第三十二話 激突
かつてグランドワイズへ侵攻した魔鋼虫の群れ。
その群れは、透によって指令獣を討たれたことで統制を失い、散り散りとなって大地溝帯へと逃げ込んでいた。
だが――滅びたわけではなかった。
深い谷と荒れ果てた大地。人の目が届かぬその場所で、魔鋼虫たちは生き続けていた。
周囲に棲む魔獣を襲い、その肉を喰らう。
そして何より――魔核を喰らった。
一つ。また一つ。
魔獣が倒れるたび、その体内にある魔核が魔鋼虫へ取り込まれていく。
やがて周辺から魔獣の姿が消えた。それでも魔鋼虫たちは増え続けた。
群れの中から新たな個体が生まれ、その中には再び群れを統率する指令獣も現れた。
散り散りだった魔鋼虫は、再び一つの巨大な群れとなっていった。
そして――。
餌がなくなった。
魔鋼虫の群れが動き始める。
大地溝帯を這い上がり、荒れ地を埋め尽くしながら南東へ。
その先にあるものを、彼らは知っていた。
大量の魔核。
かつて襲った場所には、それがあった。
魔鋼虫に国という概念はない。人族も、エルフも、ドワーフも知らない。
敵も味方もない。
ただ――魔核を持つ生き物がいる。
それだけだった。
ゆえに群れは進む。
喰らうために。
◇
そして。
彼らは感じ取った。
前方から近づいてくる――大量の魔核を。
二千を超える命。その一つ一つが、体内に魔核を宿している。
もし魔鋼虫に人と同じ感情があったなら。
もし歓喜というものを知っていたなら。
その瞬間、群れは歓喜していたことだろう。
餌が向こうからやって来る。
しかも大量に。
武器を持っていようと、鎧を身につけていようと、魔法を使おうと。
そんなことは関係ない。
魔鋼虫にとって――魔核は、魔核なのだ。
大切な餌。
生きるために必要なもの。
群れの動きが変わった。
無数の脚が大地を掻く。
ギチギチと甲殻が擦れ合う音が重なり、荒れ地に異様な響きが広がっていく。
飛行種が次々と空へ舞い上がる。大型種が地響きを立てながら前へ出る。
その間を、小型の魔鋼虫たちが埋め尽くしていった。
黒い波。
それは、まるで大地そのものが動き出したかのようだった。
◇
一方――。
「来たぞ!」
アストレア軍前方から声が上がった。
騎士団長オーギュストが騎獣の上から前方を睨む。
荒れ地の向こう。
地平を覆うような黒い影が見え始めていた。
最初は小さな染みだった。それが見る間に広がっていく。
やがて地面を這う無数の影が、一匹一匹の魔鋼虫であることが分かった。
誰かが息を呑んだ。
以前、奴らを見た兵士たちは知っている。
初めて見る兵士たちにも分かった。
あれが――。
九百年前、人類を滅亡寸前まで追い込んだ存在。
魔鋼虫。
「全軍、停止!」
オーギュストの号令が響いた。
伝令が一斉に走る。
「防御部隊、前へ!」
「バリスタ隊、配置!」
「魔導爆裂砲、展開!」
兵たちが動く。
訓練してきた通りに。
巨大な軍勢が、次々と戦闘陣形へ組み替えられていった。
車輪を止め、小型バリスタが固定される。魔核魔導砲の砲口が前方へ向けられる。
魔法師たちが杖を構えた。
騎士たちは特殊エストックを抜く。
両翼では騎獣部隊が動き始める。
そして後方では、救護部隊が負傷者を受け入れる準備を始めていた。
オーギュストは剣を抜いた。
迫ってくる黒い群れを見る。
向こうに退くという考えはない。
こちらにも――退く場所はない。
彼らの背後にはアストレアがある。
家族がいる。
守らなければならない人々がいる。
「構えろ!」
剣が振り上げられた。
魔鋼虫の群れが速度を上げる。
大地が震える。空を飛行種が覆い始める。
人は生きるために。
魔鋼虫は喰らうために。
互いに決して相容れることのない二つの群れが――。
ついに激突した。
◇
「結界!」
上空を見張っていた兵士の声が響いた。
飛行種が来る。
黒い影が次々と空へ舞い上がり、一直線にアストレア軍へ向かってきた。
それを確認した魔法師たちが、一斉に杖を掲げる。
「展開!」
淡い光が広がった。
幾重もの魔力が重なり合い、軍の前方から上空を覆う巨大な結界を作り上げる。
直後――。
ガシャーン!
最初の一匹が結界へ激突した。
続いて、
ガンッ!
ガツン!
ガシャッ!
