第十話 ラジール砂漠
王都を発った一行は、グランドワイズ関門を越え、さらに西へ進んでいた。
最初は緑が残っていた景色も、日を追うごとに変わっていく。
草原はまばらになり、やがて地面を覆うのは、赤茶けた岩と礫ばかりとなった。
ラジール砂漠地帯。
砂の海というよりも、荒れ果てた岩石地帯に近い土地である。
照りつける日差しは強く、熱気が地面から立ち昇っていた。
「暑い……」
真白が結衣の後ろで、ぐったりしていた。
ラプトル型騎獣の背に乗り、白い尻尾をだらりと垂らしている。
「真白は、どこでも同じだな」
透が苦笑する。
「暑いものは暑いのじゃ……」
反論する元気もない。
結衣はそんな真白を支えながら、楽しそうに周囲を見回していた。
ラプトル型騎獣は、すっかりお気に入りらしい。
「これ速いね、おにい!」
「だから言っただろ」
「うん! もっと早く乗りたかった!」
その後ろで、真白が力なく手を上げる。
「速さより日陰が欲しい……」
皆が思わず笑った。
◇◇◇
一方、明日華は静かだった。
結衣と同じラプトル型騎獣に乗り、周囲へ注意を向けている。
右肩には、小さな八咫烏の姿へ戻った蒼姫。
時折首を傾げながら、周囲を見渡していた。
『異常ありません』
「分かった」
明日華が小さく頷く。
長距離移動では、蒼姫も普段の姿に戻っていた。
必要な時だけ飛び立ち、周囲を偵察する。
その方が法力の消耗も少ない。
隊列の先頭にはリーファ。
肩には風の精霊リリアが座っている。
ハイエルフ特有の優れた視力を活かし、遠方を警戒していた。
最後尾は明日華。
前後に優秀な警戒役がいることで、一行は安心して進むことができる。
ガルドの大型駄獣には、荷物とノーノーが積まれていた。
「むぅ……暑い……」
「賢者様、荷物と同じ扱いですね」
セシリアが、くすりと笑う。
「誰のせいじゃ」
ノーノーはむくれた。
「わしと騎獣の相性が悪いだけじゃ」
「何度か挑戦していましたよね」
「全部振り落とされた」
「見事に」
「笑うでない」
一同から笑いが漏れた。
透の騎獣の前には、ノアがちょこんと座っている。
小さな身体を揺らしながら、興味深そうに辺りを眺めていた。
そして透のすぐ隣には、猛禽型騎獣に乗ったセリナが並走している。
王女でありながら、今ではすっかり旅慣れた様子だった。
◇◇◇
その時だった。
先行していたリーファが、騎獣を止めた。
長い耳が、ぴくりと動く。
「透」
「どうした?」
「この先に、ロックリザードの群れがいます」
一行の表情が引き締まった。
ロックリザード。
ラジール砂漠地帯に生息する大型魔獣だ。
全長五メートルほど。
外見は巨大なワニによく似ている。
分厚い鱗に覆われており、普通の武器では傷をつけにくい。
もっとも。
魔鋼虫と比べれば、脅威は遥かに低かった。
「肉は食べられるんだったな」
ガルドが言う。
「うむ。なかなか美味いぞ」
ノーノーも頷いた。
透は少し考えてから、騎獣を降りた。
「じゃあ、行ってくる」
「あ、おにい!」
「私も行く!」
結衣が声を上げ、真白も身を起こした。
だが、二人とも暑さで半分溶けている。
透は苦笑した。
「休んでろ」
「むぅ……」
「暑いのじゃ……」
さらに透は振り返った。
「無理に全部倒す必要はないよな」
「ん?」
ガルドが首を傾げる。
「食べる分だけで十分だろ」
透は荒野の向こうへ視線を向けた。
「俺たちは、あいつらの縄張りを奪いに来たわけじゃないから」
ガルドは一瞬目を丸くし、それから笑った。
「相変わらずだな」
「そうか?」
「そういうところだ」
透は首を傾げたままだった。
何を言われたのか、よく分かっていないらしい。
そんな透を見て、ガルドは苦笑しながら手を振る。
「行ってこい」
