第四十一話 それぞれの一日Ⅱ
魔導高速飛行船の船室。
卓上に広げられた地図を囲んでいたのは、ノーノー、隆志、パルム、そしてセシリアの四人だった。
話題は、目前に迫った魔鋼虫の巣への強行偵察についてである。
「今回の強行偵察じゃが――」
ノーノーが地図から顔を上げ、隆志を見る。
「隆志殿に指揮を執ってもらいたい」
「僕が、ですか?」
「ああ。わしはどうにも学者肌でな。調べることなら得意じゃが、現場で皆を動かすとなると向いとらん」
するとセシリアも頷いた。
「私も賛成です。今回は魔鋼虫に対して、どの程度魔法が有効なのかを確かめたいと思っています。戦闘と観察に集中するとなると、全体の指揮まで見るのは難しいでしょう」
隆志は少し困ったように頭を掻いた。
「分かりました。そもそも、この偵察を言い出したのは僕ですしね」
「決まりじゃな」
ノーノーが満足そうに頷く。
隆志は改めて地図へ目を落とした。
「ではまず、巣のおおよその位置を特定しないといけませんね」
指先で地図をなぞる。
「前回のエルフの里での襲撃。北方都市。そして今回、大部隊と遭遇した地点……」
いくつかの場所を順番に指していく。
「これらを考えると、巣は大地溝帯のどこかにあると考えるのが自然でしょうね」
「わしもそう思う」
ノーノーが頷いた。
「大地溝帯は周囲より魔素が濃い。そこに棲む魔獣も、当然ながら大きな魔核を持つものが多い」
隆志が眉を寄せる。
「つまり……餌が豊富ということですか?」
「そういうことじゃ」
「なるほど……」
隆志は腕を組んだ。
「あれだけの魔鋼虫が移動してきたんです。巣の規模も相当なもののはずです。近くまで行けば、痕跡そのものは見つけられるでしょう」
パルムが地図を覗き込む。
「でも、巣の周りに何もいないってことはないよね?」
「僕もそう思う」
隆志は頷いた。
「まだ群れの一部が残っているなら、巣の入口を守る個体がいる可能性が高いです」
「守護獣、というわけじゃな」
「はい」
隆志は少し考えてから、作戦を組み立てていく。
「まずルカさん、蒼姫さん、暁さんに上空から偵察してもらいます。ただし、巣へ近づきすぎない。あくまで遠距離からです」
「飛行種が出てきた場合は?」
セシリアが尋ねる。
「撃破します」
隆志は即答した。
「そして、飛行種の出現が止まるまで待つ。それが確認できたら、次に地上部隊で巣の入口を守る魔鋼虫を排除します」
指先が、地図上の一点で止まった。
「巣の規模にもよりますが……本当に大地溝帯の魔素が濃い場所に巣があるなら、セシリアさんには高位魔法を使ってもらいたいと思っています」
「よろしいのですか?」
「はい」
セシリアは少し考え、頷いた。
「分かりました。大地溝帯であれば周囲の魔素は十分にあります。通常の土地ほど、魔素枯渇を心配する必要もなさそうですね」
「お願いします」
隆志は続ける。
「入口周辺の安全を確保したら、内部へ偵察隊を入れます」
「誰を行かせるんじゃ?」
「透、結衣、明日華、真白。それからお父さんと、ノアです」
ノーノーが僅かに目を細めた。
その顔ぶれの意味を、すぐに理解したらしい。
「なるほどの」
「このメンバーなら、魔核を持っていません。魔鋼虫の魔核探知には引っかからないはずです」
セシリアも納得したように頷く。
「ノアさんの観測能力があれば、内部で魔鋼虫が近づいてきても、遭遇する前に察知できる可能性がありますね」
「はい。戦うためじゃありません。あくまで、見つからずに調べて帰ってくることを最優先にします」
隆志はそう言うと、脇に置いてあった小さな黒い機械を二つ、卓上へ置いた。
「それと、透と結衣にはこれを持たせます」
「なんじゃ、それは?」
ノーノーが身を乗り出す。
パルムも興味津々で覗き込んだ。
「アクションカメラです」
「あくしょん……かめら?」
「僕たちがいた世界の道具で、見たものを映像として記録できる機械です」
一瞬。
三人が黙った。
「……映像を?」
セシリアが目を丸くする。
「はい。透たちが地下で見たものを、そのまま記録して持ち帰れます」
「なんと……!」
ノーノーが椅子から立ち上がりそうになる。
「そんなものがあるのか!」
「すごい! 見せて、見せて!」
パルムは完全に身を乗り出していた。
「もちろん」
隆志が苦笑しながらカメラを手に取る。
その時、ノーノーがふと表情を戻した。
「しかし隆志殿。地下へ入った者たちと地上との連絡はどうする?」
「そこなんですよね」
隆志は腕を組む。
しばらく考えてから答えた。
「ピクシーたちに協力してもらおうと思っています」
「ピクシーですか」
セシリアが言った。
