第三話 帰還、そして西方へ
アストレア王国王都グランセル。
巨大な城壁が、夕日に染まっていた。
北方遠征隊の帰還は、大きな騒ぎになっていた。
壊滅した北方都市から生存者を救出した。
それだけでも十分すぎるほどの功績である。
だが、王都の民たちを騒がせていたのは、それだけではなかった。
王都上空を、巨大な八咫烏が旋回していたのだ。
「でかい……」
「なんだ、あれは」
「ドラゴンか?」
「違うぞ、鳥だ!」
門前は大混乱だった。
その中心で、結衣は少しだけ得意そうに胸を張っていた。
「蒼姫、すごい人気だね」
『人気というより、騒ぎになっているだけです』
蒼姫の念話が、冷静に返ってくる。
真白は尻尾を揺らしながら、ふん、と鼻を鳴らした。
「当然なのじゃ。蒼姫はすごいのじゃ」
その言葉に、明日華は少しだけ困ったように笑った。
だが、誰も否定はしなかった。
蒼姫の存在は、それほどまでに圧倒的だった。
◇◇◇
避難民たちは、すぐに王国騎士団によって保護された。
治療院。
宿泊施設。
食料庫。
王国は可能な限りの支援を行った。
北から逃れてきた者たちは、何度も頭を下げ、涙を流していた。
家を失った。
家族を失った。
故郷を失った。
それでも。
ようやく助かった。
その事実だけが、彼らを支えていた。
◇◇◇
その夜。
王都グランセル、王城円卓会議室。
夜も更けた頃、北方遠征の報告会が行われていた。
長い楕円形の机。
その周囲には、王国首脳部が集まっている。
国王。
宰相。
セリナ。
セシリア。
オーギュスト。
ノーノー。
ガルド。
そして、騎士団と魔導研究機関の代表者たち。
だが、そこに神代家の姿はなかった。
帰還したばかりの彼らには、休息が与えられていた。
特に結衣と明日華は、まだ幼い。
真白と蒼姫も、長距離移動と戦闘を終えたばかりである。
国王は、彼らを無理に呼び出すことを許さなかった。
「まずは、北方都市について報告します」
オーギュストが立ち上がった。
会議室の空気が引き締まる。
「都市機能は完全に喪失。生存者は六十七名。確認できた遺体は百を超えます」
重い沈黙が落ちた。
誰もが最悪を予想していた。
それでも、現実として突きつけられれば、その重さは変わらない。
「……そうか」
国王が低く呟いた。
それだけで、室内の空気はさらに沈んだ。
だが、報告はそこで終わらない。
ノーノーが地図を広げた。
「問題は、こっちじゃ」
老人は杖で地図を叩いた。
そこには、巨大な裂け目が描かれている。
ミルドパンゲニア大地溝帯。
「今回の調査で、改めて分かった。この地溝帯は、魔鋼虫対策のために作られたものではない」
会議室が静まり返る。
「元々は、人族圏と亜人圏を隔てる境界線だった可能性が高い」
ノーノーは地図の南側を指した。
大森林。
山脈。
広大な未踏地帯。
「かつてパンゲアでは、北に人族圏、南に亜人族圏が存在した。大地溝帯は、その境だったのじゃろう」
宰相が眉をひそめる。
「では、魔鋼虫の南下を防ぐために作られたものではない、と?」
「そうじゃ。じゃが、結果として千年に渡り魔鋼虫の南下を防いでおった」
ノーノーの顔が険しくなる。
「しかし、それが崩れ始めておる」
次に机の上へ置かれたのは、飛行型魔鋼虫の資料だった。
「今回遭遇した魔鋼虫は、中型飛行種。これまで確認されていなかった個体群じゃ」
資料には、黒い甲殻を持つ飛行種の絵図が描かれている。
「従来種より大型」
「高速」
「群体行動」
「そして、数百単位で飛来する」
騎士たちの顔が強張った。
オーギュストが続ける。
「正面から迎撃していれば、大損害は避けられませんでした。王都であっても危険です」
その言葉に、誰も反論できなかった。
王都の城壁は堅牢だ。
騎士団も強い。
魔導砲もある。
だが、空から数百単位の魔鋼虫が襲来すれば、防衛線は一気に崩される。
「しかし、勝利できた」
国王が言った。
そこでガルドが肩をすくめる。
「予定外の援軍が来たからな」
会議室に、かすかな苦笑が広がった。
オーギュストは新たな資料を机に置く。
「トオル殿の家族です」
結衣。
明日華。
真白。
蒼姫。
その名が並んだ瞬間、会議室は静まり返った。
「家族?」
宰相が聞き返す。
「家族です」
