第4部 第一話 魔鋼虫の巣
王城の中庭から、青い船体がゆっくりと浮かび上がった。
戦闘艦ブルートリトン号。
国王をはじめ、宰相、騎士団長オーギュスト、王国の重鎮たちに見送られながら、ブルートリトン号は一路北西――ミルドパンゲア大地溝帯へと進路を取った。
操縦桿を握っているのは美琴である。
「もう少し高度を上げられますか、美琴さん」
後ろから隆志が声をかける。
「分かりました」
美琴が操縦桿をゆっくりと引く。
ブルートリトン号は高度を上げ、眼下に広がる大地が次第に小さくなっていった。
隆志は艦内を振り返る。
「皆さん、一応装備の確認をしておいてください。予想空域に到達したら、ルカさん、蒼姫さん、暁さんに出てもらいます」
それぞれが自分の装備へ手を伸ばす。
「暁さんにはノアちゃんを乗せてもらいます。上空から周囲を観測してください」
「はい」
ノアが小さく返事をした。
「ノアちゃん。魔鋼虫を見つけたら、無理に近づかなくていいです。そのまま暁さんと戻ってきてください」
「……はい」
「透と明日華は、飛行種が現れた場合の迎撃をお願いします。ノアちゃん達が戻るまで警戒を続けてください」
「分かった」
「はい」
ブルートリトン号はさらに北西へ進んでいく。
やがて、地平の先に巨大な裂け目が姿を現した。
ミルドパンゲア大地溝帯。
大地そのものが引き裂かれたような巨大な谷が、どこまでも続いている。
艦内の窓から外を眺めていたノーノーが、目を細めた。
「……明らかに、大地溝帯の中から群れが移動した痕跡が視認できるのう」
大地には、何か巨大なものが通り過ぎたような跡が幾筋も残っている。
木々は倒れ、岩肌は削れ、ところどころ地面そのものが抉られていた。
セシリアも窓の外へ目を向ける。
「そうですね」
しばらく眺めていた彼女が、僅かに眉を寄せた。
「……それにしても、静かすぎますね」
誰もが改めて外を見る。
魔獣の宝庫。
そう呼ばれていたはずのミルドパンゲア大地溝帯。
だが――。
動くものがない。
鳥一羽。
地を走る獣一匹。
その姿すら見えなかった。
「魔獣の宝庫という割には、何もおらんのう」
ノーノーの言葉に、セシリアが静かに頷いた。
「おそらく……周辺の魔獣を食べ尽くしたのでしょうね」
「え?」
結衣が振り返る。
「じゃあ、お腹が空いてアストレアへ向かってきたってこと?」
誰もすぐには答えなかった。
透が窓の向こうに広がる大地を見つめる。
「……そうだろうな」
ただ生きるために。
ただ餌を求めて。
魔鋼虫は移動した。
そこに敵意などない。
あるのは、ただ捕食するという本能だけだった。
「そろそろ予想空域に入ります」
隆志の声に、艦内の空気が変わる。
「準備してください」
ルカが立ち上がった。
「よしっ」
蒼姫と暁も続く。
明日華が蒼天の弓を握り、ノアは緊張した表情で暁のそばへ向かった。
「パルムちゃん、お願いします」
「うん」
パルムが操作盤へ手を伸ばす。
今回の偵察に合わせて改良された後部ハッチ。
竜化したルカや蒼姫たちが、より安全に発進できるよう大きく開閉する構造へ変更されていた。
「後部ハッチ、開けるよ」
低い駆動音が艦内に響く。
ゆっくりと後部ハッチが開いていく。
外の風が一気に艦内へ流れ込んだ。
「ブルートリトン号は、このまま予想空域の手前でホバリングして待機します」
隆志が全員を見る。
「皆さん、気をつけて。危険を感じたら戦おうとしないでください。逃げることを優先してください」
「了解!」
ルカが元気よく答える。
そして、振り返って笑った。
「じゃあ、行ってきます!」
ルカが後部ハッチから飛び出した。
その身体が空中で大きく変わり、青銀の竜となって翼を広げる。
続いて蒼姫。
その背には明日華が乗っている。
「行ってきます」
「行ってきます!」
二人も空へ飛び出した。
最後に暁。
その背にはノアが乗っている。
ノアは一度だけ艦内を振り返った。
少しだけ緊張している。
それでも、その瞳は前を向いていた。
「……行ってきます」
小さな声だった。
だが、そこには確かな決意が込められていた。
「はい。気をつけて」
隆志が頷く。
「絶対に無理をしないように」
「はい」
暁が翼を広げる。
そしてノアを乗せたまま、青い船体を離れた。
三つの影が、ミルドパンゲア大地溝帯へ向かって飛んでいく。
