第十二話 カシム・ラザール
ラザール領主館は、街の建物の中でもひときわ大きかった。
王城ほどではない。
だが、周囲の建物より二回りほど大きく、白い石で造られた外壁と、日差しを遮る列柱が印象的だった。
華美ではない。
しかし、砂漠の交易都市を支えてきた領主の館らしく、長い年月をかけて築かれた風格がある。
門前には、武装した衛兵たちが立っていた。
透たちの姿を確認すると、衛兵の一人が恭しく頭を下げる。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
案内に従い、透たちは館の中へ入った。
領主館を訪れたのは、透、セリナ、セシリア、ノーノー、ガルド、リーファの六人。
結衣、明日華、真白、蒼姫、リリア、ノアは、宿で休むことになっていた。
◇◇◇
館の中は涼しかった。
厚い石壁と、風が通り抜けるよう工夫された造りによって、外の熱気が和らげられているのだろう。
透は当然、執務室へ通されるものだと思っていた。
だが。
案内された先は、広い食堂だった。
長い木製のテーブル。
大きな窓。
そこから差し込む淡い光。
そして、すでに料理の支度が整えられていた。
「ようこそ、ラザールへ」
食堂の奥に立っていた男が、穏やかに微笑んだ。
「改めまして、カシム・ラザールです。このオアシス都市ラザールを預かっております」
五十を過ぎた壮年の男だった。
日に焼けた浅い褐色の肌。
黒髪には白いものが混じり、短く整えられている。
琥珀色の瞳は穏やかだったが、どこか人を見る鋭さも感じさせた。
領主というより、長年多くの人間を相手にしてきた商人のような雰囲気がある。
「まずは食事にしましょう」
カシムは席を勧めながら言った。
「話は、その後でもできます」
その言葉に、透たちは席へ着いた。
交渉の前に、まず食卓。
それがラザール流の迎え方なのかもしれない。
◇◇◇
運ばれてきたのは、ラザール独特の煮込み料理だった。
肉と野菜を香辛料でじっくり煮込んだものらしい。
立ち上る香りはアストレアの料理とは少し違い、どこか異国を感じさせる。
そこへ焼きたての平焼きパンが添えられていた。
パンをちぎり、煮込み料理につけて食べる。
ガルドは一口食べるなり、目を細めた。
「うまいな」
「お気に召したようで何よりです」
カシムが微笑む。
ノーノーも興味深そうに料理を眺めていた。
「香辛料の使い方が面白いのう。王都の料理とは、だいぶ違う」
「ラザールは交易都市ですからな。香辛料も、さまざまな土地から集まります」
食事をしながら、まずは互いに自己紹介をすることになった。
最初にセリナが姿勢を正す。
「アストレア王国王女、セリナ・アストレアと申します」
カシムは静かに頭を下げた。
「お会いできて光栄です、王女殿下」
次に、セシリアが口を開く。
「セシリアです」
それだけだった。
カシムが、一瞬わずかに首を傾げる。
すると、ノーノーが呆れたように補足した。
「王国最強の大魔法使いじゃ」
「ノーノー」
セシリアが、じとりと睨む。
「事実じゃろう」
ノーノーは平然としていた。
次にガルドが名乗る。
「ガルド・アードラーだ。冒険者をやってる」
短い。
だが、本人はそれで十分だと思っているらしい。
そして。
当のノーノーが胸を張った。
「では、次は儂じゃな」
小柄な金猿族の賢者は、椅子の上で少しだけ背筋を伸ばす。
「儂はノーノー・デプリ!」
声に妙な勢いがある。
「大賢者にして発明家!」
「遠眼鏡の改良者!」
「刺突槍の考案者!」
「魔導爆裂砲の開発者じゃ!」
「そして――」
「まだ続くのか」
ガルドが呆れたように呟く。
「当然じゃ」
ノーノーは胸を張った。
「儂の功績は、一日では語り尽くせん」
「やめておきなさい」
セシリアが即座に止めた。
カシムは苦笑を浮かべる。
ノーノーは不満そうに頬を膨らませた。
◇◇◇
続いて、リーファが静かに頭を下げる。
「リーファです。以前、一度お会いしています」
「ああ、覚えています」
カシムが頷いた。
「南の森のハイエルフの方でしたな」
「はい」
最後に、透へ視線が集まる。
「神代透です」
透は軽く頭を下げた。
「冒険者をしています」
それだけだった。
セリナが少しだけ笑う。
ガルドも苦笑した。
ノーノーは何か言いたげだったが、今回は黙っていた。
◇◇◇
食事の最後には、ナツメヤシを使ったプリンが出された。
