を運ぶものではない。
遠く離れた同胞と共感し、意思を伝え合う力。
花の蜜を得る森や町にいるピクシーたちは、離れていても互いの気配を感じ取ることができる。
モモは目を閉じた。
小さな羽が淡く光る。
その隣でリリアもそっと目を閉じ、意識を合わせた。
礼拝堂に置かれた花が、風もないのに微かに揺れる。
しばらくして、モモがぱちりと目を開けた。
「つながったのー」
セリナはゆっくりと頷き、伝えるべき内容を言葉にする。
ラザールでの魔鋼虫襲撃は退けられたこと。
透たち一行は無事であること。
現在は湖畔都市ミルファに到着していること。
西方都市群との連携を進めていること。
それらの情報が、モモとリリアの共感を通して、遠く離れたアストレアのピクシーたちへと伝わっていく。
やがてモモが、ほっとしたように笑った。
「伝わったのー。王都の方の子たち、ちゃんとわかったって言ってるのー」
「ありがとう、モモ。リリアも」
セリナが礼を言うと、モモはますます得意げになった。
「モモ、すごいのー」
「はい。本当に助かりました」
その様子を見て、エルシアも穏やかに微笑んだ。
「ピクシーたちの共感は、時にどんな早馬よりも早く、遠くへ届きます。ミルファでも、昔から大切にされてきた力です」
セリナは静かに頷いた。
アストレアと西方都市群。
遠く離れた地をつなぐ、小さな妖精たちの力。
それは、この世界に残された大切な連絡の糸だった。
◇◇◇
その後、神殿の一室で短い会議が開かれた。
出席したのは、神官長エルシア・ミルファ、聖騎士団長、町の有力者たち。
セリナ、透、ガルド、ノーノー、セシリア、リーファも席についた。
ノーノーは、ラザールでの魔鋼虫襲撃について簡潔に説明する。
魔鋼虫の数。
統率する大型個体の存在。
都市の防衛には、兵、冒険者、魔法使い、そして都市同士の連携が不可欠であること。
話は長くはならなかった。
ミルファ側も、ラザールの件をすでにある程度は聞いている。重要なのは、今後どう備えるかだった。
「ミルファは結界に守られておりますが、過信はできません」
エルシアが静かに言った。
「神殿としても、可能な限り協力いたします」
「助かるのう」
ノーノーが頷く。
「魔鋼虫は、これまでの魔獣とはまるで違う。油断せぬことじゃ」
その言葉に、会議室の空気が少し重くなった。
そして会議の終わり際。
聖騎士団長が、思い出したように口を開いた。
「そういえば、気になる話が一つあります」
全員の視線が集まる。
「北方の牧畜の町が一つ、滅んだらしいという報告が入っています」
「滅んだ?」
ガルドの眉が動いた。
「はい。詳しいことは分かっておりません。距離もありますし、正確な情報ではないのですが……調査に向かった者たちが見た時には、町は焼け落ち、廃墟になっていたそうです」
「生存者は?」
透が尋ねる。
聖騎士団長は、わずかに表情を曇らせた。
「いなかったそうです」
部屋の空気が、さらに静まり返る。
「火事かの?」
ノーノーが低く呟く。
「その可能性もあります。ですが原因は不明です。魔獣の襲撃か、事故か、それとも別の何かなのか……今のところ判断できません」
ノーノーは腕を組み、しばらく黙った。
「情報が少なすぎるのう。今の段階で決めつけるのは危険じゃ」
「はい。こちらでも追加の情報を集めます」
エルシアが頷く。
会議はそこで終わった。
北方の牧畜の町。
焼け落ちた廃墟。
生存者なし。
それが魔鋼虫によるものなのかどうかは分からない。
だが、透の胸には、小さな棘のように引っかかった。




