第十一話 グランドワイズ防衛戦Ⅰ
グランドワイズ関門からの急報が王都へ届いたのは、その日の夕刻だった。
未確認生物の大群接近。
数は不明。
地平線を埋め尽くす規模。
その報せは瞬く間に王城へ届けられた。
◇◇◇
アストレア王城。
円卓の間。
国王アルベルトをはじめ、王国の重鎮たちが集まっていた。
騎士団長オーギュスト。
宰相グランツ。
大神官オルド。
宮廷魔法師長 アストリア最強の魔法師セシリア
そして王女でもある聖女セリナ。
室内には重苦しい空気が漂っていた。
「関門までの距離は約二百キロか」
国王が静かに言う。
「はい」
オーギュストが頷いた。
「仮に突破された場合、王都到達まで数日の猶予しかありません」
「防衛準備を急がせよ」
「すでに開始しております」
王都周辺の防壁強化。
避難計画の策定。
食料備蓄の確認。
騎士団の再編。
できることは全て進められていた。
だが誰もが理解していた。
問題は数ではない。
敵が何者なのか。
それすら分からないのだ。
「神託にあった黒い群れ……」
大神官オルドが呟く。
セリナは唇を噛んだ。
あの日見た光景。
王都を覆う黒い波。
燃え上がる街。
そして絶望。
それが現実になろうとしていた。
◇◇◇
その夜。
王都には静かな不安が広がっていた。
市場は開いている。
酒場も営業している。
人々も日常を続けている。
だが。
誰もが耳を澄ませていた。
関門で何かが起きている。
西から災厄が来る。
そんな噂が広がり始めていた。
◇◇◇
大神殿。
祈りの間。
そこには大勢の市民が集まっていた。
老いた者。
若者。
母親。
幼い子供。
皆が膝をつき祈りを捧げている。
祭壇の前にはセリナがいた。
王女として。
そして神託の巫女として。
「どうか、我らをお導きください」
静かな祈り。
その声に人々も続く。
不安を押し殺すように。
希望へ縋るように。
だが。
神託は降りなかった。
静寂だけが広がる。
セリナは胸の奥に広がる焦りを押し殺した。
災厄は迫っている。
それなのに答えがない。
◇◇◇
一方。
王都東区。
透は借りた家の庭で一人空を見上げていた。
薄暮の空。
夜のない世界。
風が静かに吹いている。
手には天羽乃斬。
無意識に柄を握る。
(俺に何ができる)
関門。
二百キロ先。
災厄。
未知の敵。
もし関門が破られれば王都は危険になる。
セリナも。
ガルドも。
ノーノーも。
皆が戦場へ向かうことになる。
透は目を閉じた。
自分は戦える。
それは分かる。
だが。
何と戦うのかが分からない。
だからこそ。
自分の目で見たかった。
神託が示した災厄を。
◇◇◇
翌朝。
冒険者ギルド。
「行くのか」
ガルドが腕を組む。
「はい」
透は頷いた。
「災厄を見ておきたい」
「俺も同意見だ」
ガルドは不敵に笑った。
セシリアもいる。
ノーノーもいる。
「わしは観察じゃ」
「絶対それだけじゃないですよね」
「もちろんじゃ」
即答だった。
結局、一行は冒険者部隊の一員として関門へ向かうことになった。
◇◇◇
透を背に騎獣のラウルが駆ける。
大地を蹴る。
風が頬を叩く。
透は鞍の上で前を見据えていた。
王都を離れ。
街道を西へ。
さらに西へ。
途中、補給拠点を経由しながら進む。
そして数日後。
一行はグランドワイズ関門へ到着した。
◇◇◇
巨大な城壁。
幾重にも築かれた防壁。
無数の兵士。
騎士。
弓兵。
魔術師。
関門全体が緊張感に包まれていた。
透は城壁の上へ上がる。
そして。
言葉を失った。
数キロ先。
大地が黒かった。
いや。
黒いものが大地を覆っていた。
蠢いている。
揺れている。
波のように。
生き物の群れが。
果てしなく。
赤い光が無数に瞬く。
「目……か」
透が呟く。
ガルドも表情を消していた。
「あれは軍勢じゃない」
軍勢ならまだ理解できる。
だが違う。
あれは生物の群れだった。
◇◇◇
その時だった。
「飛行体接近!」
見張り兵の声が響く。
全員が空を見上げた。
ブォォォォォン――
不快な羽音。
大量だ。
黒い影が空を埋めている。
巨大な蚊。
人ほどの大きさを持つ異形。
黒い外殻。
赤い複眼。
長い口吻。
それが数百。
一直線に関門へ飛来していた。
「迎撃!」
号令が飛ぶ。
矢が放たれる。
魔法が炸裂する。
だが。
「硬い!」
兵士が叫ぶ。
矢が弾かれる。
剣が滑る。
黒い外殻は異様な硬度を持っていた。
モスキート型が防壁へ取り付く。
長い口吻が兵士へ突き刺さった。
「ぐああああ!」
悲鳴。
兵士の身体から淡い光が吸い出される。
「魔素を吸われている!」
セシリアが叫ぶ。
炎槍が放たれた。
一体が焼け落ちる。
だが数が多い。
次々に飛来する。
◇◇◇
透は駆けた。
見える。
線が。
羽の付け根。
腹部。
関節。
そこだけが切れる。
天羽乃斬が閃いた。
一閃。
羽が飛ぶ。
モスキート型が墜落する。
二体。
三体。
四体。
次々と地面へ落ちていく。
ガルドの大剣が叩き潰す。
セシリアの炎が焼く。
騎士たちも続く。
激しい戦いだった。
だが。
先遣隊に過ぎなかった。
◇◇◇
一時間後。
最後のモスキート型が地面へ落ちた。
歓声は上がらない。
防壁の上には倒れた兵士たちがいた。
魔素を吸われ衰弱した者。
命を落とした者。
負傷者は少なくない。
たった数百。
それだけでこの被害だった。
「助かった」
「終わったのか」
「これが災厄……」
透は呟く。
その時。
地面が震えた。
ドン。
ドン。
ドドドドドドドド――
遠雷のような音。
いや違う。
足音だ。
誰かが震える声で言った。
「あれを見ろ……」
全員の視線が西へ向く。
黒い大地。
その正体が見え始めていた。
無数の脚。
無数の複眼。
無数の黒い外殻。
地平線の果てまで続く大群。
その中心には。
周囲よりも巨大な影がいくつも見えた。
兵士の一人が膝をつく。
「なんだ……あれは……」
誰も答えられない。
ただ一人。
ノーノーだけが顔色を失っていた。
「まさか……」
大賢者の声が震える。
「古文書にあった黒き災いとは……」
黒い海が迫る。
千年前。
パンゲア中央を滅ぼした災厄。
その名を知る者は、まだここにはいなかった。
だが。
誰もが理解していた。
これこそが。
世界を滅ぼす敵なのだと。
――続く。