その姿を、透は黙って見つめていた。
眼下には、生き物の姿が消えた大地。
その先には――。
まだ誰も知らない、魔鋼虫の巣がある。
ブルートリトン号は空中で静止した。
強行偵察が始まった。
◇
ルカが先行する。
その背には透が乗っていた。
まだ天剣無限流の技をすべてものにしたわけではない。
だが、先日、宗玄から授けられた秘伝がある。
斬撃を飛ばす技――飛燕。
暁がその後ろにつき、さらに後方を蒼姫が飛ぶ。
蒼姫の背では、明日華が蒼天の弓を握っていた。
いつでも矢を放てるよう周囲へ視線を巡らせている。
暁の背に乗ったノアもまた、眼下の大地をじっと見つめ続けていた。
しばらく飛んだところで、ノアが顔を上げた。
「あっちのほうに……魔鋼虫の反応がある」
小さな指が、左前方を示す。
そしてすぐに正面へ顔を向けた。
「正面から……三体」
透が目を凝らす。
遠くに小さな黒い影が見えた。
「俺が先に出る」
透がルカの背で身を低くする。
「ルカ」
「うん、分かった!」
ルカが翼を大きく打った。
だが隊列は崩さない。
暁を中央に置き、蒼姫が後方につく。
ノアを守ることが最優先だった。
やがて前方の影が大きくなる。
三体。
飛行種だ。
こちらへ向かってくる。
いや――。
狙っているのはルカだった。
竜化したことで、ルカの体内にある魔核も大きくなっている。
この中で魔核を持っているのは、ルカだけである。
三体の飛行種は迷うことなくルカへ向かってきた。
「来るよ!」
「ああ」
透が天羽乃斬を抜く。
一体。
二体。
その向こうに三体目。
間合いはまだ遠い。
だが、今の透には届く。
刀を振り抜いた。
「――飛燕!」
放たれた斬撃が空を走った。
二体の飛行種が切り裂かれ、そのまま地上へ落ちていく。
残った一体がルカへ向かって突っ込んできた。
その瞬間。
透の脇から一筋の矢が飛んだ。
明日華だった。
蒼天の弓から放たれた矢が飛行種を射抜く。
次の瞬間、その身体が空中で爆散した。
「兄さま、前を!」
「ああ!」
透は刀を構えたまま周囲を警戒する。
新たな飛行種は見えない。
「ノア、さっき見つけた場所は?」
「あっち」
ノアがもう一度指を差した。
「もう少し先」
「分かった。行こう」
再び隊列を整え、ノアが示した方向へ進んでいく。
やがて――。
「……あれか」
透が呟いた。
周囲の木々が広い範囲にわたってなぎ倒されている。
その中央。
大地から盛り上がるように、巨大なお椀を逆さにしたような土の山があった。
大きさは周囲百数十メートル、高さ5メートルほど。
自然にできたものには見えない。
「ノア」
透は土山から目を離さないまま尋ねた。
「あれがそうなのか?」
「うん」
ノアが頷く。
「あの下に……小さいのが、たくさんいる」
少し間を置く。
「大きいのもいる」
「数は分かる?」
ノアはじっと土山を見つめた。
「いっぱい……奥までは分からない」
「それでいい」
透は短く答えた。
それ以上近づく必要はなかった。
巣は見つけた。
だが、そこにいたのは小型の魔鋼虫だけではない。
土山の周囲。
巨大な影が動いた。
一体。
二体。
さらにその奥にもいる。
「……大きい」
明日華が呟いた。
六体ほどの大型魔鋼虫が、巣穴を護るように居座っていた。
巨大な顎が開く。
ガチン。
ガチン。
硬質な音が響いた。
大型種たちはこちらを見上げている。
透たち――。
いや。
ルカを見ていた。
「いったん船に戻るよ」
「うん」
透は刀を収める。
「了解!」
ルカが旋回する。
暁と蒼姫もすぐに続いた。
戦う必要はない。
今回の目的は討伐ではない。
巣を見つけること。
その目的は果たした。
三騎は来た道を引き返し、ブルートリトン号へ向かった。
その後方。
巨大な土山の周囲では、六体の大型種が顎を鳴らしながら、遠ざかっていくルカの姿を見続けていた。
◇
透たちは無事、ブルートリトン号へ戻った。
後部ハッチが閉じると、すぐに全員が隆志の周囲へ集まる。
「まず、巣の場所は特定できました」
透の報告を聞きながら、隆志が頷く。
「ただガニメデが六体。巣穴を護るように居座ってた」
この船から見つかった資料から、魔鋼虫の種類が特定され当時の名前で呼ぶことにしたのである。前回の戦いで宗玄がなぎ払った大型種をガニメデと呼ぶ。
