第三十六話 王城にて
――その頃。
王都の冒険者ギルドでは、すでに酒が回り始めていた。
「紹介するぜ。獣牙族のライガだ」
ガルドが隣に立つライガの肩を軽く叩く。
「よろしくな」
ライガが片手を上げると、向かいに座っていたギルド長が目を丸くした。
「おいおい。珍しいな。獣牙族なんて、このギルドじゃ初めてだぞ」
「だろうな」
ライガは笑った。
「あたしらも、こっちまで来ることはほとんどねぇからな」
「西方へ旅してきたんだと?」
「ああ」
ガルドが酒杯を傾ける。
「砂漠越えはきつかったが、向こうは面白いぜ。まだまだ見たことのねぇもんが山ほどある」
「そうか」
ギルド長が興味深そうに身を乗り出した。
「向こうにも冒険者ギルドはあるのか?」
「あるにはあるぜ」
ライガが答える。
「こっちみたいに大きな組織にはなってねぇけどな。町ごとに冒険者が集まる場所があるって感じだ」
「なるほどな……」
ギルド長は顎に手を当てた。
「それなら、一度こちらから出向いてみる必要がありそうだな」
「いいんじゃねぇか?」
ガルドが笑う。
「その時はライガ、案内頼むぜ」
「ああ。構わねぇよ」
ライガも酒杯を持ち上げる。
「向こうは向こうで面白ぇ魔獣も多いからな」
「ほう」
「それとな」
ライガがにやりと笑う。
「酒がいい」
「それは大事だな!」
ギルド長が即座に食いついた。
ガルドが大きく頷く。
「ライガんとこの酒は最高だぜ」
「そりゃそうだ」
ライガが胸を張った。
「うちの酒は西域一だからな!」
「言うじゃねぇか!」
「本当のことだからな!」
三人が笑う。
周囲の冒険者たちまで会話に加わり、いつしか卓の周りには人が集まっていた。
しばらく西方の話で盛り上がっていたが、やがてギルド長が声を少し落とした。
「ところで」
「ん?」
「また、魔鋼虫って奴が出たんだろ?」
ガルドの表情が僅かに変わる。
「ああ」
「うちからも上位冒険者が何人か駆り出された」
ギルド長が酒杯を置く。
「実際のところ、どうだった?」
「……ありゃ、まずいな」
ガルドは迷わず答えた。
「前に戦った奴らも硬かったが、相変わらずとんでもなく硬ぇ。並の攻撃じゃ、まともに通りゃしねぇ」
騒がしかった周囲の冒険者たちも、少しずつ静かになる。
「今回も結局、透が親玉をぶった斬ったから何とかなったようなもんだ」
「神代透か」
「ああ」
ガルドは酒を一口飲んだ。
「だが今回は、それだけじゃねぇ」
「何かあったのか?」
「そういや聞いたぞ」
別の冒険者が口を挟んだ。
「災害級のサンダーギアスを連れて帰ってきたって、城門で大騒ぎだったらしいじゃねぇか」
「ああ、それな」
ガルドが笑い出す。
「透のじいさんってのが、これまた半端じゃねぇんだ」
「じいさん?」
「そうだ」
ライガまで苦笑した。
「あたしもこの目で見たが、とんでもねぇじいさんだぞ」
「何したんだよ?」
「サンダーギアスに乗ってな」
ガルドが身振りを交える。
「そのまま魔鋼虫の群れに突っ込んでいった」
「……は?」
「透が持ってる刀と同じような刀を振り回してな」
ガルドは酒杯を持った手で、横薙ぎに振る真似をした。
「一振りだ」
「一振り?」
「ああ。一振りで、十体近くまとめて薙ぎ払いやがった」
「嘘つけ!」
「本当だって!」
「斬撃が飛ぶんだぜ!」
「斬撃が!?」
ギルド長が思わず立ち上がる。
「そんな技、聞いたことねぇぞ!」
「あたしも見た」
ライガが真顔で頷く。
「だから嘘じゃねぇ。ありゃ、ほんとにとんでもねぇじいさんだ」
「しかもよ」
ガルドが続ける。
「そのサンダーギアス、どうしたんだって聞いたら――」
一拍置く。
「『拾ってきた』だと」
「…………」
ギルド長が黙った。
周りの冒険者たちも黙った。
「災害級を?」
「ああ」
「拾った?」
「ああ」
「……どこで拾うんだよ」
「知らねぇよ!」
どっと笑いが起きた。
「そりゃ頼もしいな」
ギルド長も腹を抱えて笑いながら言う。
「一度会わせてくれよ、そのじいさんに」
「いいぜ」
ガルドがにやりと笑う。
「サンダーギアスともどもな」
