第四十二話 ブルートリトン
夕食の支度がようやく整った。
大きな食卓には、買ってきた食材を使った料理が所狭しと並び、皆がそれぞれ席につこうとしていた。
その時だった。
「ただいま帰りました!」
玄関から聞こえてきたのは、朝とはまるで違う、明るい声だった。
「ルカ?」
透が振り返る。
ほどなくして、ルカが嬉しそうな顔で部屋へ入ってきた。
そして、その後ろには一人の女性が立っている。
ルカよりも背が高い。
髪はルカとよく似た銀色。
整った顔立ちをした女性で、見た目だけなら美琴より少し年上というところだろうか。
だが、その立ち姿にはどこか普通の人とは違う、不思議な落ち着きがあった。
「皆さん、紹介します!」
ルカが嬉しそうに女性の隣へ立つ。
「私のおばあしゃま、エリーゼさんです!」
「……え?」
透が目を瞬いた。
「エリーゼさん?」
「ああ、久しぶりだねぇ」
エリーゼは気さくに片手を上げた。
「竜人の里から来たんですか?」
透が驚いて尋ねる。
「ああ。このじゃじゃ馬娘が泣きついてくるもんだからね」
「おばあしゃま!」
「それに、わたしも久しぶりに外の世界を見てみたくなった。まあ、ちょうどいい機会だったってことさ」
エリーゼはからからと笑う。
隆志が不思議そうに透へ顔を向けた。
「透、この方は?」
「あ、父さんにはまだ話してなかったっけ」
透はエリーゼを示した。
「この前、竜人の里へ行った時にお世話になったエリーゼさんだよ」
「そうなんだ」
「それと……」
透が一瞬、どう説明するか迷う。
「エリーゼさんは、千年前の魔鋼虫を知っている人なんだ」
「…………え?」
今度は隆志だけではなかった。
食卓のあちらこちらから声が漏れた。
「千年前?」
「ということは……」
結衣が指を折りながら、エリーゼを見る。
「千歳ってこと?」
「そうだよ」
エリーゼは何でもないことのように答えた。
「千歳のばばあだよ」
「えっ、あ、ごめんなさい!」
結衣が慌てて頭を下げる。
「つい驚いちゃって……」
「別に気にすることでもないさね」
エリーゼは笑った。
「長く生きてりゃ、歳なんて途中からどうでもよくなるもんさ」
「エリーゼさんは、竜人族なんですよね?」
セリナが尋ねる。
「ああ」
エリーゼは頷いた。
「ただし、今は真竜だ」
「真竜……」
「竜人族の女は竜の姿になれる。でも、その中でも特別な契りを結び、真の竜として目覚めた者がいる」
エリーゼは少しだけ懐かしそうな目をした。
「わたしも、その一人ってことさ」
「千年前に……?」
「ああ」
エリーゼの表情が僅かに変わる。
「千年前、魔鋼虫がパンゲアを襲った時代にね」
部屋の空気が少しだけ静かになった。
「わたしは、一人の騎士と一緒に戦っていた」
「騎士?」
明日華が尋ねる。
「ケン・アストレア」
その名前を聞いた瞬間、セリナが目を見開いた。
「……アストレア?」
「ああ」
エリーゼもその反応に気づく。
「透さんからも聞いたけど、ここはアストレアって名前の国なんだそうだね」
「はい」
セリナが頷いた。
「この国は、初代セリナ・アストレアが治めた里を礎に生まれた国です。その名を受け継いで、アストレア王国と呼ばれています」
「そうかい……」
エリーゼはしばらく黙った。
ケン・アストレア。
そしてセリナ・アストレア。
千年という長い年月を隔てて、同じ名前がこの地に残っている。
「何か、縁があるのかもしれないねぇ」
「……はい」
セリナも静かに頷いた。
美琴が皆を見回した。
「いろいろと積もるお話もあるでしょうけれど――」
柔らかく微笑む。
「まずは食事にしましょう。せっかく温かいうちに食べられるのですから」
「賛成だね!」