「六体ですか……」
セシリアが腕を組む。
隆志はノアへ目を向けた。
「ノアちゃん。地下の様子はどうでした?」
「小さい反応が……たくさんあった」
ノアは両手を使って土山の形を作るようにしながら説明する。
「もっと下に、大きい反応もあった。でも奥のほうまでは分からなかった」
「十分ですよ」
隆志が微笑む。
ノーノーが髭を撫でながら考え込んだ。
「小さい反応というのは……おそらく卵か幼体じゃろうな」
「やっぱり、あそこはただの巣じゃなくて繁殖場所ってことですか」
透が聞く。
「その可能性は高いじゃろう」
ノーノーは頷いた。
セシリアが口を開く。
「うまくすれば、卵か幼体を捕獲できるかもしれませんね」
「そうですね」
隆志も頷く。
「生きた状態で調べられれば、今まで分からなかったことがかなり分かるかもしれない」
ノーノーの目が輝く。
「それはぜひとも欲しいのう」
「ノーノー様」
セシリアが横目で見る。
「分かっておる。無茶はせん」
「ならいいですけど」
隆志は小さく笑ってから、表情を引き締めた。
「地上のガニメデについては、予定していた方法でいきましょう」
セシリアを見る。
「セシリアさんに焼き払ってもらいます」
「分かりました」
「暁さん。お願いできますか?」
「よかろう」
暁が胸を張る。
「セシリア殿を、あの虫けらどもの上まで運べばよいのだな」
「はい。ただし、魔法を放ったらすぐに離脱してください」
「うむ」
「周囲で魔素枯渇が起きる可能性があります。セシリアさんがその中に長くいるのはよくありませんから」
セシリアが頷いた。
「六体程度なら、それほど大量の魔素を消費する魔法は必要ないと思います」
「それでも念のためですね」
「はい」
隆志はしばらく考えたあと、ノアを見る。
「では、セシリアさんが魔法を放ったあと、ノアちゃんに周囲の魔素の状態を確認してもらいましょう」
「うん」
「安全が確認できたら、ブルートリトン号を巣の近くまで移動させます」
そして透たちを見る。
「その後、透、結衣、明日華。それからノアちゃんの四人で巣穴を調べてもらいます」
「俺たちで?」
「お父さんにも参加してもらいます」
「おう、まかせとけ」
「お父さん、巣を壊さないでくださいよ、目的を果たすまでは」
「わかっとるわい。でもデカいのはやっていいんだろう」
ニコニコ顔の宗玄であった。
「はい。ノアちゃんを護ってくださいね」
「分かった」
「はーい」
「承知しました」
そこで結衣が、透を見て首を傾げた。
「……ところで、おにぃ」
「ん?」
「ラピス、ずっとそこにいるよね」
「え?」
透が背後を振り返ろうとする。
「とおる」
背中から声がした。
ラピスだった。
偵察へ出る前から、ずっと透の背中に張り付いていたのである。
「……ラピス?」
「うん」
ラピスが透の肩越しから顔を出す。
あまりに軽いため、透も途中から背負っていることをすっかり忘れていた。
「ラピスも行く」
「いや、お前は――」
「いく」
「……」
「ラピスもいく」
透が隆志を見る。
隆志も困ったように笑った。
「まあ、それはあとで考えましょう」
「おんぶ」
「もうしてるだろ」
「うん」
満足そうにラピスが透の背中へ顔を戻した。
セリナ、リーファもその光景を眺めて微笑んでいた。
その少し離れた場所では――。
「おかわり!」
ルカが元気よく皿を差し出していた。
偵察から戻ってくるなり、食事を始めている。
人の姿へ戻ったルカの前には、すでに空になった皿が何枚も積み上がっていた。
「ルカさんは……」
隆志がそちらを見る。
「今回は船で待機してもらいましょうか」
「ええーっ!」
「ルカさんは魔核を持っていますから、偵察には向かないんですよ」
そう言いながら、ルカはパンを口へ放り込む。
透が呆れたように見る。
隆志は再び全員へ目を向ける。
「では、まず地上のガニメデを排除します」
その言葉に、艦内の空気が再び引き締まった。
「美琴さん。巣から十分距離を取ったまま、ブルートリトン号を待機させてください」
「分かりました」
「暁さん、セシリアさん。準備を」
「うむ」
「はい」
六体のガニメデを排除する。
その後――。
いよいよ魔鋼虫の巣の内部へ入る。
これまで誰も足を踏み入れたことのない場所へ。
強行偵察は、次の段階へ進もうとしていた。




