第二十五話 竜人の里へ
翌朝。
透は宿の前で、ルカとともに竜人の里へ向かう準備をしていた。
「透、これを持っていって下さい。」
隆志から手渡されたのは、地球から持ってきたアクションカメラだった。
「できる限り、向こうの様子を映像に残してきてほしい。もちろん、撮ってはいけないものがあれば無理はしなくていいですから」
「分かりました」
透は受け取ったカメラをヘッドセットに取り付ける。
今となっては、この小さな機械もパンゲアを知るための貴重な記録装置だった。
「それから透さん」
今度は美琴が声をかける。
「ルカさんのお家の方には、私たちも後ほど必ずご挨拶に伺いますと伝えてくださいね」
「うん」
「忘れないでくださいね?」
「分かってます」
さらに今回は、伝令役としてモモも同行することになっていた。
「モモも行くよー!」
小さな身体で元気いっぱいに手を上げるモモの横では、ラピスが透の足元をうろうろしている。
「くぅん」
どうやら自分も一緒に行くつもりらしい。
「ラピスも行きたいのか?」
「みゃん!」
迷いのない返事だった。
透がルカを見る。
「ルカ。ラピスも連れていっていいか?」
「もちろんです! ラピスちゃんなら大歓迎ですよ!」
「みゃん!」
これで同行者は決まった。
透、ルカ、モモ、そしてラピス。
――なのだが。
「透さん、これも持っていってください」
「……母さん。まだあるの?」
美琴が差し出したのは、大きな風呂敷包みだった。
「お昼です」
「こんなに?」
「ルカさんがお腹を空かせるでしょう?」
「えっ」
名指しされたルカが目を丸くする。
美琴はにこりと笑った。
「おにぎりをたくさん作っておきましたから」
「わあっ! ありがとうございます!」
ルカの表情が一瞬で輝く。
昨日のことを考えれば、美琴の判断は間違っていない。
「それから、これも」
もう一方には、地球から持ってきた水筒。
結局、透は左右の肩から荷物を掛けることになった。
腰には刀。
頭にはアクションカメラ。
肩からは風呂敷包みと水筒。
どうにも締まらない。
少し離れたところから見ていた結衣が、ぷっと吹き出した。
「おニィ、なんか変」
「言うな」
「あにさま……遠足へ行くみたいです」
明日華まで口元を押さえている。
「俺だってそう思ってるよ」
竜人の里へ向かうというのに、これでは未知の土地へ赴く冒険者というより、家族に荷物を持たされた学生だった。
美琴はそんな透を満足そうに眺めると、最後にもう一度確認する。
「忘れ物はありませんか?」
「……母さん」
「はい?」
「俺、もうすぐ十八だよ」
「あら」
美琴が少しだけ首を傾げる。
「十八歳なら、忘れ物をしないのですか?」
「…………」
何も言い返せなかった。
後ろでは結衣が肩を震わせている。
透は少しだけ頬を赤くすると、そっぽを向いた。
「……行ってきます」
「はい。行ってらっしゃい、透さん」
隆志も笑って手を上げる。
「気をつけてくださいね」
「おニィ、お土産ねー!」
「あにさま、お気をつけて」
皆に見送られながら、透はルカとともに歩き出す。
その後ろをラピスが嬉しそうについていき、モモがふわふわと空を飛んでいた。
そして。
少し離れたところから、その様子を見送っていたセリナとリーファ。
二人は、なぜか揃って拳を握っていた。
「……私だって」
「……私もです」
小さく呟いた声は、幸い透の耳には届かなかった。
◇
「行くよー!」
ルカの弾んだ声が響いた。
透を背に乗せた途端、ルカはいつにも増して上機嫌になる。
翼を大きく広げ、地面を蹴った。
一気に身体が浮かび上がる。
「わあっ!」
モモが歓声を上げ、その横ではラピスが透にしっかりとしがみついていた。
ルカはぐんぐん高度を上げていく。
風を切る音。
眼下で小さくなっていくドワーフの里。
そのすべてが、今のルカには心地よかった。
――楽しい。
胸の奥から、どうしようもないほどの高揚感が湧き上がってくる。
透を背に乗せて飛ぶたびに、その感覚は強くなっていた。
幼い頃から夢見てきた、自分だけの騎士。
その騎士を背に乗せ、空を駆ける。
真の竜への覚醒が近づいているからなのか。
それとも、ただ透と一緒に飛んでいることが嬉しいだけなのか。
ルカ自身にも分からなかった。
ただ、嬉しかった。
どこまでも飛んでいけるような気がした。
透は、そんなルカの背で静かに前を見ていた。
やがて自分は、この少女の背に乗って魔鋼虫と戦うことになる。
なぜか、そう確信していた。
結婚の話は――まあ、今は置いておくとして。
それとは別に、これはもう決めていた。
戦場に出れば、互いに命を預けることになる。
ルカが自分を信じて背中を預けるのなら。
自分もまた、この少女を信じる。
そして――守る。
何があっても。
「……透さま?」
ルカが不思議そうに呼びかけた。
背中の透が、いつになく静かだったからだ。
透は少しだけ笑った。
「なんでもないよ」
「そうですか?」
「ああ」
「じゃあ、もっと飛ばしますね!」
「え?」
「行きますよー!」
「ちょ、ルカ――」
ルカは嬉しそうに翼を大きく羽ばたかせた。
一行はさらに速度を上げ、竜人の里を目指して空を駆けていった。
◇
「ルカさん」
「もう、いい加減に『さん』付けはやめてください!」
