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10-2.Dessert クレームブリュレに冷たいバニラアイスをひとすくい

 目を覚ますと、石造りの床の冷たさが背中から伝わって来た。


 指先を動かす。……力が入る。どうやらうまく受け身を取れたようだ。高校の時に受けた柔道の授業が役に立ったな。セリーヌが怪我をしなくて良かった。


 俺は、ゆっくりと上半身を起こした。


「セリーヌ様……っ!」


 ソフィーが泣きそうな顔で俺に縋り付いている。料理長も血相を変えて覗き込んでいた。


「ソフィー様。私が倒れて、どのくらいの時間が……?」


「え……い、いえ。たった今、急にお倒れになったばかりですが……」


「そうですか。少し足を滑らしてしまったみたいです。大丈夫ですわ。着替えて参ります」


 エプロンには、かき混ぜていた卵白がベッタリと付いていた。


「料理長、厨房を汚してしまって申し訳ありません。後で掃除いたします」


「い、いえ! どうかお気になさらず!」


 俺は、慌てて厨房に入って来たマルグリットとアルフォンスに無事を伝え、着替えるために一度厨房から出た。


 それから再び厨房に戻って来た時、ソフィーはまだ目を潤ませていた。


「セ、セリーヌ様……体調が優れないのでしたら、今日はもう——」


 俺は、ソフィーの柔らかい髪にぽんぽんと手をのせる。


「大丈夫ですわ。それに……どうしても、今日はソフィー様と一緒にいたい気分ですから」


 俺の言葉に、ソフィーの顔が真っ赤になる。


「さぁ、急いで続きをしましょう!」


 俺は無理をしていないとアピールするように、袖を捲って力瘤を作るふりをした。


 焼き上がったココットをオーブンから取り出して粗熱を取り、氷の魔石が組み込まれた冷蔵庫でしっかりと冷やす。


「時間がかかりますから、今のうちに昼食にいたしましょう」


 昼食は、料理長が作ってくれた優しい味のスープとサラダ、それからチーズとパンを食べた。


 そして、冷蔵庫を開ける。

 ソフィーの目がキラキラと輝いた。


「しっかり固まっていますね」


 ココットを取り出して表面に砂糖を振り、魔石のバーナーで炙ってパリパリにキャラメリゼする。


「できましたわ!」


 甘く香ばしい匂いと共に、ソフィーがわぁっと拍手をした。







 料理長に礼をいい、厨房を後にした俺たちは、馬車に乗ってムルソーの街が一望できる高台へとやってきた。


 三月も下旬、柔らかな春の日差しが暖かい。野原には色とりどりの小さな花が、絨毯のように咲き乱れていた。


 高台の真ん中にそびえる大きな木。その木陰にシートを敷いて俺とソフィーが並んで座り、後ろに控えたアルフォンスが静かにお茶を淹れだした。


 コポコポという心地よい音と共に、ふわっと茶葉の香りが漂い、木の葉を揺らす風がそれを優しくさらっていく。


(……美しい時間だ)


 俺は、心からそう思った。


 淹れたての紅茶に、先ほど作ったお菓子を添える。


 マルグリットとアルフォンスに「貴方たちも食べなさい」と勧めたが、「後でゆっくりいただきます」と気遣うような答えが返って来た。


「ソフィー様。こちらはクレームブリュレですわ。スプーンで、こうやって……」


 俺はスプーンの背で、コンコン、と琥珀色のキャラメルを叩き割る。そう、殻を破るように。そしてスプーンで掬う。


「はい、ソフィー様。あーん」


「あ、あーん……っ」


 ソフィーは顔を赤かぶのように赤く染めて、小さく口を開けた。


 パクッ。


「しゅりーにゅしゃま……あみゃくて、おいひいれす」


「ソフィー様、お行儀が悪いですよ」


 ソフィーはこくりと飲み込むと、今度は自分でスプーンを持ち、キャラメルを割ってカスタードを掬い、俺へと差し出した。


「セ、セリーヌ様も……あー……」


 彼女が言い終わらないうちに、俺がパクッとスプーンを口に入れた。甘さが舌に広がる。その甘さが、砂糖の甘さかこの時間の甘さなのか、判断できなかった。


「もうっ! セリーヌ様、ずるいです!」


 二人の笑い声が、春の高台に響き渡る。暖かい風が、頬を優しく撫でた。


 食べ終わって、二杯目のお茶を飲んでいた時。

 俺はカップをソーサーに降ろし、隣に座るソフィーの横顔を見た。


「ソフィー様。……入学式で出会った私と、あの年末のパーティーで貴女の手を取った私が、『別人』だと言ったら……どうしますか?」


 俺の唐突な言葉に、ソフィーは目を丸くしたが、すぐに真面目な顔をしてじっと考え込んだ。


 やがて顔を上げ、俺をまっすぐに見つめ返す。


「わかりません。どうしたらいいのか、わかりません。でも……一つだけはっきり言えることがあります」


 ソフィーに澄み切った瞳。その中には、揺るぎない意志の強さが宿っていた。


「どちらのセリーヌ様も、私は大好きです!」


「……ふふっ……ありがとうございます。私も、ソフィー様が大好きですよ」


 その言葉に、またソフィーはビーツの断面のように顔を赤くしていた。


 でも俺は……きっともうこれ以上、ソフィーの赤く染まった顔を例える食材を思いつかないだろう。







 カーテンの隙間から差し込んだ柔らかな日差しが、瞼を通じて朝を知らせた。


 ゆっくりと目を開けて、窓の方に顔を向ける。


 ベッドに広がった紅い髪が、春の光を纏うようにキラキラと輝いていた。


 上半身を起こして、周りを見渡す。


 見慣れた、自分の部屋の風景だった。


 ベッド脇のサイドテーブルに置かれた小さな鈴を鳴らす。


 すぐに、ドアがノックされてマルグリットが入って来た。


「おはようございます、お嬢様。今日はずいぶんお早いお目覚めですね。……それと、十七歳のお誕生日、本当におめでとうございます」


 マルグリットが両手を前に揃え、微笑んだ。


 十七歳のお祝いを聞くのはこれで二人目だ。


「お昼には旦那様もお着きになられますので、お迎えの準備もいたしましょうね」


 そうだ。今日は、お父様が来る。


 久しぶりに会えるのはとても楽しみだが……あの全力の抱擁と、硬いお髭を顔に擦りつけるのだけは、本当にやめてほしい。いつもそう言うのに、全然聞いてはくれないのだから。


「おはよう、マルグリット。……お世話をかけますね」


 私は、新しい朝の光の中で、大好きなメイド長に優しく笑いかけた。

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