オーギュストは真顔だった。
ガルドが小さく吹き出す。
「俺も最初は信じられなかったさ。妹二人に白狐、それに巨烏だ。しかも全員、強ぇ」
オーギュストは資料をめくる。
「結衣殿。近接戦闘能力は極めて高い。鉄棍による打撃は、中型魔鋼虫の甲殻を砕く威力があります」
続いて、明日華の資料。
「明日華殿。強弓の射手。命中精度、射程ともに常識外です。加えて、高位法術の行使も確認されています」
次に、真白。
「真白殿。支援法術および回復法術。防御結界の展開も可能です」
そして最後に、蒼姫。
巨大な八咫烏の絵図が広げられる。
会議室の空気が変わった。
セシリアが静かに口を開く。
「恐らく、神獣級です」
全員が息を呑んだ。
「少なくとも、私が知る飛行生物の中では最強クラスでしょう。空中戦能力、広域攻撃能力、長距離移動能力。いずれも規格外です」
セシリアは一度言葉を切り、真剣な表情で続けた。
「戦場における影響力だけなら、私以上かもしれません」
会議室に沈黙が落ちた。
王国最強の大魔法使い。
そのセシリアが、そう言ったのだ。
意味は重い。
ノーノーが腕を組む。
「戦力が増えたのは喜ばしい。じゃが、それ以上に敵も変化しておる」
老人は北の地図を見つめた。
「高速中型飛行種」
「魔鋼虫の南への侵攻」
「大地溝帯は、もはや絶対の防壁ではない」
その言葉に、誰もが現実を理解した。
これまで守られていた南の大地も、もう安全ではない。
◇◇◇
やがて話題は、北方都市の生存者へと移った。
特に、一人の少女。
ノアについて。
「魔核反応がありません」
セシリアが言った。
「私が確認しました。彼女からは、魔核の気配を感じ取れません」
ノーノーも頷く。
「トオル殿と同じじゃ。魔核を持たぬ」
会議室に緊張が走る。
魔核を持たない存在。
この世界の常識から外れた者。
そして、魔鋼虫に捕食対象として認識されにくい可能性を持つ者。
それだけでも重大だった。
だが、さらに重い報告が続いた。
北方都市から救出された研究員への事情聴取。
人体実験。
失敗作。
死亡した子供たち。
唯一生存した三十一号。
その内容が読み上げられるにつれ、会議室の空気は冷たくなっていった。
「人体実験……だと」
国王の声が低く響いた。
怒りを押し殺した声だった。
セリナは拳を握りしめていた。
「その子に罪はありません」
静かだが、強い声だった。
「むしろ、守られるべき存在です」
オーギュストも頷く。
「異論ありません」
宰相も、しばらく目を閉じた後、静かに言った。
「王国としても、その少女を責める理由はない。問題があるとすれば、実験を行った者たちの側です」
国王は深く息を吐いた。
「ノアの保護は、神代家へ委ねる」
それが正式な決定となった。
「トオル殿なら断らんじゃろう」
ノーノーが苦笑する。
誰も否定しなかった。
むしろ、全員が同じことを思っていた。
あの少年なら、きっとそうする。
家族が増えたとでも言うように、当然の顔で受け入れるだろう。
◇◇◇
だが、会議はそこで終わらなかった。
ノーノーは再び地図を広げる。
今度は西方。
砂漠地帯。
そして、その先に点在する都市国家群。
「次の目的地じゃ」
老人が静かに言った。
「ハイエルフの里」
会議室が静まり返る。
「リーファ殿から得た情報によれば、アストレアの西には、まだ多くの都市国家が存在しておる。ハイエルフ、ドワーフ、獣人、そして他の種族たち」
ノーノーは地図の西方を杖でなぞった。
「我らだけでは、この先の戦いは支えきれん。魔鋼虫は変化しておる。侵攻範囲も広がっておる。ならば、こちらも変わらねばならん」
国王が問う。
「同盟か」
「そうじゃ」
ノーノーは頷いた。
「生き残っている者たちすべてと、手を取り合わねばならん」
会議室に沈黙が落ちた。
魔鋼虫。
大地溝帯。
失われた北方都市。
新たに現れた飛行種。
そして、まだ見ぬ西方の国々。
世界は、確実に動き始めていた。
「トオル殿たちには、しばらく休んでもらう」
ノーノーは静かに告げた。
「じゃが、その後は西へ向かってもらう」
誰も反対しなかった。
窓の外には、静かな夜が広がっている。
王都グランセルは眠りにつこうとしていた。
だが、その静けさの奥で。
次なる旅は、すでに始まっていた。




