第三十七話 足下
午餐が終わり、食器が片づけられると、大広間の空気が少しずつ変わっていった。
先ほどまで響いていた笑い声は消え、長いテーブルの上には新たに地図や書類が並べられていく。
午後から行われるのは、今後の魔鋼虫対策についての事前会議だった。
本格的な軍議を開く前に、今回の戦闘で得られた情報を整理し、何を検討すべきなのか、そのたたき台を作るための会議である。
参加者は国王、宰相、騎士団長オーギュスト、宮廷魔法師団を代表してセシリア、大賢者ノーノー。そして神代家から隆志。
魔導飛行船について説明するため、パルムもオブザーバーとして席についている。
さらに、二度にわたって指令種と思われる個体を討ち取った透も参加することになった。
全員が席についたところで、国王がオーギュストを見る。
「では、まず今回の戦闘について報告を頼む」
「はっ」
オーギュストが立ち上がった。手元の書類を開き、全員を見渡す。
「今回確認された魔鋼虫の総数ですが、小型種三百二十四体、飛行種四十五体、大型種十二体。そして指令獣と思われる特殊個体が一体です」
改めて数字として示されると、透は思わず眉を寄せた。
戦場では数える余裕などなかった。だが、こうして聞けば相当な数だ。
「確認された魔鋼虫については、すべて討伐を完了しています」
オーギュストは続ける。
「対して、こちら側の被害は軽微でした。幸い死者はありません」
国王がほっと息を吐いた。
「それは何よりだ」
「はい」
そこでオーギュストの口元がわずかに緩んだ。
「最も重傷だったのは……宗玄殿の従える魔獣に蹴飛ばされた兵士でしょうか」
一瞬、部屋が静かになった。
「……味方にか?」
国王が聞く。
「はい」
「白に?」
透が思わず口を挟む。
「戦闘中、近づきすぎたようです」
オーギュストが苦笑した。
「本人も『俺が悪かった』と言っております」
セシリアが額を押さえる。
「災害級の魔獣の後ろに近づく奴があるか」
「命があっただけ運が良かったでしょうな」
宰相が呟く。
重かった空気が少しだけ緩んだ。
オーギュストは表情を戻す。
「今回、味方の被害をここまで抑えられた最大の理由は、前回の戦闘を基に開発した武器と戦術が有効に機能したことでしょう」
机上の資料へ目を落とす。
「ノーノー殿、セシリア殿をはじめ、武器工房、魔法師団、騎士団、そして戦闘に参加した各部隊の尽力が大きかったと考えています」
ノーノーが静かに頷いた。
「ただし」
オーギュストの声が低くなる。
「問題も残っています」
全員の視線が集まる。
「大型種に対して、我々はいまだ決定的な対抗手段を持っていません」
透も昨日の光景を思い出した。
小型種とは比較にならないほど厚い外殻。巨体。まともに受ければ、騎士でさえひとたまりもない。
「さらに指令獣については、現時点では透殿が唯一、確実に討ち取ることのできる戦力となっています」
「俺が……」
透が小さく呟いた。
「これは非常に危険な状態です」
オーギュストは透を責めるのではなく、淡々と事実として述べた。
「透殿一人に依存した戦術は、軍として成り立ちません。今回の戦闘を糧に、さらなる対抗策を確立する必要があります」
国王が頷く。
「その通りだ」
そして隣に座るノーノーを見る。
「大賢者殿。西方から持ち帰った資料について聞かせてもらえるか」
「うむ」
ノーノーが立ち上がった。
「今回の西方諸都市への旅で、我々はドワーフの里において、旧パンゲア共和連邦時代の魔導飛行船を発見した」
パルムが小さく姿勢を正す。
「ドワーフ側から、この船を我々に提供するとの申し出を受けている」
「ありがたい話ですな」
宰相が言う。
「うむ。それだけではない」
ノーノーはテーブル上に一枚の紙を広げた。
「船内には、当時の資料が多数残されていた」
全員が身を乗り出す。
