第十七話 ラザール防衛戦
戦いは終盤へ入っていた。
魔鋼虫の数は、明らかに減っている。
黒い波のように押し寄せていた群れは、もはや波ではなかった。
あちこちで分断され。
孤立し。
ラザール兵や冒険者たちに囲まれ、次々と討たれていく。
それでも。
魔鋼虫は止まらない。
恐怖もなければ、怒りもない。
ただ目の前の魔核へ群がり、喰らおうとする。
だからこそ退かない。
だからこそ。
最後の一匹まで、討たなければならない。
「左側、三体抜けるのじゃ!」
ノーノーの声が飛ぶ。
「任せてください!」
リーファが矢を放つ。
一体の脚を射抜き、動きを止める。
そこへ明日華の矢が続いた。
複眼を貫かれた魔鋼虫が方向を見失い、砂の上でもがく。
「今!」
結衣が駆け込んだ。
鉄棍が跳ねる。
一撃で脚を砕き。
もう一撃で頭部を打ち据える。
体勢を崩した魔鋼虫へ、ラザール兵の槍が一斉に突き込まれた。
「倒したぞ!」
「次だ! 気を抜くな!」
兵士たちの声に、結衣が笑う。
「その調子!」
その少し離れた場所では、ガルドが最後まで前線を支えていた。
大剣グラブウィンが振るわれるたび、魔鋼虫の巨体が弾き飛ばされる。
決して軽やかな戦いではない。
一撃ごとに砂が抉れ。
腕に重い衝撃が走る。
それでも、ガルドは笑っていた。
「どうした! 最初の勢いはどこへ行った!」
挑発するように叫び、迫る魔鋼虫を真正面から受け止める。
その背後で、冒険者たちが声を上げた。
「ガルドに続け!」
「囲め! 横から叩け!」
彼らもまた、恐怖を忘れたわけではない。
ただ。
足を止める理由が、なくなっただけだった。
◇◇◇
透は戦場の中央を走っていた。
息が上がる。
腕が重い。
いくら魔素に適応した身体とはいえ、疲労がないわけではない。
それでも。
足は止まらなかった。
目の前に、まだ魔鋼虫がいる。
その後ろには、ラザールの街がある。
ならば。
止まるわけにはいかなかった。
天羽乃斬を握る手に力を込める。
見える。
また、線が見える。
砂塵の向こうから迫る魔鋼虫。
その鋼殻に浮かぶ細い線。
そこへ刃を通せば。
切れる。
透は踏み込んだ。
斬る。
さらに踏み込む。
斬る。
横から迫る脚をかわし、胴の線へ刃を走らせる。
青い体液が飛び散った。
別の個体が口腔を開き、噛みつこうと迫る。
「おにい!」
結衣の声。
だが。
透は振り返らない。
「大丈夫!」
わずかに身を沈める。
魔鋼虫の顎が、頭上を通り過ぎた。
その下から刃を跳ね上げる。
一閃。
魔鋼虫の頭部が裂けた。
「ほんとに大丈夫だった!」
結衣が笑い、すぐに別の敵へ向かう。
透もまた、前へ進んだ。
◇◇◇
戦場の中心部。
そこにはまだ、十数体の魔鋼虫が固まっていた。
最後の濃い塊。
あれを崩せば終わる。
透は直感した。
「セシリアさん!」
「分かっていますわ!」
セシリアが杖を掲げる。
だが。
大規模な魔法を放つ前に、周囲を見た。
ラザール兵が近い。
冒険者もいる。
ここで大きく撃てば、味方を巻き込む。
「前方の足を止めます! あとは任せますわ!」
「はい!」
セシリアの足元に、小さな魔法陣が複数展開した。
次の瞬間。
砂の上を炎の帯が走り、魔鋼虫たちの脚へ絡みつく。
完全に止めることはできない。
だが。
一瞬なら、それで十分だった。
「蒼姫!」
『承知しました』
上空から風が落ちる。
蒼姫の羽ばたきが砂を巻き上げ、魔鋼虫たちの動きを乱した。
「明日華! リーファ!」
「はい!」
「任せて!」
二人の矢が飛ぶ。
複眼。
脚関節。
口腔。
正確な射撃が、魔鋼虫の動きをさらに鈍らせていく。
「ガルドさん!」
「行け、透!」
ガルドが大剣を振るい、横から割り込もうとした個体を弾き飛ばした。
「道は開けた!」
透は走った。
砂を蹴り。
魔鋼虫の群れの中へ飛び込む。
切断線が、一斉に見えた。
無数の線。
だが、迷わない。
天羽乃斬を振るう。
一体目。
胴を裂く。
二体目。
脚を断ち、崩れたところを首元から斬る。
三体目。
振り下ろされた前脚をかわし、懐へ入り込んで真横に斬り抜ける。
四体目。
跳び上がり、頭部の線を断つ。
透の動きに合わせるように、ラザール兵たちも前へ出た。
「今だ!」
「突け!」
「押し込め!」
槍が揃う。
盾が進む。
冒険者たちが左右から斬り込む。
結衣の鉄棍が跳ね。
リーファと明日華の矢が、逃げ場を塞ぐ。
真白とセリナの癒やしを受けた兵士たちが、再び武器を手に取って前へ出る。
黒い塊が崩れていった。
一体。
また一体。
そして。
ついに。
◇◇◇
最後の魔鋼虫が、砂の上で大きく身をよじった。
それでもなお、前へ進もうとしている。
