第十六話 反撃の狼煙
ラザールを守るために集った全員が、戦っていた。
そして、その戦いは少しずつ、確かに形を変え始めていた。
押されていた防衛線が止まる。
止まった戦線が、押し返す。
防壁の外に広がっていた魔鋼虫の黒い群れに、初めて明確な綻びが生まれていた。
防壁上で戦場を見渡していたノーノー・デプリは、遠眼鏡を下ろした。
「……いけるのじゃ」
その呟きに、隣に立っていたカシム・ラザールが目を細める。
「本当か」
「うむ。数が減っておる。動きも鈍ってきた。何より、勢いが落ちたのじゃ」
ノーノーは戦場の中央へ視線を向けた。
砂塵の中。
一人の少年が、刀を振るっている。
神代透だった。
天羽乃斬が閃くたび、魔鋼虫の鋼殻が裂ける。
硬い脚が飛び。
胴が割れ。
青い体液が砂へ散った。
魔鋼虫はなおも押し寄せている。
だが、先ほどまでのような勢いはない。
前へ進もうとするたびに、透がその流れを断ち切っていた。
ラザールの兵士たちは、その光景を何度も目にしていた。
信じがたいものを見る目だった。
槍を弾き。
矢を弾き。
人を容易く食い破る災厄。
そのはずの魔鋼虫が、少年の振るう一振りの刀によって、次々と斬り伏せられていく。
だが。
ノーノーが見ていたのは、透の剣技だけではなかった。
「……やはり、妙なのじゃ」
小さく呟く。
魔鋼虫は魔核に群がる。
正確には、生き物の体内にある魔核を喰らおうとする。
だからこそ。
兵士も。
冒険者も。
魔鋼虫にとっては、明確な獲物だった。
だが。
神代透は違う。
いや。
透だけではない。
結衣も。
明日華も。
神代家の者たちは、この世界の人間が当然持っているはずの魔核を持っていない。
そのためなのか。
魔鋼虫の反応が、一瞬遅れる。
目の前にいるのに、獲物として捉えきれていない。
だからこそ、透は群れの中へ踏み込める。
結衣は死角から魔鋼虫を叩ける。
明日華は防壁上から、冷静に狙いを定められる。
無論。
それだけで勝てる相手ではない。
魔鋼虫の脚も牙も、当たれば人を容易く裂く。
だが。
そのわずかな認識の遅れが、戦場では決定的な差になっていた。
「神代家……まことに、とんでもない者たちなのじゃ」
それでも。
この戦いは、透一人の戦いではなかった。
透が切り開いた隙間へ、ラザールの兵士たちが槍を突き入れる。
ガルドが前線を支え。
結衣が死角を潰す。
明日華とリーファの矢が敵の足を止め。
セシリアの魔法が群れを裂く。
セリナと真白の癒やしが、倒れかけた者たちを戦場へ戻し。
蒼姫の翼が、空から戦線を押し広げていた。
上空では、巨大な八咫烏となった蒼姫が翼を広げている。
砂漠の風が唸り、魔鋼虫の動きが乱れる。
今まで押し寄せるだけだった黒い波が。
確かに、崩れ始めていた。
「ここを逃せば、長引くのじゃ」
ノーノーは静かに言った。
「じゃが、今なら――殲滅できる」
カシムは一瞬だけ目を伏せた。
この街の領主として、彼はこれまで幾度も決断を下してきた。
商路を開く決断。
水を分ける決断。
人を守る決断。
そして今。
また一つの決断を下す。
守るだけではない。
この街を襲った災厄を。
ここで討ち滅ぼす。
カシム・ラザールは、腰の湾刀を抜いた。
白い長衣の裾が、砂風に揺れる。
「聞け、ラザールの兵たちよ!」
その声が、防壁の上から戦場へ響いた。
戦っていた兵士たちが顔を上げる。
冒険者たちも、傷だらけの身体で武器を握り直した。
「敵は崩れた! 今こそ押し返す時だ!」
カシムの声は揺るがない。
「ここは我らの街だ!」
「我らの水だ!」
「我らの家族が暮らす場所だ!」
兵士たちの目に、再び火が灯る。
「一匹たりとも、この街へ入れるな!」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
戦場に咆哮が上がった。
「おおおおおおおおおおおおっ!」
槍が掲げられる。
盾が打ち鳴らされる。
冒険者たちも武器を握り直した。
「聞いたか、野郎ども!」
冒険者の一人が叫ぶ。
「ここで踏ん張らなきゃ、酒場のツケも払えねえぞ!」
「そっちかよ!」
「いいから行くぞ!」
恐怖に沈みかけていた空気が、わずかに変わった。
絶望ではない。
怒りでもない。
そこにあったのは。
守るべきものを持つ者たちの意地だった。
◇◇◇
「透様!」
セリナの声が届いた。
透は魔鋼虫を一体斬り伏せながら、わずかに振り返る。
「はい!」
「カシム様が、全軍に前進の号令を!」
その言葉を聞き。
透は戦場を見渡した。
ラザールの兵士たちが前へ出始めている。
冒険者たちが、その隙間を埋める。
ガルドが前線を支え。
