第三十話 始動
その日の午後。
竜人族の里では、各地域の代表を集めた会議が開かれた。
もちろん透も出席する。そして、かつて魔鋼虫との戦いを経験したエリーゼも、その席に加わっていた。
透から改めて、現在パンゲア各地で起きていることが説明される。
九百年の時を経て、再び活動を始めた魔鋼虫。
すでにアストレアでは、その群れとの戦闘が始まろうとしていること。そして今後、さらに大規模な戦いになる可能性が高いこと。
長い話し合いの末、竜人族も魔鋼虫との戦いに加わることが決まった。
ただし――。
「われらが前線に立つべきではない」
一人の代表が静かに言った。
それは、誰もが理解していることでもあった。
竜人族は長いあいだ、外界から隔絶された環境で暮らしてきた。魔鋼虫との戦いが終わって以降、大きな争いもない。
元来、温和な種族でもあり、現在の竜人族で実戦を経験した者はほとんどいなかった。
加えて、竜化できるのは女性だけだ。
戦力として強大な力を持つ一方で、無闇に前線へ投入すれば、里そのものの将来にも関わる。
そうした事情を踏まえ、竜人族は主に後方支援を担当することになった。
物資の輸送。負傷者の搬送。緊急時の救援。
空から行える役割は多い。
「それなら、あたしが選ぶよ」
エリーゼが言った。
「エリーゼさん?」
「誰でも連れていけばいいってもんじゃない。空を飛べるからって、戦場で役に立つとは限らないからね」
若い竜たちを無闇に危険へ晒すつもりはない。
参加するのは、エリーゼ自身が選んだ成人女性たちに限定されることになった。
そして――。
「あたしも行くよ」
エリーゼが当然のように言った。
「おばあしゃまも?」
ルカが目を丸くする。
「あたりまえだろう」
「でも……」
「さすがに若い頃みたいには飛べないさ」
エリーゼは笑った。
「それでも、あたしが一緒に飛んでやれば、あの子たちも少しは安心するだろうよ」
真龍。
かつて人族の騎士と共に戦場を駆けた竜。
そのエリーゼが先頭に立つ。それだけで、初めて戦場へ向かう竜人族たちにとって、大きな支えになる。
「それに」
エリーゼはルカを見る。
「戦場へ出るってのは、飛べればいいって話じゃないんだ」
「……はい」
「これから少し鍛え直してやらないとね」
そう言って、楽しそうに笑う。
参加する竜たちの訓練は、エリーゼが担当することになった。
連絡については、ピクシーネットワークを利用する。
ちょうどその頃、ピクシーの村を訪れていたモモも戻ってきた。
「ただいまですー!」
「おかえり」
「いっぱいお話してきたです!」
どうやら久しぶりに同族と過ごせて、かなり満足したらしい。
必要な連絡体制も整った。
竜人族側では、これから戦いへ向けた準備が始まる。
透たちも、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。
ルカ。ラピス。そしてモモ。
三人を伴い、透は竜人族の里を後にすることになった。
◇
ちょうどその頃。
ドワーフの里、マイスターベルケンでは――。
魔導工房の研究者や技術者たちが、一か所に集まっていた。
彼らの視線の先にあるのは、一隻の小型魔導飛行船。
明日華が持っていた金属片。
オリジェンの欠片。
そこから判明した触媒を利用し、ようやく完成した魔素変換モジュールが搭載されている。
「始めるぞ!」
工房長の声が響いた。
技術者たちが次々と最終確認を行う。
そして――。
魔素変換モジュールが起動した。
ヴゥゥゥン――。
「おお……」
周囲から声が漏れる。
隆志も思わず身を乗り出した。
もっと激しい音がするものだと思っていた。しかし実際には、低く響くような音が続いているだけだった。
船体が、ゆっくりと浮き始める。
「浮いたぞ!」
「成功だ!」
格納庫に歓声が響き渡った。
技術者たちが抱き合う。
何百年もの間、失われていた魔導飛行船の技術。
それが今、再びパンゲアの空へ戻ろうとしていた。
小型飛行船は慎重に高度を上げる。
魔導工房の外れに造られた格納庫から抜け出し、周囲に何もない広い場所へ出た。
「安定してるな」
「魔素供給も正常!」
「推力も問題なし!」
さらに高度を上げる。
やがて飛行船は機首をゆっくりと前へ向けた。
水平飛行へ。
速度はまだ遅い。だが確かに進んでいる。
「飛んでる……」
隆志が小さく呟いた。
搭乗しているのは、工房長をはじめとした魔導工房の技術者たち。
ノーノー。セシリア。そして隆志。
さらにもう一人。
大きな帽子を被った、小柄なドワーフの姿があった。
隆志はその姿をちらりと見たあと、目の前の操縦装置へ視線を戻した。
「なるほど……」
意外だった。
操縦桿というよりも、どこかゲーム機のコントローラーに似ている。
左右へ動かすレバー。いくつかのボタン。速度や高度を示す計器類。
思っていたほど複雑ではない。
「これなら……」
「どうしたんじゃ?」
隣からノーノーが尋ねる。
「いや」
隆志は少し笑った。
「僕にも動かせそうだなと思って」
「ほう?」
機械いじりが好きな隆志にとって、初めて見る装置ではあっても、その考え方は理解しやすかった。
むしろ興味が湧いてくる。