エリーゼがすぐに答える。
「ここまで飛んできたから、腹が減って仕方ないよ」
「私も!」
ルカが元気よく手を挙げる。
「あんたはさっき、おにぎりを食べていただろう?」
「おばあしゃま、それはおやつです!」
「ははは!」
張り詰めかけていた空気が、一気に和らいだ。
皆がそれぞれ席につく。
そして――。
「いただきます」
「いただきます!」
いつもより少し人数の増えた神代家の夕食が始まった。
◇
夕食も終わり、皆が思い思いに食後の時間を過ごしていた頃だった。
突然、結衣が勢いよく手を挙げた。
「ハイ、ハイ、ハーーイ!」
「……なんだよ、いきなり」
透が嫌な予感を覚えながら振り向く。
「魔導高速飛行船に、名前をつけたいと思います!」
「「え?」」
食卓を囲んでいた皆が、揃って結衣を見る。
「だって、魔導高速飛行船って可愛くない!」
「可愛くないって……あれ戦闘艦なんだぞ」
透が呆れる。
「そうよ。可愛くないわよね?」
「えーーー」
なぜか透が責められたような声を上げた。
結衣はすぐさま、セリナ、リーファ、ルカの三人へ顔を向ける。
「ほらね、お姉ちゃんたちもそう思うでしょ?」
「……お姉ちゃん」
「お姉ちゃん、ですか」
「えへへ……」
その一言で、三人は揃って妙に嬉しそうな顔になった。
「そうですね」
セリナが微笑む。
「結衣さんは、何か良い名前を考えているのですか?」
「もちろん!」
結衣は胸を張った。
「ブルートリトン号!」
一瞬、皆が黙った。
「ブルートリトン……」
セリナが口の中で確かめるように繰り返す。
「良い響きですね。どんな意味があるんです?」
「えっとね。前に見た、すっごく古いアニメにイルカが出てくるのがあってね――」
「イルカならドルフィンじゃないのか?」
透が横から口を挟む。
「おにぃ、うるさい!」
「えーーー」
再び透が情けない声を上げた。
「まあ、よく分からないけれど」
リーファが楽しそうに笑う。
「私は良いと思うわ」
「うんうん」
ルカは食後のデザートを頬張りながら、何度も頷いた。
「かっこいいと思う!」
パルムは何も言わず、面白そうに結衣を見ている。
ノアも小さく笑っていた。
エリーゼは腕を組んで楽しそうに眺め、隆志と美琴も口元を緩めている。
宗玄に至っては、名前など何でもよさそうな顔をしていた。
明日華だけは、姉の性格をよく知っている。
「ブルートリトン……いいと思います」
静かに頷いた。
大所帯になったため、蒼姫と暁は八咫烏の姿へ戻り、窓辺に並んでくつろいでいる。
そして透の膝の上では、眠そうなラピスが目を半分閉じながら呟いた。
「ぶるーとりとん……」
少し間を置く。
「ぶるーとんとん……」
「ラピス、それ違う!」
結衣の声が響き、食卓に笑いが広がった。
こうして。
千年前の魔導技術を受け継ぎ、再び空へと蘇った高速戦闘艦は――
**《ブルートリトン号》**
と名付けられた。
◇
食事も終わり、皆はそれぞれ思い思いに過ごし始めた。
食器を片づける者。
食後のお茶を楽しむ者。
明後日の準備について話す者。
そんな中、エリーゼがルカへ声をかけた。
「ルカ。ちょっと話がある。一緒に来な」
「なに? おばあしゃま」
「いいから」
エリーゼに促され、ルカは後についていく。
二人が向かったのは、二階のバルコニーだった。
外へ出ると、夜の涼しい風が頬を撫でた。
エリーゼは手すりに寄りかかり、しばらく夜空を眺めてから口を開いた。
「ルカ」
「うん」
「お前の体調が悪い理由だけどね」
ルカの表情が真剣になる。
「分かったの?」
「ああ」
エリーゼは頷いた。
「お前がまだ、真竜に完全に覚醒できていないからだよ」
「……真竜に?」
