第二十三話 魔核を食らうモノ
サーディルに到着した翌日。
透たちは領主館へと向かっていた。
石造りの街並みは、ラザールとはまた違った重みがある。
砂漠へ続く門の街。隊商の通行を管理し、外敵から街を守る城塞都市。
高い城壁に囲まれた街は、朝から多くの人々で賑わっていた。荷を積んだ荷車や騎獣を引く商人、武装した兵士、冒険者らしき者たち。その間を縫うように、透たちは領主館へ向かう。
同行しているのは、セリナ、ガルド、ノーノー、セシリア、リーファだった。
結衣たち子供組は、今日は街を見て回ることになっている。
サーディルは平和な街であり、結衣や明日華の身体能力を考えれば、普通に街を歩く分には心配はいらない。何より、真白もノアもリリアも一緒だ。
透としては多少の心配はあったが、結衣に「おにい、私たちも街を見たい」と言われると、強く止めることはできなかった。
領主館の前には、すでに数人の兵士が待機していた。
「お待ちしておりました」
案内役の兵士が深く頭を下げる。
透たちは、そのまま館の奥へと通された。
◇◇◇
広い会議室には、すでに多くの者たちが集まっていた。
サーディル領主をはじめ、兵士団長、冒険者ギルド長、商人ギルドの代表、隊商組合の代表。さらに神殿関係者らしき老女や治療院の代表と思われる中年の女性、街の有力者たち。
いずれも、このサーディルを支える者たちだった。
西方都市国家群全体の代表ではない。あくまで城塞都市サーディル内部の主要組織の代表者たちである。
だが、その顔ぶれを見るだけで、この街が今回の件を軽く見ていないことは分かった。
会議室の空気は重い。
集められた者たちは、ラザールから急報が届いたことを知っている。
ラザールが尋常ならざる魔獣の群れに襲われたこと。
アストレアから来た者たちが、その防衛に関わったこと。
そして、その魔獣が通常の魔獣とは違うらしいこと。
しかし、彼らが知っているのはその程度だった。
正確な脅威は、まだ伝わっていない。
だからこそ、疑念もあれば不安もある。
サーディル領主は透たちを見て、静かに頷いた。
「よく来てくれた。カシム殿の親書は読ませてもらった」
領主の声は落ち着いていたが、その目には隠しきれない緊張がある。
「本日は、サーディルの主要な者たちに集まってもらっている。ラザールで何が起きたのか。そして、その魔鋼虫という存在が何なのか。説明を願いたい」
視線がノーノーへ集まる。
ノーノーはいつものように小さな体で椅子から降りると、ゆっくりと前へ進み出た。
机の上には、布に包まれたものがいくつか置かれている。
ノーノーが布を広げた。
黒光りする甲殻片。鋭い牙。硬質な脚の一部。
ラザール防衛戦で回収された、魔鋼虫の残骸だった。
会議室がざわつく。
「これは……」
「魔獣の甲殻か?」
「見たことがないな」
冒険者ギルド長が眉をひそめる。
兵士団長も、机に置かれた甲殻片を睨むように見つめていた。
「それで、その魔鋼虫というのは何なのだ」
兵士団長が低い声で問う。
「カシム殿の手紙には、尋常ならざる魔獣とあった。しかし、こちらにはまだ実感がない」
冒険者ギルド長も頷く。
「危険だというなら、冒険者たちにも通達せねばならん。だが、噂だけで街を騒がせるわけにもいかん」
商人ギルド代表が腕を組んだ。
「交易路に影響が出るなら、我々も動かねばならん。だが、正体の分からぬものに怯えるだけでは、商いは止められん」
隊商組合の代表も、苦い顔をしていた。
ノーノーは彼らの言葉を静かに聞き、短く頷いた。
「もっともじゃ」
会議室が静まる。
「では、順を追って説明する」
ノーノーは、机の上に置かれた甲殻片を指差した。
「まず、魔鋼虫はただの凶暴な魔獣ではない」
その言葉に、代表者たちの表情が変わる。
「ただの魔獣ではない?」
「どういう意味だ」
「奴らは肉を食わぬ」
ノーノーの声は淡々としていた。
「肉を食わぬ?」
兵士団長が眉をひそめる。
「では、何を食う」
「魔核じゃ」
その一言で、会議室の空気が変わった。
「魔核だと?」
「そんなものを食う魔獣がいるのか」
「魔核を……」
神殿の老女が、思わず胸元に手を当てる。
治療院の女性も顔を強張らせた。
ノーノーは続ける。
「正確には、魔核に蓄えられた魔素を喰らう。人族であろうと、エルフであろうと、獣人であろうと、魔獣であろうと関係ない。魔核を持つものは、すべて奴らにとって餌になり得る」
会議室が静まり返った。
それは、単に危険な魔獣が現れたという話ではない。
この世界で生きる多くの者たちが、魔核を持っている。
ならば魔鋼虫にとって、この街そのものが餌場になり得るということだった。
「奴らにとって、我らは敵ではない」