「この船は貨物船ではない。魔鋼虫との戦いを想定して造られた戦闘艦だ」
「戦闘艦……」
国王が呟く。
「資料には、魔鋼虫の種類、特徴、危険性。そして各地に確認されたコロニーについての記録がある」
さらに別の地図を広げる。
「そして、これが北パンゲアの詳細な地図だ」
現在アストレアが持つ地図とは比較にならないほど細かい。
都市。街道。山脈。河川。そして各地に記された印。
「この印が?」
オーギュストが尋ねる。
「巨大コロニーが確認されていた場所だ」
部屋の空気が再び重くなる。
「それと、もう一つ重要な資料がある」
ノーノーはしばらく言葉を選んだ。
「パンゲア歴二〇八九年当時の都市生存状況だ」
「二〇八九年……」
「今からおよそ九百年前になる」
ノーノーが地図上を指でなぞる。
「旧パンゲア共和連邦の中枢地域には、首都とその周辺に十二の主要都市が存在していた」
指が止まる。
「だが、二〇八九年の時点で生き残っていた主要勢力は、首都西方のアストレア公国と、東方のエスクーラ共和国のみだった」
「アストレアとな。我が国と関わりがあるのか、まあいい……それよりも、二つだけか?」
国王が低い声で聞いた。
「そうなのだ」
誰も言葉を発しない。
「艦長の日記と航海日誌も残されていた。それによれば――」
ノーノーは資料へ目を落とした。
「魔鋼虫が最初に現れたのは、パンゲア歴二〇〇〇年」
そこで一度言葉を切る。
「旧パンゲアの首都では、建国二千年を祝う祭典が開かれていた」
隆志が静かに聞いている。
「その最中、首都の地下から魔鋼虫が出現した」
「地下……?」
オーギュストが僅かに眉を動かした。
「記録ではそうなっている」
ノーノーが続ける。
「そして、それからわずか二年」
地図上にある都市を一つずつ指していく。
「首都と、その周辺十二都市のうち十都市が壊滅した」
「二年……」
宰相が息を呑んだ。国王も言葉を失っていた。
「旧パンゲア共和連邦は、最盛期には三千万人を超える人口を抱えていたとされる」
「三千万人……」
透には、その数字の大きさを想像することすら難しかった。
「それが、たった二年で……」
国王が呟く。
ノーノーは頷いた。
「初期の混乱時に首都圏から脱出できた者は、ごく僅かだったようだ。その後、魔鋼虫は各地に巨大なコロニーを形成し、活動を急速に低下させていった」
「休眠期に入った?」
セシリアが言う。
「そう考えられていたようだ」
ノーノーは資料をめくる。
「生き延びた人々は、その休眠期の間に生活圏を取り戻していった。二〇八九年頃には、およそ二十万人程度まで人口が回復していたらしい」
「それでも三千万人から二十万人か……」
宰相が顔を曇らせる。
「初期に研究機関や工房、行政機構の大半を失ったことで、かつての技術を維持することはできなかった」
ノーノーがパルムを見る。
「魔導飛行船も数隻を残すのみとなり、確認できる限りでは、この船が最後まで残された唯一の戦闘艦だったようだ」
パルムが唇を結んだ。
「そして航海日誌の最後には、こうある」
全員がノーノーを見る。
「飛行種との遭遇戦によって船体が損傷。大地溝帯を越えた後、山岳地帯へ不時着」
「それが、ドワーフの里に残されていた船か」
「そういうことになる」
国王が椅子の背にもたれた。
「……恐ろしい話だな」
「ああ」
ノーノーが頷く。
「だが、まだ資料の解析は始まったばかりだ。ハイエルフの古老たちにも当時の伝承を確認し、記録との照合を行いたい」
「頼む」
「ある程度まとまり次第、正式な報告書を作成する」
しばらく沈黙が続いた。
やがて国王が口を開いた。
「ノーノー殿」
「なんじゃ」
「その休眠期というものについて、どう考える?」
ノーノーは腕を組んだ。
「正直に言えば、なんとも言えん」
「やはりか」