淡い琥珀色のそれを、透は一口食べる。
濃厚な甘みが、口の中に広がった。
砂糖とは少し違う。
果実由来の優しい甘さだった。
「美味しいですね」
「それはよかった」
カシムが穏やかに微笑む。
透はもう一口食べてから頷いた。
「結衣たちがいたら、喜びそうです」
その言葉に、セリナが小さく笑った。
カシムも目を細める。
「それでは、後ほど包ませましょう」
「え?」
「宿に残られた方々の分です」
透は少し驚いたあと、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ラザールの菓子を気に入っていただけたのなら、作り手も喜びます」
◇◇◇
その後。
食後のコーヒーが運ばれてきた。
香ばしい香りが、食堂に広がる。
カシムはカップを手に取りながら、ラザールという街について語った。
この街が砂漠交易の要衝であること。
北と南。
東と西。
それらを結ぶ中継地であること。
多くの隊商が集まり、さまざまな品と人が行き交うこと。
そして何より。
水が、この街の生命線であること。
「街の中央に、大きな貯水池があります」
カシムは言った。
「あれがラザールの心臓です。水を失えば、この街は生きていけません」
その言葉には、領主としての重みがあった。
透は静かに頷く。
ラザールは、ただの砂漠の街ではない。
水と交易によって生きる、人々の街なのだ。
やがて、会食が終わる。
カシムは席を立った。
「では、場所を移しましょう」
その言葉に、空気が少し変わった。
ここからが本題なのだと、透にも分かった。
◇◇◇
一方、その頃。
領主館へ向かわなかった結衣たちは、ラザールの街を見て回っていた。
街の中央には、大きな貯水池がある。
石で囲まれた水面は広く、淡い光を受けてきらきらと揺れていた。
その周囲を囲むように、市場が広がっている。
ナツメヤシ。
色鮮やかな果物。
香辛料。
布地。
装飾品。
見慣れない品々が、所狭しと並んでいた。
「すごいね!」
結衣は目を輝かせている。
明日華は周囲を静かに見回していた。
真白は早くも、甘い匂いのする方角を探している。
リリアはふわふわと宙を飛び、ノアは少し緊張した様子で人の流れを見つめていた。
蒼姫は、明日華のそばを静かに歩いている。
◇◇◇
昼食は、貯水池のそばにあるオープンテラスで取ることになった。
日除けの布が張られ、涼しい風が通る場所だった。
木製のテーブルに座ると、すぐに恰幅の良い中年女性が料理を運んできた。
「はいよ、お待たせ」
大皿を並べながら、女性はにこりと笑う。
そして、結衣たちを見回した。
「お嬢ちゃんたち、どこから来たんだい?」
「東のアストレアです」
結衣が答える。
女性は首を傾げた。
「アストレア?」
少し考えたあと、申し訳なさそうに笑う。
「悪いねぇ。聞いたことがないや」
結衣たちは顔を見合わせた。
すると、女性は笑った。
「まあ、この街じゃよくあることさ」
「ラザールは交易都市だからね。毎日のように、いろんな場所から人が来るんだよ」
そう言って、女性は周囲を指差した。
商人。
旅人。
冒険者。
隊商の護衛。
さまざまな人々が、広場を行き交っている。
「どうだい、この街は」
結衣は周囲を見回した。
大きな貯水池。
賑やかな市場。
行き交う人々の笑顔。
「そうですね」
結衣は笑った。
「とても良いところです」
明日華たちも小さく頷く。
女性は満足そうに笑った。
「それはよかった。ゆっくり楽しんでいきな」
そう言い残し、女性は次の客のもとへ向かっていった。
◇◇◇
食事を終えた結衣たちは、再び市場へと繰り出した。
「次はあっちだ!」
真白とリリアを先頭に、賑やかな市場を見て回る。
香辛料の店。
果物の店。
布地を扱う店。
見慣れない品々が並び、ノアも興味深そうに眺めていた。
そんな中。
明日華が、ふと足を止めた。
「どうしたの?」
結衣が振り返る。
明日華の視線は、露店の一角へ向けられていた。
そこには、古びた品々が無造作に並べられている。
壊れた装飾品。
錆びた金具。
用途の分からない石片。
その中から、明日華は小さな金属片を手に取った。
掌に収まるほどの大きさだった。
「これは何ですか?」
明日華が店主へ尋ねる。
白髪交じりの老人は、肩をすくめた。
「さあねぇ」