「ああ。もう体の方は、真竜になる準備を始めているんだろうさ。ところが肝心のお前自身が、まだそこへ追いついていない」
ルカは自分の胸へ手を当てた。
「じゃあ……真竜になれれば?」
「その不調も治るはずさ」
「本当?」
「ああ」
エリーゼは笑う。
「それだけじゃない。真竜になれば、今よりもっと高く、もっと速く飛べる」
「もっと?」
途端にルカの瞳が輝いた。
「ある程度なら、この世界の高度限界を越えて飛ぶことだってできる」
「本当!?」
ルカが身を乗り出す。
「どうしたらなれるの? おばあしゃま!」
「そうさねぇ……」
エリーゼは少し考えたあと、孫娘を見た。
「ルカ。お前は透さんが好きかい?」
「えっ」
ルカの動きが止まった。
「す、好きだよ」
「そうかい」
エリーゼは穏やかに笑った。
「昔、わたしが話してやった騎士と真竜の物語に憧れて、浮かれているだけだとは言わないよ」
「…………」
「でも、まだ足りないんだろうね」
「足りない?」
「ああ」
エリーゼは自分の胸へ手を当てた。
「つながりがさ」
「つながり……」
「命のつながりだよ」
ルカは黙り込んだ。
エリーゼはそんな孫娘の頭を優しく撫でる。
「別に、頑張ってどうにかすることじゃない」
「でも……」
「その瞬間が来れば、お前にも分かるさ」
エリーゼは遠くを見つめた。
「自分の命より、この人を失いたくないと思う時がね」
「…………」
「その時、竜は騎士とつながる」
しばらく沈黙が続いた。
やがてエリーゼは、いつもの調子へ戻った。
「それに真竜になると、飛ぶこと以外にもできることが増える」
「どんなこと?」
「光の衣をまとうことができる」
「光の衣?」
「ああ」
エリーゼは頷いた。
「強力な障壁みたいなものさ。まとっている間は、そう簡単には傷つかない。わたしもあれがあったから、何度もケンを守れた」
その声に、僅かに懐かしさが混じる。
「ケンさんを……」
「ああ。あいつも無茶ばっかりする男だったからねぇ」
エリーゼは苦笑した。
そして、ルカの顔を見てにやりと笑う。
「ただし、一つ問題がある」
「問題?」
「燃費がもっと悪くなる」
「えっ」
「真竜の力ってのは、とにかく腹が減るんだよ」
「…………」
「だから光の衣だって、そう長い時間は維持できないだろうね」
ルカは少し考えた。
「……じゃあ、いっぱい食べればいい?」
「そこかい!」
エリーゼが吹き出した。
「まったく。やっぱりあたしの血筋だねぇ」
「えへへ」
笑ったあと、エリーゼは改めてルカを見た。
「でも、お前ならなれるさ」
「おばあしゃま……」
「あの透って子には、英雄になる資質がある」
そしてルカの胸元を指先で軽く叩く。
「それにお前も、わたしがこれまで見てきた竜人の娘の中じゃ、一番だ」
「一番?」
「ああ」
エリーゼは自信たっぷりに言った。
「わたし以上の、真竜になれる資質を持っている」
ルカは目を見開いた。
「だから焦ることはない」
エリーゼは西の空を見た。
「その時は、きっと近いうちに来る」
「……はい」
ルカは小さく、けれどしっかりと頷いた。
少しして。
「おばあしゃま」
「なんだい?」
「今日、おばあしゃまと一緒に寝てもいい?」
「…………」
エリーゼは呆れたように孫娘を見る。
「しょうがないねぇ」
「やった!」
「いつまでたっても甘えん坊は変わらないね。こんなんで本当に真竜になれるのかねぇ」
「おばあしゃま!」
その時――。
「ブモォォッ!」
バルコニーの下から、白の大きな鳴き声が響いた。
「変わった家だねぇ、ここは」
そう言って笑った。
ルカもつられて笑う。
朝まで沈んでいたその顔には、もういつもの明るさが戻っていた。




