第十九話 西方都市
ラザール防衛戦から、二日が過ぎた。
オアシス都市ラザールには、まだ戦いの爪痕が残っている。
城壁の一部は崩れ。
門の周辺には、魔鋼虫が押し寄せた痕が黒く刻まれていた。
焼けた土。
砕けた石畳。
折れた槍。
運び出される瓦礫。
それでも。
町は、少しずつ動き始めていた。
兵たちは城壁の修復にあたり。
職人たちは壊れた門扉を調べる。
市場では商人たちが恐る恐る店を開き。
住民たちは水場に集まり、互いの無事を確かめ合っていた。
勝利した。
その事実は、確かに人々の胸にある。
だが同時に。
誰もが理解していた。
魔鋼虫は、ここまで来た。
砂漠を越え。
都市を襲い。
人を喰らうために押し寄せてきた。
この勝利は、終わりではない。
始まりなのだ。
◇◇◇
その日の午前。
透たちは領主館へ招かれていた。
広間には、カシム・ラザールをはじめ、ラザールの兵団長、商会代表、冒険者ギルド長が集まっている。
アストレア王国側からは。
透。
セリナ。
セシリア。
ノーノー。
ガルド。
リーファ。
ノア。
そして、結衣、明日華、真白、蒼姫も同席していた。
もっとも。
難しい話になると分かった時点で、真白は早くも退屈そうな顔をしていた。
「まず、改めて礼を言わせてほしい」
カシムが静かに頭を下げる。
「君たちが来てくれなければ、ラザールは滅んでいた」
「いえ」
透はすぐに首を振った。
「俺たちだけじゃありません。ラザールの兵士の皆さんも、冒険者の皆さんも、町の人たちも。全員で守ったんです」
カシムはしばらく透を見ていた。
そして、小さく笑う。
「君なら、そう言うと思っていた」
広間に、わずかな笑みが広がった。
だが。
カシムの表情は、すぐに引き締まる。
「だが、礼は礼だ。そして今日話したいのは、これからのことだ」
カシムは、卓上に広げられた地図へ視線を落とした。
◇◇◇
「ここがラザールだ」
カシムの指が地図の上を滑る。
「そして、ここから西へ向かう道がある」
その指が、ラザールの西側にある城壁都市を示した。
「城塞都市サーディル。ラザールの西にある城壁都市だ。砂漠を越える隊商の通行管理を担っている。西方都市群へ向かうなら、まずここを通ることになる」
次に。
カシムの指は、大きな湖のほとりへ移動した。
「さらに進めば、神殿都市ミルファがある。大きな淡水湖のほとりにある町で、農業と薬草取引が盛んだ。大森林へ向かう者たちにとっては、重要な補給地になる」
セリナが静かに頷く。
「薬草の取引が盛んなら、治療にも役立ちますね」
「その通りです、王女殿下。ラザールもミルファには多くを頼っております」
カシムは、さらに西へ指を進める。
「そして、大森林の手前にあるのが森端の町エルムレスト。小さな町だが、人族、獣人、エルフとの交易が細く続いている」
リーファが、その名に反応した。
「エルムレストは、私の里に比較的近い町です」
「だが、里そのものの場所は知られていない」
カシムが確認するように言う。
リーファは静かに頷いた。
「はい。外の者が勝手に辿り着ける場所ではありません。森の道を知る者の案内が必要です」
「最後に」
カシムの指が、さらに西へ向かう。
「大森林を抜けた先。黒鉄山脈の麓に、鉄嶺都市ガルンホルムがある」
「ドワーフの町だ。鉱山、鍛冶、魔導具技術に優れている」
ノーノーの目が細くなった。
「魔鋼虫対策の技術協力を求めるなら、いずれ必ず向かわねばならぬ場所じゃな」
「そうだ」
カシムは頷いた。
◇◇◇
そして。
地図の上へ置いた手を、そのまま動かさず。
カシムは静かに告げた。
「ラザールは、アストレア王国との共同戦線に加わる」
広間の空気が変わった。
それは、単なる感謝の言葉ではない。
都市国家の長としての、正式な決断だった。
「だが、西方すべてが同じ判断をするとは限らない」
カシムは続ける。
「サーディルには、サーディルの事情がある」
「ミルファには、ミルファの民がいる」
「エルムレストは、大森林との関係を慎重に扱わねばならん」
「ガルンホルムのドワーフたちも、簡単に外と手を結ぶとは限らない」
透は地図を見つめた。
道は続いている。
砂漠を越え。
湖へ向かい。
森へ入り。
山脈へ至る。
その一つ一つに。
人が暮らしている。
守るべき生活がある。
「ですから、すぐにすべての都市を回るのではなく、まずはリーファさんの里へ向かいます」
透が言う。
リーファは静かに顔を上げた。
「私の里には、長く生きている者たちがいます。千年前の世界について、何かを知っている可能性があります」
「とにかく、分からないことが多すぎるからな」
ノーノーが腕を組む。
「昨日の戦いで分かったことも多い。じゃが、分からぬことの方が、まだまだ多い」
そして。
指を折るように、ゆっくりと言葉を続けた。
「千年前に何が起きたのか」
「魔鋼虫がどこから来たのか」
「なぜ今になって、再び大きく動き始めたのか」
セシリアが小さく息を吐く。
「それを知ることが、西方との交渉にも必要になるでしょうね」
「他都市への使者は、私から出す」
カシムが言った。
「サーディル、ミルファには先触れを送る。エルムレストへも、可能な限り連絡を取ろう」
カシムは透たちを見る。
「君たちは、まずリーファ殿の里へ向かうがいい」
セリナが深く頷いた。
「ありがとうございます、カシム様」
「礼を言うのはこちらだ、王女殿下」
カシムは静かに答えた。
「ラザールは昨日、滅びを待つだけではない道を知った」
一度、窓の外へ視線を向ける。
城壁の向こうでは。
すでに修復の槌音が響いていた。
「ならば、次は我らが動く番だ」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
だが。
その場にいた全員が理解していた。
ラザールで生まれたものは。
ただの勝利ではない。
東と西をつなぐ。
新たな一歩だった。