「どこかの遺跡で掘り出された品らしいが、何に使う物かは誰も知らん」
老人は笑う。
「だから安いぞ。お嬢ちゃん、買っていくかい?」
明日華はしばらく、その品を見つめていた。
そして、隣を見る。
「結衣」
「ん?」
「これ、欲しいのですが。買ってもいいですか?」
結衣は目を丸くした。
「え? そんなの何に使うの?」
明日華は小さく首を振る。
「分かりません」
そして、もう一度金属片を見る。
「でも……気になります」
結衣は苦笑した。
「明日華がそう言うなら、いいよ」
明日華は嬉しそうに微笑んだ。
代金を払い、その品をそっと懐へしまう。
何なのかは分からない。
だが。
不思議と、手放したくない気がした。
◇◇◇
その後も、一行は市場を見て回った。
だが、しばらくすると真白がぐったりした顔になる。
「もう歩けんのじゃ……」
リリアもふらふらしていた。
「リリアも少し疲れました……」
結衣は苦笑する。
「じゃあ、宿に戻ろうか」
誰も反対しなかった。
こうして結衣たちは、宿へ戻っていった。
◇◇◇
領主館の執務室は、食堂とは違い、落ち着いた空間だった。
大きな机。
壁に掛けられたラザール周辺の地図。
棚に並ぶ書類。
そこは客をもてなす場所ではなく、都市を動かすための場所だった。
リーファは、深淵の森で起きたことを簡潔に説明した。
森で何が起きたのか。
どのようにしてアストレア王国に助けられたのか。
そして今は、故郷である南の森へ戻る途中であること。
その上で、彼女は一通の親書を差し出した。
「アストレア国王陛下より、親書を預かっています」
カシムは真剣な表情で受け取った。
封を確認し、慎重に開く。
そして、ゆっくりと目を通し始めた。
執務室に静寂が満ちる。
誰も口を開かない。
紙をめくる音だけが、静かに響く。
やがて。
カシムの表情が少しずつ変わっていった。
最初は驚き。
次に困惑。
そして険しさ。
額には深い皺が刻まれていた。
室内の空気も、自然と重くなる。
最後の一文まで読み終えると。
カシムは静かに親書を机の上へ置いた。
しばらく沈黙する。
やがて、大きく息を吐いた。
「……本当に」
低い声だった。
「本当に、このようなことが起きたのですか?」
視線が一同へ向けられる。
最初に答えたのは、セリナだった。
「はい」
短い一言。
だが、迷いはない。
セシリアも静かに頷く。
ガルドも腕を組んだまま肯定した。
ノーノーの表情にも、冗談の気配はない。
リーファは真剣な眼差しで、カシムを見つめている。
そして透もまた、静かに頷いた。
執務室に、再び沈黙が落ちる。
今度は、誰もすぐには口を開かなかった。
やがて。
カシムが顔を上げる。
「正直に申し上げれば、すぐにすべてを判断することはできません」
カシムは静かに言った。
「ですが、これが事実であるなら、ラザールにとっても無関係ではいられない」
机の上の親書へ視線を落とす。
「まずは情報を整理しましょう。今後の対応を考えるのは、それからです」
その時だった。
「リーファー!」
突然、窓の外から声が響いた。
小さな影が、勢いよく執務室へ飛び込んでくる。
「リリア?」
リーファが目を見開く。
フェアリーの少女は、羽を忙しなく動かしながら部屋の中央まで飛んできた。
息を切らしている。
何かあったのは明らかだった。
「大変!」
「大変だよ!」
「どうしたのですか?」
セリナが尋ねる。
リリアは慌てた様子で叫んだ。
「ノアが!」
「ノアが、敵が来るって!」
執務室が静まり返った。
「敵?」
ガルドが眉をひそめる。
リリアは何度も頷く。
「北から来るって!」
「透たちに知らせてって言われたの!」
一同が顔を見合わせる。
誰も、まだ状況を理解できていない。
「ノアとは?」
カシムが眉をひそめる。
透は短く答えた。
「北方都市で保護した子です」
「その子が、敵が来ると?」
「はい」
透自身にも、まだ理由は分からない。
だが。
ノアが意味もなく、そんなことを言うとは思えなかった。
「確認します」
透は立ち上がった。
「行こう」
短く言う。
セリナも席を立つ。
リーファも頷いた。
リリアは、ほっとしたような顔を見せる。
「こっち!」
そう叫んで、窓の外へ飛び出していった。
透たちも急いで執務室を後にする。
何が起きているのか。
まだ誰にも分からない。
ただ一つ。
嫌な予感だけが。
胸の中で、静かに膨らんでいた。




