第二十九話 ルカの故郷
その夜、透はルカの家で夕食を振る舞われることになった。
この街は、西方山脈から流れ出る清流の河岸に栄えた街だ。
川では魚が豊富に獲れ、周辺には牧草地も多く、牧畜も盛んらしい。
食卓には大皿に盛られた肉料理と、里芋によく似た芋が並んでいた。どうやら、この芋がこの地方の主食らしい。
そして食卓の中央には、大きな鍋。
川で獲れた魚や野菜、芋などを一緒に煮込んだ料理で、味付けは全体的に薄めだった。
「うん、美味しい」
透が素直に感想を口にする。
「そうでしょう?」
なぜかルカが得意そうに胸を張った。
「ルカが作ったわけじゃないでしょう」
ミュゼリアが笑う。
「でも、うちのご飯です!」
「それはそうだけど」
そんなやり取りを聞きながら、透も箸を進める。
ラピスの前には、味付けをしていない大きな肉の塊が置かれていた。
『みゃん!』
夢中になってかぶりついている。
一方、モモの前には、小さな器に入った白い甘味が置かれていた。駄獣の乳を使って作ったものらしい。
「おいしいですー!」
小さな匙を両手で抱えるようにして、モモは満面の笑みを浮かべている。
どうやら二人とも大満足らしい。
そして――。
「おかわり!」
「はいはい」
ルカが空になった皿を差し出す。
すでに何度目か分からない。
肉を食べ、芋を食べ、煮込みを食べ。
相変わらず見事な食べっぷりだった。
そこで透は、ふと気づいた。
「……ん?」
食卓を見回す。
エリーゼ。
ミュゼリア。
ルカ。
そしてトルクス。
さらに自分。
「…………」
何かがおかしい。
よく見ると、女性陣の皿に盛られている料理の量が、明らかに多い。
というより――。
「……三倍くらいないか?」
「気づきましたか」
向かいに座っていたトルクスが、楽しそうに笑った。
「え?」
「透君。われわれ竜人族は、女性しか竜化できないのですよ。そして、ルカと過ごしてみて分かったと思いますが」
トルクスは、もりもりと肉を食べている娘を見る。
「非常に燃費が悪い」
「お父さん!」
「事実でしょう?」
「そうですけど!」
否定はしないらしい。
トルクスは笑いながら続けた。
「竜化すれば、当然ながら大量の力を使います。ですから竜人族の女性は、男性よりずっとよく食べるのです」
「なるほど……」
透は改めて食卓を見る。
言われてみれば、エリーゼもミュゼリアもかなり食べている。ルカだけが特別なのではなかったらしい。
「もっとも」
トルクスが少し声を潜める。
「ルカは、その中でもよく食べる方ですが」
「お父さん!」
「はははは!」
エリーゼが豪快に笑った。
「若いんだから食べればいいんだよ!」
「おばあしゃま!」
ルカはそう言いながらも、手は止まらない。
トルクスが透を見る。
「ですから透君」
「はい?」
「ルカを嫁にするのでしたら、食費については覚悟しておいた方がいいですよ」
「……食費」
「この里ではね」
トルクスは笑った。
「良い男の条件の一つは、嫁さんに腹いっぱい食べさせてやれることなんです」
「なるほど……」
妙に現実的な話だった。
「大丈夫です!」
突然ルカが言った。
「何が?」
「透様なら大丈夫です!」
満面の笑顔だった。
「…………」
何を根拠に。
そして、何が大丈夫なんだ。
透にはさっぱり分からなかった。
◇
翌朝。
透はルカの家で朝食をいただいていた。
昨夜の夕食に比べれば、パンに似た焼き物と芋、それに乳を使った飲み物という軽いものだった。
もっとも――。
「おかわり!」
「はいはい」
ルカの前だけは、すでに空になった皿が何枚も重なっている。
「……軽い朝食?」
透が呟く。
「軽いですよ?」
「ルカにとっては、だろ」
「はい!」
元気よく返されても困る。
昨日トルクスから聞いた話を思い出し、透はそれ以上何も言わないことにした。
朝食を終えると、今日はルカに街を案内してもらうことになった。
モモは朝早くから、近くにあるピクシーの村へ出かけている。
「同族のみんなに会ってくるです!」
