第二十八話 前触れ
「さて」
エリーゼはお茶を一口飲むと、改めて透へ向き直った。
「あたしが聞くことでもないんだろうけどね。透さんは、何のためにこの里へ来たんだい?」
「……正直に言うと」
透は少し言いにくそうにルカを見る。
「ルカさんに、いきなり『騎士様』とか『お嫁にしてください』とか言われて、まだ混乱しています」
「そりゃそうだろうね!」
エリーゼが声を上げて笑った。
「はははは!」
「ルカ……そんなことを」
トルクスが呆れたように娘を見る。
「あらあら」
ミュゼリアは口元に手を添えて笑っている。
「でも」
エリーゼの目が透へ戻った。
「それだけじゃないんだろう?」
「はい」
透は一度息をついた。
「うちは、じいちゃんから『おなごを泣かすようなやつは腹を切って死ね』って、ずっと言い聞かされて育ったので……」
「ずいぶん物騒なじいさんだね」
「はい。かなり」
透は真顔で答えた。
「だから、ルカさんが真剣に言ってくれているのなら、その気持ちを無下にはできません」
ルカが嬉しそうに透を見る。
「でも俺、女性と付き合ったこともないですし。いきなり嫁と言われても……」
「透さま……」
「そのうえ、うちの親たちはなぜか納得してしまって」
「はははは!」
エリーゼがまた笑う。
透としては笑い事ではなかった。
「ただ、今回ここへ来た一番の理由は、結婚の話ではありません」
透の表情が真剣なものへ変わった。
「これから俺たちは、魔鋼虫との戦いに入ります」
部屋の空気が少し変わる。
「この里にも、そのことを伝えなければいけないと思いました。それと、できることなら、魔鋼虫の殲滅に力を貸していただきたいです」
トルクスが静かに頷く。
「そして、ルカさんが俺についてくることになれば」
透は隣のルカを見た。
「当然、危険な戦いに巻き込むことになります」
エリーゼはしばらく透を見つめていた。
そして突然聞いた。
「で、あんたはルカを嫁にする気はあるのかい?」
「おばあしゃま!」
「お前は黙ってな」
「えー……」
ルカがしゅんとする。
透は完全に不意を突かれた。
「……えっと」
透はしばらく考えた。
そして、腹を決める。
「分かりました」
ルカが顔を上げた。
「嫁とか結婚とか言われても、俺たちはまだ出会ったばかりです」
「はい」
「だから今すぐ、という話はできません」
ルカの表情が少し曇る。
「でも」
透は続けた。
「この戦いが終わったら、改めて挨拶に来ます」
「……!」
ルカの顔が一気に明るくなった。
「よかったわね、ルカ」
ミュゼリアが微笑む。
「はい!」
「私の意見は……」
トルクスが一度咳払いをした。
「どうやら、あまり必要なさそうですね」
「お父さん!」
「冗談ですよ」
トルクスは笑うと、透へ向き直った。
「透君。ルカをよろしくお願いします」
「はい」
透はまっすぐ答えた。
「ルカさんは、俺が守ります」
「私も透さまを守ります!」
すかさずルカが言う。
エリーゼが満足そうに頷いた。
「それでいい」
しばらくして、トルクスが話を本題へ戻した。
「魔鋼虫への協力については、私一人で決めることはできません」
「はい」
「各地域の代表とも相談する必要があります。二、三日はこの里に滞在してもらうことになると思いますが、よろしいですか?」
「分かりました」
透は頷く。
「では、どこか宿を紹介していただければ」
「何を言っておる」
エリーゼが即座に言った。
「この家に泊まればいい」
「え?」
「そうですよ」
ミュゼリアも当然のように続ける。
「ルカ。透様を客室へ案内してあげなさい」
「はい!」
「いや、でも……」
透はトルクスを見る。
トルクスは苦笑しながら頷いた。
「遠慮する必要はありませんよ。どうぞ泊まっていってください」
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えます」
「かたい、かたい」
エリーゼが笑う。
「ルカの婿殿が、何を遠慮しておる」
「婿殿……」
透は肩を落とした。
――なんだろう。
俺、女性に弱すぎるんじゃないだろうか。
母さんにも。
セリナにも。
ルカにも。
そして今度は、ルカのおばあしゃまにも押し切られている。
けれど。
透の頭に、宗玄の顔が浮かんだ。
『おなごを泣かすようなやつは腹を切って死ね』
「……じいちゃんのせいだな」
「透さま?」
「なんでもないよ」
透は小さくため息をついた。
◇
その頃――アストレア王国。
王城の一室には、朝から慌ただしく人が出入りしていた。
卓上には、アストレア北西部から大地溝帯周辺までを記した地図が広げられている。
その地図を囲み、騎士団や王国軍の重鎮たちが険しい表情を浮かべていた。
「間違いないのか?」
「はい」
偵察隊から戻った騎士が頷いた。
「以前、グランドワイズから撤退した魔鋼虫の群れと思われます」
室内に重い空気が流れる。
あの戦いで大きな損害を受け、撤退した群れ。
だが、消滅したわけではなかった。
大地溝帯へ逃れ、その奥で長く姿を潜めていた。
「数が増えています」
「増えている?」
そして何より問題なのは――。
「群れの中心に、新たな指令獣と思われる個体を確認しました」
誰かが息を呑んだ。
指令獣を失って逃げた群れが、再び新たな指揮個体を得た。
そして今。
その群れは大地溝帯から姿を現し、ゆっくりとアストレアへ向かっている。
「どれほどで到達する?」
「正確には分かりません。ただ、このまま進めば遠くないうちに王国領へ入ります」
地図の上に置かれた駒を見ながら、一人の将が口を開いた。
「グランドワイズで迎え撃つべきでしょう」
城塞都市グランドワイズ。
かつて魔鋼虫の群れを退けた、防衛の要である。
「城壁と結界を利用すれば、防御は容易です」
「だが」
別の者が反論する。
「敵をそこまで引き込めば、周辺の村々を放棄することになる」
「避難させればよい」
「簡単に言うな。家畜も農地も捨てることになるぞ」
意見が分かれた。
守るべきか。
打って出るべきか。
以前なら、選択肢はほとんどなかった。
グランドワイズへ兵を集め、城壁の内側で耐える。
それが最も確実な方法だった。
しかし今回は違う。
「エルフ側から、援軍を送るとの返答が届いております」
その報告に、一同が顔を上げる。
すでに結ばれた同盟によって、アストレアは一国だけで戦う必要がなくなっていた。
森での索敵に優れたエルフ。
そして遠距離から敵を削ることのできる弓兵たち。
彼らとの共同戦線を前提にすれば、取れる戦術は大きく変わる。
長い議論の末、決断が下された。
戦場は――大地溝帯の手前。
森や村落から離れた、広大な荒地。
そこで魔鋼虫の群れを迎え撃つ。
グランドワイズまで敵を近づけさせない。
今回は、待つ戦いではない。
こちらから打って出る。
決定が下されるや否や、王都は一気に慌ただしくなった。
兵舎では武具が運び出され、騎士たちが装備を確認する。
厩舎では騎獣の準備が進められ、荷馬車には矢や食料、治療用品が次々と積み込まれていく。
治癒魔法士たちも、負傷者を受け入れるための準備を始めていた。
城門近くの広場には、出撃を命じられた兵たちが次々と集結する。
そして遠く、エルフの森でもまた。
同盟成立後、初めてとなる大規模な共同戦線へ向けて、戦士たちが動き始めていた。
まだ誰も知らない。
この戦いが、これから始まる魔鋼虫との大戦の――ほんの前触れに過ぎないことを。




