第二話 ノア
飛行型魔鋼虫の最後の一匹が、地面へ墜落した。
青い体液が石畳へ飛び散る。
透は天羽乃斬を振り払い、大きく息を吐いた。
「終わった……のか?」
誰かが呟く。
その言葉に答えたのは、オーギュストだった。
騎士団長は周囲を見回し、静かに剣を収める。
「ああ。終わった」
その一言で、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
◇◇◇
結衣は鉄棍を肩へ担いだ。
「やったー!」
満面の笑み。
その横で真白も飛び跳ねている。
「やっつけたのじゃ!」
「真白がいっぱい倒したのじゃ!」
三本に増えた尻尾を、ぶんぶんと振り回している。
リリアも楽しそうに飛び回った。
「すごかった!」
「真白、すごかった!」
「当然なのじゃ!」
真白は得意げに胸を張った。
◇◇◇
少し離れた場所では、騎士たちが呆然としていた。
結衣。
明日華。
真白。
蒼姫。
突然現れた四人。
しかも、全員が並外れた戦闘能力を持っている。
「なんなんだ……あいつら」
若い騎士が呟く。
「トオル殿の家族らしい」
「家族?」
「家族?」
周囲の騎士たちが、ほとんど同時に聞き返した。
◇◇◇
セリナは結衣を見ていた。
透へ真っ直ぐ駆け寄った少女。
迷いのない笑顔。
そして、兄を信じ切っている瞳。
その姿を、少しだけ羨ましく思った。
◇◇◇
リーファは真白を見ていた。
白狐。
霊獣。
小さな身体で戦場を飛び回りながら、支援法術を使い続けていた。
傷ついた者を癒し。
仲間を強化し。
時には自ら体当たりで魔鋼虫を吹き飛ばす。
「不思議な子……」
思わず、そう呟いた。
◇◇◇
セシリアは空を見上げていた。
蒼姫。
巨大な八咫烏。
空中を旋回しながら法術を放ち、飛行型魔鋼虫を次々と撃ち落としていく。
あれほどの飛行能力。
あれほどの法術。
見たことがない。
「精霊獣……?」
いや、違う。
もっと神聖な何か。
そんな気配を感じていた。
◇◇◇
その頃。
集会所の地下。
31号は静かに目を閉じていた。
感じている。
黒い反応。
魔鋼虫。
そのすべてが消えていた。
一つ残らず。
「……いなくなった」
小さな声だった。
だが、地下にいた全員が顔を上げた。
「本当か?」
「終わったのか?」
31号は頷く。
「全部、消えた」
◇◇◇
地下に歓声が広がった。
泣く者。
祈る者。
抱き合う者。
絶望の中で、初めて訪れた希望だった。
◇◇◇
やがて。
重い鉄扉が開いた。
地下に隠れていた生存者たちが、ゆっくりと地上へ姿を現す。
老人。
子供。
負傷者。
研究者。
技術者。
誰もが痩せ細り、疲れ切っていた。
その人々の前へ、セリナが進み出る。
「私はアストレア王国王女、セリナ・アストレアです」
優しい声だった。
「皆さんは助かりました」
その言葉を聞いた瞬間。
その場に泣き崩れる者がいた。
◇◇◇
生存者たちの後ろから、一人の少女が歩いてくる。
色の薄い髪。
痩せた身体。
感情の乏しい瞳。
31号だった。
少女は透を見る。
次に結衣を見る。
明日華を見る。
真白を見る。
そして、空にいる蒼姫を見上げる。
首を傾げた。
「……あなたたち、何?」
◇◇◇
透が困ったように笑う。
「何って言われてもな……」
その時だった。
真白が胸を張る。
「真白なのじゃ!」
少女は真白を見る。
数秒。
じっと見つめる。
そして、また透へ視線を戻した。
◇◇◇
近くにいた老人が口を開いた。
「その子は31号だ」
「北の研究施設から連れて来られた」
老人は周囲を見回す。
「この街では、もう暮らしていけない」
「できれば、我々を助けてほしい」
疲れ切った顔だった。
◇◇◇
避難が始まった。
都市に残されていた駄獣用の獣車を集める。
老人。
子供。
負傷者。
歩くことのできない者を優先して乗せていく。
目的地はアストレア王国。
◇◇◇
透は騎獣ラウルへ跨った。
その前には31号が座っている。
少女は無言だった。
ただ。
気がつけば、透の服を小さな手で掴んでいた。
「怖いか?」
少女は首を振る。
それ以上は何も言わなかった。
◇◇◇
上空。
蒼姫の背には、結衣、明日華、真白、リリア。
周囲の索敵を担当している。
結衣が持つ方位盤の針は、今も透を指していた。
もう見失うことはない。
◇◇◇
移動三日目。
結衣は31号の服をじっと見ていた。
胸元に、消えかかった文字が残っている。
「これ、何だろ?」
明日華も覗き込む。
「読めませんね」
真白も首を傾げる。
結衣はしばらく唸っていた。
胸元に残された文字。
崩れていて、ひどく読みにくい。
「んー……」
どこかで見たような気がする。
そして。
ふと思い出した。
「あっ」
真白の字だ。
以前、真白が書いた札にそっくりだった。
本人は一生懸命なのだが、とにかく字に癖がある。
「これ……」
結衣が顔を近づける。
「ノアって読めるかも」
明日華も改めて文字を覗き込んだ。
「……確かに、読めなくもありませんね」
◇◇◇
結衣は少女を見る。
「ねえ」
少女が顔を上げる。
「ノアちゃんって呼んでもいい?」
少女は結衣を見つめた。
しばらく、そのまま動かない。
そして。
小さく。
こくり。
頷いた。
◇◇◇
「決まり!」
結衣が笑う。
「今日からノアちゃん!」
ノアは何も言わない。
けれど。
否定もしなかった。
◇◇◇
少し離れた場所で。
ノーノーが、その様子を見ていた。
険しい顔だった。
「ノーノーさん?」
透が声を掛ける。
老賢者はノアから視線を外さない。
「うむ」
「何か?」
「王都へ戻ってからじゃ」
透は静かに頷いた。
その言葉が持つ重さだけは理解できた。
◇◇◇
そして数日後。
遠くの地平線に城壁が見え始める。
アストレア王国。
王都グランセル。
帰るべき場所。
仲間たちは安堵の息を吐いた。
だが。
ノアだけは静かに空を見上げている。
その瞳の奥に何を映しているのか。
まだ誰も知らない。
そして――。
王都では、新たな出会いと新たな真実が待っていた。
第二部は、さらに大きく動き始める。