そう言い残して、嬉しそうに飛んでいった。
そのため街へ出るのは、透とルカ、それにラピスの二人と一匹だ。
『みゃん』
ラピスは透の隣を歩きながら、興味深そうに辺りを見回している。
街には観光客向けの土産物屋などはない。そもそも長い間、外との交流そのものがほとんどなかった土地なのだから当然だ。
その代わり、川沿いの広場では朝市が開かれていた。
採れたばかりの野菜。
山で採取された木の実や薬草。
川魚。
干し肉。
乳製品。
職人が作った日用品。
大小の露店が並び、大勢の人々で賑わっている。
「ここ、朝はいつもこんな感じなんです」
「結構賑やかなんだな」
「はい。私もよく来ますよ」
「食べ物を買いに?」
「……どうして分かったんですか?」
「なんとなく」
二人でそんな話をしながら歩いていると、透の目に一軒の露店が止まった。
小さな装飾品が並んでいる。
「これ……」
透が一つを手に取った。
小さな鱗を加工した飾りだった。
光の当たり方によって、青や銀、薄い緑へと色が変わって見える。
「竜の鱗です」
「本物?」
「はい。自然に剥がれ落ちた鱗を磨いたものですよ」
「へえ……」
紐を通した首飾りや、小さな髪飾り。腕につける飾りもある。
いかにも、この里ならではの品だった。
「これ、土産にいいかな」
「お土産ですか?」
「うん」
透は並んでいる飾りを見ながら考え始めた。
結衣。
明日華。
真白。
蒼姫。
母さん。
セリナ。
リーファ。
セシリアさんは……こういうのをつけるだろうか。
ノアにもいるか。
それから――。
「…………」
まだいる。
結構いる。
ライガさんとガルドは……。
「あの二人は、地酒の方が喜びそうだな」
「お酒ならありますよ。お父さんも言ってました」
「じゃあ、それは帰りに買うとして……」
透は指を折って人数を数え始めた。
「いくつ買えばいいんだ?」
「たくさんいますね」
「うん……」
そこで透は、もっと重大な問題に気づいた。
「あ」
「どうしました?」
「金」
「お金?」
「ここの通貨、持ってない」
当然だった。
ドワーフの里からそのまま飛んできたのだから、この里で使える金など持っているはずがない。
ルカはきょとんとしたあと、笑った。
「それなら私が出しますよ」
「いや、それは悪いだろ」
「いいんです。私、透様にたくさんご馳走してもらいましたから」
「……それもそうか」
食堂での、あの山のような皿を思い出す。
あれを考えれば、確かに少しくらい甘えてもいい気もする。
「じゃあ借りておくよ。また何かご馳走する」
「はい!」
なぜかルカは、とても嬉しそうだった。
結局、透は人数分の小さな鱗飾りを選んだ。誰にどれを渡すかは、帰ってから考えることにした。
その間もラピスは透の足元を離れず、きょろきょろと周囲を見回していた。
「……ラピス」
『みゃ?』
「お前、また大きくなってないか?」
立ち止まって見てみる。
パンゲアへ来た頃なら、抱き上げて歩くことなど何でもなかった。
だが最近は、ずっしりと重くなってきた。体つきもしっかりしている。
「この調子だと、そのうち抱っこできなくなるな」
『…………』
ラピスは透を見上げる。
最近、以前ほど念話を使わなくなった。
何かを考えるように、じっと透や周囲を見ていることが多い。
「どうした?」
『みゃん』
それだけ答えると、また透の横を歩き始めた。
「……まあ、いいか」
一通り朝市を見て回り、二人は屋台の脇に置かれたテーブルで休憩することにした。
もちろんルカの前には、いつの間にか串焼きが並んでいる。
「まだ食うの?」
「これはおやつです」
「さっき朝飯食べただろ」
「朝ご飯とおやつは別です」
「……そうですか」
もう驚くまい。
そう決めた。
街を歩いている間、ルカには何度も声がかかった。
「おや、ルカちゃんじゃないか」
「ただいま!」
「隣の人は誰だい?」
露店のおばさんが透を見る。
その目が、何やら楽しそうに細くなった。
「ひょっとして彼氏かい?」
「いい男じゃないか」
「え?」
透が答えるより早く、ルカが胸を張った。