「ただ……地下となると、どの程度まで共感による通信が届くかは分かりませんね」
「ええ」
隆志も頷いた。
「だから、それも今回調べておきたいんです」
ピクシー同士の通信が地下でも使えるのなら。
今後、魔鋼虫の巣を攻略する際、大きな意味を持つ。
「使えるかどうか分からないから使わない、では何も分かりませんからね」
隆志は小さく笑った。
「とりあえず、やってみましょう。今後の魔鋼虫対策のためにも」
「うむ」
ノーノーが大きく頷いた。
「失敗しても、それが分かれば立派な成果じゃ」
「そうですね」
セシリアも静かに頷く。
パルムはアクションカメラを覗き込みながら、目を輝かせていた。
「ねえ隆志さん。これ……どうなってるの?」
「パルム。その話を始めると作戦会議が終わらなくなるから、後でね」
「えー」
船室に、僅かな笑いが広がった。
だが、今回の偵察にはこれまでとは違う意味がある。
小規模な巣や、魔鋼虫が地下から現れること自体は知られている。
しかし、その内部がどうなっているのか。
どれほどの数が生息し、何をしているのか。
詳しい記録は、ほとんど残されていなかった。
まして、大規模な巣の内部へ偵察隊を送り込み、その様子を映像として持ち帰る試みなど、少なくとも彼らの知る限り前例がない。
倒すためではない。
まず、知るために入る。
これから始まるのは、魔鋼虫の巣への本格的な内部偵察だった。
◇
その頃、冒険者ギルドでは――。
「今回は俺たちは不参加だな」
ガルドが大きな木杯を傾けながら言った。
「ああ。穴の中は苦手だからな。そこは任せるわ」
「それに今回は討伐じゃなくて、探索が目的だからな」
同じ卓を囲む冒険者たちも、それぞれ酒や料理を片手に話している。
「透の家族たちは魔核を持ってねぇからな。こういう時は連中の方が向いてる」
「俺たちは誰でも生活魔法くらいは使えるし、素質がありゃ魔法士にだってなれる。魔核の恩恵はありがたいが……」
男が酒を一口飲んで、肩をすくめた。
「魔鋼虫にとっちゃ、俺たちは好物ってのがなぁ」
「でもよ」
別の冒険者がにやりと笑う。
「ほっといても向こうから寄ってくるんだろ? 獲物を探す手間が省けるって考えりゃ、儲けもんじゃねぇか」
「おうよ!」
ガルドが木杯を上げる
「お前らなぁ……」
バルドが呆れた顔をする。
「あんな化け物に追いかけ回されるのが、そんなに嬉しいのかよ」
「ガルドさんたちは、少しネジが飛んでるんだぜ」
近くにいた若い冒険者が笑った。
「少しどころじゃねぇだろ」
「おいおい」
ガルドが木杯を掲げる。
「褒め言葉と思って受け取っとくぜ」
「褒めてねぇよ!」
どっと笑いが起こった。
木杯が打ち合わされ、酒が飛ぶ。
いつもの冒険者ギルドの夜だった。
だが、しばらくしてガルドは木杯を卓へ置いた。
「……まあ、冗談はここまでだ」
僅かに空気が変わる。
「お前らも、戦う準備だけはしとけよ」
「戦う準備?」
「ああ」
ガルドは周囲を見渡した。
「昔の記録じゃ、あいつらが本格的に現れてから、たった二年で三千万人いた人間が数十万人まで減らされたらしい」
「…………」
今度は誰も笑わなかった。
木杯を持ったまま、皆が息を呑む。
「……そんなにかよ」
「ああ」
「大丈夫なのか?」
誰かが呟いた。
ガルドは一瞬黙ったあと、鼻を鳴らした。
「大丈夫も何も、やるしかねぇだろ」
「だな」
「食うか食われるかってやつだ」
「俺は食わねぇよ」
「誰がお前に魔鋼虫を食えって言った」
「俺らが食われる側だってぇの!」
再び笑いが起きた。
「お前はうまそうだから、真っ先に食われそうだがな」
「ふざけんな!」
「だったら食われねぇように、今のうちに逃げ足鍛えとけ!」
「そいつはいい。明日から走るか!」
「戦う準備じゃなかったのかよ!」
また、大きな笑い声がギルドに響いた。
酒が進む。
誰かが馬鹿な話をして、誰かが笑う。
さっき聞いた三千万人という数字を、忘れようとするように。
彼らだって、怖くないわけではない。
これまで数え切れないほどの魔獣と戦ってきた冒険者たちでも、九百年前に人類を滅亡寸前まで追い込んだ敵と聞けば、不安にならないはずがなかった。
だからこそ、笑う。
飲んで、食べて、くだらない冗談を言う。
明日もいつも通り武器を握れるように。
冒険者ギルドの賑やかな夜は、そんな彼らの胸の内を包み込むように、ゆっくりと更けていった。
◇
夕刻。
神代邸の玄関が、賑やかな声とともに開いた。
「ただいま戻りました」
先頭に立って入ってきた美琴をはじめ、買い物へ出ていた面々は、それぞれ両手いっぱいに大きな袋を抱えていた。