目の前の兵士へ向けて、口腔を開く。
兵士の足がすくんだ。
だが。
その前には、透がいた。
天羽乃斬が静かに構えられる。
透は息を吸った。
見えた。
最後の線。
刃が走る。
音は、ほとんどなかった。
魔鋼虫の巨体が、斜めにずれる。
次の瞬間。
青い体液を撒き散らしながら、砂の上へ崩れ落ちた。
動かない。
もう。
動かなかった。
◇◇◇
戦場に、静寂が降りた。
先ほどまで響いていた怒号も。
剣戟も。
魔法の爆音もない。
聞こえるのは。
荒い息遣い。
砂風の音。
そして。
誰かが武器を落とした、小さな音だけだった。
ラザールの兵士たちは、しばらく何が起きたのか分からないように立ち尽くしていた。
冒険者たちも同じだった。
目の前には、無数の魔鋼虫の残骸。
だが。
動くものはない。
一匹も。
一匹たりとも、残っていない。
「……終わった、のか」
誰かが呟いた。
その言葉が、静寂の中へ落ちる。
次の瞬間。
「勝った……」
別の誰かが言った。
小さな声だった。
だが。
その声はすぐに広がっていく。
「勝ったぞ……」
「生きてる……俺たち、生きてるぞ!」
「ラザールを守ったんだ!」
歓声が上がった。
最初は一つ。
次に二つ。
やがて。
それは防壁全体を震わせるほどの大きな声となった。
「うおおおおおおおおおおおっ!」
兵士たちが槍を掲げる。
冒険者たちが武器を打ち鳴らす。
負傷者たちも、支えられながら笑っていた。
◇◇◇
セリナはその光景を見て、胸に手を当てた。
「よかった……」
その隣で、真白が大きく息を吐く。
「ふう……さすがに疲れたのじゃ」
「真白ちゃん、大丈夫ですか?」
「大丈夫なのじゃ。真白は強い狐なのじゃ」
そう言って胸を張る真白の額には、うっすらと汗が滲んでいた。
明日華は弓を下ろし、静かに息を吐く。
その肩へ、小さくなった蒼姫が舞い降りた。
『よく頑張りましたね、明日華』
「蒼姫も」
『当然です』
リーファは防壁の上から戦場を見下ろし、柔らかく微笑んだ。
「これが、人の強さなのですね」
セシリアは杖を下ろし、肩をすくめる。
「まったく。砂だらけですわ」
そう言いながらも、その表情は穏やかだった。
ガルドは大剣を地面に突き立て、大きく笑う。
「はっ! 生き残ったな!」
結衣がその横で鉄棍を掲げた。
「勝ったー!」
◇◇◇
透は、戦場の中央に立っていた。
天羽乃斬の刃から、青い体液が砂へ滴る。
ゆっくりと息を吐いた。
身体は重い。
腕も。
足も。
熱を持っている。
だが。
不思議と心は静かだった。
守れた。
ラザールを。
ここにいる人たちを。
その事実だけが、胸の奥に残っていた。
「おにい!」
結衣が駆け寄ってくる。
勢いそのままに、透へ飛びついた。
「やったね!」
「ああ。みんなのおかげだよ」
「そこは、おにいがすごかったって言うところでしょ!」
結衣が頬を膨らませる。
透は少し笑った。
「結衣もすごかったよ」
「へへっ、でしょ!」
少し離れた場所で、明日華も静かに頷いていた。
「あにさま、お疲れ様です」
「明日華も。怪我はない?」
「ありません」
「よかった」
その短いやり取りだけで。
透の表情が、少しだけ緩んだ。
◇◇◇
防壁の上で。
カシム・ラザールは、戦場を見下ろしていた。
彼の目に映るのは。
勝利に沸く兵士たち。
傷つきながらも笑う冒険者たち。
互いに肩を貸し合う人々。
そして。
砂の上に立つ、透たちの姿だった。
カシムは、しばらく何も言わなかった。
言葉を探していたのではない。
この光景を。
胸に刻んでいた。
ラザールは、生き残った。
だが。
それは当然の結果ではない。
誰か一人の力だけでもない。
兵士が踏みとどまり。
冒険者が戦い。
異国から来た者たちが力を貸し。
負傷者を救う者がいて。
空を制する者がいた。
そのすべてが重なって。
今がある。
カシムはゆっくりと湾刀を鞘へ収めた。
そして。
静かに口を開く。
「……見事だ」
その声に、近くにいた兵士たちが顔を上げる。
カシムは戦場から目を逸らさなかった。
「この勝利は、一人の英雄だけが掴んだものではない」
大きな声ではなかった。
だが。
不思議と周囲へよく通った。
「ラザールを守ろうとした者たち、すべての勝利だ」
兵士たちが静かになる。
冒険者たちも、騒ぐのをやめた。
カシムは防壁の上から、透たちへ視線を向ける。
「だが、その中心に君たちがいたことを、私は決して忘れない」
砂風が吹いた。
青い体液に染まった砂の上で、透は静かに頭を下げる。
そして。
ラザールの街に、勝利の歓声が再び響き渡った。
災厄の黒い群れは、すべて討ち果たされた。
オアシス都市ラザールは。
この日、生き残った。




