第十八話 守ったもの
会談が続く中、結衣は真白の袖を引っ張っていた。
「ねえ、真白。難しい話、長くない?」
「長いのじゃ」
真白は即答した。
「とおるんたちは偉い話をしておるのじゃ。真白は偉い狐なので分かるの」
「本当に分かってる?」
「雰囲気は分かるのじゃ」
結衣が笑いをこらえる。
明日華は小さくため息をついた。
「結衣、静かに」
「はーい」
そこへ、リリアがふわふわと飛んできた。
「外に行くのです?」
結衣の目が輝く。
「行っていいの?」
「中庭なら大丈夫なのです。ラザールの子供たちもいるのです」
真白の狐耳が、ぴんと立った。
「子供たち。ならば真白が遊んでやるのじゃ」
「真白も子供だよ」
「真白は偉い狐なのじゃ」
結衣、明日華、真白、蒼姫は、リリアに案内されて領主館の中庭へ向かった。
◇◇◇
領主館の中庭には、小さな水路が流れていた。
砂漠の都市では貴重な水を使った、静かな憩いの場所だった。
水路の脇には花が植えられ、薄い緑の葉が風に揺れている。
そこには、ラザールの子供たちが集まっていた。
昨日まで恐怖に震えていた子供たちだ。
だが今は、少しずつ笑顔を取り戻している。
「わあ、狐耳だ!」
「鳥がいる!」
「小さい人が飛んでる!」
子供たちの視線が、真白と蒼姫、そしてリリアへ集中する。
真白は胸を張った。
「ふふん。真白は真白なのじゃ」
「狐さん?」
「狐ではあるが、ただの狐ではないのじゃ。偉い狐なのじゃ」
子供たちが歓声を上げる。
その間に、結衣はすっかり輪の中へ入っていた。
「ねえ、何して遊ぶの?」
「追いかけっこ!」
「いいよ!」
結衣は即答し、すぐに走り出した。
ピクシーたちが、その後を追いかける。
「待つのですー!」
「速いのですー!」
「人族の子供は足が長いのですー!」
小さな羽音と笑い声が、中庭に広がった。
明日華は水路のそばに立ち、その様子を見守っていた。
蒼姫は鳥の姿で明日華の肩に止まり、時折、子供たちの頭上を低く飛んで歓声を浴びている。
真白はいつの間にか、ピクシーたちに囲まれていた。
「真白、座るのです」
「ここがふかふかなのです」
「尻尾、すごいのです」
「むぅ。真白の尻尾は椅子ではないのじゃ」
そう言いながらも、真白は尻尾を揺らすだけで、本気で怒ってはいない。
◇◇◇
リリアは花壇の近くで、ラザールに住む小さなピクシーたちと話していた。
「これから遠距離ツアーなのです」
「遠距離ツアー?」
「遠くまで行くのです?」
「そうなのです。花場をたどって、森の方へ知らせを運ぶのです」
リリアは胸を張る。
「ラザールが魔鋼虫と戦ったこと。アストレアの人たちが来たこと。リーファの里へ向かうこと。知らせることがたくさんあるのです」
「蜜はあるのです?」
「途中にあるはずなのです」
「なら行くのです!」
「遠くても行けるのです!」
ピクシーたちは、次々に羽を震わせた。
彼女たちは森や花畑、蜜源のある土地に暮らしている。
国に属するわけではない。
町に縛られるわけでもない。
花をたどり。
水をたどり。
仲間の群れを訪ねる。
人族の伝令とは違う、小さな情報の流れ。
それが今。
ラザールから大森林へ向かって動き始めようとしていた。
◇◇◇
少し離れた場所で、透はその光景を見ていた。
会談の休憩中に外へ出てきたのだ。
子供たちの笑い声。
水路の音。
花の周りを飛ぶピクシー。
真白の尻尾に群がる小さな影。
結衣の明るい声。
明日華の穏やかな横顔。
透は、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
昨日、自分たちが守ったもの。
それは城壁だけではない。
町の名前でもない。
こういう時間なのだ。
誰かが笑い。
誰かが遊び。
明日もまた生きていけると思える時間。
「おにい!」
結衣が透に気づいて手を振った。
「見て見て、ピクシーたちすごく速い!」