「そうだよ。私の騎士様!」
「おお!」
「ついに見つけたのかい!」
「よかったじゃないか!」
「はい!」
周囲から笑い声が上がる。
「…………」
透は黙って歩いた。
否定しても、おそらく話が長くなる。
昨日一日で、そのくらいのことは学習していた。
それにしても――。
透は行き交う人々を見回した。
ルカも女性としては背が高い方だと思っていたが、この里ではそれほど珍しくない。
女性も男性も、全体的に体格がいい。
中には透より頭一つ大きな男も珍しくなかった。
「俺、この里だと小さい方なのか?」
「そうですか?」
ルカが隣に並ぶ。
身長差はそれほどない。
「透様はちょうどいいですよ」
「何が?」
「背中に乗せるのに」
「そっちか」
ルカが笑った。
◇
朝市を離れたあと、ルカが言った。
「透様。行きたいところがあるんです」
「どこ?」
「私の大好きな場所です」
街の外れまで歩き、川沿いへ出る。
西方山脈から流れてくる清流は街を抜け、そのまま上流へと続いていた。
そこでルカは周囲に人がいないことを確認すると、大きく息を吸った。
その身体が光に包まれる。
次の瞬間。
青銀色の竜が、透の前に姿を現した。
『乗ってください!』
「はいはい」
透ももう慣れたものだった。
ラピスを抱き上げ、ルカの背へ乗る。
『行きますよ!』
「今日はゆっくりな」
『分かってます!』
本当に分かっているのだろうか。
少し不安になったが、今回はルカも速度を抑えて飛んだ。
川に沿って上流へ。
街が徐々に小さくなっていく。
やがて前方に、里を囲む巨大な絶壁が見えてきた。
「ここを昇るのか?」
『はい!』
ルカは崖に沿って上昇する。
絶壁の途中。
地上から十メートルほど張り出した、大きな棚のような場所があった。
ルカはそこへ静かに降り立つ。
透とラピスが降りると、人の姿へ戻った。
「こっちです」
ルカに連れられ、棚の端まで歩く。
「……おお」
透は思わず声を漏らした。
そこからは、竜人族の里が一望できた。
川に沿って広がる街。
その周囲に点在する牧草地や畑。
さらに遠くには小さな集落が見える。
そして、その全てを抱くように巨大な山々が連なっていた。
「すごいな……」
「でしょう?」
ルカは嬉しそうに笑った。
二人は崖際に腰を下ろした。
ラピスも透の隣に伏せる。
しばらく誰も話さなかった。
風だけが静かに吹き抜けていく。
「私、小さい頃からここが好きだったんです」
やがてルカが言った。
「よく来たの?」
「はい」
ルカは遠くの山々を見る。
「あの山の向こうに、何があるんだろうって、ずっと思ってました」
竜人族の里を囲む山々。
その峰の多くは、かつての高度限界より高い。
長い間、竜人族にとって越えることのできない壁だった。
「おばあしゃまから、昔の騎士様のお話を何度も聞いて」
ルカが微笑む。
「いつか私も、この里を出て、自分の騎士様を探しに行くんだって」
「……そっか」
「ここに来ては、ずっとそんなことを考えてました」
透はルカを見る。
ルカは今も、遠くを見ていた。
昔、この場所から山の向こうを眺めていた少女。
いつか外の世界へ。
いつか、自分の騎士を見つけに。
そう夢見ていた。
「それで」
ルカが透を振り返る。
満面の笑顔だった。
「本当に見つけました」
「……俺?」
「はい!」
透は苦笑した。
けれど――。
悪い気はしなかった。
かつてルカが一人で夢を見ていたこの場所へ。
今は、その隣に自分がいる。
そう考えると、少しだけ不思議な気持ちになった。
二人はそのまま、しばらく景色を眺めていた。
風は穏やかで。
川の流れる音が、遥か下から小さく聞こえてくる。
何も急ぐ必要のない時間だった。
やがて――。
ぐぅぅぅぅ……。
「…………」
「…………」
透が横を見る。
ルカが、お腹を押さえていた。
「……帰るか」
「はい」
少し頬を赤くしながら、ルカは素直に頷いた。
透は立ち上がる。
「昼飯だな」
「はい!」
その返事だけは、今日一番元気だった。