「母さん……」
透は積み上がっていく荷物を見て、少し呆れたように言った。
「こんなに買う必要あったの?」
「あら」
美琴は当然という顔をする。
「うちには大食漢のお嫁さんもいますし、お腹が減ったら、いざという時に力が出ませんから」
「……まあ、それはそうだけど」
誰のことを言っているのかは、聞くまでもない。
明後日には、魔鋼虫の巣を探すための強行偵察へ向かう。
食料はいくらあっても困るものではない。
「そういえば……」
明日華が母を見る。
「お母様も行くのですか?」
美琴はきょとんとした。
「私が行かなくてどうするのです?」
「え?」
「誰が飛行船を操縦するのです?」
そう言って、美琴は胸を張った。
「…………」
誰も何も言わなかった。
母は強し。
「さて」
美琴は皆の沈黙など気にも留めず、ぱん、と手を合わせた。
「夕飯の準備をしますよ」
そして辺りを見回す。
「ルカさんは、まだ戻っていませんか?」
「まだみたい」
透が答える。
その声には、やはり心配そうな響きがあった。
「透さん」
「ん?」
「手伝ってくださいね」
「分かった」
「お義母様、私もお手伝いします」
セリナがごく自然に続いた。
「ではセリナさんは、こちらをお願いします」
「はい」
美琴もごく自然に答える。
セリナ自身も。
美琴も。
どうやら何も気づいていない。
「……ふふふ」
明日華だけが、小さく意味深な笑みを浮かべていた。
「明日華?」
「いえ、何でもありません」
蒼姫と暁は、部屋の出窓に並んで止まっている。
そんなところへ、再び玄関が開いた。
「ただいま」
「ただいまです!」
隆志だった。
その後ろから、パルムが元気よく顔を出す。
「お帰りなさい、隆志さん」
「ただいま、美琴さん」
ほどなくして、外から大きな足音が聞こえてきた。
白に乗った宗玄たちである。
「帰ったぞ」
「ただいまー!」
「ただいまなのじゃ!」
宗玄、結衣、真白も帰ってきた。
いつの間にか、広い神代邸が一気に賑やかになる。
買ってきた食材が運ばれ。
鍋が用意され。
食器が並べられ。
あちらこちらから声が飛び交う。
皆で食べる夕食の準備が始まった。
一方――。
ルカは一人、郊外で西の空を見つめていた。
「…………」
いつもの元気はない。
祖母が来てくれる。
そう聞いてから、ずっと待っていた。
「おばあしゃま……」
ぽつりと呟く。
ずっと心配だった。
自分の体に、いったい何が起きているのか。
食欲も――。
「…………」
もぐ。
ルカの手には、おにぎりが握られていた。
朝、美琴が作ってくれたものだった。
もぐもぐ。
元気はない。
心配でもある。
それでも腹は減る。
「……おいしい」
もう一口。
西の空を眺めながら食べる。
太陽はすでに山の端へ近づき、間もなく陽が落ちようとしていた。
その時だった。
「……!」
ルカが立ち上がった。
遠く。
夕暮れの空。
山と山の間から、何かが姿を現した。
白銀の鱗が、夕日を受けて輝く。
「……おばあしゃま!」
ルカの顔が、一気に明るくなった。
真竜エリーゼ。
人目を避けるため、街道や都市の上空を通らず、グランドワイズ渓谷の山間を縫うように飛んできたのだ。
巨大な白銀の翼が大きく広がる。
風を巻き起こしながら、エリーゼがゆっくりと降りてきた。
「おばあしゃま!」
ルカが駆け出す。
地上へ降りたエリーゼは人の姿へ戻ると、飛び込んできた孫娘をしっかりと受け止めた。
「おっと」
「おばあしゃま……!」
「まったく」
エリーゼはルカの頭を撫でる。
「じゃじゃ馬娘が、ずいぶんしょぼくれちまったもんだねぇ」
「だって……」
「分かってるよ」
エリーゼの声が、少しだけ優しくなる。
「そのために、あたしが来たんだろ?」
「……うん」
ルカは祖母の胸に顔を埋めた。
その傍らでは、小さな二つの影が再会を喜んでいた。
「モモ! お久しぶりなの!」
「ミミ! いらっしゃいなの!」
二人のピクシーが空中で手を取り合い、くるくると回る。
エリーゼはそれを見て笑うと、ふと鼻を動かした。
「……ところで」
屋敷の方を見る。
「なんだい。ずいぶんいい匂いがするじゃないか」
ルカも顔を上げた。
「お義母さんが、もたしてくれたの!」
「そうかい」
エリーゼがにやりと笑う。
「そいつはちょうどいい。あたしも腹ぺこだ」
里をでたときにあった、あの大量なパンと干し肉は・・・
「私も!」
「……あんた、今何か食べてなかったかい?」
「これはおやつ!」
ルカは、食べかけのおにぎりを堂々と掲げた。
「ははは! なんだ以外と元気じゃないかい!」
ルカはエリーゼを伴って神代邸へ足を向けた。