「魔鋼虫そのものが、我々にとって未知の生物じゃ。なぜ活動が低下したのか。何をきっかけに再び動き始めるのか。それすら分かっておらん」
その時だった。
「少し、意見を申し上げてもよろしいでしょうか」
隆志だった。
「もちろんだ」
国王がすぐに頷く。
「むしろ聞いてみたい。異世界から来た隆志殿が、これをどう見るのか」
「ありがとうございます」
隆志は少し考えながら話し始めた。
「僕たちの世界には、昆虫と呼ばれる生き物が身近に存在しています」
「昆虫?」
「はい」
「魔鋼虫と同じものなのか?」
「いいえ。同じではありません。ただ……」
隆志はノーノーが広げた資料を見る。
「どうしても似ているように感じるんです」
隆志は指を組んだ。
「昆虫の中には、一匹ずつ単独で生活するものもいれば、大きな集団を作って暮らすものもいます」
「集団?」
「例えば、蟻や蜂などです」
隆志はできるだけ分かりやすく説明する。
「一つの巣に非常に多くの個体が生活していて、それぞれ役割が違います。餌を集めるもの。巣を守るもの。新しい場所を探すもの。そして繁殖を担うもの」
オーギュストの目が細くなる。
「役割ごとに姿が違うこともあります」
「小型種、飛行種、大型種……」
セシリアが呟いた。
「そうです」
隆志が頷く。
「もちろん、魔鋼虫が同じ生態だと言っているわけではありません。ただ、少なくとも似た性質を持っている可能性はあると思います」
「では、指令獣は?」
透が聞く。
「それは分からない」
隆志は首を振った。
「群れを統率する個体なのか、それとも別の役割があるのか。ただ……透が指令獣を倒した後、群れの動きに変化があったんだろう?」
「あったと思う」
透が頷く。
「明らかに統制が崩れた」
「なら、何らかの情報伝達を担っている可能性はある」
ノーノーが顎に手を当てた。
「なるほど……」
「それと、もう一つ」
隆志が地図を見る。
「昆虫の中には、季節や環境によって活動を大きく変えるものもいます」
「休眠か」
「はい」
隆志が頷いた。
「冬眠とは少し違いますが、気温や食料などの条件が悪くなると活動を止めるものもいる。逆に条件が整えば再び活動する」
「つまり、魔鋼虫の休眠にも何か理由があるかもしれない、と?」
「可能性の一つです」
隆志は言葉を慎重に選んだ。
「ただ、それより僕が気になるのは別のことです」
部屋が静かになる。
「今回討伐した魔鋼虫。その前にアストレアを襲った群れ。ハイエルフの里へ現れた魔鋼虫。そして、北方都市で確認された飛行種」
隆志はそこで一度言葉を切った。
「彼らは一体、どこから来たのでしょうか」
誰も答えなかった。
「巨大なコロニーの尖塔がある。その記録に、どうしても目が向きます」
隆志はノーノーの広げた古い地図に指を置く。
「ですが――」
視線を上げる。
「巣の本体が、あの尖塔そのものだと誰が決めたのでしょう」
「……何?」
国王が聞き返す。
「僕たちの世界の蟻や白蟻の巣は、地上に見えている部分より、地下に広がっている部分の方が大きい場合があります」
セシリアの顔から表情が消えた。ノーノーも目を見開いている。
「旧パンゲアの記録では、最初の魔鋼虫は――」
隆志が静かに言う。
「首都の地下から現れた」
「……」
「だとしたら」
隆志の声だけが部屋に響く。
「今でも、この大地の地下に――」
一拍。
「魔鋼虫の巣が存在しているのではないでしょうか」
静寂。
誰も言葉を発しない。
国王がゆっくりと視線を下げた。
宰相も。オーギュストも。セシリアも。パルムも。そして透も。
厚い石床。
その下。
さらに、その下。
自分たちが立っている大地の奥深くへ。
誰もが思わず足元を見た。
もし。
本当に。
この大地の下に、九百年前から魔鋼虫の巣が眠っているのだとしたら――。
今まで自分たちが戦っていたものは。
地上へ這い出してきた、ほんの一部に過ぎないのかもしれない。