次から次へと飛行種が結界へ突っ込んでくる。
だが、結界は破れない。
勢いを殺された飛行種が弾かれ、地面へと落下していった。
「今だ! 騎獣隊!」
「おおっ!」
待機していた騎獣部隊が一斉に駆け出す。
正面からではない。
結界の左右を大きく回り込み、地面へ落ちた飛行種を狙う。
飛行種は空を飛ぶためか、他の魔鋼虫ほど外殻が厚くない。
「そこだ!」
騎獣の速度をそのまま乗せて、騎士の槍が一匹を貫いた。
別の騎士が剣を振り下ろす。
起き上がろうとしていた飛行種の頭部が砕ける。
「次!」
「右に二匹!」
「任せろ!」
騎獣隊は一か所に留まらない。
駆け抜ける。斬る。離れる。
そして、また別の獲物へ向かう。
結界を突破できず地上へ落ちた飛行種が、次々と仕留められていった。
「効いているぞ!」
兵士たちから声が上がった。
前回とは違う。
戦える。
その実感が、少しずつ軍全体へ広がっていく。
だが――。
「前方! 地上から来るぞ!」
荒れ地の向こうが黒く染まった。
小型の這い型魔鋼虫。
それも一匹や二匹ではない。
数え切れないほどの群れが、大地を埋め尽くしながら突進してくる。
「魔法師隊!」
オーギュストが剣を振るった。
「土壁で止めろ!」
「了解!」
前列の魔法師たちが杖を地面へ突き立てる。
「アース・ウォール!」
ゴゴゴゴゴ――!
荒れ地が隆起した。
次々と土の壁がせり上がり、突進してくる魔鋼虫の前に立ちはだかる。
だが――。
魔鋼虫は止まらない。
先頭の個体が土壁へ激突する。
後続も構わず突っ込んでいく。
ガンッ!
ガガガガガッ!
甲殻と土壁がぶつかり合う。
一匹が止まっても、その後ろから次が押す。
さらにその後ろから、また次が押す。
「来るぞ!」
土壁の一部が崩れた。
そこから一匹の魔鋼虫が飛び出してくる。
「三人一組! 訓練通りにやれ!」
「おう!」
三人の騎士が前へ出た。
一人が正面に立つ。
「こっちだ!」
剣で甲殻を叩き、注意を引く。
魔鋼虫がその騎士へ向かって突進する。
「今だ!」
左右から二人が踏み込んだ。
狙うのは胴ではない。
脚。
関節部分へ刃を叩き込む。
一撃。二撃。
片側の脚が切断され、魔鋼虫の巨体が大きく傾いた。
「よし!」
正面にいた騎士が剣を捨て、背負っていた特殊エストックを抜く。
「そこだ!」
狙うのは甲殻の継ぎ目。
細長い刃を両手で構え、一気に突き込んだ。
ズブッ――。
刃が深く入る。
魔鋼虫が激しく身体を震わせ――動かなくなった。
「やったぞ!」
騎士が叫ぶ。
「倒せる! 俺たちでも倒せるぞ!」
「お前らなんかに負けるか!」
「おうよ!」
あちこちから声が上がった。
崩れた土壁を抜けてくる個体を、三人一組で迎え撃つ。
一人が牽制。
二人が脚を奪う。
そして、エストックで急所を貫く。
繰り返した訓練通りだった。
「左から三匹!」
「五班、行け!」
「騎獣隊、回り込め!」
「バリスタ、次弾装填!」
ギリギリギリ――。
「放て!」
ドンッ!
太い矢が飛び、一匹の魔鋼虫へ突き刺さる。
甲殻を完全に貫けなくとも、その勢いを止めるには十分だった。
「魔導砲!」
「発射!」
轟音。
光が荒れ地を走り、数匹の小型種をまとめて吹き飛ばす。
「よし!」
オーギュストは戦場全体を見渡した。
結界は機能している。
騎獣隊も動けている。
土壁で敵の勢いを削り、突破された場所では騎士たちが確実に仕留めている。
バリスタも。
魔核魔導砲改も。
すべてが役割を果たしていた。
まだ被害は少ない。
戦線も崩れていない。
むしろ――押している。
「いける……!」
誰かが呟いた。
その言葉が、兵士たちへ伝わっていく。
「いけるぞ!」
「押し返せ!」
「アストレアを守るんだ!」
「おおおおおっ!」
鬨の声が上がった。
確かに。
この時までは――。
戦いはアストレア側に有利に進んでいた。
その時だった。
ドン――。
地面が震えた。
「……?」
オーギュストが顔を上げる。
ドン。
もう一度。
今度は先ほどより大きい。
ドン――。
ドン――。
魔鋼虫の群れの奥。
小型種の向こう側で、何かが動いている。
「何だ……?」
黒い群れが、左右へ分かれ始めた。
まるで――道を開けるように。
兵士たちの声が、少しずつ消えていく。
その奥から。
これまで戦っていた魔鋼虫とは明らかに異なる――巨大な影が姿を現した。
「…………何だ、あれは」
オーギュストの表情から、先ほどまでの余裕が消えた。




