第八話 虫退治と石けん
王城脇の研究施設。
「蛹が割れたぞ!」
学者の声が響いた。
ギチ、ギチ――。
硬いものが擦れるような音を立てながら、蛹の殻が少しずつ割れていく。
やがて、その中から黒い外殻を持つ生物が姿を現した。
「これが……魔鋼虫……」
周囲で見守っていた者たちが息を呑む。
まだ外殻は完全に固まりきっていない。
だが、その姿は間違いなく、これまで何度も人々を襲ってきた魔鋼虫だった。
ギチギチ。
次の瞬間。
ガン!
魔鋼虫がケージへ体当たりした。
「うわっ!」
さらにもう一度。
ガン!
ガン!
何かを求めるように、何度もケージへ体をぶつける。
「ノーノー様たちに知らせろ!」
「はっ!」
一人の兵士が研究施設を飛び出していった。
◇
「蛹が割れて、魔鋼虫が出てきたとな?」
知らせを受けたノーノーは、国王、宰相グランツらと共に急いで研究施設へ向かった。
中へ入るなり、ケージの中を確認する。
「おお……まさしく魔鋼虫ではないか」
ガン!
ケージが揺れる。
「ずいぶん暴れておるの」
「餌を求めているのでしょうか」
グランツが眉をひそめる。
「その可能性は高いのう」
ノーノーはしばらく観察してから、兵士へ顔を向けた。
「隆志殿にも知らせよ」
「はっ!」
◇
しばらくして。
研究施設へ、一抱えもある壺を抱えた透がやってきた。
その後ろには隆志、結衣、明日華、ルカ、リーファ、蒼姫。
そして透の背中には、ラピスがしっかりと張りついている。
「魔鋼虫が羽化したんですね」
隆志がケージを覗き込む。
「そうじゃ」
ノーノーが頷いた。
「出てきてからずっとこの調子での。おそらく餌を求めておる。このままでは、そう長くはもたんかもしれん」
ガン!
魔鋼虫が再びケージへ体当たりする。
隆志はしばらくその様子を見た後、透が抱えている壺へ目を向けた。
「分かりました。試してみたいことがあるんですが、いいですか?」
「何をする気じゃ?」
「地球の昆虫に生態が似ているようなので、もしかしたら、この薬剤が効くかもしれません」
「薬剤?」
隆志が壺の中を示す。
「先ほど、作ったものです」
ノーノーは興味深そうに覗き込んだ。
「これを魔鋼虫に?」
「はい。ただし、最初から全部にかけるのはやめておきます」
隆志は透を見る。
「透。体の半分だけに掛けるんだよ」
「分かった」
透は壺から液体を汲み、慎重にケージの上へ回った。
狙いを定める。
「いくぞ」
液体が魔鋼虫の体へ降りかかった。
ただし、全身ではない。
体の半分ほどだけ。
魔鋼虫は一瞬激しく身を震わせた。
ガン!
再びケージへぶつかる。
だが、しばらくすると。
「あれ?」
結衣が身を乗り出した。
「動き、遅くなってない?」
先ほどまで何度もケージへ体当たりしていた魔鋼虫の動きが、目に見えて鈍くなっていた。
脚の動きも重い。
「やったね!」
結衣が声を上げる。
「これで虫退治だ!」
「だな」
透もケージを見ながら頷いた。
「これは使えるぞ」
ノーノーだけが、事情を理解できずに隆志を見る。
「これは一体、何が起きておるのじゃ?」
「魔鋼虫が地球の昆虫と同じように、体にある気門で呼吸しているとすれば、この液体がその気門を塞いでいるんだと思います」
「気門を塞ぐ?」
「はい。呼吸がうまくできなくなって、動きが鈍っているのでしょう」
ノーノーは驚いたように、もう一度魔鋼虫へ目を向ける。
「つまり……これを使えば」
「大量に作ることができれば、ブルートリトン号から空中散布することもできます」
隆志が答えた。
「すべてを倒せるかは、まだ分かりません。でも、撃退したり、動きを鈍らせたりすることはできるかもしれません」
「なるほどのう……」
ノーノーは感心したように髭を撫でる。
結衣は嬉しそうに壺を見た。
「やっぱり虫には石けんだね」
「だから石けんそのものじゃないって」
透が呆れたように言う。
だが、その場にいた者たちの表情には、先ほどまでとは違うものが浮かんでいた。
魔鋼虫に通じるかもしれない、新しい手段。
その可能性が、ようやく形になり始めていた。
◇
研究施設から帰宅すると、待っていた結衣がすぐに隆志へ駆け寄った。
「お父さん、どうだった?」