「旋回するぞ!」
工房長の声が飛ぶ。
飛行船がゆっくりと機体を傾けた。
左旋回。続いて右旋回。上昇。下降。
急な動きは避けながら、一つひとつ性能を確認していく。
魔素変換モジュールも安定していた。
船体にも異常はない。
しばらく空を飛んだあと、小型飛行船は再び魔導工房へ向かった。
速度を落とし、慎重に高度を下げる。
そして――。
静かに地面へ降り立った。
一瞬の静寂。
次の瞬間。
「やったぞぉぉぉ!」
大歓声が上がった。
処女飛行は成功。
事故も、故障もない。
さすがは魔導工房。
そして――。
さすがはドワーフだった。
◇
処女飛行を無事に終えたあとも、魔導工房の面々は休もうとはしなかった。
再び格納庫へ収められた小型魔導飛行船の船内では、技術者たちによる点検が始まっている。
「魔素変換モジュール、異常なし!」
「推進系も問題ない!」
「船体にも歪みはないぞ!」
あちこちから声が飛ぶ。
隆志も操縦室から船内へ出て、興味深そうに内部を見て回っていた。
「ん?」
そこで、あることに気づいた。
壁の一部が淡く光っている。
飛行前には、こんなものはなかったはずだ。
「これは……?」
隆志が光っている部分へ手を触れた。
すると――。
プシュッ。
「うわっ」
小さな空気の抜けるような音とともに、壁の一部が横へ滑った。
「なんじゃ?」
「何かあったの?」
ノーノーとセシリアも近づいてくる。
壁だと思っていた場所の奥には、小さな収納空間が隠されていた。
両側には棚があり、見た目はクローゼットに近い。
「こんなものが……」
工房長も驚いた様子で中を覗き込む。
「今まで開いたことはなかったぞ」
「飛行船を起動したことで、船内設備のロックが解除されたんじゃないでしょうか」
隆志が言った。
「なるほどのう」
ノーノーが髭を撫でる。
調べてみると、同じように光り始めた場所が船内のあちこちに見つかった。
壁面収納。小さな物入れ。工具らしきものが収められた区画。
そして――。
「これは何じゃ?」
ひとつの収納庫から、いくつもの薄い箱が出てきた。
隆志には、書類ケースのように見えた。ただし紙でできているわけではない。
金属とも石ともつかない、黒みを帯びた薄い素材でできている。
「開かないな」
隆志が縁に指を掛ける。
力を入れてみるが、びくともしない。鍵穴らしいものもなかった。
「ここ……光ってますね」
セシリアが指差す。
ケースの角に、小さな丸い部分がある。
そこだけが淡い光を放ち、ゆっくりと明滅していた。
ひとまず見つかったケースを操縦室へ運び込む。
工房長。ノーノー。セシリア。隆志。そして技術者たちが、それを囲んだ。
「何かの鍵か?」
「押してみるか」
「いや、待て。壊したらどうする」
ドワーフたちがあれこれ議論を始める。
隆志も裏返したり、光に透かしたりしてみたが、仕組みはまったく分からない。
その時だった。
「……これ」
セシリアが呟いた。
「どうしたのですか?」
隆志が尋ねる。
「微かですけど……魔力を感じます」
「魔力?」
「ええ」
セシリアはケースの角で明滅している丸い部分へ指を伸ばした。
「たぶん、ここから」
指先が触れる。
そしてセシリアは、ほんの僅かに魔力を流し込んだ。
次の瞬間。
ピッ。
小さな音が鳴った。
「お?」
ケースの表面に細い光の線が走る。
そして――。
シュッ。
蓋が静かに横へ滑った。
「開いた……」
中に入っていたのは、薄い板状のものだった。
一枚ではない。何枚も重ねられている。
その一枚を工房長が慎重に取り出した。
「なんじゃ、これは……」
表面には、古い文字が刻まれていた。
ノーノーが目を細める。
「かなり古いものじゃぞ」
セシリアも覗き込む。
「読めますか?」
「待ってくれ」
ノーノーが慎重に文字を追っていく。
やがて――。
その顔から、笑みが消えた。
「……どうしたんです?」
隆志が尋ねる。
ノーノーは答えない。ただ、さらに先を読み進めていく。
「ノーノー?」
セシリアもその表情の変化に気づいた。
やがてノーノーが、小さく息を吐いた。
「これは……」
震える指で、板の一部を指差す。
「魔鋼虫について書かれておる」
「え?」
室内が静まり返った。
工房長が身を乗り出す。
「何が書いてある?」
「まだ分からん。じゃが……」
ノーノーは開かれたケースを見る。
そこには、同じような記録板が何十枚も収められていた。
さらに他のケースもある。
「これはただの飛行船の資料ではないぞ」
九百年近く。
誰にも開かれることなく、魔導飛行船の内部に眠り続けていた記録。
それが今。
再び飛行船が空へ上がったことで、その封印を解かれた。
そしてそこには――。
これから始まる魔鋼虫との戦いを左右するかもしれない情報が、残されていた。
ショートアニメ用のオープニングムービーが完成しました。
YouTubeにアップしていますので、もしよろしければお時間のある時にご覧ください。
小説のキャラクターたちが実際に動いているのを見ると、作者ながら少し感動しました(笑)。
【YouTube】
URL https://youtu.be/yeFL6cDFdQM




