第十五話 凱旋
災厄の群れとの死闘から四日。
アストレア王国の空は、どこまでも青く晴れ渡っていた。
王都へ続く街道を、一団の騎獣がゆっくりと進んでいる。
先頭にいるのは聖女にして王女、セリナ・アストレア。
その隣には異界より来た少年、神代透。
そして騎士団長オーギュスト、A級冒険者ガルド、大魔法使いセシリア、大賢者ノーノー・デプリら、災厄との戦いを生き抜いた者たちが続いていた。
四日前。
王国北方を襲った災厄の群れは撃退された。
多くの犠牲を払いながらも、人々は生き残った。
その勝利の報は既に王都へ伝えられている。
街道沿いには早朝から民衆が集まり、一行の到着を待っていた。
「おおっ!」
「帰ってきたぞ!」
「聖女様だ!」
「勇者様だ!」
歓声が広がる。
透は思わず肩をすくめた。
「なんだか居心地が悪いですね……」
隣を歩くガルドが豪快に笑う。
「はっはっは! 今さら何を言う!」
「今回の主役はお前だぞ、トオル!」
「いや、みんなで勝ったんですけど……」
「そのみんなが、お前のおかげだと言ってるんだ」
透は困ったように頭を掻いた。
その様子を見ていたセリナが小さく笑う。
戦場で見せた緊張も、今は少し和らいでいた。
しかし彼女の瞳は時折、透の横顔を確かめるように見つめている。
失うかもしれなかった命。
守ってくれた人。
その事実が、彼女の心に深く刻まれていた。
やがて王都の巨大な城壁が見えてくる。
見張り塔から鐘の音が鳴り響いた。
勝利を告げる鐘。
その音に呼応するように王都全体が歓声に包まれた。
王都中央通り。
王城正門から続くアストレア最大の大通り。
今日、その道は人で埋め尽くされていた。
窓から身を乗り出す者。
建物の屋根に登る子供たち。
花束を抱えた女性たち。
誰もが英雄たちの帰還を待っている。
やがて正門が開かれた。
歓声が爆発する。
「おおおおおおおっ!!」
中央を進むのはセリナ。
そしてその隣には透。
続いて騎士団長オーギュスト。
A級冒険者ガルド。
大魔法使いセシリア。
大賢者ノーノー・デプリ。
戦いを生き抜いた騎士たち。
冒険者たち。
治癒士たち。
人々は惜しみない拍手を送った。
「ありがとう!」
「王国を守ってくれてありがとう!」
「勇者様ー!」
花びらが舞う。
歓声が響く。
透は何度も頭を下げた。
だが歓声は止まらない。
むしろ大きくなっていく。
前方でガルドが立ち上がった。
そして大声で叫ぶ。
「聞けぇぇぇぇぇっ!」
通り全体が静まった。
ガルドは親指で透を指し示した。
「今回の戦で災厄の統率獣を討ち取ったのは!」
「この男だ!」
「異界より来た勇者!」
「神代透だ!!」
一瞬の静寂。
そして。
地鳴りのような歓声が巻き起こった。
「おおおおおおおおおっ!!」
「勇者様ぁぁぁっ!」
「神代様ー!」
透は本気で困った顔になった。
「やめてくださいって……」
だがガルドは大笑いしている。
周囲の冒険者たちも笑っていた。
その様子を見てセリナもまた、小さく微笑んだ。
その日の夕刻。
王城最上階。
円卓の間。
祝賀の熱気とは対照的に、室内は静かな緊張に包まれていた。
巨大な円卓を囲むのは王国中枢の人々。
宰相グランツ。
騎士団長オーギュスト。
冒険者ギルド長。
大魔法使いセシリア。
聖女兼王女セリナ。
大賢者ノーノー・デプリ。
各部署の代表者たち。
そして国王。
アストレア王国を支える重鎮たちが一堂に会していた。
「では始めよう」
国王の言葉で会議が始まる。
まず戦況報告が行われた。
騎士団の損害。
冒険者の損害。
物資の消費。
討伐数。
生存者数。
詳細な報告が続く。
そして最後に立ち上がったのはノーノーだった。
金色の毛並みを持つ老賢者は静かに円卓を見渡す。
「今回の戦について、わしから一つ報告がある」
全員の視線が集まる。
「まず結論から言おう」
ノーノーの声は低かった。
「あれは魔獣ではない」
室内がざわついた。
冒険者ギルド長が眉をひそめる。
「どういう意味ですかな」
ノーノーは机の上に資料を置いた。
「死骸を調査した」
「結果、魔核が存在せん」
驚きの声が上がる。
魔獣ならば必ず持つはずの魔核。
それが存在しない。
あり得ない話だった。
「では何だと言うのだ?」
宰相が問う。
ノーノーは静かに答えた。
「魔鋼虫じゃ」
空気が凍った。
その名を知らぬ者も多いが、その名には皆を恐怖させる響きがあった。
「千年前」
「パンゲアを滅亡寸前まで追い込んだ災厄」
「古文書にのみ残る存在じゃ」
誰も言葉を発しない。
ノーノーは続ける。
「魔核を持たず」
「異常な統率能力を持ち」
「群れ全体で情報を共有する」
「今回確認された特徴は、古い記録と一致しておる」
「さらに奴らは魔核を食う」
「人族も」
「魔獣も」
「エルフら亜人種もだ」
「死骸だけじゃない、生きておっても魔核を食らう」
「だから魔鋼虫との戦いは戦争ではない」
「狩るものと狩られるものの、生存競争だ」
重い沈黙が流れる。
勝利の喜びは既に消えていた。
「さらにじゃ」
ノーノーの表情が険しくなる。
「統率獣が死ぬ直前に発した金切り音」
「あれは悲鳴ではない」
透が顔を上げた。
確かに聞いた。
耳に残る不快な音。
「おそらく情報伝達じゃ」
「自身の死と敗北を、どこかにいる上位個体へ伝えた可能性が高い」
円卓の間に緊張が走る。
「もし仮説が正しければ」
老賢者は地図を広げた。
その指が大渓谷の向こうを指す。
「災厄はまだ始まったばかりじゃ」
「確認のためにも調査隊を編成し、大渓谷の外へ向かうべきじゃろう」
「今までこのアストレアは天然の要害に守られて長く平和が続いてきた」
「しかし、魔鋼虫が動き出した今。全てを調べる必要がある」
「我々の知らぬ民」
「未だ残る国」
「古代遺跡の記録」
「そして魔鋼虫について」
「全てを調べる必要がある」
国王は静かに考え込んだ。
長い沈黙。
やがて口を開く。
「提案は理解した」
「だが今は保留とする」
誰も異論を唱えなかった。
「王国は勝利したばかりだ」
「民は安堵している」
「まずは戦い抜いた者たちを休ませよう」
ノーノーも頷く。
反論はしない。
しかしその瞳に浮かぶ不安は消えなかった。
会議は終了した。
人々が部屋を後にする。
最後に残ったノーノーは窓辺へ歩み寄った。
眼下には王都の灯り。
笑い声。
祝宴の音楽。
勝利を喜ぶ民衆の姿。
老賢者は遥か遠くを見つめる。
パンゲア中央。
千年前に滅びた旧王都の方角を。
「……杞憂であればよいのじゃがのう」
誰にも聞こえない呟きは、夜なき世界の風に溶けていった。