「ああ」
透は軽く手を上げ、荒野へ歩いていった。
◇◇◇
数分後。
荒野の向こうから、獣の咆哮が響いた。
さらにしばらくして。
透が二頭のロックリザードを引きずって戻ってくる。
どちらも一太刀だったらしい。
首筋には、綺麗な斬撃の跡しか残っていない。
「……相変わらずだな」
ガルドが呆れたように言う。
「すごい切れ味だな、その刀は」
「慣れてきただけだよ」
「慣れてどうにかなる話か?」
ガルドが笑う。
その横で、結衣が胸を張った。
「おにいだからね」
まるで自分が褒められたような顔だった。
真白も大きく頷く。
「うむ。もっと褒めるのだ」
「何で真白が威張るんだ」
透が苦笑する。
「家族代表なのじゃ」
「いつ決まったんだよ」
皆が笑った。
明日華も小さく口元を緩める。
その肩の蒼姫まで、どこか誇らしげだった。
『当然です』
「蒼姫まで……」
透は呆れたように頭を掻いた。
◇◇◇
「よし、解体するか」
ガルドが腰を上げる。
食べる分の肉を切り分け、保存できる分だけを魔導収納鞄へ収める。
残りは荒野の魔獣や鳥たちのものだ。
透は、それでいいと思った。
「全部は持っていかない方がいいですよね?」
透が尋ねると、ノーノーが鼻を鳴らした。
「当たり前じゃ。一頭五メートルもある魔獣を、丸ごと運べる収納鞄など存在せん」
そう言って、ノーノーは透の腰に下げられた魔導収納鞄を指さした。
「セリナ様から預かったそれも、入るのは大きな背負い袋ひとつ分ほどじゃ。食べる分と、保存できる肉を少し入れるくらいが限界じゃな」
「十分です」
透は頷いた。
「必要な分だけでいいですから」
ガルドが、にやりと笑う。
「そう言うと思ったぜ」
こうして二頭のロックリザードは、その場で手早く解体された。
◇◇◇
やがて、太陽がゆっくりと西へ傾いていく。
ラジール砂漠地帯の空が、赤く染まり始めた。
昼の熱気が少しずつ和らぎ、岩肌を撫でる風も心地よくなってくる。
「やっと涼しくなってきたのじゃ……」
真白が、ほっとしたように尻尾を揺らした。
「昼間は死ぬかと思った」
「狐だからな」
「関係ないのじゃ」
結衣が笑う。
そんな他愛もない会話を続けるうちに、太陽はさらに傾いていった。
やがて。
地平線の向こうへ沈み始める。
夕焼けが荒野を赤く染めた。
ラジール砂漠地帯の岩山や礫が、長い影を落としていく。
そして、ゆっくりと。
世界から光が失われていった。
薄暮の時間。
昼と夜の狭間。
王都とは違う。
街灯もなければ、魔導灯もない。
この世界に月は存在しない。
星も存在しない。
見上げた空には、何もなかった。
ただ黒い空だけが、どこまでも広がっている。
荒野を包む静寂。
それはどこか神秘的であり。
同時に、得体の知れない不安も感じさせた。
「野営の準備をしましょう」
セリナの声に、全員が頷いた。
◇◇◇
焚き火の準備が始まる。
透はセリナから預かった魔導収納鞄から、小鍋と香草、干した野菜を取り出した。
「便利だね、それ」
結衣が感心したように覗き込む。
「大きな背負い袋ひとつ分くらいしか入らないらしいけどな」
「それでも十分すごいよ」
「だな。旅には助かる」
透はそう言って、ロックリザードの肉を焼く準備を始めた。
やがて。
香草をまぶした肉が、火の上で音を立て始める。
脂が落ち、焚き火がぱちりと跳ねた。
「いい匂い……」
真白の尻尾が、先ほどまでのぐったりした様子が嘘のように揺れ始める。
「元気になったな」
「食事は命なのじゃ」
透が苦笑すると、結衣が隣で笑った。
月も星もない、黒い空の下。
焚き火の明かりだけが、一行の顔を赤く照らしていた。
ラジール砂漠地帯の夜は静かだった。
けれど。
その小さな火の周りには、確かに人の温もりがあった。