「それは勘弁してくれ」
ギルド長は即答した。
「あんなもん怒らせたら、このギルドなんかひとたまりもねぇ」
「違ぇねぇ!」
再び大きな笑い声が上がった。
「ほら、飲め飲め!」
「今日は帰還祝いだ!」
「ライガ、西方の酒の話もっと聞かせろ!」
「いいぜ。その代わり、こっちの酒も全部試させろよ!」
「望むところだ!」
酒杯が打ち鳴らされる。
勝利の報せは、王城だけではない。
こうして王都のあちこちへ、少しずつ広がり始めていた。
◇
翌朝。
「おんぶ」
小さな両手をいっぱいに伸ばして、ラピスが透を見上げた。
「朝からか?」
「おんぶ」
「はいはい」
透が背を向けてしゃがむと、ラピスは嬉しそうに飛びついた。
ぴたっ。
小さな身体が背中に張りつく。
銀色の尻尾が、機嫌よさそうに揺れた。
その様子を見ていた美琴が、くすりと笑う。
「お兄ちゃんは大変ねぇ」
「母さん、他人事だと思ってるだろ」
「あら。とても似合っていますよ」
「何が?」
「お兄ちゃんが」
「意味分かんないよ」
そんなやり取りをしながら、透はラピスを背負ったまま食堂へ向かった。
昨日の夜は、それはもう大騒ぎだった。
突然、人の姿になったラピスを中心に、神代家は大盛り上がり。
結衣と明日華はすっかり姉気分になり、真白も負けじと「真白がお姉ちゃんなのじゃ」と胸を張った。
セリナとリーファまで自分の名前を呼ばせようと、何度もラピスに話しかけていた。
そして宗玄はというと。
「じいじじゃ。ラピス、じいじと言ってみろ」
「じぃじ」
「おおおおおお!」
それだけで一晩中ご機嫌だった。
完全に孫が一人増えたと思っているらしい。
「いただきます」
皆で手を合わせる。
透が席につくと、背中にいたラピスがするりと降りた。
そして。
よじ。
よじよじ。
当然のように透の膝へ登ってくる。
「おい」
ラピスは透の膝の上にちょこんと収まると、目の前の料理を見た。
「ごはん」
「自分で食べられるだろ?」
「ごはん」
「昨日食べてたよな?」
「ごはん」
透がじっと見つめる。
ラピスもじっと見つめ返す。
「……分かったよ」
「えへ」
確信犯である。
あざといラピスであった。
「おかわりお願いします!」
すぐ隣から元気な声が飛ぶ。
「ルカ、まだ食べ始めたばかりでしょう」
リーファが呆れたように言う。
「もう食べました!」
「早いわよ」
「いっぱい食べないと力が出ませんから!」
「今朝は戦わないでしょう」
「いつ戦うか分かりません!」
「そういう問題じゃないと思うけど……」
ノアが小さく呟いた。
今朝も平和だった。
ひとしきり朝食が進んだところで、隆志が皆を見回した。
「今日は王城へ行きますよ。食べ終わったら準備してくださいね」
「王城?」
パルムがぱちぱちと瞬きをする。
「僕も?」
「もちろんです」
隆志が頷いた。
「でも僕、正装とか持ってないよ」
「ああ、それなら」
美琴がパルムを見た。
「結衣ちゃんのワンピースを少し詰めれば、ちょうど良いかもしれませんね」
「僕がワンピース?」
パルムが自分の服を見る。
「嫌ですか?」
「ううん。そういうの着たことないから」
「では、お食事が終わったら合わせてみましょう」
「お願いします」
パルムが少し照れくさそうに頭を下げた。
「セリナさん」
結衣が向かい側を見る。
「みんなで行くの?」
「ええ」
セリナが頷いた。
「今回の魔鋼虫撃退の功労者ですから。お父様――国王陛下から、是非皆さんで来てほしいと」
「そっか」
「では、皆で行きましょう」
美琴がまとめる。
「はい」
その時、宗玄が窓の外を見た。
庭では白が、朝から元気よく草を食べている。
「……白はどうするかの」
「王城へ連れて行くんですか?」
隆志が嫌な予感のする顔で聞く。
「いや」
宗玄は少し考えた。
「今日は庭の草刈りを任せておくか」
「草刈り……」
透が窓の外を見る。
むしゃ。
むしゃむしゃ。
確かに、昨日より庭が広くなっている。
「ブモォ」
白が満足そうに鼻を鳴らした。
「……優秀ですね」
明日華が真顔で言った。
「うむ。よく働く」