ルカがぷくっと頬を膨らませた。
「わ、分かった。じゃあ、ルカも『様』付けはやめてほしい」
「えーーっ!」
「なんでそこで嫌がるんだよ」
ルカはしばらく悩むような顔をしてから、きっぱりと言った。
「分かりました。でも、旦那様を呼び捨てになんてできません。知り合ったばかりですので、もう少し親睦を深めてからですね!」
「……それをルカが言うの?」
「はい!」
満面の笑みだった。
「シンボクってなにー?」
モモが首を傾げる。
「みゃん!」
ラピスまで何か分かったように鳴いた。
「…………」
透はもう諦めることにした。
少なくとも、今ここで話し合ってどうにかなる問題ではなさそうだった。
「ところで、ルカの里ってどの辺りなんだ?」
話題を変える。
「この先ですよ。大地の溝が山々にぶつかる辺りから、さらに北の方です」
ルカは前方を示した。
「まだ少し時間がかかりますね」
「結構遠いんだな」
「はい。でも今日は透さまがいますから、全然平気です!」
「それ、どういう意味?」
「なんでもありません!」
先ほどの透を真似するように言って、ルカは楽しそうに笑った。
しばらく飛び続けたところで、前方に巨大な裂け目が見えてきた。
大地溝帯だった。
「大地溝帯を越えた辺りで、一度休憩しましょうか」
ルカが言う。
「ラピスちゃんもいますし」
「そうだな」
透は頷いた。
――たぶん、自分もお腹が減ってきたんだな。
わざわざ口には出さなかった。
眼下には、どこまでも続く巨大な大地の裂け目。
以前にも目にしたことのある大地溝帯だが、こうして上空から眺めると、その規模が改めてよく分かる。
底には熱帯雨林を思わせる巨木が密集していた。
枝葉が幾重にも重なり、地面などほとんど見えない。
時折、その木々の間から巨大な鳥型の魔獣が飛び出してくる。
だが、ルカの姿を見ると、こちらへ近づいてくるものはいなかった。
透は眼下を眺めながら考える。
この辺りでは、まだ魔素濃度の低下は起きていないのだろうか。
少なくとも植物や魔獣を見る限り、異変が起きているようには見えなかった。
やがて大地溝帯を越えた。
その先に広がる高台へ降り立ち、一行は休憩を取ることにした。
透が肩から風呂敷包みを下ろす。
「じゃあ、食べるか」
「はい!」
待ってましたとばかりにルカが透の横へ座った。
「モモもー!」
「みゃん!」
「……母さんがあれだけ持たせた理由が、なんとなく分かったよ」
風呂敷を開けば、中にはぎっしりとおにぎりが詰められていた。
ルカの目が輝く。
「いただきます!」
「早いな!」
ルカは早速一つを手に取った。
モモも小さなおにぎりを抱え、ラピスにも食べられるものを分けてやる。
透も一つ手に取って口へ運んだ。
空の旅の途中で食べる母の作ったおにぎりは、不思議なくらいうまかった。
食事を終え、再び空へ上がる。
振り返れば、越えてきた大地溝帯が東へ向かって真っ直ぐ伸びているのが見えた。
おそらく、アストレアの北まで続いているのだろう。随分遠くまで来たのだな。
北東へ目を向けると、奇妙な尖塔のようなものが大地から突き出しているのが見えた。
遠すぎてよく分からないが、アクションカメラの映像を後で確認してもらおうと、透は考えていた。
「じゃあ、ここから北西へ向かいます!」
「分かった」
ルカが進路を変える。
以前、高度限界について聞かされていたこともあり、ルカは高度を二百メートルほどに保ったまま飛んでいた。
その先には、次第に山々の姿が増え始めている。
透は前方を見つめた。
あの山々の向こうに――。
これまでパンゲアの人々からほとんど知られることなく暮らしてきた、竜人たちの里がある。
一体、どんな場所なのだろう。
そして自分たちは、どう迎えられるのだろうか。
透を乗せたルカは、迷うことなく北西の空を駆けていった。
やがて、大きな川が山々の間へと続いているのが見えてきた。
ルカはその川に沿うように進路を取る。
ほどなくして、両側を数百メートルはあろうかという絶壁に挟まれた巨大な渓谷へ入った。
「すごいな……」
透は思わず声を漏らす。
切り立った岩壁が左右から迫り、そのはるか下を川が流れている。
外から見れば、この先に人の暮らす場所があるなど、とても想像できない。
ルカは迷う様子もなく、その奥へと進んでいった。
「あそこです!」
ルカが前方を示す。
川の行く手に、巨大な岩壁が立ちはだかっていた。
その根元には、まるで山そのものをくり抜いたような巨大な空洞が口を開けている。
空洞は木で作られた門で塞がれており、その一部が欠落していた。
「ここを通るのか?」
「はい!」
高さも幅も十メートルはないだろうか。
ルカは翼を畳むようにして高度を下げ、その空洞へ飛び込んだ。
一瞬、周囲が薄暗くなる。
岩肌に反響する羽音。
その先に、小さな光が見えた。
そして――。
「透さま、着きました!」
空洞を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
「……おお」
透は息を呑んだ。
四方を険しい山々に囲まれた広大な土地。
その中央を一本の川が流れ、周囲には緑が広がっている。
そして、その大地には確かに人々の暮らす街があった。
長い間、外の世界から隔てられてきた場所。
竜人たちの里だった。