「結衣も走りすぎるなよ」
「大丈夫!」
その直後。
結衣は足を滑らせかけた。
「危ない」
明日華がさっと支える。
「ほら、言われたばかりでしょう」
「えへへ」
真白が腕を組んで頷く。
「まったく、結衣は世話が焼けるのじゃ」
「真白、尻尾に三人乗ってるよ」
「む?」
真白が振り返ると、ピクシーたちが尻尾の上でくつろいでいた。
「降りるのじゃ!」
「いやなのですー」
中庭に、また笑い声が広がった。
◇◇◇
午後。
領主館の別室では、魔鋼虫の検証が行われていた。
卓上には、解体された魔鋼虫の外殻、脚部、牙の一部が並べられている。
いずれも黒く鈍い光を放ち、普通の魔物の素材とは明らかに異なる。
部屋にいるのは、ノーノー、セシリア、ギルド長、ラザールの職人たち。
そして透、ガルド、カシムも同席していた。
ギルド長は外殻の破片を手に取り、渋い顔をした。
「硬いな。通常の魔物素材とは、まるで違う」
「加工はできそうか?」
カシムが職人に尋ねる。
職人の一人が慎重に答えた。
「試してみなければ分かりません。ただ、普通の炉では厳しいかもしれません。熱の通り方がおかしい」
「魔素の流れも、通常とは異なります」
セシリアが外殻に手をかざしながら言った。
「魔物の素材なら、魔核を中心に魔素の残滓が流れるはずです。でもこれは違う。魔核の反応がありません」
ギルド長が頷く。
「冒険者たちからも同じ報告が上がっている。倒しても魔核が見つからない。素材としての価値はあるかもしれんが、討伐依頼として扱うには前例がなさすぎる」
ノーノーが外殻を覗き込む。
「魔鋼虫は魔核を持たぬ。そこが、普通の魔物と決定的に違う」
「魔核を持たない?」
ギルド長が眉をひそめる。
「なら、どうやって動いている?」
「おそらく、体内に魔素を変換する器官がある」
ノーノーは短い棒で、解体された部位の一つを示した。
「仮に魔素変換嚢と呼んでおる。奴らは外部から魔素を取り込み、それを自らの活動と外殻の維持に使っておるのじゃろう」
「外部から、というのは」
カシムの声が低くなる。
「人や魔物の魔核を喰らう、ということか」
「そう見てよい」
ノーノーは表情を曇らせた。
「奴らは肉を食うのではない。魔素を食う。より正確には、魔核を持つ生物を餌として認識しておる」
部屋の空気が重くなった。
昨日、都市を襲った黒い群れ。
あれは、ただの獣ではない。
魔核を喰らう災厄だった。
◇◇◇
「それと、もう一つ」
ノーノーは透を見た。
「神代家の者たちについてじゃ」
透は静かに頷いた。
カシムとギルド長の視線が透へ向く。
「透殿、結衣殿、明日華殿。異界から来た神代家の人間には、パンゲアの者が持つ魔核が存在せぬ」
ノーノーは一度言葉を切る。
「ただし、この話は軽々しく広めぬ方がよい。神代家の者たちの命にも関わる」
ギルド長が目を細めた。
「魔核がない人間、か」
「うむ。真白殿や蒼姫殿は霊的な存在ゆえ別として、少なくとも透殿たち人間には魔核がない」
セシリアも頷く。
「以前から確認されていたことです。透様は魔素を扱う魔法が使えません。魔核も、魔素を魔力へ変換する器官も存在しません」
「だが、昨日の戦いでは、それが別の形で作用した」
ノーノーが続ける。
「魔鋼虫は魔核を餌として認識する。ならば、魔核を持たぬ神代家の人間は、奴らにとって獲物として認識しづらい」
「だから反応が遅れたのか」
カシムが頷いた。
「透殿が近づいた時、妙に動きが鈍る瞬間があった」
「結衣殿や明日華殿にも、同じ傾向が見られた」
ノーノーは続けた。
「ただし、安全という意味ではない」
透はその言葉を静かに受け止める。
「攻撃すれば敵として認識される。音、動き、視覚でも反応する。魔核を持たぬから襲われない、などとは考えぬ方がよい」
「つまり、最初の一瞬だけ有利になる可能性がある、ということですね」
透が言う。
「そうじゃ。しかも、それも必ずではない」