宗玄も満足そうに頷く。
「そこ褒めるところなのかな」
結衣が首を傾げた。
笑い声が朝の食堂に広がった。
◇
朝食を終え、それぞれ王城へ向かう準備を整えた頃。
王城ではすでに、昨日から戻っていたノーノーが動き始めていた。
アストレア王国の大賢者であるノーノーには、王城内に専用の私室が与えられている。
昨夜は神代家の屋敷へは戻らず、そのまま王城の私室で一夜を過ごしていた。
今回持ち帰った資料。
魔導飛行船。
そして、再び姿を現した魔鋼虫。
確認しなければならないことはいくらでもある。
だが、それは今日一日で終わるような話でもなかった。
◇
やがて神代家の一行が王城へ到着した。
先頭を歩くのはセリナだ。
「こちらです」
セリナに案内され、一行は王城の大広間へ通された。
広間の中央には大きな長テーブルが用意されている。
すでに国王と王妃をはじめ、ノーノー、ガルド、ライガ、バルド、騎士団長オーギュスト、セシリアらが席についていた。
神代家の者たちは王国の臣下ではない。
これまで何度もアストレアを救ってきた恩人として、正式な来賓扱いである。
そのため席次にも堅苦しい上下はなく、互いに顔を見ながら話のできる配置になっていた。
飲み物と軽い菓子や果物も用意されている。
全員が席につくのを待って、国王が立ち上がった。
「まずは皆さん、昨日は本当にありがとうございました」
深く頭を下げる。
「皆さんの活躍のおかげで、今回も魔鋼虫を退けることができました。王国を預かる者として、心より感謝します」
「お父様」
セリナが少し困ったように笑う。
「そんなに畏まると、透様たちが困ってしまいます」
「そうか?」
「そうです」
国王は透たちを見る。
透は案の定、どう反応していいのか分からない顔をしていた。
「……では、座って話すとしよう」
国王は笑って席へ戻った。
「聞きたいことはいくつもありますが、それは後ほど。今日はまず、皆さんゆっくりしてください」
アストレアは大国ではない。
そのためか、国王自身も必要以上に権威を振りかざす人物ではなかった。
何より、セリナの父親である。
王女と普段通りに接している透たちにとっても、その方がありがたかった。
「それでは」
セリナが立ち上がる。
「今回、新しくこちらへ来られた方もいらっしゃいますので、ご紹介しますね」
まず隆志を見る。
「こちらは透様のお父様、神代隆志様です」
「神代隆志です。よろしくお願いいたします」
隆志が丁寧に頭を下げる。
「そして、お母様の美琴様」
「神代美琴です。いつも透たちがお世話になっております」
「いえいえ」
国王が笑う。
「こちらこそ、ご子息には世話になりっぱなしです」
次に暁。
そしてパルム。
「パルムです。魔導飛行船の機関関係を担当しています」
「君が?」
国王が少し驚く。
「はい。僕、こう見えても機関士です」
借りたワンピース姿が少々落ち着かないらしく、パルムは照れくさそうに笑った。
そして。
「こちらがルクシェリア・ファフニール様。竜人族の族長トルクス様のご息女です」
「ルカです!」
ルカが元気よく頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
国王が微笑む。
ところがルカは、そのまま続けた。
「それと、透様のお嫁さんになります!」
「え?」
国王が止まった。
王妃も止まった。
広間が静かになる。
透が頭を抱えた。
「ルカ……」
「はい?」
「それ、今ここで言うのか?」
「大事なことですから!」
王妃が透を見る。
次にセリナを見る。
そしてもう一度ルカを見る。
「……セリナ?」
「お母様、私に聞かないでください」
セリナが遠い目をした。
美琴がにこやかに口を挟む。
「まだ仮です」
「母さん!」
「あら、違いました?」
「仮っていう言い方もおかしいだろ!」
国王が堪えきれず笑い出した。
「ははは! なるほど。透殿の周りは相変わらず賑やかなようだ」
王妃だけは何とも言えない顔で娘を見ていた。
セリナはそっと視線を逸らした。
◇