ノーノーは言った。
「餌じゃ」
誰も言葉を発しなかった。
透は黙って、その説明を聞いていた。
ラザールで見た光景が脳裏に蘇る。
押し寄せる黒い群れ。
倒しても倒しても迫ってくる魔鋼虫。
そして、死骸を喰らう姿。
悪意ではない。
憎しみでもない。
ただ、喰う。
そのために動く。
それが、魔鋼虫だった。
ノーノーは、さらに説明を続ける。
「かつて北方で起きた大きな災厄と、魔鋼虫が関係している可能性は高い」
代表者たちが息を呑む。
「じゃが、今ここで断言はせぬ。確証のないことを事実のように語るつもりはない」
ノーノーは真っ直ぐに代表者たちを見た。
「ワシが今、伝えるべきことは一つじゃ」
会議室の全員がノーノーを見る。
「奴らは魔核を喰らう。そして、群れで動く」
重い言葉だった。
兵士団長が唇を引き結ぶ。
「ラザールを襲った数は?」
「確認された範囲で、数百規模じゃ」
「数百……」
冒険者ギルド長が小さく呻く。
「一体一体は倒せるのか」
「倒せる」
答えたのはガルドだった。
大柄な体で腕を組み、低く言う。
「だが、硬い。動きも速い。何より数が多い。普通の冒険者が数人で遭遇すれば、まず危ない」
セシリアも口を開いた。
「魔法は効きます。ただし、群れを相手にするには消耗が激しいです。大規模な魔法を連発すれば、周囲の魔素が薄くなる危険もあります」
治療院の代表が顔を上げる。
「周囲の魔素が薄くなれば、治癒にも影響が出ますね」
「ええ」
セシリアは頷いた。
「負傷者が出た時、治癒が間に合わなくなる可能性があります」
神殿の老女が静かに目を伏せた。
商人ギルド代表が、喉を鳴らす。
「街道で隊商が襲われた場合は?」
ノーノーが答える。
「逃げ切れればよい。じゃが、騎獣にも魔核がある。奴らにとっては、人も騎獣も同じ餌じゃ」
隊商組合の代表の顔から血の気が引いた。
しばらくの沈黙の後、兵士団長が問う。
「では、ラザールはどうやって防いだのだ」
その言葉をきっかけに、会議室の視線が自然と透たちへ向いた。
カシムの親書には、ラザール防衛戦のことが記されている。
ラザールの兵士と冒険者たちが戦ったこと。
アストレアから来た者たちが力を貸したこと。
そして、その中心に透たちがいたこと。
特に透については、グランドワイズで名を上げた少年として触れられていた。
サーディル領主が、ゆっくりと透を見る。
「君が、グランドワイズで名を上げたという少年か」
透は一瞬、返答に困った。
こういう視線には、まだ慣れない。
「……俺一人の力ではありません」
透は静かに言った。
「ラザールの兵士たちも、冒険者たちも、皆が戦いました。俺は、その中にいただけです」
会議室にいた何人かが、わずかに目を細めた。
その答えは、謙遜に聞こえたのかもしれない。
だが、透にとっては本心だった。
ラザールを守ったのは、自分一人ではない。
カシムが決断し、兵士たちが踏みとどまり、冒険者たちが戦った。セリナが癒やし、セシリアが魔法を放ち、ガルドが前線を支えた。
リーファも、ノーノーも、ノアも、皆がそこにいた。
だから透は、自分だけが称えられることに、どうしても居心地の悪さを覚えてしまう。
隣でガルドが苦笑した。
「まあ、本人はこう言うがな。実際、こいつがいなけりゃ危なかったのは確かだ」
「ガルドさん」
「事実だろ」
セシリアも小さく笑う。
「透殿らしい返答ではありますね」
セリナは何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。
ノーノーが、こほんと咳払いをする。
「英雄談は後でよい」
その一言で、会議室の空気が少し戻った。
「今は備えの話じゃ」
ノーノーは机の上に広げられた、サーディル周辺の地図を指差す。
「まず、街道の監視を強める必要がある。特にラザール方面からの砂漠路じゃ。魔鋼虫が再び現れるなら、移動経路を把握せねばならぬ」
兵士団長が頷く。
「見張りを増やそう」
「冒険者ギルドにも通達を出す」
冒険者ギルド長が言う。
「ただし、単独や少人数での討伐は禁止だな。情報収集を優先させる」
「それがよい」
ノーノーが頷いた。
「不用意に近づけば、餌を増やすだけじゃ」
商人ギルド代表と隊商組合代表は、隊商への警告と出立制限について話し始める。
神殿と治療院の代表も、万が一の避難民や負傷者の受け入れについて確認を始めた。
サーディル領主は、それらを一つずつ聞きながら指示を出していく。
城壁の点検。
門の警戒。
備蓄と避難経路。
冒険者や隊商への情報共有。
治療体制。
魔核を持つ生物が狙われるという前提で、防衛計画が組み直されていく。
サーディルは、ようやく魔鋼虫という脅威に向き合い始めていた。