結衣がその横を駆ける。
明日華とリーファの矢が、防壁上から魔鋼虫の急所を射抜く。
セシリアの魔法が群れを削り。
蒼姫が空から砂塵と炎を巻き起こす。
真白とセリナは負傷者を癒やし、再び戦場へ送り出していた。
誰か一人の戦いではない。
そう思った。
この戦いは。
ラザールにいる全員の戦いだ。
ならば。
自分がやるべきことは、一つ。
「道を斬り開きます!」
透はそう叫び、天羽乃斬を構え直した。
見える。
魔鋼虫の鋼殻に走る線。
脚の継ぎ目。
胴の中心。
首にあたる部分。
無数の切断線が、砂塵の向こうに浮かび上がる。
透は踏み込んだ。
次の瞬間。
砂が爆ぜる。
魔鋼虫が反応するより早く、天羽乃斬が振り抜かれた。
一体。
二体。
三体。
黒い影が次々と裂け、青い体液を撒き散らして崩れ落ちる。
だが。
透は止まらない。
まっすぐに進む。
群れの厚い場所へ。
もっとも圧力の強い場所へ。
そこを断ち切れば、戦場全体が動く。
そう理解していた。
「ガルドさん!」
「おう!」
ガルドが大剣グラブウィンを構え、透の背後へ入る。
「背中は任せろ!」
「お願いします!」
迫る魔鋼虫を、ガルドが真正面から受け止める。
重い衝撃が響いた。
だが。
ガルドは退かない。
「この程度で押せると思うなよ!」
大剣が唸り。
魔鋼虫の巨体を弾き返した。
その隙を、結衣が駆け抜ける。
「おにい、右!」
「分かってる!」
結衣の鉄棍が、魔鋼虫の脚を砕く。
体勢を崩した個体を、透の一閃が両断した。
「ナイス、結衣!」
「へへっ、任せて!」
その明るい声に、近くの兵士たちが息を吹き返す。
「続け! あの二人に遅れるな!」
「槍を揃えろ!」
ラザール兵たちが前へ出る。
盾を並べ。
槍を突き出し。
一歩ずつ確実に、魔鋼虫を押し返していく。
◇◇◇
防壁上では、明日華が静かに戦場を見下ろしていた。
「左翼、崩れかけています」
明日華が呟く。
隣のリーファが頷いた。
「では、私が左を」
「私は中央を援護します」
二人の矢が、同時に放たれる。
魔鋼虫の複眼が砕ける。
脚関節が射抜かれる。
兵士へ飛び掛かろうとしていた個体が、空中で体勢を崩して砂へ落ちた。
ラザールの弓兵たちは、その射撃を見て歯を食いしばる。
「俺たちも続け!」
「急所を狙え! 目と脚だ!」
矢が降る。
一本一本は、魔鋼虫を仕留めるには足りないかもしれない。
だが。
脚を止めることはできる。
視界を奪うことはできる。
そして。
そのわずかな隙が、前線の兵士たちを救っていた。
◇◇◇
「少し派手にいきますわよ」
セシリアが杖を掲げた。
足元に魔法陣が広がる。
空気中の魔素が渦を巻き。
炎へと変わっていく。
「前線、少し下がりなさい!」
その声に、兵士たちが慌てて距離を取る。
次の瞬間。
炎が走った。
砂漠の上を赤い奔流が駆け抜け、魔鋼虫の群れを飲み込む。
鋼殻が焼け。
脚が弾け。
黒い群れの一角が崩れた。
「今です!」
セリナが声を上げる。
「負傷者は下がって! 動ける方は前へ!」
その横で。
真白も懸命に治癒を続けていた。
「ほれ、これで動けるのじゃ!」
「あ、ありがとう……!」
「礼はあと! 次が来るのじゃ!」
小さな白狐の少女が走り回る姿に、兵士たちは思わず笑みを浮かべる。
だが。
そのおかげで、恐怖に飲まれずに済んでいた。
恐ろしい敵がいる。
けれど。
助けてくれる者もいる。
共に戦う者もいる。
その事実が。
彼らの足を、前へ進ませていた。
◇◇◇
空では、蒼姫が大きく旋回していた。
巨大な翼が広がるたび、砂が舞い上がる。
その姿は、ラザールの兵士たちにとって、あまりにも現実離れしていた。
だが今は。
恐れるべきものではない。
自分たちと共に戦う存在だった。
「蒼姫!」
明日華が叫ぶ。
「中央の奥、お願いします!」
『承知しました』
蒼姫の黄金の瞳が、魔鋼虫の群れを捉える。
次の瞬間。
漆黒の炎が放たれた。
轟音。
砂塵。
爆炎。
魔鋼虫の群れが吹き飛び、その中央に大きな空白が生まれる。
そこへ。
透が走り込んだ。
天羽乃斬が閃く。
空白を埋めようとした魔鋼虫たちが、次々と断ち切られていく。
戦線が動いた。
押し返す。
さらに押し返す。
黒い群れが、初めて明確に後退し始めた。
ノーノーは遠眼鏡を覗きながら、声を張る。
「今じゃ! このまま押し切るのじゃ!」
カシムがすぐに応じた。
「全軍、前へ!」
ラザールの兵士たちが叫ぶ。
冒険者たちが続く。
透の仲間たちが道を開く。
それはもう。
防衛ではなかった。
反撃だった。
ラザールを襲った魔鋼虫を。
一匹残らず討ち滅ぼすための反撃だった。