ひと通り紹介が終わると、話題は昨日の戦闘へ移った。
当然、その中でも話題になったのは宗玄である。
「神代宗玄殿」
オーギュストが苦笑する。
「昨日のご活躍は、私も報告を受けています」
「そうかの」
宗玄は平然としている。
「サンダーギアスに騎乗したまま、魔鋼虫の群れへ単騎で突入されたとか」
「うむ」
「そして一撃で複数の魔鋼虫を……」
「飛燕じゃな」
宗玄は茶を一口飲む。
「大したことではない」
「いや、大したことです」
オーギュストは即答した。
ガルドが笑う。
「俺も見てたが、とんでもなかったぜ」
「あたしもだ」
ライガも頷く。
「あんなじいさん、そうそういねぇよ」
「じいさんとは何じゃ」
「じいさんだろ」
「七十七など、まだ若いわ」
「どこがだよ」
笑いが起きる。
「それに」
国王が言う。
「あのサンダーギアスも宗玄殿が従えたと聞きましたが」
「ああ。白か」
「白?」
「名前じゃ」
「……あの災害級の魔獣の?」
「うむ。拾った」
「拾った……」
国王が黙る。
王妃も黙る。
「お父様」
セリナが小声で言った。
「深く考えない方がよろしいかと」
「……そうだな」
国王は素直に頷いた。
◇
歓談が一段落したところで、宰相が立ち上がった。
「さて、ここからは王国として、皆様への正式な謝意をお伝えしたいと思います」
空気が少しだけ改まる。
「今回の戦いだけでなく、これまで神代透殿をはじめ皆様には、我が国が幾度となく助けられております」
宰相は透を見る。
「そこで国王陛下とも相談の上、まず現在皆様にお貸ししている王都の屋敷を、正式に神代透殿へ贈ることといたしました」
「え?」
透が目を瞬いた。
「家を?」
「はい」
「いや、でも……」
「遠慮はいりません」
国王が笑う。
「あの屋敷はもう、皆さんの家でしょう?」
透は言葉に詰まった。
昨日、帰ってきた時に感じた安堵を思い出す。
「……ありがとうございます」
頭を下げた。
「大切に使わせてもらいます」
「そうしていただければ十分です」
さらに今回の戦功に対し、騎士勲章と報奨金。
参加した者たちにも、それぞれの功績に応じた褒賞が与えられることになった。
「僕もですか?」
パルムが驚く。
「もちろんです」
宰相が頷く。
「魔導飛行船がなければ、今回の救援は間に合わなかった可能性が高い」
「……そっか」
パルムは少し照れながら、それでも嬉しそうに笑った。
ルカ。
ライガ。
ガルド。
セシリア。
そして戦場で働いた者たち。
戦う者だけではない。
飛行船を動かした者。
治療に当たった者。
情報を集めた者。
それぞれの働きがあってこその勝利だった。
◇
今回出現した魔鋼虫については、確認された群れを撃退できた。
そのため、この日の席では今後の作戦について深く踏み込むことはしなかった。
詳しい検討は、持ち帰った資料の解析を進めてから改めて行う。
今日くらいは勝利を喜ぼう。
そういう空気だった。
やがて軽食が片づけられ、少し早めの午餐が運び込まれた。
「おかわりお願いします!」
真っ先にルカの声が響く。
「ルカさん、まだ皆さん食べ始めたばかりですよ」
美琴が笑う。
「美味しいので!」
「それは何よりです」
王妃も笑った。
その隣では、ラピスが透の膝の上に当然のように収まっている。
「ごはん」
「またかよ」
「ごはん」
透が料理を小さくして口へ運ぶ。
宗玄がそれを見ながら満足そうに頷いている。
「うむうむ」
「じいちゃん、何だよ」
「よい兄になったものじゃ」
「何の話だよ」
国王夫妻が顔を見合わせた。
王妃が小さく笑う。
「……本当に賑やかなご家族ですね」
「ええ」
セリナも笑った。
「とても」
戦いの翌日とは思えないほど、穏やかな昼だった。
笑い声が絶えることなく、午餐は続いた。
そして食事を終える頃には、昨日まで張りつめていた空気も、ようやく少しずつ解けていた。
この日はそのまま解散となった。
次に集まる時には、今度こそ魔鋼虫との戦いを終わらせるための話をすることになる。
だが今だけは。
勝って帰ってきたことを、皆で喜んでいてよかった。