ノーノーは真剣な顔で答えた。
「戦術に組み込むなら慎重に扱うべきじゃ。切り札にはなり得るが、命綱にしてはならぬ」
カシムは深く息を吐いた。
「魔鋼虫は魔核を喰う。だが、魔核を持たぬ者にも敵意を向ける。厄介な相手だな」
「厄介どころではない」
ギルド長が苦い顔をする。
「これは冒険者ギルドだけで扱える問題じゃない。通常の討伐依頼にするには危険すぎる。都市防衛、国家間の連携、それに専門の調査が必要だ」
「ラザール支部として、情報の収集と共有に協力してもらえるか」
カシムが問う。
ギルド長は即座に頷いた。
「当然だ。冒険者は戦争の兵士ではない。だが、斥候、伝令、避難誘導、周辺調査なら動ける。魔鋼虫の小群を発見した時の報告網も作る」
「それに、ピクシーたちの遠距離通信もあるのです」
いつの間にか部屋の隅にいたリリアが、得意げに言った。
全員の視線が、小さなピクシーへ向く。
「リリア殿、入っていたのか」
「入っていたのです。重要な話なのです」
リリアは胸を張った。
「ピクシーは、遠くの群れへ言葉を伝えられるのです。仲間から仲間へ、順番に伝えるのです」
ノーノーの目が光った。
「ふむ。人族の伝令網。冒険者ギルドの情報網。そして、ピクシーたちの連絡網か」
「使えるのです?」
「大いに使える」
ノーノーは頷いた。
「戦は剣だけでは勝てぬ。早く知る者が、生き残るのじゃ」
その言葉に、誰もが静かに頷いた。
◇◇◇
その日の夕刻。
ラザールの西門近くでは、旅の準備が進められていた。
カシムは、サーディルとミルファへ送る紹介状を用意した。
さらに、エルムレストへ向かうための補給品も積まれている。
水。
保存食。
薬草。
砂漠用の外套。
そして、ラザールの印が押された通行証。
「サーディルでは、これを見せるとよい」
カシムが透に通行証を渡した。
「砂漠を越える隊商の管理は厳しい。だが、ラザールの正式な客人であることが分かれば、無用な足止めは避けられるはずだ」
「ありがとうございます」
透は両手で受け取った。
「ミルファにも先触れを出しておく。薬草と食料の補給は、そこで整えられるだろう」
セリナが丁寧に頭を下げる。
「助かります。負傷者が出た時の備えは、いくらあっても足りませんから」
リーファは西の空を見ていた。
その表情には、懐かしさと緊張が混じっている。
「リーファさん」
透が声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
リーファは少し驚いたように透を見て、それから微笑んだ。
「はい。ただ、久しぶりに里へ戻るので」
「無理はしないでください」
「ありがとうございます。でも、皆さんを案内すると決めたのは私です」
リーファは西の空へ視線を戻した。
「千年前のことを知るためにも、里へ向かいましょう」
◇◇◇
そこへ結衣が駆け寄ってきた。
「おにい、真白がまたピクシーに乗られてる」
「またか」
「またなのじゃ!」
真白が少し離れた場所で叫んでいた。
その頭と尻尾には、数人のピクシーが乗っている。
「真白は馬ではないのじゃ!」
「ふかふかなのです」
「旅に便利なのです」
「便利ではないのじゃ!」
明日華はその様子を見て、静かに笑っていた。
蒼姫は肩の上で羽を整えている。
重い話ばかりではない。
戦いのあとにも、笑い声はある。
それが。
透には少しだけ救いに思えた。
◇◇◇
ノーノーが歩いてくる。
「さて、行く先は決まったの」
「はい」
透は西を見た。
ラザールの向こうに、砂漠が広がっている。
その先にサーディル。
さらに進めば、ミルファ。
森端の町エルムレスト。
そして。
リーファの里。
千年前の真実が眠る場所。
「まずは、私の里へ」
リーファが静かに言った。
透は頷く。
「行きましょう」
西へ続く道。
砂漠の風が。
新たな旅立ちを告げるように、吹き抜けていった。