「何とかなりそうだぞ。数で押し寄せてくる魔鋼虫には、特効薬になるかもしれない」
「やったね!」
結衣が振り返り、パルムとぱん、と手を合わせる。
「うん!」
パルムも嬉しそうに笑った。
「後は大量に作る用意と、どうやって散布するかを考えないとな」
隆志はそう言いながら、先ほどの試験結果を頭の中で整理している。
ところが。
「ねえ、パルムちゃん」
結衣が壺の中身を見ながら言った。
「これって汚れもよく落ちるし、香りをつけて固めれば、普通に売り物になるよね?」
「そうだね。僕も作業服の汚れがよく落ちる石けんが欲しかったから」
パルムも素直に頷く。
「いや、魔鋼虫対策の話だぞ」
透が思わず口を挟んだ。
「何言ってるのかなあ。高級石けんだよ。絶対売れるって」
結衣はすでに完全に商売の顔になっている。
「私もそう思います。これだけ汚れが落ちるのでしたら」
セリナまで賛成した。
「いやいや、そういう話では……」
透が困ったように言う。
「そうですね。私たちも、こちらでお金を稼ぐことを考えないといけませんから、商品にしてみますか」
美琴がさらりと言った。
「えー……」
透は父を見る。
「父さん……」
しかし隆志は反応しなかった。
大量生産するなら原料をどれだけ確保する必要があるか。
ブルートリトン号から散布するなら、どのような仕組みが必要になるのか。
完全にそちらへ意識が向いている。
どうやら隆志は、女性陣の話へ介入する余裕はないらしい。
というより、介入できない。
「じゃあ、商品名を考えなくちゃね」
美琴の一言に、結衣の手が勢いよく上がった。
「はい! はい、はい!」
「はい、結衣」
「アワアワがいいと思う!」
「アワアワって……なんだか、そのままだな」
透が苦笑する。
「良いんじゃないですか?」
セリナは楽しそうに微笑んだ。
「分かりやすくってね」
リーファも頷く。
その横ではルカがまったく興味を示していなかった。
石けんは食べられない。
それだけで、ルカにとっての商品価値はほぼ消滅している。
ノアも特に口を挟むことなく、皆のやり取りを静かに聞いていた。
「じゃあ、アワアワで決まりね」
美琴があっさり締めくくった。
「パルムちゃん。今後の商品開発について、みんなで考えましょう」
「うん」
「私も行く!」
「私も」
いつの間にか始まった商品開発会議の一行は、そのまま別の部屋へ移動していく。
ルカだけは途中で方向を変え、台所へ向かった。
そしてその場には、隆志と透だけが残された。
――いや。
透の背中には、相変わらずラピスがぴったりと張りついている。
「透」
「……」
隆志が息子を見る。
透も父を見る。
二人はしばらく、誰もいなくなった廊下を見つめていた。
◇
昨晩、女性陣の間でどのような話が交わされたのかは分からない。
ただ、出来上がった石けんを浴場で実際に使ってみたところ、かなり満足のいくものだったらしい。
翌朝。
美琴たち女性陣は、揃ってご機嫌だった。
朝から、昨夜そのまま神代家に泊まっていたセリナと共に、隆志、透、パルムは王城へ向かった。
王城では、隆志たちの到着を待って、昨日確認された事象について検討することになっている。
さらに、残っている魔鋼虫の蛹にもう一度薬剤を使い、その効果を改めて確認する予定だった。
やがて一行は王城へ到着し、円卓の間へ入った。
国王をはじめ、宰相グランツ、ノーノーらがすでに席についている。
その中で、グランツが透を見て、何とも言えない表情を浮かべた。
「透殿。その……」
「はい?」
「背中に、獣人の子供が……」
「あっ」
透はそこで初めて気づいた。
忘れていた。
背中には、いつものようにラピスがぴったりと張りついている。
「ラピス」
透は困ったように振り返った。
「今日は大事なお話があるから」
「……」
ラピスが、うるうるとした目で透を見る。
「うっ……」
その視線に透が詰まったところで、セリナが助け舟を出した。
「ラピスちゃん、私と一緒に私のお部屋へ行きましょう」
「……うん」
ラピスはようやく透の背中から剥がれた。
そのままセリナに抱き上げられる。
「では、行きましょうか」
「うん」
セリナに抱っこされたラピスは、何度か透を振り返りながら、円卓の間を出ていった。




